2015年7月20日月曜日

かなえたい夢がない!?

こんにちは。
涼しいです…

電気代節約になって助かります。

さて、今の私には
目標はあっても
夢がありません


転職することが夢や目標ではありませんし、それを目的にしてもゴールにしてもいけません。
一部の就労移行支援施設で、就労をゴールにするような指導が見られますが、それは大きな誤りです。就労はスタートラインであり、そこから目標なり自分なりのゴールを目指していくのが本来なのです。

私の両親は転職をゴールにしようとしているから、いけないのです。
それで私はものすごい抵抗をしているのです。


なら、なぜ夢がないのか、と言いますと、
私は一度夢をかなえてしまったからなのです

そして
今自分が目指している目標はゴールがないのです

なぜか。

私が今目指していることはすなわち
道なき道を切り開く
ことであり、
少なくとも今年いっぱいは結果として現れることはない
ことがはっきりしているのです。

考えてみれば、私がやってきたことはそれこそ
道なき道を切り開く
ことでした。結果、数えきれない感動の瞬間を作り上げてきました。しかし上には上がいました。ゴールのない競争、頂点のない競争をしていたのです。
私はひたすら走り続けました。マラソンを短距離走で全力疾走するペースで。

そして気がつくと、私はボロボロでした。
限界に達したのが3年前の5月でした。

私は一度、引退を決意しました。
2年前のことです。

この時点で、私がやってきたことがすごいことだったことに全く私は気づいていませんでした。
そればかりか、
私はそれを「黒歴史化」し、自己否定しようとしたのです。
とあるキャリアコンサルの方が、
「風船のキャリアなんて、10年以上ホストをやっていたのと同じ」
といったのを覚えています。
私はこれに妙に納得しました。
私は人生の道を踏み外した、単なるバカだった
と判断し、バルーンの経験を隠し、10年以上フリーターやニートをやっていた職務経歴書を作成したのです。

ところが、本当の客観的評価は
私はすごいことをしてきた
ということでした。
周りがすごい人ばかりだったので、相対的に自己評価が低く思えていただけだったようです。

そして、私は全く風船とは関係ない仕事に就くことを決めました。

一方で、風船は全く違う角度から携わることにすることしました。

今、私は福祉というこれまでとは違う角度からバルーン業界にアプローチを試みています。
私は、就労移行支援施設に通った経験から、自信を失った若者をたくさん見てきました。
そのような人たちが自信を取り戻して、社会に一歩を踏み出すきっかけを作るのにバルーンを役立てることにしました。
これに取り組むことにしたのですが、いかんせん先例がほとんどありません。それで私は
これは長期戦必至だ
と考えました。私は腰を据えて取り組むことにしています。
そのためにも、他に仕事を持つ必要があります。それ以前に風船で生計を立てることはできないのが現状です。業界全体を見渡すと、私が現役だったころとは、大きくバルーン業界が様変わりしていました。ヘリウムガス情勢しかり、震災以降の人々の心理の変化とそれに伴うブライダル市場やギフト市場の変化しかりです。
その結果、
目標はあっても夢はない
という状態になっています。

2015年7月13日月曜日

バルーンデコレーターとして、親として…毒親になっていませんか?

こんにちは。

バルーン業界には女性が活躍する業界です。
その中には子育て世代もたくさんいると聞きます。
今日はそのような方々、特に小学校入学前のお子さんをお持ちの方に「切実な」お願いです。

次のようなことをしていませんか?
子供をほかの子供と比較する
子供の欠点を子供の目の前で指摘することを複数回する
子供の悪口を言う
子供に暴力をふるう(虐待は論外!)

他にもいくつかありますが、最たるものは
「あんたなんて産まなきゃよかった」
という言葉を吐くことです。
日々忙しいバルーンデコレーターの方には、このような言葉をついだしてしまいかねませんが、そのようなことはゆめゆめ
絶対にしないでください!

それらの行為は、すべて
本来人を幸せにするはずの風船で子供を不幸せにしてしまっている
のです!

