2017年2月26日日曜日

はたを楽にする、という意味

おはようございます。

最近、このような言葉を耳にしました。
働くとは、「はたをらくにする」ということである。
ここでいう「はた」とは、「自分の周囲にいる人」の意味。
とある政治家の国会答弁から生まれた言葉らしい。

現状を考える。
自分が仕事をすることによって、「はた」を「楽」にしているか。

答えは「否」である。
自分が生活するだけで精一杯で、周囲の人の生計を楽にする余裕はない。

というか、ここ数か月を振り返ってみると、
自己投資、すなわち自分のために稼いできたお金を使いまくっている
のが現状。

自己投資を続けた結果、親孝行することができなくなった
というのは、過去の旧Y's Dream時代に犯した過ち。

ホスト(キャバ嬢)を10年続けたのと何ら変わりがない
と、とあるキャリアコンサルタントが評価したのも頷ける。
親を楽にできなかった、という観点から見ると、同じ結果である。

実は、キャバ嬢やホストは、本当の意味で「仕事」ではない。
これらの仕事、実は「はたをらくにできない」のである。

最近、小学生女子のあこがれの職業に「キャバ嬢」がランクインしたことがあった。
高収入というのが一つの理由らしいが、現実問題、芸能界などと同じで、
使う金が半端でない
という現実がある。

究極の接客業だけあって、金をとにかくかけないといけない側面がある。
稼いだ分以上の投資をしないと、もっと稼げないのである。
しかも水商売の裏側は、魑魅魍魎が渦巻く世界。
うつなどの精神疾患になってもおかしくない。

そして、コミュニケーション能力等が長けているにもかかわらず、イメージ面から再就職市場で敬遠される。
「キャリアに足を引っ張られる」
現象が起きるのである。

本題からどんどんずれそうなので、キャバ嬢やホストの話はここまでにするが、実は
バルーン業界最大のマーケットがキャバクラやホストクラブ
という現実がある。

かつてバルーン業界最大のマーケットが
パチンコ店
だった時代があった。パチンコ業界はレジャーの多様化等で急激に衰退し、ピークだった1995年の3分の1にまで市場が縮小したという。

その後、バルーン業界最大のマーケットが
ブライダル業界
イベント業界
に移り、さらにバルーン業界自体が発展していった。バルーンギフトやホームパーティーの需要は着実に伸びた。イベント関係が縮小に向かい、ブライダル業界も少子化と晩婚化・未婚化の影響で縮小に向かっているが、一方でバルーンギフトとホームパーティーの需要は伸び続けている。
その中で、急激に需要が伸びたのがキャバクラやホストだった。

私は一時期、営業がてらキャバクラに出入りしていた。そして出入りしていたキャバクラの装飾なども手掛けていた。…が、
平日昼間はギフトや週末のブライダル向けの準備や発送
平日夜はキャバクラの装飾現場
週末はイベントやブライダルの現場

という状態だった。
加えて、バルーン業界の技術の進歩は急激だった。
ついていくためには稼いだ以上の投資をしないといけない。
同時にバルーンの立ち位置が変わった。

そんな中で、私は「慢性疲労」の状態になった。
心も体も限界だった。

結局、2012年に鬱を発症。
長期休業に追い込まれた。

これを見たのが両親。
ここぞ、とばかりに自分のもとに息子を取り戻そうとした。
このときの両親は異常そのものだった。
挙句の果てに、両親は「パンドラの箱」を開けてしまった。

ここでいう「パンドラの箱」とは、
自立している子供の人生に踏み込み、子供を親のために生きるように仕向けよう、とすること。
まさに「毒親」でなければまずありえない行状である。カルト宗教に足を踏み入れているわけではないのに、バルーン業界そのものを「カルト宗教」扱いしたりした。

このようなことをすると、「やまない雨」が降ることになる。すなわち「災害レベル」の出来事が起き、元に戻るのに長い歳月が必要になる。あるいは元に戻らない、取り返しのつかないことになってしまう。「やまない雨はない」というし、現実問題災害が起きても雨はいつかは必ずやむが、崩れた土砂や堤防を元通りに戻すには長い歳月が必要である。数年前に広島市安佐南区八木で起きた「山津波」は、局地的に「復興不能」地帯を生み出した。東日本大震災などでも出た「復興不能」。こうなると、もう元通りには戻らない。

