2015年1月31日土曜日

障がい者雇用率の話

こんばんは。


今日はまじめな話。
厚生労働省のページより


これによると、従業員50人以上の企業は、最低必ず一人障碍者を雇用する必要がある。
そして従業員100人以上の企業が法定障碍者雇用率(2.0%)を満たさないと、「障害者雇用納付金」という名のペナルティーが科されるように、今年4月から法律で定められる。


バルーン業界で従業員50人を超えるところは今のところ思いつかないが、そろそろバルーン業界も障害者雇用を真剣に考える必要があるように思う。


例えば全国のバルーンアーティストやバルーンデコレーターから頂いた注文に対して、倉庫から運び出すピッキング作業。
膨らませていないゴム風船から不良品を見つけ、別にする検品作業。
そのほか注文処理から伝票処理、さらにはネットショップの制作をはじめとしたウェブ管理に至るまで、障碍者、特に精神障碍者が行える業務はいくらでもあると思う。
それだけではない。思いつかないアイデアがもたらされることもある。もちろんJBAN Conventionなど、バルーン業界のイベントにはどんどん参加して、風船の楽しさ、華やかさ、美しさを体感してもらう。


一方で私が取り組もうとしている、精神障害・発達障害・ひきこもりに苦しむ人たちに風船の楽しさ、美しさ、華やかさを体感してそれを多くの人に伝えることによって社会に足を踏み出そうという試みについても考えてみていいのではないか。


バルーンを通して心のバリアフリーを実現していく取り組みを私は今後していきたいと思うし、それを実践していく。


もし万が一、ブライダル業界のごく一部などで見られる「障害者雇用納付金」を払ってごまかそうという方向にバルーン業界の流れの大勢が動いた場合は、私はバルーン業界に背を向けるつもりだ。そのような業界ではないと私は信じているし、心のバリアフリーに取り組むことによってバルーン業界のイメージも良くなるはずである。

2015年1月28日水曜日

人生は10代までで決まるのか…?

こんにちは。
昼休みの投稿です。


仕事の合間に見かけた文章。


ソウス


その中の一部分。


組織のからくりを理解して行動している。それも10代のうちから。


発達障害を抱えている人は、これが理解できない。仮に理解できても、「不条理」として戦うことを選ぶ。


その背景が完全主義思想であり、その根底にあるものが親のゆがんだ愛情にある。


その結果、「どんなに結果を残して行っても、やがてつぶれる」ことになってしまう。


そうなると、人間の基礎というのは、幼少期から思春期に入るまでの間にできることになり、親の役目の重要さを改めて認識する必要がある。
私の場合、先天的な自閉症を抱えていて、それを治すためだけに幼少期が費やされた。当時は自閉症は治るという考えが主流で、両親もそれに呼応した。今では考えられないことであるが、70年代当時と今とでは全く状況が異なり、加えて親(特に母親)の幼少期にも厳格な家庭教育があったらしいから、それが連鎖して今に至っているというのが私が出した結論。


発達障害、自閉症、そしてアダルトチルドレン…


結局のところ、組織の中で出世できるか否かは、幼少期から10代までの親の教育で決まるような気がしてならない。それを誤ると、後々子供がひきこもりや不登校になってしまう。
私の父親は、ビジネスに心理テクニックを取り入れることで、某大手企業の部長まではなることができた。しかし、これ以上となると、心理テクニックだけではどうにもならない。
そして、心理テクニックを子育てに適用しようとすると、アダルトチルドレンになってしまう。ひどいと不登校や家庭内暴力の原因になる。


そのような親に育てられると、人間の根っこのところで、社会に出た後で苦しむことになる。以前述べたことのある「他人を寄せ付けない厳しさ」をまとい、結果その人の努力が反映されにくい状況にぶつかってしまう。たとえその人がどんなに能力があろうとも。


