2015年7月11日土曜日

私論 親孝行について

おはようございます。

まず、この記事の前提として、私の両親、特に母親はいわゆる「毒親」の傾向があるということを踏まえてこの記事を書きます。そして、この記事はある意味「踏み込みすぎ」、競艇なら「返還欠場」レベルまで踏み込みます。

私は、
親の気持ちを理解するだけでは親孝行には当たらない
と考えます。
そして
親の気持ちを踏まえ、それに沿って行動するところまでしないと親孝行にならない
と考えます。

理由は儒教にあります。
儒教では、自らをむなしくし、たとえ親に誤りがあれど、それに泣いて従う、というのが最高の教えとされています。これを「孝」といいます。

茨城県のS工務店の親孝行のページ

先日話題にした一般社団法人倫理研究所発行「職場の教養」でも取り上げられています。

うわべだけの親孝行は無意味
親の気持ちにのっとって親を安心させることが本当の親孝行


というのが私の考えです。

そこで問題になるのが…「あれ」です。
もう何かわかるでしょう。

ここ数日、本当に私は悩んでいます。
「あれ」のおかげで私は自立でき、自らを保っているのです。
失業状態にもかかわらず、「あれ」のおかげで就業状態となり、さらなる話も来るぐらいなのです。
一方で、「あれ」は母親の心を苦しめています。「あれ」を母親が取り込んでしまったばかりに、自らを苦しめてしまったのです。取り込むこと自体が本来やってはいけなかったことでした。私が自閉症だったばかりに、小さい時から異常なまでの心配性で、加えて母親自体がその両親から厳しい躾を大人になっても受け続けていたらしく、母親の心の苦しみはいかばかりか推測できます。それゆえ取り込んでしまったのでしょう。

私が結婚することで解決する、という声もありましたが、そんな生易しい問題ではありません、これは。解決どころかもっと問題が悪化し、児童虐待の危険すらあったのです。結婚しない、という選択が一つの答えという現状でさえあるのです。

つまるところ私は
自立するには「あれ」を生かさなければならない
親孝行するには「あれ」を完全に捨て去らなければならない

本来
自立=親孝行
のはずなのですが、私の場合、
自立するためには親の気持ちに逆らわなければならない
親孝行するためには自ら築き上げてきたものを捨てる覚悟が必要になる

まさに
自家撞着
が起きているのです。

これほど苦しいことはありません。



0 件のコメント:

コメントを投稿