2015年10月23日金曜日

リフレーミング

こんにちは。

ネガティブ思考を変えるためのトレーニングとしてあるものが
リフレーミング
です。

NLP(神経言語プログラミング)においては、
出来事の枠組み(フレーム)を変えることで、人生における選択の幅を広げ、
どのような出来事にも必ずプラスの意味があることを教えてくれます。

とあります。(ソウス…NLP学び方ガイド:日本NLP協会監修)

有名なのが
コップに水が半分残っているとき
もう半分ある→ポジティブ思考あと半分しかない→ネガティブ思考
ということを「あと半分しかない」という思考から「もう半分ある」という思考に変えるようにするということです。

常に
「物事は最悪を考える」
ということばかりしている人にとっては難しいのかもしれません。
いわゆる「ペシミスト(=悲観主義者)」にとってはこれは苦しいトレーニングです。

私がまさにこれでした。というよりもともと私の考えが
「最悪の結果を予想して少しでも良い結果が出るようにする努力を積み重ねる方が楽だ」
というものだったので、この思考の癖は容易に治りません。
つまり
最悪を基準にしていた
のです。

こうなると、いわゆる
底割れ
すなわち自分の予想していた「最悪」よりひどい事態に陥った時、大変危険なことになりかねません。下手をすると「底なし沼」となり、いつまでも泥沼から抜け出せず、挙句の果ては自殺に至りかねず、非常に危険な思考です。

ところが、ここへきて、すごいポジティブな内容の記事があったりします。
いい例が↓のような記事です。

合同面接会が終わって、自己診断をしてみたのですが、
気分の浮き沈みが非常に激しい
という短所がありました。しかし、これを長所に置き換えてみると
気分のいい時は、どんな困難にも立ち向かえ、ものすごいパワーを発揮できる
ということがわかりました。
風船には人の気持ちを高揚させ、元気にするパワーがあります。そのパワーと私のパワーが化学反応すると、とてつもないパワーを発揮し、多くの人を幸せにできるということに改めて気が付いたのです。

まさにこれがリフレーミングなのです。

ある転職コンサルタントは
水商売を10年以上やってきたのと同じ
と断じ、全く評価しませんでした。そのような見方もあるのが事実であり、転職市場ではそのような見方が主流です。しかし、
全く何もないところから10年以上かけてあれだけのものを築き上げた
ということ自体が素晴らしいことであるのもまた事実だったのです。

先日の記事にもあるように
自分で自分のためにくすだまを開いてお祝いしましょうよ!
自分の長所を祝ってあげましょうよ!!
どんなに短所ばかりの人も、一つぐらいいいところがあるはず!
それを自分で祝ってあげれば、絶対そこから道は開けるよ!

周りの人で、ネガティブ思考ばかりに陥っている人がいたら、ポジティブな気持ちになれるようにその人を元気づけてあげましょうよ!

2015年10月15日木曜日

いかにしてバスに乗せてもらえるような人になるか?というか…

こんにちは。
またしても「ビジョナリーカンパニー」関連の話です。
今日の参考ソウス

今の企業の採用基準は
どういう人材が必要か
というよりもむしろ

価値観を共有できる人材かどうか
が重要視されていると思います。

そのような状況の中では、たとえ築き上げた実績が輝かしいものであったとしても、時代及び経営環境などの変化によって、バスを降ろされてしまう(=企業などから追い出されてしまう)という現状があります。
あるいは「自分はもはや必要とされていない」と感じて、自らバスを降りる決断をする人もいます。

私はバルーン業界に対して、自らバスを降りるべきか否か悩んでいる面があります。

「ビジョナリーカンパニー」にもありますが、
成長の結果複雑化して軋みが生じ、足元をすくわれるケースが見られます。
旧Y's Dreamはまさしくそうでした。

そして成長するにつれて、重要になってくるのが「規律」。
しかし、私は「規律は一つ間違えると{縛り}になってしまう。がんじがらめにしてしまうのはその人にとっても良くない」という考えから、最低限の規律(というか、「嘘をつかない」など、人間として最低限レベルの規律)しか求めませんでした。
結果、それが誤りだったのです。