かくして親の責任は重大である。


ましてや発達障害の疑いあり、と診断された場合、今では70年代当時と違って、適切な対処方法があるという。一番効果があるのが
ほめる子育て
だという。そして、豊かな環境の中で子供の感性を磨くことだという。
私は残念ながら、あまり親に褒められた記憶がない。むしろ殴られてばかりだった。山の中に放り投げられたこともあった。体罰、暴力は何度もあったし、ある時はボウルが壊れるぐらい激しく殴られたこともあった。
厳しくしつけることがよい子供を育てるとかたくなに信じていた両親だった。今では「間違った子育て」と判定されるに違いない。それが昔はまかり通っていた。「ほめる子育て」は軟弱な子供を育てることにつながるとして、どちらかといえば否定されていた。
今と当時の常識は大きく異なっていたし、ましてや自閉症を完治することは不可能に等しいというのが今の考えの主流である。だから私はすでに
親を責めることはできない
と結論付けている。
10代の時から、私は親と戦ってきた。親と戦うこと自体
異常
である。だが、私はこの異常の原因の根底がつい最近まで分からなかった。その原因がどうしようもないところにあるということが分かった今、
現実を受け入れる

ことが一番大切だと感じている。だから私はプロとしてのバルーンアーティストを引退した。自分一人でできることの限界を思い知らされたからである。やれるだけのことをやってダメだったのだから、悟るしかないのである。

2015年1月20日火曜日

考えさせられる1日

こんばんは。
見出しの通りの1日になりました、今日は。


午前中、免許センターで運転免許の更新。
私は約6年間無事故無違反だった期間があるにもかかわらずゴールド免許になったことが一度もないのです。
というより点数のつき方が特殊で、免許更新と違反のタイミングが悪く、常にゴールド免許寸前で違反をしたりしていて、おおむね平均4年に1回の割合で青切符を切られたりしているのです。しかもそのほとんどが隣の県で、かつすべて速度違反…聞いた話ではゴールド免許率がワーストレベルとか…(私はこの県に住んでいたことがあり、車で数時間かけてこの県の県庁所在地にある免許センターまで行ったことがあったが、この時はなんとゴールド免許より違反者講習の方が多く、午前中に受け付けたのに午後に回されたりした人も出ていた模様だった…いかにこの県が交通取り締まりが厳しかったかを物語る一件である)


地元でも「この県を運転するときは気をつけろ」といわれているほど悪名高いです。
免許更新の際の講習で理解に苦しむ講習内容を耳にしました。


性格の悪い人は運転免許を返上すべきではないか


現在、精神障碍者から運転免許をはく奪しようという動きが見られます。
山口県警察のホームページより


上記リンクによると、「一定の病気等」の中に、統合失調症やてんかんなどといった精神疾患がある人は事前に申し出る旨あります。その中で


自動車等の安全な運転に必要な能力を欠くこととなるおそれがある病気


とありますが、この中に「広汎性発達障害」を含むのかそうでないかの見解が分かれているのが現状なのです。実は
講習中に講師が「性格に問題のある人は免許を返上すべきでは」というニュアンスの発言をしたのです。
当然私は抗議の意思を込めて休憩時間中に退席し、「免許総合相談窓口」に押しかけました。
しかし、私の抗議を受けた「免許総合相談窓口」にいた警察官は
「あなたの場合は該当しません。席に戻ってください」
と言いました。私は「該当しないようです」と講師に申し出て、そのまま免許は更新されました。


県警察本部の委託を受けた交通安全協会の講師と県警察本部の見解がちぐはぐなのも困りますし、かといって法律を厳格に適用すると車社会の現実に対応できないという事実も存在します。同じ建物にある県警運転免許課と交通安全協会でさえ、このように見解が異なっているのです。


その上、厳格に適用するところとそうでないところがあるのが現状です。私が住んでいる広島県の場合、現場の警察官の方が実情に応じた現実的な対応をしてくださっているという状態です。何しろこの免許センターに来るバスは30分~1時間に1本、中心部からの運賃は大人往復1000円…ほとんどの人がマイカーで免許更新に来ているのが現状です。ちなみに私は今回、別ルートのバスを利用しました。


午後はとあるブライダル関係者と会って話をしました。
そこでも精神障碍者に対する無理解が…


私は「今後精神障碍者や発達障害の人も、どんどんブライダルの現場に入れるようにしていきたい」というような話をしました。
しかし、このブライダル関係者が言うには…
「そういう人たちを受け入れるような業界にするのは難しい」
ということでした。なぜなら、理由が…あるのですが、それがあまりにあきれるような理由だったのです。


