2015年7月12日日曜日

子供が自殺するということ、その意味

こんにちは。

今日は、何度も記事を書いては消し、書いては消しを繰り返しています。

もうぶっちゃけ書きます。
「風船のおかげで私は自殺せずに済んでいる」

自分の生き方を否定する人がいます。
私の両親です。

自立する術を見つけているのに、それを両親が否定したのです。
当然暴力の応酬になりました。


私は思わずタオルで首をくくってしまいました。
すぐに冷静になって、やめました。

私は、子供が自殺することこそ、両親の子育ての敗北だと考えます。
子供が自殺してしまったら、話し合うことも、子供に謝ることも、何もできないのです。
「ご冥福をお祈りします」なんて言う言葉がありますが、冥途に幸せなんてあるはずありません。あるのは暗黒の世界だけです。極楽浄土なんて私は信じてません。
それとも、火葬場の窯に一緒に入って焼かれますか?

子供が「死ぬほど苦しい」と親に言うことができない親であったことを反省しなければいけないのが本当のところではないのか?
私が昨日、「私の場合、親孝行と自立がイコールでない」ということを書いたのも、それが理由なのです。

ぶっちゃけ言いますと、私の両親、特に母親は「死ぬほど苦しい」と訴えても、はぐらかすだけの親なのです。

自立していたはずの子供に特攻体当たり行為をして、クラッシュさせたのが私の両親です。

私は折に触れてこのようなことを述べてきました。
風船のおかげで今がある、風船がなければ私は今頃この世にいないか、塀の中のどちらかだったに違いない
塀の中、とは殺人を犯す、ということ。
はっきり言って秋葉原、土浦、佐世保…といった類の事件を起こしてもおかしくなかったのです。いずれも犯人には自殺願望がありました。

風船をすることによって私は自立を保て、親と対等に戦えた
ともいえます。

私は2年前、風船の経験を抜きにして、自己分析することを試みました。結局袋小路にはまっただけでした。2年以上前、1か月以上も同じところでもがき苦しんでいたのです。そういう状況を見てきている人たちがいます。
これを慫慂する人がいます。私の両親がそれです。
結局ダメだったから、方針転換してあの48ページに及ぶ作品集も作ったりしたのです。
あの作品集は自己分析の副産物なのです。
作品集はこちら

そういう自己分析ができているから、今動いているのです。
これを私の両親はまた否定したのです。

私はあきれています。

一度ダメだったことを、無理をしてでもやれ、という考え、いかがなものでしょうか。
無理を通せば道理が引っ込む
という言葉もありますが、これはビジネスの世界ではありかもしれません。実際そのような場面に遭遇し、戦ってきたのです、私は。
しかし、これを親から子供に強制させるというのは、もってのほか、論外中の論外です。

これを子供に親が強いると、悲劇的な結末になるのは明らかです。

私の場合、結局のところ、親孝行と自立がイコールでないところが悲しいのです。
普通、就労移行支援などに通おうとする場合、家族対策を実施します。
ところが私の場合、家族対策を実施しようとすると…、物事がぐちゃぐちゃになります。
親が拒否権を発動し、ひっくり返すのです。

もう一般的な対策ではどうにもならないところに来ているのです。

父親は父親で、弁護士と相談し、私を「浪費者」として、「準禁治産者」にしようとした前歴があります。

いずれにせよ、私の両親は、常識の範疇を越えています。
常識の範疇を越えた行為を繰り返している家や一族から、犯罪者や自殺者が発生しているのです。
私は正直、結婚しなくてよかった、とまで思うようになりました。
私が自分の子供を虐待する恐れがあることに気付いたのです。
そうなると私はいずれ、両親の介護が避けて通れません。

だから私はバルーンアートの表舞台から去り、後方支援に回ることにしたのです。
いつ両親の介護に専念してもいいように。

どんなに常識の範囲を逸脱した「毒親」と言えども、介護が必要になります。現に母親は介護が必要だと私は思っており、本来は行政の出番なのですが、父親が断っています。
私は必要に応じて、行政の支援を受けながら、可能な限り介護をしていくつもりですが…
肝心の行政が心もとない現状があります。(特に広島市!!…鹿児島市は手厚い体制らしいです…だから私は鹿児島移住を真剣に考えるのです)

繰り返し述べますが、
子供の自殺は親へのしっぺ返し
であり、
親は悲しむ以前に徹底的に悔やまなければいけない
のです。

母親へ告ぐ…短絡的に物事を考えるな!そのような考えだから、子供がおかしくなるのだ!

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