話がどんどん横にそれていっている。元に戻そう。

「はたをらくにすること」ができて、初めて自立する、ということが可能だと私は思っている。自分が生きていくだけでは、自立していることになっていないと私は思う。
「はたをらくにする」ために、仕事と割り切って働く必要がある。そのためには、自分が生きていくだけの仕事に見切りをつける必要がある。

バルーン業界を「カルト宗教」呼ばわりした私の母親は、その後まもなくして鬱を発症した。正確には持病であった「自律神経失調症」が悪化した。そして歩くことができなくなった。さらには自殺未遂までしてしまった。この原因のすべては私にある、と考えた私は「母親を楽にするため」に、バルーンアーティスト引退を決断した。

ところが、原因を探求すると、違うところに問題がある、という結論に至った。母親の「イエ」に問題があり、母親が異常なまでに厳しくしつけられた結果だということが分かった。そして、自分自身の幼少期も厳しすぎる躾を受け、その結果「生きにくさ」につながっていたことが分かった。親子間で
負の連鎖
が起きていたのである。

私が幼いころ。
母親は祖父母の呵責に耐えながら、私の自閉症を無理やり直そうとした。それも今では「間違っている」とされる方法で。その結果、私は言葉がしゃべれるようになったが、今に続く後遺症が残った。
私が鬱を発症してようやく、本当の原因が分かった。私の自閉症は、根本治療されていなかったことが分かった。自閉症である以上、「発達障害」となる。障がいと向き合って、受け入れて生きるしかない、という結論に至った。両親が私にしてきた、厳しすぎる躾の後遺症は「精神障害」。これではどんなに努力しても、結果が出ないはずである。
「根っこに問題がある」=「土壌に問題がある」のだから。

だから、私は「土壌に問題がある」以上、その現実を受け入れて、それを踏まえて生きていくことを考えるのが最優先だと考えている。そのためにあるのが「療育」なのである。

しかし、その考えを邪魔するものが存在した。
それは「儒教」である。
両親は儒教を心のよりどころにしているようである。私の両親は父親も母親も儒教的価値観のもとで育てられた。実家の本棚には「論語」などの中国の古典がある。その結果、考えが超保守的である。
私も自分の考えを改め、自己洗脳して真っ新な自分に変わろうとして、儒教を学んだ。その結果たどり着いた考え。

「働くとは、周囲の人を楽にすることである。そこには自分の考えではなく、周囲の人のために尽くす、ということである。すなわち私は親のために働く。親のために今後の人生を歩んでいきたい」
「そのためには、自らをむなしくし、全てをありのまま受け入れる必要がある」
以前のべたような「学習放棄」をして、自分を一度空にし、全く違う考えを受け入れて、親のために生きていく、という人生を歩みたかったのである。
「よしんば親に過ちがあれど、子は親に従わなければならない」
という考えにも至った。儒教の最大の教え「孝」である。

だからこそ、「はたをらくにする」という言葉を聞いて、真っ先に思った。
「親を楽にするために仕事をする」ことができないうちは、「仕事をしているうちに入らない」と。ゆえに、私は「仕事をしていないのと同じ」だと。

とある就労移行支援施設の年頭のあいさつで「はたをらくにする」という話が出た。
この就労移行支援施設は、そのために何をすべきか、という訓練をする方向に向かっている。
しかし、私は「だったらもっと徹底した訓練が必要」と考える。
その訓練は「自らをむなしくする訓練」である。

自分の過去を捨てて、真っ新な自分として全く違う分野の仕事に取り組む覚悟をもって就職活動に取り組むのである。そこまでやって初めて「はたをらくにできる」。
「自分のために生きている」という価値観を捨て去ることが必要だと思うが、この就労移行支援施設は、残念ながらそこまで踏み込んだ訓練をしていない。だから「価値観が違う」という理由で不採用を積み重ねることになるのだ。「面接は時の運」とほざいているようだが、私から言わせれば「自らの器を一度空にし、相手が求める価値観を満たせる人になるよう、自らを作り替える」ぐらいのことができないといけない。