新郎新婦様のクレームが怖いから


私も長年ブライダル業界に身を置いていたものとして、新郎新婦様のクレームの怖さはわかります。過去には宅配した作品をつくりかえに東京まで出向いたほどです。しかし、やりようがあるはずです。あらかじめ説明するなど…


クレームの結果、代金返金に至ったこともあります。これを私は「返還欠場」と呼んでいましたが、これを悪用する新郎新婦様がいたのもまた事実なのです。
余談ですが、どうやら私以外にも「返還欠場」という表現をするブライダル関係者がいたらしいです。関西だったのか関東だったのか、あるいは九州だったのか覚えていませんが、結構ギャンブル好きの支配人クラスの方がクレームのことを「返還欠場」と呼んでいたらしいです。新郎新婦様やゲストの皆様からの評価に絶えずさらされ、ストレスばかりがたまるブライダル業界の中間管理職がギャンブルでストレス解消しているという現状が透けて見え、それがウェディングプランナーなどの現場に伝わって、結局
華やかな表舞台ほど舞台裏はぎすぎすしている
という悲しい現状が生じているのです。


この際だから述べますが、私がこれまで言われた言葉の中で、一番悔しい言葉で、今でも耳に残る言葉があります。
こんな障害(=発達障害)がある人と一緒に仕事をしたくない


とあるブライダル関係者からこの言葉を言われた時、私はすごくショックで、筆舌に表しがたい屈辱感を覚えました。
と同時に、
時間がかかってもいい
絶対にブライダル業界とバルーン業界をこんな障害(=発達障害)があってもともに創りあげることができる業界に変えてみせる
という気持ちがわいてきました。
今、私が新たな方向性でバルーンアートに取り組んでいるのも、この悔しい思いがあるからなのです。


クレームを恐れるのなら、私が先頭に立って、新郎新婦様に趣旨を説明し、理解していただいたうえで最高のバルーン演出を提供します。もちろんその現場には発達障害などで苦しむ人たちにスタッフとして加わってもらい、施工から瞬間まですべてに立ち会っていただきます。
私が目指しているのは


新郎新婦様やゲストの皆様だけではなく、その場に居合わせた人すべてが感動し、幸せな気持ちになっていただく


ことなのです。これが理解できない人に、Y's Dreamの一員になる資格はありません。これは現役のプロとして活動していたころから一貫しています。逆にこれさえわかっていただいた人は、どんなに技術がなかろうと、どんなに足手惑いになろうと、一緒に仕事をしていただきました。旧Y's Dreamは、長年この姿勢を一貫して貫き通しました。逆に言えば、だからこそあれだけの数多くの感動の瞬間を作り上げることができたのです。


自分で自分を自慢するようで、ある意味傲慢かもしれませんが、現役時代の私のバルーンに対する姿勢は、何人かの方からはすごく高く評価されていました。私のバルーンに対する姿勢から学び取った方の中には、現在第一線で活躍されている方が複数います。その中には世界大会で入賞したり、日本を代表するバルーンアーティストに成長された方もいます。
そのバルーンに対する姿勢を、プロとして第一線を退いた今でもなお学ぼうとしている方ががいるのも事実です。
そしてこの経験を、社会に出る一歩を踏み出せずにいる発達障害やひきこもりに苦しむ人たちが、足がかり、きっかけをつかむ一歩として活用してほしい、というのが私の考えなのです。


そのためには、発達障害者を排除しようとしている社会を少しずつでもいいから変える必要があるのです。


排除の論理からは何も始まりません!!

2015年1月18日日曜日

自己肯定と自己否定

こんばんは。
今日は広島は「全国男子駅伝」でした…が、井口中継所で福井が途中棄権、愛知は襷投げで失格…こんなに荒れたのは珍しいです。私は電車に乗っていて、途中で先導の警察車両が見えたので下車し、そこから沿道で応援しましたが、福井の途中棄権は街頭テレビで知り、愛知の失格はネットニュースでたった今知りました。