その結果、Y's Dreamは限界を超えてしまい、破たんに至ったのです。

他方、社会のグローバル化と成熟化で、雇用市場は
人は足りない、でも本当に必要な人しかいらない
という、
見かけだけの売り手市場
になってしまいました。

こうなると、本当に必要になってくるのが
学習棄却(アンラーニング)
であり、
組織再社会化
なのです。
この主張、最近たびたび私もしています。

一方で、就労移行支援施設に通う障害のある方々、特に発達障害の方にとって、このような状況自体が高いハードルになっています。
私自身がこの状況は痛感しています。
私の場合
いかにしてバスに乗せてもらえるような人になるか
という努力をしても、根本的なところに欠陥がある(=発達障害=自閉症スペクトラム{=アスペルガー症候群})ため、極めて厳しいものがあります。
そして血眼になって
人格改造・気質改造
に取り組めるところを探し回りましたが、あったのは
「戸塚ヨットスクール」
か、もしくはそれをお手本にしたようなところばかりでした。

そしてたどり着いた結論が、
就労移行支援に2年という期限を行政が一方的に定めたところに大きな問題がある。
就労継続B型から一般就労への道を切り開く必要があるのではないか

ということでした。

この道を切り開くのに
バルーンアートは大きな役目を果たすことができるのではないか、と私は考え始めています。
そのためバルーン業界というバスから降りようにも降りれない状況が起きているのです。
というか、このような取り組みは
前例がありません。

バルーン業界自体、21世紀になるまでは本当に
道なきところに道を創る
ような状態でした。それが今では小さいとはいえ、一つの産業になっています。
運送・労働市場、さらには周辺業界の環境変化などで、パイはピーク時よりはやや小さくなっていますが、スパークバルーン宅配の市場は私が切り開いたといっても過言ではありません。はっきり言ってこれは本来
大いに誇れる履歴
なのです。…が、これをとあるキャリアコンサルタントは
10年以上ホストをしていたのと同じ
と切り捨ててしまったのです。
私の両親も同じ評価をしていたのです。

私がプロのバルーンアーティストであることをやめたことによって、失ったものはとても大きいです。
客観的に見れば私の10年以上は
サンクコスト(=埋没費用)
だったと思われても仕方ないし、現に私もそう思っていました。

そのような愚挙を犯してしまった私ですが、結果としては
バスに乗せる価値のない人
という社会的評価を下されてしまったのです。
その理由が
価値観を築いてしまった
ことによるものでした。
そのような価値観は、バスに乗せたい人を探す側、すなわち企業にとっては、邪魔者以外の何物でもなかったのです。

SSTに自己分析に面接トレーニングを積んでも、その企業の価値観に合わなければ、それまでなのです。
そのような現状を踏まえて、その企業に価値観を合わせるトレーニングをするような「就活塾」まで現れているのが実態なのです。

「自分が会社に何ができるか」
ということ以上に
「いかにしてこの会社に必要な人材になるか」
の方が重要になってしまったのです。
能力以上に協調性、それ以上に柔軟性と自己犠牲力が求められる
時代になってしまったのです。

このような時代、それぞれが生まれ持ったものによって人生が左右されるという、極めて厳しい状況が起きています。
バランス感覚、人間力といったものは、SSTなどのトレーニングによってある程度伸びますし、一定の水準までは達することができます。しかしそれ以上になると、
持って生まれたものに左右されます
さらに
幼少期の両親の子供に対する接し方も非常に重要です

今、大人になってから発達障害があぶりだされている人が増えているのも、昭和期の子育ての常識の誤りが背景にあると私は思います。
今は当時の子育ての常識が間違っていたということが周知され、加えて療育が充実しています。
ある意味今は過渡期なのかもしれません。

