2015年10月8日木曜日

私がバルーンの世界を離れようかと考えるまでに至った理由

こんにちは。

今日はぶっちゃけ書きます、
私がバルーンをやめようか考えるまでに至った理由を。

かねてから私は
「惰性で風船を膨らませるようになっては終わりだ」
と思っていました。
そして
「挑戦したいことが無くなったら、終わりだ」
とも思っていました。

3年前、2012年、
私はそのような状態に陥っていました。
そのような状態でいたところでいわゆる「大返還」を惹き起こし、うつになっていたことに気が付きました。
うつの場合、普通は薬を飲んで、気を楽にすれば治るのですが、どうも薬の効きが悪い、これは他に原因があるに違いない、と思い、心理検査を受けてみました。
その結果発達障害が分かったのです。
うつは二次障害でした。

当時は減ったとはいえ、バルーン演出のニーズはまだまだありました。
8年間で1000組以上も手掛けた結婚式場には、責任を持って受けることができない、迷惑をかけることになる、と判断して撤退させていただきましたが、複数のカップルの方が私にバルーン演出をお願いしてきました。
そんな中起きたのが
「ヘリウムガス払底」
という事態…

私は「これでバルーンの市場は縮み、大きく変化する」と判断しました。
短期間で収まるのなら影響は少ない、しかし長期に及ぶのなら大きな影響を及ぼす、と考えました。そしてヘリウムガス払底状態は数か月続き、現場のウエディングプランナーさんはバルーンの販売をためらう傾向になりました。一方でブライダルの在り方も、バルーンの在り方もその間に大きく変化、私は「引退やむなし」という決断をし、2013年8月を以てY's Dreamの営業を終了したのです。

しかし、私のバルーンに対する思いや情熱といったものは一区切りついたとはいえ、残っていました。
2014年、2015年といろいろな作品を作らせていただきました.


「第一線を退いた私でも、ここまでのことができる」
という思いがありました。

その一方で、「バルーンで生計を立てることは本当にできるのか」ということを考え始めました。
とある就労移行支援施設にお世話になる中で、ブライダルから子育て世代に主なニーズが移りはじめている傾向をつかみ、「広島では需要がまだ眠っているのでは」と考え、
その需要を掘り起こすことができたら、まだやれる
という考えに至っていました。

ところが、なかなかその需要を掘り起こすことができません。
一方でかねてから感じているように、ダイソー・ドンキホーテ・トイザらス・東急ハンズといった大型量販店との競合が激しくなりつつあり、その中でバルーンショップはどうあるべきか、ということを考えるようになりました。
さらにバルーン業界の全体的な流れは、
人の気持ちを伝えるアイテムとしてのバルーン
が主流になり、加えてツイストバルーンが発展しました。こうなると手先が先天的に器用な人の方が有利になります。
私は2013年春に職業評価を受けたことがあり、その際手先の器用さを見る検査があったのですが、「先天的に不器用」という結果が出ました。
バルーンデコレーターの能力は、思いと努力で一定のところまで伸びます。
しかしそこから先は、先天的なもの、すなわちもって生まれた才能が左右すると私は考えています。


先天的に不器用で、かつ発達障害というハンデを抱える私は、自分の立ち位置が無くなりつつあることを実感し始めていました。
私は
伸びきってしまった
と考え始めました。

もう私がバルーンでできることは正直言って何もないのではないか
とさえ思ってしまったのです。

後進に道を譲りたい
という気持ちは今、非常に強いです。
私が一番しなければいけないことは、
本当に人を幸せにできるようなバルーンクリエーターを育てること
ではないかと思っているのです。

だから私は
需要があるのならできるところまで続ける
のです。というか
需要がないはずがない
のです。だったら
なぜ日本中のいたるところにバルーンショップができている今、広島市内で1軒しか店舗を構えているバルーンショップがないのか?
ということになるのです。
それを私は自ら苦しんでいるいわゆる「コミュ障」、発達障害、精神障害、ひきこもり・ニートの社会進出と結びつけるためにも、とある就労移行支援施設と組んでいるのです。

私は今、就職活動に取り組んでいます。
バルーンの仕事を続けながら、です。
これだけバルーンデコレーターが増えた以上、バルーン市場を再び拡大させる必要があると考え始めています。
そのために日本中のバルーンデコレーター・バルーンアーティスト・バルーンパフォーマーは動き始めているのです。
恐らく近い将来、日本のバルーン業界の方向性は定まるでしょう。
その時、私の役目はもうありません。
その時に備えて、私は準備を始めました。

やめたいからやめるのではなく
自分の立ち位置が無くなりつつあるから
やめて身を引くのです。

ただ、
私がつくりあげたあまたの感動の瞬間だけは、いつまでも多くの人たちの心に残っています。
それだけは否定できない事実です。
これから時代を築く若い人たちは、バルーンの技術以上に、そういう思いをもってバルーン、風船と向き合ってほしい、と思っています。だからホームページも作品集も残すことにします。

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