それはさておき、自己否定の根源って一体どこにあるのか…と考えてみました。


ソウス


上記ソウスより引用


ある時、上司に仕事を頼まれたとしましょう。その時、自分なりに仕事を仕上げましたが、自分の出来る範囲の精一杯の力で仕上げた仕事であるのに、出来上がったものが、上司が要求したレベルを満たしているだろうかと、自信が持てず、大きな不安が生じて、やっぱり自分がする仕事なんてダメなんだと思って提出自体に躊躇してしまう。そして、ようやく実際に上司に、仕事を提出し、『良く出来ているね!』と褒められても、素直に『ありがとうございます!』と喜べない人。逆に、ちょっとここの部分を修正してなどと言われようなものなら『自分にはこんな仕事も出来ないんだ!』『使い物にならない人間なんだ!』と思ってしまう人。
このような人が、自己肯定感の低い人と言えるでしょう。


引用ここまで


はっきり言います。
私は自己否定の塊です。
自己否定を打ち破るためにバルーンであれだけのものを築き上げたのです。


その自分で築き上げたものを自己否定しようとしていたのです。


どうしてこのような、馬鹿げたことを私はしようとしていたのでしょうか。


このような行動をする背景には、親の存在が関係しているようでした。
幼少期の親の育て方に問題があったということです。
この問題については極めて根深いものがあり、その根源は母親の故郷である鹿児島の風土(=薩摩藩)が絡むという、自分の力ではどうすることもできないところに原因があると認識しています。
そういう鹿児島の暗部については「薩摩剣士隼人 第一部完結編」でも取り上げられており、たびたび私が問題視する「レッテル貼り」が関係しています。そして悪役「ヤッセンボー」はその象徴です。


鹿児島以外の人は恐らく何のことやらさっぱりわからないでしょうから、ウィキペディアかユーチューブで「薩摩剣士隼人」と検索してください。
私の言っている意味がわかります。


20代前半、社会人1~2年目のころの自分自身は、本当にひどいものでした。ギャンブル以外に趣味がないという状態でした。
そこから、このブログのトップにもあるような立派な1冊の作品集が作れるまでのバルーンアーティストになったこと自体、客観的に見ればすごいことだったようです。


しかし、私が相談を持ち掛けたとあるキャリアコンサルタントがとんでもない発言をし、それを私が呑み込んだことによって再び自己否定に走るようになりました。


バルーンアートのキャリアは所詮キャバ嬢やホストと同じ


私は納得してしまいました。


確かにキャバクラやホストクラブの装飾が多いのは事実です。
最大の顧客がキャバクラやホストクラブというバルーン業界の現状もあります。
しかし、キャバ嬢のコミュニケーション能力のすごさをどう評価していたのでしょうか、このキャリアコンサルタントは?


そして私は、本当の自分を殺して、ただ会社の命令に従ってのみ生きるロボットとしての人生を模索しようとしたのです。親のためだけに人生を生きることを模索したのです。
たとえ、どんなに親が過干渉・共依存であったとしても、泣いて従うことが子供の務めであり、義務であるという考えに立っていました。まさに
儒教
の価値観です。そして、自分自身、儒教的価値観に賛成で、
孝経
を読んでみたくなったほどです。親に間違いがあっても、それに従うのが子の務めという考えに私は同感でしたし、それより何より、私の両親は儒教の熱心な信奉者だったのです。


これが実は、自己否定の根底にあったのです。

儒教的価値観と自らがつくりあげたバルーンアートに大きな齟齬がある…

私は自己矛盾を抱えていることがわかりました。


どちらかを否定しないと、自分自身が成り立たない状況にあったのです。
私はバルーンアーティストとしての自分を否定することを試みました。
結局それはできませんでした。


そうなると、バルーンアーティストとしてのありのままの自分を受け入れるしかありません。
自己否定の塊にとって、自己肯定ほど難しいものはありません。


実際、ここ数日とあるブライダル業界の関係者とブライダル業界の現状を話し合う機会がありました。その中で私は、
「私が手がけるバルーンアートの作品づくりに、発達障害などでに苦しむ人たちを参加させたい。そして感動を共有することによって社会へ踏み出す一歩にしたい」
という話をしました。その時の表情がとにかく笑顔で、生き生きとしていて、輝いているといわれました。