そのような状況下で、自信を失った人たちに自信を取り戻すツールとしてバルーンを活用していくのが今後の私の果たす役目なのではないか、
と思います。

最後にもう一度言います。
風船と出会わなければ、私は今頃この世の中にいないか、塀の中にいるかのどちらかだったかもしれません。
バス停で待っていてもバスになかなか乗せてもらえないのが現実である


2015年10月13日火曜日

就労継続B型から一般就労への道を開く必要がある

こんばんは。
今日は年に一度の「障害者合同面接会」でした。
2年前にも参加しましたが、履歴書をその場で突き返されたりした経験がある2年前の気持ちで「落ちて当たり前」という気持ちで行ってみたところ、正反対の展開に…玉砕承知で臨んだら、意外な方向に進み、半分戸惑っていると同時に、とても考えさせられる状況になってきました。

それは
就労移行支援がだめだったら就労継続B型という今の行政の施策そのものに問題があるのでは
ということでした。

今の行政は
まず就労移行支援に行け
そこがだめなら就労継続AないしはB

という考えのようです。

これが
一部就労移行支援事業所の就職予備校化
を誘発していると私は思っています。

予備校→大学合格を最大の目的としている
という考えから、
就職がゴールだ
という間違った考えに至ってしまうのです。
大学合格だって、ゴールではないはずなのに…

そして、一般的には
就労移行支援>就労継続支援B型
という、一種偏見としか思えないような考えが存在するような気がしてなりません。

これこそが問題の根源であり、
私が目指すべきは
就労継続B型からの一般就労の道を開く
ことであり
その手段としてバルーンを大いに活用する
ということなのです。

すでにこれに取り組んでいるところがあります。
バルーンではなくフラワーですが。
それが、南青山にある「アプローズ」さんなのです。

私の10年以上のバルーンの経験及びキャリアを
今後、これに役立てたいと思うのです

というか、これからの私のテーマは
就労移行支援だけが一般就労への道ではない
就労継続B型から一般就労への道を創る
ということになりそうです。

そこで私のバルーンの16年以上のキャリアを十二分に生かしたいです!!

2015年10月9日金曜日

就労移行支援、何のためにある?

おはようございます。

就労移行支援とは
就職を希望する障がい者であって、企業に雇用される事が可能と見込まれる対象者に対し、生産活動、職場体験その他の活動の機会の提供、その他の就職に必要な知識及び能力の向上の為に必要な訓練、求職活動に関する支援、その適性に応じた職場の開拓、就職後における職場への定着の為に必要な相談、その他の必要な支援を行うとあります。

就労移行支援サービスを利用するためには、「障害福祉サービス受給者証」なるものが必要です。
ところが、一部自治体ですでに就労状態にある場合、「障害福祉サービス受給者証」が発行されないことがあります。聞いた話では東京都などは就労状態でも発行されるのが原則なのに対し、横浜市では発行されないケースが多いそうです(以前目にした横浜市の福祉関係の公聴会の議事録がソウス)。
広島市周辺でも対応がばらばらで、発行される市町村が複数ある一方、広島市は横浜市と同様、発行されないケースの方が多いようです。さらにもっと厳格な審査を行っている市町村もあるようです。事実私は市の担当者の調査を受け、審査不受理なったことがあります。

一方、就労移行支援の実態はというと、本当に様々なのですが、
実際の仕事に取り組みながら就職活動をするところがあれば、模擬就労とビジネススキル・対人訓練ばかりのところ、さらにはドリルばかりさせるところなど
様々です。
実際の仕事に取り組みながら就職活動をしているところでは工賃が支払われることもありますが、工賃の支払いがないところの方が多い
です。
概していえるのは
就職予備校
みたいなところもある、ということです。

さすがにここの様に「ほしがりません勝つまでは」だったり、スパルタ式のところは聞きませんが…(そのようなところがあれば行きたかった)

