2014年10月7日火曜日

ランナーズ・ハイ…本当にいいのか?

こんばんは。
今私は、長年携わっていた風船の仕事とは全く違う仕事に携わっています。

そこで思うのが
風船の仕事って、正直マラソンを全力疾走で走るような仕事だったのでは
ということです。

今の仕事は正直言って全力疾走を求められていません。
いかにして安定した走りができるか
という方が重視されています。

ここ数日、全力疾走のペースで仕事をしていたのですが、ついついバルーンデコレーターだった以前のペースになってしまってたようで、
オーバーペース
を現在の上司より指摘されてしまいました。

オーバーペースで全力疾走を続けた結果
もともと発達障害の傾向があった自分は
鬱症状を発症してしまった

という過去の過ちを繰り返しかけていたのです。

道理で最近おかしいはずでした。

そこで本題。

マラソンを100メートル走のペースで走らなければいけない
生き馬の目を射抜くような仕事

このような仕事を長年続けているとどうなるか?

たとえそれが自らのすべてをかけた仕事であったとしても…

私以外にも、似たような経験をした人をたくさん知っています。

ある人は、
背伸びをすることによって成長する
無理をすることによって自らの限界を越えられる
という主張をしています。

しかしそれがはたして万人に通用する成功の法則でしょうか?

私は背伸びも、無理もしました。
しかしそれに見合った結果は得られませんでした。

はっきり言って個人差があります。
背伸びや無理がかえってその人の人生にマイナスに作用することすらあるのです。

自ら成功したからといって、その方法で射幸心をあおるのはやめてもらいたいです。

2014年10月5日日曜日

完璧主義って?

こんにちは。

↓の記事を長々と書いているうちに、私の母親と私に共通する言葉が見つかった。

完璧主義

精神疾患は遺伝する、とはよく言ったものであるが、本当である。
私の母親は完璧主義者で、その結果強迫神経症になり、歩けなくなるまでになった。

その結果、私も完璧主義者になってしまった。

その完璧主義は、ことバルーンビジネスに関しては、いい方向に作用していた面があった。
バルーン演出である。

バルーン演出が行われる場面は、結婚式やオープニングセレモニー、さらにはライブコンサートなど、失敗が許されない瞬間勝負であることが多い。

ふうせんでつたえたいこと
にそれこそしつこく書いているが、その瞬間だけのために何時間も何日も費やして考え、動く。
すべてはその瞬間だけのためである。

しかし成功させたその瞬間の感動たるや、たとえようのない快感である。
そしてその瞬間の感動は、その場に居合わせた人たちの心に色あせることなく、いつまでも残る。

しかし失敗したときは大変である。
それこそ土下座では済まされない。

私はこれを「返還欠場」と呼んでいた。

返還…クライアント様にギャラを返さなければいけない(いただけない)
欠場…何もしなかったのと同じ

返還欠場はもともと競艇の用語であり、実際私も競艇を見てこの言葉を知った。競艇の場合、スタートで失敗をすればこの言葉が当てはまる事象になる。すなわち「スタート事故」である。
私も演出の失敗は「演出事故」と呼んでいた。

競艇選手というのは、本当に特殊な世界で生きているという。実際私は何人かの競艇選手と話をしたことがあるが、その苦労たるや私がプロでバルーン演出に取り組んでた時と同じである。共通するのは
瞬間勝負
であり、
その瞬間のためだけに、何時間も費やす
ということである。

こういう世界では、完璧主義はいい方向に作用する。
ただひとたび崩れると収拾がつかなくなる。
だから完璧主義はよくないとされる。

このようなハードな仕事を私は毎週のようにやってきていた。
若いうちはそれこそ楽しかった。心身のきつさより成功したときの快感の方が勝っていたからである。
しかし歳月が流れるにつれ、まず体に無理が生じ、やがて心をむしばんだ。そして私は鬱に倒れた。

うつに倒れて、ようやく私は自分と自分を取り巻く周囲の状況に気が付いた。そしてそれらと真正面に向き合い、絡み合った糸をほぐすようなしんどい作業をした。結果
私が風船に携わること自体があらゆるところに齟齬をきたしている
ことがわかり、身を引くことによってすべてを止めた。