私が本当にバルーンアートを通してやりたかったのは、新郎新婦様やゲストの皆様だけではなく、その場に居合わせた人すべてが感動し、幸せな気持ちになっていただくことだったのです。
このような仕事を数多く私は経験してきたのですが、それは一方で、結婚式場や広告代理店などにうまく「利用」されてしまう側面もあったのです。そのはざまで私はもがき苦しみ、プレッシャーに押しつぶされ、最後は「仕掛けた演出が失敗した=演出事故=返還欠場」が同時多発的に起きる「大返還」を惹き起こして、鬱に似た症状を呈し、原因究明の中で発達障害が判明したのです。
最後はただ「こなす」だけの仕事になっていた面もあります。


このような状況で、感動や幸せ、そしていつまでも心に残る思い出を作ることはできるはずがありません。


いたるところで自家撞着になっていた私は、一度引退するよりほかなかったのです。


そして私は、今までの自分は死んだものとして、すべてを入れ替えることを考えたのです。そのためには徹底した自己否定をする必要があったのです。「人間改造」の域まで私は挑もうとしていたのです。人格改造セミナーへの参加すら考えました。


そこまでやる必要がはたしてあったのでしょうか…答えは「ノー」でした。
私は、親孝行するためには徹底的に自己否定をし、人格改造を断行する覚悟でいました。そこまでやって親に尽くすことが、親孝行だとかたくなに信じていたのです。
結局、それは間違いだったのです。というより、親孝行以前の問題だったのです。


私は現在、近い将来のバルーン業界への復帰を考えていますが、
バルーン業界やブライダル業界の現状が変わらない限り、バルーンを生業にすることはあり得ませんし、できませんし、してはいけません。
同じ過ちを繰り返し、再び自己撞着を惹き起こすだけです。
今のバルーン業界やブライダル業界、本当に人々に感動や幸せを与えることができる現状にあるでしょうか?
このままでは私と同じ苦しみを味わう人が再び出てしまいます。
そして何より、本当に私がやりたいことができません。


私の風船に対する思いから、どれだけのことを学ぶことができるのでしょうか…
それだけのものが形として残っている事実がある以上、自己肯定はしても自己否定はする理由がないのです。

このコラージュ写真に対する私の思い、感じることができますか?

2015年1月14日水曜日

在宅勤務が普及しない本当の理由?

おはようございます。


昨日、仕事の合間に面白いサイトを見つけた。
ソウス


このサイトによると、在宅勤務が敬遠される理由がおのずと見えてくる。
その中でも最後にあった
ケミストリー


肩書きや部署が違っても、同じオフィスに来ることで交流が起こる。多種多様な人間が集まることでの化学反応を信じてるから。(上記ソウスより引用)


私は、
これこそが在宅勤務の普及を阻み、かつ、発達障碍者の就労を阻み、さらに都市への一極集中を招く要因ではないかと考えている。


人間にはいろいろなタイプがいる。
1+1が必ずしも2になるとは限らない。
1+1が1を下回ることだってありうる。
もちろん3にも4にも、あるいはそれ以上になることもあるのだが…


ソウス2


このリンク先、以前にも取り上げたことがある。(現在この記事はアメンバー限定にしている)


人間力は、カリスマ性?包容力?いや、そんな一人だけに備わるものでもない。人によって表れ方が、異なる。言ってみれば、究極のその人らしさ。ただし、人を寄せ付けない厳しさではなく、他の人が入るゆとりがある。それが人間力ではないか。(上記ソウス2より引用)


以前も取り上げたが、注目すべきは
人を寄せ付けない厳しさ
他人が入るゆとり
というくだり。


発達障害、中でもつい最近までアスペルガー症候群と呼ばれた部類に入っている人は、
人を寄せ付けない厳しさをまとい、他人が入るゆとりがない
人が見られる。このような人は
1人で仕事をするとすごいパフォーマンスを発揮することがある半面、1+1が1を下回ることが往々にしてある
という。


もっとも、
1人で仕事をして、その成果物をチームに反映させることによって成果を残すことは十分に可能である。
典型例がイチローである。私もこの部類に近い。そういう人は在宅勤務が性に合う…ということになるのだが、現実はクリエイティブな仕事ほど、ケミストリーが重要視される方向に向かっている。その結果、在宅勤務の普及が進まない。