一方、就労継続支援とは
一般企業での就労が困難な方あるいは、就労を希望する方に、働く場所を提供するとともに、知識及び能力の向上のために必要な訓を行う
とあります。従業員として雇用されるのがA型、従業員として雇用されずに働く場を設けるのがB型となります。
このB型というのが私から言わせれば
存在意義があいまいなところが多い
のです。

そして問題なのが、
就労継続支援B型から一般就職することが非常に困難な現状がある
ということです。以前訪問した東京南青山にあるフラワーアレンジを就労に生かすことを目指した「アプローズ」さんなどはむしろ例外的かつ先進的存在なのが現状なのです。
私が取り組んでいる「バルーンを発達障碍者・ひきこもり・ニートの社会参加に活用する」という取り組みをB型の枠でやるのか、それとも就労移行支援の枠でやるのか、揺れ動いています。

方向性が定まらない以上、バルーン業界を取り巻く現状の厳しさもあって、
就活をせざるを得ない
という状況に追い込まれているのが私の現状なのです。

他方、いい加減なことをしている就労移行支援も最近目につきます。
広島ではこのような勉強会が行われているくらいですから、そのようなところは聞かないのですが、他の地域ではいくつかそのような事例を聞きます。そのようなところはえてして
メンバー(訓練生)を駒のように扱うことが多いです。

多種多様なサービスの提供が行われる一方で、行政が古い考えのまま、それについて行っていないという広島の現状はむしろ全国的には珍しいのかもしれません。

このような状況ですから、私は
特定の就労移行支援事業所に所属せず、信頼できるカウンセラーの指導を受けながら就活に取り組んだ方がいい
という結論に達しています。
ましてや現状、バルーンの仕事を続けながらの状態です。
バルーンを続けるのか、それとも完全に一般就労し、バルーンから完全撤退するのか
収支の天秤にかけながら判断することになります。ただ、
バルーン業界の現状は非常に厳しく、バルーンだけで生計を立てることは困難という結論だけは変わりません。

2015年10月8日木曜日

私がバルーンの世界を離れようかと考えるまでに至った理由

こんにちは。

今日はぶっちゃけ書きます、
私がバルーンをやめようか考えるまでに至った理由を。

かねてから私は
「惰性で風船を膨らませるようになっては終わりだ」
と思っていました。
そして
「挑戦したいことが無くなったら、終わりだ」
とも思っていました。

3年前、2012年、
私はそのような状態に陥っていました。
そのような状態でいたところでいわゆる「大返還」を惹き起こし、うつになっていたことに気が付きました。
うつの場合、普通は薬を飲んで、気を楽にすれば治るのですが、どうも薬の効きが悪い、これは他に原因があるに違いない、と思い、心理検査を受けてみました。
その結果発達障害が分かったのです。
うつは二次障害でした。

当時は減ったとはいえ、バルーン演出のニーズはまだまだありました。
8年間で1000組以上も手掛けた結婚式場には、責任を持って受けることができない、迷惑をかけることになる、と判断して撤退させていただきましたが、複数のカップルの方が私にバルーン演出をお願いしてきました。
そんな中起きたのが
「ヘリウムガス払底」
という事態…

私は「これでバルーンの市場は縮み、大きく変化する」と判断しました。
短期間で収まるのなら影響は少ない、しかし長期に及ぶのなら大きな影響を及ぼす、と考えました。そしてヘリウムガス払底状態は数か月続き、現場のウエディングプランナーさんはバルーンの販売をためらう傾向になりました。一方でブライダルの在り方も、バルーンの在り方もその間に大きく変化、私は「引退やむなし」という決断をし、2013年8月を以てY's Dreamの営業を終了したのです。

しかし、私のバルーンに対する思いや情熱といったものは一区切りついたとはいえ、残っていました。
2014年、2015年といろいろな作品を作らせていただきました.