これを
限界
という。

今年流行していた「アナと雪の女王」の「レリゴー」に…
どこまでやれるか自分を試したいの
という歌詞があった。

私が思うに、本当にどこまでやれるかやりきった人は、そのほとんどが成功している、と思う。
やりきって成功しなかった場合、努力不足が原因ではない。そもそも努力不足の場合は「やりきってない」。
その場合は以て生まれたもののどこかに齟齬ないしは障害がある場合がほとんどである。私の場合は生まれつきの発達障害がそれであり、それに伴う複雑に絡み合った親子関係が絡んでいた。不幸なことといわざるを得ないが、どうしようもないところに原因があるので、その場合はあきらめるしかない。

あきらめるとは「明らめる」という意味もある。

避けて通れない宿命

こんにちは。
ここ数日、すごく悩んでいます。

というか、
そもそも私はなぜ風船の仕事をやめなければいけなかったのか
ということを考え始めてしまったのです。

東日本大震災に始まるブライダル市場の変化とそれに伴うバルーンの立ち位置の変化
も確かに大きな理由です。
それに伴うバルーンに求められているものの役割の変化とその結果としてのバルーン市場の変化
も大きな理由です。

しかし、最大の理由は
自分が自立できない宿命のもとに生きていた
ということでした。

私の母親は、現在原因不明の病気にかかっており、歩けないのが現状です。西洋医学から漢方に至るまで、ありとあらゆる療法を試してみたのですが、どれも効果ありません。
こうなったら残るは温泉転地療法しかありません。
私は鹿児島に長期転地を勧めました。鹿児島には母親がかかっているとされる病気に卓越した効能があるとされる温泉があり、私もそこに行ったことがあります。しかし母親は断固拒否しました。

鹿児島だけは絶対いや

私は長年、母親に大きな疑問を抱いていました。
母親は私に依存しているようで、結果私はアダルトチルドレンになってしまいました。
そしてバルーン業界を
カルト宗教
呼ばわりしてしまったのです。

確かに周囲にいわゆるカルト教団に入信し、両親の必死の働きかけの結果、奪回に成功した人が複数います。
しかし本来人を幸せにするはずの風船をカルト宗教呼ばわりするとは…

母親の病気はそこまで深刻だと私は判断しました。
ましてや私は生まれつき自閉症で、大人になって発達障害に苦しんでいます。

鹿児島への帰郷を断固断ることしかり、バルーン業界をカルト呼ばわりしたことしかり、もはや尋常ではありません。

加えて私の母親は、幼少期から結婚するまで、厳格な躾を受けて育ってきたと聞きます。躾に行き過ぎがあったとも伝わってきます。
一方私も両親から厳格な躾を受けて育ちました。
その躾は正直言って
虐待
の部類に入ることもありました。
暴力 卑下
は当たり前でした。


厳しすぎる躾を受けた子供は、結局自立できない
ということが今盛んに言われています。というより
昭和の時代は、厳しすぎるくらいの躾を推奨していました。

ぶっちゃけた話、
私がバルーンにのめりこんだのも、親と戦うためだった
のです。まさに
自立をかけた戦い
だったのです。

しかし見ての通り、今バルーンがはたしている役割は
絆を結ぶためのアイテム
です。

親子の絆(きずな)が絆し(ほだし)になってしまっている状態の私に、絆を結ぶ役割はできません。
そのような風船には魂が入っていません。

ただ単に自立を守るだけなら、親と縁を切ってバルーンに携わり続けるという選択をするのが当然です。
しかし、問題は複雑多岐にわたっていました。
その問題は先祖代々のところに原因があったのです。
この問題はまさに家族の根源といっていいところにあったため、私は
生涯独身を貫くよりほかない
と判断しました。つまり
私は結婚してはいけない宿命にあった
のです。

仮に私が結婚して、子供を産んでいたら、
虐待
に走っていたかもしれなせん。もしくは
ドメスティックバイオレンス
を惹き起こしていたかもしれません。
いずれにしても、相手になる女性を不幸にしていた可能性が高いです。というか、
間違いなく相手の女性を不幸にしてしまいます。

こうなると、
私が本来人を幸せにするはずの風船を扱うこと自体に齟齬が生じてしまいます。
だから一度風船から離れる必要があったのです。

今思うのですが、この判断は正しかったと思います。
なぜなら
時代に応じて流れは変わる
流れに合わなくなった人は新たな道を探らなければいけない
からです。
昔は流れにあっていても、今は合わないということも現実にあります。