こんにちは。
今日、とあるホテルのオープンスペースをのぞいてみると、
ものすごいバルーンのフォトバックが!
あたかも先日まで行われていたJBAN Conventionの会場から抜け出してきたかの作品です。
このホテル、私が一時期入っていたが、私が精神疾患によって責任を持って仕事を受けることができないと自ら判断したため降板し、元スタッフの方に譲ったところです。
しかもこの作品を制作されたその方はJBAN Conventionが終わってすぐに広島に帰り、制作に取り掛かったとか…
私は複雑な思いになりました。
この方は私が引退して、後を継いだのですが、今や広島を代表するバルーンデコレーターに成長しています。とうの昔に私は追い越されてしまいました…
本来なら喜ぶべきところなのでしょうが…
昨日は広島市内の某所で別のバルーンデコレーターの方にお会いしました。
この方、JBAN Conventionのコンテストに参加し、入賞されたそうです。初めて参加したにもかかわらず…です。
これはこれで素晴らしいことだと思います。
こうしてみると、私はむしろ
「後に続く人たちのために道を作った」
ことの方を誇りに思えてきました。
道なき道を切り開くこと10年以上。
今バルーン業界は成熟期にあり、ブライダルのように衰退しつつある分野もあります。先日話題にした呉のとある結婚式場の破たんはその典型です。
この結婚式場の結婚式の画像を一つ一つ検索すると、彼女が手がけたバルーン演出の画像が見つかりました。私がフォーマットを作った演出を見事に完成させていました。(私が手がけていた演出とほとんどまったく同じなのだが、彼女の方がよりスマート)
つまるところ、私が創った基礎を次に続く方たちがどんどん発展させているのです。
こうしてみると、
私の役目は終わったのかな
と思えて仕方ありません。
しかし、私は新たな役目を今になっています。
自らを苦しめている本当の原因が発達障害で、一連の精神疾患はその発達障害の二次障害だったということが3年前の段階ではっきりしました。しかもそれは21世紀になってから知られるようになった症例で、現役で活動していたころはわかりづらかったといえます。一時期は「アスペルガー症候群」と言われていました(今は「自閉症スペクトラム」とされている)。
このような障害は行動療法で緩和されるといわれています。その方法が「自己肯定感を高める」ということです。そこで活用しているのがバルーンなのです。
その一環でコンサートのデコレーションを手掛けたのですが、初めての作品でここまでのものができたのは立派だと思います。
私と同じ障害に苦しむ人たちはひきこもり・ニートになるなど、社会から切り離されてしまっています。そのような人たちに社会参加のきっかけとしてバルーンを活用する取り組みを進めていくのが今後自らすべきことだと思うのです。
そういう私は正直
今でも自己肯定感が低い
のです。
客観的に見れば、道なき道を切り開き、さらに次なるステップを踏み出そうとしているにもかかわらず、です。
なぜそう思えてしまうのでしょうか…
実は、
親を安心させるのが私の最大の義務
その義務を全く果たせていない
という現状にあるからなのです。
親を安心させることはすなわち再就職活動の成功です。
ところが私は気づいています。
このまま再就職活動を続けるのはずるずると不採用を重ねるだけの消耗戦となり、かえって危険だ
と。
無理な就職は自殺に至る恐れすらあるのです。
正直言ってこれは私の両親にとっては
不都合な真実
よりほかありません。
親の価値観に子供をしたがわせようとするのは価値観の変化が起きてしまった現状では非常に困難と言わざるを得ません。
親の価値観に基づいて就職するためには、一度私をすべて白紙にするしかないとさえ考えています。親の意向に基づいて就職するために、徹底的な自己否定に自己批判を過去にやってみましたが、うまくいきませんでした。結局バルーンでやってきたことから何ができるかを抽出した自己分析の方がうまくいきましたが、そこに親の意向はありませんでした。知恵袋なども使いましたが、先日述べたように管理者養成学校か戸塚ヨットスクールしかないという結論に達し、それらの費用は最低30万かかることもわかりました。
他方、私は幼い時から「チック」があったり、体中の毛を食べるなどの症状が出ていました。今ではこれは「親の育て方に問題があるシグナル」と言われ、子供からのSOSとして受け止め、親は真剣に対応する必要があるといわれています。しかし当時は親もまた子育てに対するプレッシャーがあり、無理やり矯正しようとすることを繰り返しました。その結果二度にわたる家出をすることになってしまいました。
そればかりか、そもそも私は
条件付きの愛情ばかりを両親から受けてきた
のです。私は親の欲求を満たすために生きてきたようなもので、親の敷いたレールの上を走ることを要求されていたのです。条件付きの愛情ばかりを受け続けると、結果
自己肯定感が低くなり、自己承認欲求が高くなってしまいます。
親は私を「育て上げよう」という気持ちで、今でも行動しています。そして自衛隊に入った近所の子供と比較したりしています。
親のやることなすことすべて、
ほとんどすべて「やってはいけないこと」にあたる
と私は見ています。そして毎日のように
「私を安心させて」
と電話で叫んでいます。
このような状態ですから、実家に帰りたくても帰れないのです。
そしてこのような親に育てられた結果、
独特の変なオーラを発してしまい、面接官に「この人は何か影がありそうだ、採用すべきでない」
となって、不採用を重ねてしまうことになるのです。この独特の変なオーラ、「顔が笑っているのに目が笑っていない」という印象で、ブラック企業に長く務めた人と似たような毒を持ってしまうのです。
これが
自己肯定感が低い真の原因
だと私は思います。
本来低い自己肯定感を高める唯一の方法が、私には風船だった
といっても過言ではありません。
これを捨て去ることはすなわち自己否定です。そして
風船を取ると何も残らないスカスカ人間だ
と言われるようになり、自分では
今頃親を殺して塀の中にいるか、自ら命を絶っていたか
とまで思うようになっているのです。
このように自己分析の結論が出ているのに、それでも否定するのでしょうか…私の両親は。
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