「第一線を退いた私でも、ここまでのことができる」
という思いがありました。

その一方で、「バルーンで生計を立てることは本当にできるのか」ということを考え始めました。
とある就労移行支援施設にお世話になる中で、ブライダルから子育て世代に主なニーズが移りはじめている傾向をつかみ、「広島では需要がまだ眠っているのでは」と考え、
その需要を掘り起こすことができたら、まだやれる
という考えに至っていました。

ところが、なかなかその需要を掘り起こすことができません。
一方でかねてから感じているように、ダイソー・ドンキホーテ・トイザらス・東急ハンズといった大型量販店との競合が激しくなりつつあり、その中でバルーンショップはどうあるべきか、ということを考えるようになりました。
さらにバルーン業界の全体的な流れは、
人の気持ちを伝えるアイテムとしてのバルーン
が主流になり、加えてツイストバルーンが発展しました。こうなると手先が先天的に器用な人の方が有利になります。
私は2013年春に職業評価を受けたことがあり、その際手先の器用さを見る検査があったのですが、「先天的に不器用」という結果が出ました。
バルーンデコレーターの能力は、思いと努力で一定のところまで伸びます。
しかしそこから先は、先天的なもの、すなわちもって生まれた才能が左右すると私は考えています。


先天的に不器用で、かつ発達障害というハンデを抱える私は、自分の立ち位置が無くなりつつあることを実感し始めていました。
私は
伸びきってしまった
と考え始めました。

もう私がバルーンでできることは正直言って何もないのではないか
とさえ思ってしまったのです。

後進に道を譲りたい
という気持ちは今、非常に強いです。
私が一番しなければいけないことは、
本当に人を幸せにできるようなバルーンクリエーターを育てること
ではないかと思っているのです。

だから私は
需要があるのならできるところまで続ける
のです。というか
需要がないはずがない
のです。だったら
なぜ日本中のいたるところにバルーンショップができている今、広島市内で1軒しか店舗を構えているバルーンショップがないのか?
ということになるのです。
それを私は自ら苦しんでいるいわゆる「コミュ障」、発達障害、精神障害、ひきこもり・ニートの社会進出と結びつけるためにも、とある就労移行支援施設と組んでいるのです。

私は今、就職活動に取り組んでいます。
バルーンの仕事を続けながら、です。
これだけバルーンデコレーターが増えた以上、バルーン市場を再び拡大させる必要があると考え始めています。
そのために日本中のバルーンデコレーター・バルーンアーティスト・バルーンパフォーマーは動き始めているのです。
恐らく近い将来、日本のバルーン業界の方向性は定まるでしょう。
その時、私の役目はもうありません。
その時に備えて、私は準備を始めました。

やめたいからやめるのではなく
自分の立ち位置が無くなりつつあるから
やめて身を引くのです。

ただ、
私がつくりあげたあまたの感動の瞬間だけは、いつまでも多くの人たちの心に残っています。
それだけは否定できない事実です。
これから時代を築く若い人たちは、バルーンの技術以上に、そういう思いをもってバルーン、風船と向き合ってほしい、と思っています。だからホームページも作品集も残すことにします。

2015年10月6日火曜日

就職はゴールではない!

こんばんは。

一部就労移行支援事業所で、数字稼ぎのために、就職実績を上げようとしているところがあります。
ごく一部の人たちは、就職することを目的に動こうとしています。

これらは全部誤りです。

私の周囲で、就職した後の成長が著しい人の話を最近聞くようになりました。

就労移行支援も、就職後の定着支援は最大3年まで続ける必要があるといわれ、制度もそのように改められました。

今私は複数の仕事を掛け持ちしています。
そのうちの一つがバルーンの仕事です。

他方、バルーン業界の現状の厳しさは相変わらずです。

ですから、私は現在
仕事につきながら転職活動を行っている
状況にあるのです。

このような状態の場合、
「障害福祉サービス受給者証」は発行されない
のが現状なのです。

そのような私は、
障碍者就業・生活支援センター、通称
なかぽつ
が支援のかなめになるべきところなのですが、現状主治医直轄のカウンセラーとハローワークの担当カウンセラーの二人が中心となって支援に動いている状況なのです。

