2014年10月5日日曜日

避けて通れない宿命

こんにちは。
ここ数日、すごく悩んでいます。

というか、
そもそも私はなぜ風船の仕事をやめなければいけなかったのか
ということを考え始めてしまったのです。

東日本大震災に始まるブライダル市場の変化とそれに伴うバルーンの立ち位置の変化
も確かに大きな理由です。
それに伴うバルーンに求められているものの役割の変化とその結果としてのバルーン市場の変化
も大きな理由です。

しかし、最大の理由は
自分が自立できない宿命のもとに生きていた
ということでした。

私の母親は、現在原因不明の病気にかかっており、歩けないのが現状です。西洋医学から漢方に至るまで、ありとあらゆる療法を試してみたのですが、どれも効果ありません。
こうなったら残るは温泉転地療法しかありません。
私は鹿児島に長期転地を勧めました。鹿児島には母親がかかっているとされる病気に卓越した効能があるとされる温泉があり、私もそこに行ったことがあります。しかし母親は断固拒否しました。

鹿児島だけは絶対いや

私は長年、母親に大きな疑問を抱いていました。
母親は私に依存しているようで、結果私はアダルトチルドレンになってしまいました。
そしてバルーン業界を
カルト宗教
呼ばわりしてしまったのです。

確かに周囲にいわゆるカルト教団に入信し、両親の必死の働きかけの結果、奪回に成功した人が複数います。
しかし本来人を幸せにするはずの風船をカルト宗教呼ばわりするとは…

母親の病気はそこまで深刻だと私は判断しました。
ましてや私は生まれつき自閉症で、大人になって発達障害に苦しんでいます。

鹿児島への帰郷を断固断ることしかり、バルーン業界をカルト呼ばわりしたことしかり、もはや尋常ではありません。

加えて私の母親は、幼少期から結婚するまで、厳格な躾を受けて育ってきたと聞きます。躾に行き過ぎがあったとも伝わってきます。
一方私も両親から厳格な躾を受けて育ちました。
その躾は正直言って
虐待
の部類に入ることもありました。
暴力 卑下
は当たり前でした。


厳しすぎる躾を受けた子供は、結局自立できない
ということが今盛んに言われています。というより
昭和の時代は、厳しすぎるくらいの躾を推奨していました。

ぶっちゃけた話、
私がバルーンにのめりこんだのも、親と戦うためだった
のです。まさに
自立をかけた戦い
だったのです。

しかし見ての通り、今バルーンがはたしている役割は
絆を結ぶためのアイテム
です。

親子の絆(きずな)が絆し(ほだし)になってしまっている状態の私に、絆を結ぶ役割はできません。
そのような風船には魂が入っていません。

ただ単に自立を守るだけなら、親と縁を切ってバルーンに携わり続けるという選択をするのが当然です。
しかし、問題は複雑多岐にわたっていました。
その問題は先祖代々のところに原因があったのです。
この問題はまさに家族の根源といっていいところにあったため、私は
生涯独身を貫くよりほかない
と判断しました。つまり
私は結婚してはいけない宿命にあった
のです。

仮に私が結婚して、子供を産んでいたら、
虐待
に走っていたかもしれなせん。もしくは
ドメスティックバイオレンス
を惹き起こしていたかもしれません。
いずれにしても、相手になる女性を不幸にしていた可能性が高いです。というか、
間違いなく相手の女性を不幸にしてしまいます。

こうなると、
私が本来人を幸せにするはずの風船を扱うこと自体に齟齬が生じてしまいます。
だから一度風船から離れる必要があったのです。

今思うのですが、この判断は正しかったと思います。
なぜなら
時代に応じて流れは変わる
流れに合わなくなった人は新たな道を探らなければいけない
からです。
昔は流れにあっていても、今は合わないということも現実にあります。

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