以上の行為は、すべて子供を傷つける行為に当たり、子供の後々の人生に悪影響を与えます。ひどいと発達障害の原因になったり、子供が成長するにつれて不登校などの社会不適応を惹き起こしたり、あるいは大人になってからうつ病などに苦しむことになります。

また行き過ぎた躾も禁物です。行き過ぎた躾は
お躾=押し付け
となり、やはり同じように子供が大人になってから苦しむことになります。

幸い私の知っている範囲では、バルーンデコレーターの児童虐待話は聞きません。むしろ子どもの感性を磨くことにつながり、将来の子供の成長に好影響を及ぼしていると信じています。
特に幼年期、2~3歳ごろまでは、遊ばせることが本当に大切です。

ソウス(クラシック音楽と毒親)

上記ソウスでは、ピアノやバイオリンといったクラシック音楽を子供に習わせる場合、親子共依存ともいうべき関係に陥るケースがあるといいます。
子供を窒息させるような子育てはしてはいけません。言い換えれば、クラシック音楽を習わせるのと同じやり方でバルーンを子供に教えてはいけません。

なぜこのようなお願いを私がしているのか、と言いますと、
私自身が毒親の被害を受けている
からなのです。

バルーン業界で実績を残している人たちを見ていると、
親子関係が良好
だと思います。
そして、努力が成果を出すか否かは
幼少期の親子関係が重要な要素になっている
と最近つくづく思うようになったからなのです。

私の幼少期は、本当に厳しいものでした。
というより、母親が祖父母から相当のプレッシャーを受けていたような印象を受けていました。

私の場合、
風船に携わること=親と戦うこと
だったのです。それがすなわち
自立への道
だったのです。

これではどこかで行き詰まります。
旧Y's Dreamは行き詰まりましたが、行き詰まることによって私の親子の真実を知り、母親が精神的におかしくなった本当の原因を知ることができたのもまた事実です。

ですから、私みたいな悲劇をバルーンに携わり、母である皆さんに惹き起こしてもらいたくないが故、このようなお願いをしているのです。
くれぐれも本来人を幸せにするはずの風船で人を不幸にするようなことはしないでください!

2015年7月12日日曜日

子供が自殺するということ、その意味

こんにちは。

今日は、何度も記事を書いては消し、書いては消しを繰り返しています。

もうぶっちゃけ書きます。
「風船のおかげで私は自殺せずに済んでいる」

自分の生き方を否定する人がいます。
私の両親です。

自立する術を見つけているのに、それを両親が否定したのです。
当然暴力の応酬になりました。


私は思わずタオルで首をくくってしまいました。
すぐに冷静になって、やめました。

私は、子供が自殺することこそ、両親の子育ての敗北だと考えます。
子供が自殺してしまったら、話し合うことも、子供に謝ることも、何もできないのです。
「ご冥福をお祈りします」なんて言う言葉がありますが、冥途に幸せなんてあるはずありません。あるのは暗黒の世界だけです。極楽浄土なんて私は信じてません。
それとも、火葬場の窯に一緒に入って焼かれますか?

子供が「死ぬほど苦しい」と親に言うことができない親であったことを反省しなければいけないのが本当のところではないのか?
私が昨日、「私の場合、親孝行と自立がイコールでない」ということを書いたのも、それが理由なのです。

ぶっちゃけ言いますと、私の両親、特に母親は「死ぬほど苦しい」と訴えても、はぐらかすだけの親なのです。

自立していたはずの子供に特攻体当たり行為をして、クラッシュさせたのが私の両親です。

私は折に触れてこのようなことを述べてきました。
風船のおかげで今がある、風船がなければ私は今頃この世にいないか、塀の中のどちらかだったに違いない
塀の中、とは殺人を犯す、ということ。
はっきり言って秋葉原、土浦、佐世保…といった類の事件を起こしてもおかしくなかったのです。いずれも犯人には自殺願望がありました。

風船をすることによって私は自立を保て、親と対等に戦えた
ともいえます。

私は2年前、風船の経験を抜きにして、自己分析することを試みました。結局袋小路にはまっただけでした。2年以上前、1か月以上も同じところでもがき苦しんでいたのです。そういう状況を見てきている人たちがいます。
これを慫慂する人がいます。私の両親がそれです。
結局ダメだったから、方針転換してあの48ページに及ぶ作品集も作ったりしたのです。
あの作品集は自己分析の副産物なのです。
作品集はこちら

そういう自己分析ができているから、今動いているのです。
これを私の両親はまた否定したのです。

私はあきれています。

一度ダメだったことを、無理をしてでもやれ、という考え、いかがなものでしょうか。
無理を通せば道理が引っ込む
という言葉もありますが、これはビジネスの世界ではありかもしれません。実際そのような場面に遭遇し、戦ってきたのです、私は。
しかし、これを親から子供に強制させるというのは、もってのほか、論外中の論外です。