さらに、これから数年間、東京への一極集中はさらに進むであろう。一方、地方の疲弊は深刻さを増している。地方のこれ以上の疲弊を防ぐためにも、在宅勤務を増やすべきだというのが私の考え。月に1回は出勤すべし、という考えがあるが、給料を多めにして(月20万、年収250万以上)、その中で東京への交通費を工面すれば、成り立つのではないか。例えば、福岡からの飛行機代は往復4万(特割など、実際の相場価格)と考えると、日本のほとんどの高速通信回線がある地域で東京と同じ仕事ができる。私も現役のプロバルーンアーティスト時代、北広島町大朝でこれを実践していた。大朝というところは典型的な中山間地域。高速道路のインターチェンジが目の前にあり、高速道路を使えば1時間以内で広島市内へアクセスできたし、1時間強で広島空港へもアクセスできた。さらに東京や大阪へ(加えて名古屋も)直行できる高速バスもあった。引っ越して1年以内にADSLが入り、今では光インターネット回線が入っているという。


このようにメリットがたくさんある在宅勤務なのだが、それを阻むデメリット…が
ケミストリー
なのかもしれない。


考えてみれば、アメリカのヤフーもグーグルも、在宅勤務に否定的である。
オフィスに毎日集うことによって生まれる1+1が2を上回る効果を追い求めているのが今の企業の現状なのだろう。

2015年1月11日日曜日

型にはまろうとする若者たち

こんにちは。


昨日、この時期になると必ずと言っていいほど出回る売れ残りの青春18きっぷを格安で購入して、1日中動き回っていました。


その中で、とある若い女性が向かい側の座席に座りました。


その女性、新幹線からの乗り継ぎの帰りと判断して最初は話しかけなかったのですが、主要駅を過ぎても下車せず、どこまで行くのか確認してみると、終点(=広島)までだったことを確認。その後は二人でいろいろ話をしながら帰りました。やはり青春18きっぷの売れ残りを購入した口でした。


その中で実感したのですが、今頃の若者は
空気を読む
ことにたけていて、その結果
コミュニケーション能力絶対視
となり、


空気が読めない=規格外=発達障害


という構図が成り立ってしまっているのが現実だということを痛感しました。


とにかく、
自ら好き好んで型にはまろうとしている
のが今の若者なのです。


こういうのを
悟り世代
というのは聞いたことがあります。しかし
安定を求め、夢を追いかけたりしない
のが今の若者だとしたら、教育の存在価値はどこにあるというのでしょうか。


それとも、高度経済成長期の日本が追い求めていた
良い組織の歯車になるための教育
へ先祖返りする方向に向かってるのでしょうか?


その結果、
規格外=発達障害
というように、カテゴライズするような社会になってしまったのかもしれません。
まさに
レッテル貼り
です。


これでは、結婚式の在り方も、バルーン業界の在り方も、変わらざるを得ません…

参考ページリンク  

2015年1月4日日曜日

若者よ、失敗を恐れるな

こんばんは。
年が明けてはや4日ですね。


カウントダウンで風船を使うケースが減少しているのが現状ですが、今年は
年明け早々「たぎってくる」映像を見つけました。


「シーホーク カウントダウン」で検索してみると、どういう映像だったかわかります。


他方、昨年は「引退したのに…」と思わずにいられないことも。


ソウス


つまるところ、私が手がけていた演出を上回るものを作れる人は、本当に限られていたのです。


もっとどんどんバルーン演出が広がれば、市場も需要もどんどん拡大し、そして感動の光景に接する機会が増えるのでしょうが…


若い、あるいは経験の少ないバルーンデコレーターの皆さん
失敗を恐れてはいけません
どんどんチャレンジしてください。
そして、自ら手掛けたバルーン演出がどれだけの感動を生み出すか
体感してください。
その感動が、より感動的なバルーン演出を考えだし、まだ誰も見たことのない感動を創り出すのです。