そのぐらい中高年の就職は厳しいのである。特に一度キャリアを築き上げた経験のある人にとっては。「築き上げたキャリアが足を引っ張る」とは、こういうことを指すのである。

ただし、これまで築いてきた価値観と企業が求める価値観が一致した(あるいは非常に近い)幸運に巡り合えた場合は話が全く異なってくる。このようなケースは私は「レアケース」に近い、と考えている。このようなケース自体まれだと私は思っているし、現実にそうである。

だからこそ、
「はたを楽にするためには、自分を一度むなしくしなければいけない」
のである。


2017年2月21日火曜日

インナーチャイルド…私を縛るものの正体とは

こんばんは。

今、私は「自分のお金が使えない」という状態に陥っています。
というのも、1月に20年ぶりにインフルエンザにかかってしまい、給料カットをくらってしまったからなのです。もちろん会社から懲戒処分を受けたわけではなく、あくまでも「ノーワーク、ノーペイ」の原則からこうなってしまったのですが…私傷病の場合、一定期間をこえると健康保険から補償されるのですが、あいにく3連休(「成人の日」関連)とぶつかって条件を満たさないため補償の対象外となり、有給休暇への振替制度もないので、欠勤扱いになってしまったのです…

このため、貯金を使わないといけない状態になっているのですが、その貯金の通帳は母親が握っているのです。つまり、
親が子供の金の動きを把握できる
状態になっているのです。

大の大人が親に財布を握られる、というのはこの時点で
異常この上ない
事態です。もっともこれは私に責任があります…過去にギャンブルにおぼれていた時期があったのが大きな理由なのですが…

しかも、この貯金は祖父母の遺言もあって「自分の金」と「家の金」がごちゃ混ぜになってしまったのです。私を溺愛していた祖父母が私のために貯蓄保険をかけていたらしく、その満期保険金が含まれているようなのです。
加えて、母親が精神疾患にかかり、「福祉に頼りたくない」とばかり、保険外治療を受けています。この治療費が高額で、別会計になっているはずの両親の貯金が急速なペースで減っています。すでに年金生活に入っている両親は、かつて富裕層だったこともあり、貯金の減るペースの速さに「いざとなったら私に頼らざるを得ない」という不安を抱えていると聞きます。そのため「自分のお金なのに自由に使えない」という状況が起きているのです。

最悪の場合、
私が両親に仕送りをせざるを得なくなる
事態も考えられるのです。

私は旧Y's Dream時代、自営業ということもあって国民年金(および税金)しか払ってなく、厚生年金が出ないということもあって、祖父母の遺産を私の老後資金に充てたという私の両親の判断、これは私が唯一両親に感謝しています。私が過去にギャンブル依存症になり、挙句の果ては新興宗教に手を出しかけたのを見ている両親としては、貴重な資産をどぶに捨てるようなまねは許されなかったのでしょう。

しかし、パチンコや競馬・競輪といったギャンブル、さらには新興宗教にまではまった私は
風船に救われたのです。
風船に生命を吹き込む→その報酬を得る→その報酬で更なる風船に生命を吹き込む一方、その余りで生計を立てていく
というサイクルを確立したのです。
当時の貯金はすべて、旧Y's Dreamを立ち上げるために消えました。

仮に10万円という金額があります。
その10万円、どう使うかで価値が全く異なります。
パチンコ・競馬・競輪、さらにボートレースで10万円が消えたとします。これは
浪費
の一言。愚かなことこの上ないです。
一方、風船代に10万円を使ったとします。この10万円で
どれだけの風船に生命を吹き込み、その風船に接して、夢と感動と幸せ、さらにいつまでも心に残る感動を残すことができるでしょうか。
これは浪費ではありません。投資です。

私の両親は、この二つをごっちゃにしているのです。
どっちも「浪費」とみているのです。

私の両親は、弁護士にある相談をしたそうです。その相談内容を聞いて私はあきれました。
私を「浪費者」として「準禁治産者」認定してほしい、と。

2000年ごろまでは、「準禁治産者」という制度が法律で定められていました。しかし、この制度を悪用して、浪費者を制裁し、浪費者の人権を制限しようという親族が相次いだうえ、人権保護の観点から廃止されたそうです。(現在は「成年後見人制度」に改められた)
※発達障がいの場合、その障がいの影響と浪費癖の因果関係が認められれば、「成年後見人制度」の活用は可能だそうです。ただし、家庭裁判所の認定という、高いハードルが存在します…私の両親はここまで気づいていたのでしょうか?