このようなある意味特殊な状況下にあり、加えてつい最近まで妨害以外の何物でもなかった両親が現状をかき回していたという、極めて異例ずくめの状況だったのです。

ようやく私の両親も当たり前のことに気づきました。
就職はゴールではない
ということに。

就労移行支援最大手のあの会社も、今は就職率ではなく、定着率の方を最重要視しています。
1年、2年、そして3年と、長く働き続けることが重要なのです。
そのためには、安易な就職ではいけないのです。

少なくとも日本では、
どれだけ長く一つの組織に属していたか
の方が重要なのです。
どれだけの仕事の実績があるか
ということはそんなに重要視されていないのです。

ただ一つだけ確かなのは
就職をゴールにすることがいかに危険なことなのか
ということだけです。
それを取り違えると、取り返しのつかない過ちを犯すことになります。

2015年10月4日日曜日

自分を親に合わせてゆがめようとしていた

こんにちは。

とうとう両親が毒親であることを認め始めました…

母親は完全に「白旗」
父親は「自分が人生を謳歌することは一度もなかった」と白状…

背景にあったのは
自分の人生を謳歌していた私に対するねたみや僻み
があった可能性が高くなってきました…

こうなると家族療法の出番です。
私が一番信頼できるカウンセラーと父親を会わせることにします。

そして私は
自分を親に合わせてゆがめようとしていた
ことがわかりました。

儒教、朱子学…
全部親の価値観に私を合わせるためでした。

自分もゆがみ切っていた
のです。

そういう私にもかかわらず、風船をお願いしてきた人たちにいちばん感謝したいです。
そしてこのブログを通して陰ながら私を応援してきた人たちに…


ただ、私はこれで完全復帰するわけにはいきません。
バルーン業界を取り巻く環境は、年々厳しさを増しています。
少子高齢化
世界情勢(特に中国・インド・中東・ロシア・アフリカ)とそれに伴うヘリウムガスの需給圧迫、そして価格暴騰
イベント・ブライダルの市場縮小

主にこの3つですが、その結果
バルーンだけで生計を立てるのが非常に困難になっています

現在私は
バルーンで生計を立てることが可能か、再度精査しています。すでにバルーン「だけ」で生計を立てることは不可能、という結論に達しており、いくつかの仕事をして、そのうちの一つにバルーンを組み込むことを目指しています。
一方、この数年間に撤退したところもいくつかあると聞きます。
それだけ
状況が厳しい
のです。

働き方の多様化でそれが可能なのか
それとも
社会の保守化の進行でそれが不可能なのか

焦点はこの一つに絞られています。
全体の流れは残念ながら「保守化」の方を向いていると私は思います。
これまで述べてきた「価値観を基準にした企業経営」などはその一端でしょう。
現在の安倍政権は「保守化」を後押ししています。一方で働く環境は厳しくなる一方です。
ブラック企業は絶対に無くなりません。たまたま昨年いた企業は数少ない「ホワイト企業」でした。

正直な話
私はバルーンから完全に身を引いても構わない
と思っています。
環境がそれだけ大きく変化した以上、未練はありません。
私が答えを出すことはできません。
私の答えは
市場
にあるのです。
市場が求めていたら続ける
市場が求めていなかったらやめる

ただそれだけなのです。

それでも一つだけ絶対にやりたくないのは
投げ出し
です。

やめるのなら、後継先を見つけるなど、責任をもって身を引きたいです。
そのための出口戦略なのです。
3年前に「鬱症状でこれ以上受注できない」と判断したとき
2年前に「もう営業継続不可能」と判断したとき
顧客のいる状態での投げ出しだけはしませんでした。
受注できないお客様には事情を正直に話して、丁重に断りました。
2年前はそういうお客様が複数出ました。
投げ出しをすると、今まで築いてきたものがすべて無に帰します。
投げ出しだけは絶対にしません。