これを子供に親が強いると、悲劇的な結末になるのは明らかです。

私の場合、結局のところ、親孝行と自立がイコールでないところが悲しいのです。
普通、就労移行支援などに通おうとする場合、家族対策を実施します。
ところが私の場合、家族対策を実施しようとすると…、物事がぐちゃぐちゃになります。
親が拒否権を発動し、ひっくり返すのです。

もう一般的な対策ではどうにもならないところに来ているのです。

父親は父親で、弁護士と相談し、私を「浪費者」として、「準禁治産者」にしようとした前歴があります。

いずれにせよ、私の両親は、常識の範疇を越えています。
常識の範疇を越えた行為を繰り返している家や一族から、犯罪者や自殺者が発生しているのです。
私は正直、結婚しなくてよかった、とまで思うようになりました。
私が自分の子供を虐待する恐れがあることに気付いたのです。
そうなると私はいずれ、両親の介護が避けて通れません。

だから私はバルーンアートの表舞台から去り、後方支援に回ることにしたのです。
いつ両親の介護に専念してもいいように。

どんなに常識の範囲を逸脱した「毒親」と言えども、介護が必要になります。現に母親は介護が必要だと私は思っており、本来は行政の出番なのですが、父親が断っています。
私は必要に応じて、行政の支援を受けながら、可能な限り介護をしていくつもりですが…
肝心の行政が心もとない現状があります。(特に広島市!!…鹿児島市は手厚い体制らしいです…だから私は鹿児島移住を真剣に考えるのです)

繰り返し述べますが、
子供の自殺は親へのしっぺ返し
であり、
親は悲しむ以前に徹底的に悔やまなければいけない
のです。

母親へ告ぐ…短絡的に物事を考えるな!そのような考えだから、子供がおかしくなるのだ!

2015年7月11日土曜日

私論 親孝行について

おはようございます。

まず、この記事の前提として、私の両親、特に母親はいわゆる「毒親」の傾向があるということを踏まえてこの記事を書きます。そして、この記事はある意味「踏み込みすぎ」、競艇なら「返還欠場」レベルまで踏み込みます。

私は、
親の気持ちを理解するだけでは親孝行には当たらない
と考えます。
そして
親の気持ちを踏まえ、それに沿って行動するところまでしないと親孝行にならない
と考えます。

理由は儒教にあります。
儒教では、自らをむなしくし、たとえ親に誤りがあれど、それに泣いて従う、というのが最高の教えとされています。これを「孝」といいます。

茨城県のS工務店の親孝行のページ

先日話題にした一般社団法人倫理研究所発行「職場の教養」でも取り上げられています。

うわべだけの親孝行は無意味
親の気持ちにのっとって親を安心させることが本当の親孝行


というのが私の考えです。

そこで問題になるのが…「あれ」です。
もう何かわかるでしょう。

ここ数日、本当に私は悩んでいます。
「あれ」のおかげで私は自立でき、自らを保っているのです。
失業状態にもかかわらず、「あれ」のおかげで就業状態となり、さらなる話も来るぐらいなのです。
一方で、「あれ」は母親の心を苦しめています。「あれ」を母親が取り込んでしまったばかりに、自らを苦しめてしまったのです。取り込むこと自体が本来やってはいけなかったことでした。私が自閉症だったばかりに、小さい時から異常なまでの心配性で、加えて母親自体がその両親から厳しい躾を大人になっても受け続けていたらしく、母親の心の苦しみはいかばかりか推測できます。それゆえ取り込んでしまったのでしょう。

私が結婚することで解決する、という声もありましたが、そんな生易しい問題ではありません、これは。解決どころかもっと問題が悪化し、児童虐待の危険すらあったのです。結婚しない、という選択が一つの答えという現状でさえあるのです。

つまるところ私は
自立するには「あれ」を生かさなければならない
親孝行するには「あれ」を完全に捨て去らなければならない

本来
自立=親孝行
のはずなのですが、私の場合、
自立するためには親の気持ちに逆らわなければならない
親孝行するためには自ら築き上げてきたものを捨てる覚悟が必要になる

まさに
自家撞着
が起きているのです。

これほど苦しいことはありません。