そもそも、自立して生計を立てていた人を「浪費者」として「準禁治産者」認定しようとしたこと自体、許しがたい暴挙です。

加えて、私の母親は、バルーン業界全体を
カルト宗教
扱いしたのです。
私自身、新興宗教におぼれかけていました。半年ほど、その宗教の施設に何度も出入りしていました。その新興宗教は密教系で、般若信教は何度も唱えたので、今でも般若信教は覚えていますが…「お布施」が馬鹿にならないほどかかりそうになりかけていて、疑問に思い始めたころでもあったのです、バルーンアートに出会ったのは。
バルーンアートに出会い、そちらへの「投資」が大きくなって、新興宗教やギャンブルから足を洗うきっかけになったのです。
そういう経緯もあるから、私はバルーン業界を「カルト」呼ばわりした母親を許せなくなってしまったのです。周囲に大量殺人を犯した某カルト宗教におぼれた人がいたのも影響していたのも事実ですが…(この人はその宗教から脱会した)

ではなぜ、ここまで私の両親は不安に駆られているのでしょうか。とりわけ、母親は精神疾患を患うまでに至ったのでしょうか。
それは
両親が自分の生きたかった人生を生きることができなかった
ことに他ならないのです。
それがすなわち
インナーチャイルド
なのです。

インナーチャイルドに縛られる人たちは、大半が儒教の影響を強く受けています。私の両親は儒教の影響を強く受けています。儒教の影響を強く受けた「毒親」は、比較的多いです。太平洋戦争敗戦まで当たり前だった儒教精神、それが今でも息づいている「イエ」の伝統を守っている人ほど、「毒親」になってしまっています。

このような親は、子どもを必要以上に厳しくしつけます。とりわけ幼少期の躾が厳しすぎるぐらいになります。それが自己肯定感の低さにつながり、自己否定・完全主義の弊害をもたらすのです。

もっとひどいと、「親になってから初めて気持ちがわかる」とうそぶきます。

このような親に生まれた子供は、家庭を持たない、すなわち生涯独身を貫いた方が却って幸せになる場合さえあります。なぜなら、同じことを子供にしてしまう恐れが高いからなのです。いわゆる「毒親の連鎖」「虐待の連鎖」です。

私の母親は、ことあるごとに私に「親孝行してくれ」とせがみました。この時点で私から言わせればもう「アウト」です。というより、母親自体生きづらさを抱えていることの証左です、この行為自体が。
子どもに親孝行を強要しようとすることそのものが、親が「インナーチャイルド」を抱えていることの表れなのです。

そのような親を心配させまいと思う子供もまた、身動きが取れなくなり、自分で自分を縛ることになるのです。そのような子供も「インナーチャイルド」に支配されているのです。

もうここまで来ると、「きずな」ではなく「ほだし」です。漢字は「絆」で同じですが、意味が正反対になってしまっています。というより、もともとは「絆し」、すなわち「ほだし」の方の意味だそうで、あとから「きずな」の意味に転じたそうなのです。

私はいまだに、親子の「絆し」に苦しんでいます。しかるに、両親は本当の原因をいまだに知ろうとしませんし、仮に知ったところで「パンドラの箱」を開けて自分の人生を後悔することになってしまうので、「知らぬが仏」なのです。昭和の時代は、それでやっていけた時代だったのです。
社会がそれだけ変化してしまったのが大きく、その波に自分が翻弄されているだけなのかもしれないのですが…

2017年2月7日火曜日

謙譲の美徳、武士道…果たして子どもたちに有益か?