バルーンについてはここまで。
というか、バルーン以外にもありとあらゆることに当てはまるのです。


今頃の若者は、どうしてチャレンジする心を忘れてしまったのでしょうか…
「努力が報われると思わない」と思う20代・30代が30%にも達しているという現状…


これは昨年、とある調査で分かったことなのだが、その結果若者の
安定志向
保守回帰
がここ数年より顕著になっている。
ブライダルの少人数化、「絆婚」化もその傾向の一端と私は考えている。
その結果の一端がバルーンの売れ行きの変化にも表れ、バルーンギフトは伸びる一方、バルーン演出の縮小傾向に至っている印象がある。これがここ数年のバルーン業界の変化の大きな一因であり、その渦にのまれた私は自らの方向性と全体の大きな流れのずれに直面して、第一線を退くことを余儀なくされたのだが…


私はこう考えている。
人生、40歳になるまでに何をしてきたかで決まる。
20代で何を目指すかを決め、30代でそれを実践する。
40代になって、選択を迫られる。
確かな手ごたえがあるなら、それを継続するがよい。
時代に合わなくなったと思ったら、転進するべし。
転進する際も、それをご破算にするのではなく、その実績が生きる道を選ぶべし。


私の場合、一度「ご破算で願いましては」を試みた。結局それはできなかった。正直、バルーンアーティストだった過去をすべて捨て去りたいという気持ちになったことがあった。ところが、これをしてみると、ぬかるみにはまった車のごとく、一歩も前へ進まなかった。いかに人生リセットが困難なものか、痛感させられた。
転職する際、「人生リセット」のつもりで活動すると、泥沼にはまる危険が高い。


人生リセットをするべき人は、60歳かそれに近い年齢になって、子供も完全に独立し、その先が見えてきた人か、20代から30歳になるまでの間で職業選択を誤ってしまったかのいずれかである。前者は人生のほとんどが決まった場合であり、いわゆる「定年」である。夫婦水入らずの、熟年の日々であるが、年齢ゆえ無理ができない。後者は「まだ間に合う」状況である。


正直、私は入社した会社を間違えたかもしれない。入社して1年目はボロボロだった。即戦力と期待されて大手自動車会社系列の部品メーカーをけって石見交通という片田舎のバス会社に入ったのだが、当時の上司が社長の親戚で、しかもいわゆる「クラッシャー上司」。このような「クラッシャー上司」は、普通ならコンプライアンス面で問題になりかねないが、悪いことに社長の親戚。当初はこの上司と私の相性かと思われ、私は左遷されたが、次に入ってきた部下もやはり精神的に参って退社したことから、この上司は「クラッシャー上司」と言わざるを得ない。一方左遷された先は比較的暇な部署で、加えて会社全体がぬるま湯につかっていた印象がした。貸切バスの自由化、そして路線バスの公的補助制度の変化…外的変化がそこまで迫っていたのに、それに対する順応が遅れていた。


一方で私は何度か述べたように、ギャンブルにおぼれていた。その結果当時付き合っていた彼女にも振られた。
この状況を打破しなければ…と考えていたところに出会ったのが「バルーンアート」。今でも続くエミリーズバルーンアートビジネススクールだった。
結果16年にわたるバルーンアーティスト人生が続き、1年近い中断を経て、新たな展開に向かっている。


これ以上はもう何度も述べているので、こちら を見ていただくことにして、詳細は省略するが、つまるところ失敗を恐れずにチャレンジすることが、将来につながるのである。


にもかかわらず、最近の若者の安定志向…
そして早い段階での選別、そして進路選択…
大学に入ったらすぐに就職活動を意識しなければいけない状況だという。入学式のすぐ翌日に両親向けに「就職ガイダンス」をする大学もあるという。一方、入学した当の大学生は「プレイスメントテスト」を受けさせられるという。習熟度別授業のクラス分けである。そんなもの、入試で分かろうもん、と思うが、推薦やAO入試が普及した故、必要だという。スクールカーストに代表される同調圧力の中で中学高校時代を過ごし、大学に入ったら入ったですぐに就職という目標に向かって、レールに乗る…


何だか「良質な部品」「良質な歯車」になることだけを求められ、それを目指しているような気がしてならない。そして
規格外=発達障害
という物差しにはめられてしまっている現状。


一体、アベノミクスは、そして日本の将来は、どうなってしまうのか…


「規格外=発達障害」についてはもっと深く論じる必要がありますが、きりがないので今日はここまで。