2016年11月10日木曜日

組織の歯車になる訓練?

こんばんは。
このブログですが、見てのとおり、更新が滞り、存在意義が問われつつあります。
「顔本」や「言葉版」の最近の自分の書き込みを見ると、キラキラピカピカした記事ばかりが目立ちます。
想いがカタチとなり、そしてはじける!、ということ
くす玉のような存在って?
私の風船に対するこだわり
いずれも「言葉版」の最近の記事です。リンクを張っているのでご覧ください。













最近の作品の写真です。社員として初めて迎えた、昨年も行われた福祉関連イベントです。

そこでつくづく思うのが、最近一部の就労移行支援事業所で顕著な
就職予備校化
の問題と、私の母親の
インナーチャイルド
の問題である。
一見関係ないようだが、この二つの問題は密接につながっている。

私が以前通っていた就労移行支援事業所。
もう3年近く前になるが、1年近い間、ここに通っていた。
その就労移行支援事業所、当時私とかかわっていた職員は所長は同じ会社の別の部署へ、それ以外の職員は全員退職し、別の就労移行支援事業所に移籍したり、公的機関に転職したりしている。職員は全員入れ替わった。そして今や、名前だけ同じで、当時とは訓練内容も目指しているものも全く異なっている状態になっている。
この就労移行支援事業所の現在の印象を率直に言うと、ズバリ
就職予備校
の一言である。
訓練の全ては就職のためにあり、そしてそこで定着するためにある印象が強い。
私は一時期、この現状を憂えていたが、今では
「これもありでは」
と思えるようになった。
一つは就労移行支援事業所の選択肢が増えたこと。様々なタイプの就労移行支援事業所から選べるようになり、合わない、と思えば体験の時点でやめてしまえばよい。今、ここの印象は
就労経験の浅い30代前半までの若い人向き
である。一度個性を捨てて型にはまった生き方をしたい人向きであるし、事実「型にはめる」訓練が多い。それがもう一つの理由であり、今やこの就労移行支援事業所の特色になった。実際最近ここに通っている人たちは、自分の「型」がなく、どのような生き方をしたらいいのかわからない人が多い印象がする。そういう人はそれこそ「型にはまる」必要がある。一度型にはまってみて、そこで生きていけるかどうかは型にはまらないと分からないと私は思う。

他方、それより大きな問題が、後者の「親のインナーチャイルド」である。
私の場合、母親が深刻な「インナーチャイルド」を抱えて生きているように思う。このような場合、母親は「アダルトチルドレン」となり、子供から見れば「毒親」になってしまうことが多い。
正直言う。
旧Y's Dreamが廃業に至ったのは母親にも大きな原因があるといっても過言ではない。

母親は厳格な躾を両親から受けて育ったという。
そしてことあるごとに「子供を起業させて申し訳ない」と謝罪していたという。
母親の両親は鹿児島出身である。子供、すなわち私が風船屋Y's Dreamを起業してからは、鹿児島に近づかないようにしていたという。
やがて長年の無理がたたって、私はうつを発症し、休業に追い込まれた。その時母親がやったことは…
母親の母親、すなわち私の祖母が亡くなったあたりから、母親もまた精神疾患になってしまった。原因不明の体全体の痛み…自殺未遂もしたらしい。
自殺未遂の話を聞いて、私は廃業を決断した。

私は母親が何を望んでいたのか、わかっていた。
母親はことあるごとに私が自衛隊に入ることを望んでいた。
子供が戦死しても、国のために死ぬことは名誉だと考えていたらしい。
労災や過労死で死ぬことは「殉職」だとも考えていたらしい。
そもそも母親はかつて、私が幼いころ自閉症の症状が顕著に出ていたころ、一家心中を考えたらしい。父親が説得して止めたという話を耳にしている。その父親も真夜中に山の中に置き去りにするようなことをした。

母親は子供を自らの親の望むように育てたかったのだろう。ところが自閉症の症状が出て、就学猶予の可能性すらあったという。1970年代後半の話である。
今なら児童デイサービスに入所して療育に取り組むべきケースであるし、そもそも1970年代後半と2010年代も後半に差し掛かりつつある今では社会が全く異なる。1990年代前半までは「型にはまった生き方」が幸せに生きる必須条件であった。ところがバブル崩壊→失われた10年→リーマンショック→東日本大震災と経て、価値観が激変した。

私が風船にどっぷりつかり、全くこれまでとは異なる生き方をしてきて、結果、全くなかった価値を生み出すまでに至った。このような生き方から脱却しようと、私は儒教を学んだ。両親の生き方、そして家に代々伝わる生き方の背景にあるものは儒教だと判断したからである。同時に徹底的に型にはまる努力もした。自ら築き上げたものを捨て、真っ新の状態にして、生まれ変わろうということを考えた。それを望んだのが母親であり、父親であった。儒教の教えの最大のものは「孝」であり、「たとえ親が間違っていても、それに泣いて従うのが子供の義務である」と自らの心をすべて入れ替えようと努力した…が、できなかった。

親の望むとおりに生きる、すなわち親の人生を子供が歩むのは、どこかで無理が生じるのが摂理である。私の場合、どこに問題があるのかをすべて一つ一つ調べ上げ、鹿児島の先祖の墓も調べ、結局最大の問題が母親の「イエ」にあり、母親のインナーチャイルド、すなわち生きにくさの原因となっているところまで突き止めた。「毒親の連鎖」もこれでわかった。さらに「私は結婚してはいけない」という宿命を抱えていることまでわかった。「結婚できない」のではなく「結婚すべきではない」のである。なぜなら、私が結婚すると、妻を不幸にするし、子供を虐待する恐れが非常に高いからである。私にも母親、あるいは先祖代々伝わる「毒」の連鎖が及び、その連鎖はその子供にも伝わる危険が非常に高い、ならば結婚すべきでないし、親になるべき人ではない、妻を巻き込み、子供を不幸にするだけである、と判断したからである。

そのような状況の中で、母親に孝の限りを尽くそうと思ったし、そういう親でも親孝行する義務は私にある。だから私は「型にはまる訓練」を自らに課した。なぜなら母親に罪は全くないからである。今では誤りかつ不必要とされる「舌の手術」も1970年代当時は最善の方法だとされていたし、1970年代と今とでは時代が全く異なるからである。