こんばんは。
日本人の自己肯定感の低さが、日本人独特の
謙譲の美徳
武士道
と関係しているのでは、という説がまことしとやかに言われています。

アメリカ…約89%
中国…約87%
韓国…約75%
日本…約36%

これは、「自分自身を価値ある人間と思う」という文部科学省の高校生に対するアンケート調査の結果であるが、日本だけが著しく低い。

褒められているのを、「いやいや」と否定する親…これが結果的に、子どもに
否定的な思考回路
を作っていることになってしまっているという。
子どもに謙譲の美徳を理解せよ、というのが困難である。

しかし、私は謙遜の美徳を理解してしまった。それもゆがんだ形で。
その結果、ひたすら自分を低くする考えが身についてしまった。これも自己評価を著しく低くする一因になってしまった。

そして武士道。
相手を立てるのが武士道の基本という。

私は現役のバルーンアーティスト時代、「武士道」を通し続けた。
何があっても相手が最優先であり、自分にいかなる理由があれど、相手の言い分を最優先した。たとえ自分に何ら非がなくても、相手の言い分を全部聞き入れていた。

これらの日本独特の文化、
相手を立て、自らを低くする
ということを私はかつて徹底していた。それが筋を通すことであるとかたくなに信じていた。

さらに、私の両親の考えが儒教に基づいていた。

私の父親の先祖は江戸時代、下級武士の家だったという。一方母親の先祖も「在郷武士」。加えて母親は薩摩島津藩の城下、鶴丸城(=鹿児島城)の城下町にルーツがある。薩摩島津藩はあの「郷中教育」で有名であり、鹿児島独特の生きにくさに今でもつながっているとされる。数年前に放映されていた「薩摩剣士隼人第2部完結編」で、鹿児島へ急ぐローカルヒーローである隼人に向かって悪役「ヤッセンボー」の一味である「くぐり狐衆」が街道に立ちはだかり
「お前はこの鹿児島をどう思う…すべての人が自分らしく生きられる社会と思うか!」
という場面はその象徴であり、これを公式ユーチューブで見たとき
自分が直面している生きづらさが鹿児島の風土と深くかかわっていた
と認識した。
男は男らしく、女は女らしく、謙譲し相手を立て、自分を低く見せるのが美徳
というのが薩摩の文化。
一方の父親は葉隠で有名な肥前の出身。この「葉隠」がまた儒教の影響を色濃く見せた武士道を説く教本。

このような謙譲と武士道の美徳を基本とする家に生まれ育ち、しかも生まれた子供は自閉症。両親、とりわけ母親の精神的重圧は大きかったのは推して知るべし。その結果、厳しすぎる躾に走ってしまったのは容易に察することができる。
このような環境の中で自己肯定感を培うのは非常に困難であった。結果、私は自閉症の症状は治まったが、チックと発達障がいの症状が今でも出ている。とりわけ異食症がひどい。

これらの症状は親からの圧力がひどかったり、愛情が不足している場合に出ることが多い、ということを最近になって知った。

そして、振り返ってみる。
つい最近まで、自分の考えは「武士道」に基づいていた。
だから、お客様を満足させることができなければ代金をいただかない、というようなことまでしてしまったのかもしれない。(これを私は「返還欠場」と呼んでいた)
親の行き過ぎた躾に対抗しようとして、そしてそれを乗り越えようとして、私は風船にここまでのめり込んだ節がある。その結果生み出したものはものすごいものだったが、それを全然「すごい」とは思わず、むしろ「当たり前」と思い、それどころか「もっと上がいる」と、雲の上の高みを目指していたのがかつての自分であった。
結果、引退を余儀なくされ、一度離れて客観的に見て、ようやく自分がしてきたことのすごさに気が付いた。同時に自分を取り巻く「生きにくさ」の正体に向き合うことができた。そうしてやっと「自己肯定感」を実感できた。

幼少期に培われた自己否定の思考回路を改めるには、あまりにも莫大な労力と時間がかかってしまう。そして、自分とひたすら向き合う、塗炭の苦しみを味わうことになる。
このような苦しみをこれ以上子どもたちに味わせたくない。そのためには、
結果だけではなくそのプロセスを評価して褒め、達成感を味わせるような教育が重要なのである。

今、私は
心に中にくす玉を持ってほしい
ということを主張している。
そのくす玉を花開かせるための努力を尊重し、成功体験というくす玉を花開かせることの積み重ねが、人生の大輪の華を咲かせ、その人が輝く人生を送ることができる
と私は考えている。その背景にあるのが
私がしてきたようなつらい経験をする子どもを減らしたい
という願いからである。