2015年8月26日水曜日

就職と結婚…価値観の共有について考える

こんにちは。
よくこのようなことが言われます。

就職と結婚は似ている

いずれにも共通するのが
価値観の共有
です。

今、離婚が増えていますが、どちらかが価値観を無理に合わせようとした結果、夫婦間のいさかいが多くなり、離婚に至るのです。
一方、転職の現場では、仕事内容と能力のマッチングよりも、価値観のマッチングの方が重要という状況が続いています。その端的な例が
「誰をバスに乗せるか」
であり、
「飲み会でない、キックオフだ」
というキャッチコピーだったりするのです。

この視点で行くと、転職活動も婚活も(もちろん就活も)、
自己分析や能力云々というのはあまり意味がない
ような気がしてきます。事実恋愛がそうで、フィーリングや直感といった、具体的に表れないものが重要なのです。
その背後には、親からどのような育てられ方をしたか、というのもあるでしょう。
その点でも、幼少期の子供に対する親の接し方は非常に重要で、ここで暴力や虐待、条件付きの愛情といった間違った子育てをしてしまうと、一生涯子供がそれに苦しむことになります。
もちろん自己分析や能力向上といった努力を否定するつもりはありませんが、就職の決め手は
「この人と一緒に仕事をしたい」
と思わせるか否かなのです。
どんなに努力を積んでも採用に至らない場合、その人が醸し出す長年にわたって培ってきた人柄というオーラに問題がある場合があり、その原因が幼少期から今に至るまでの親の接し方に問題があることがあります。いわゆる「毒親」及び「アダルトチルドレン」です。
子供に自閉症や発達障害の傾向がある場合、適切な療育を行えば将来にわたる影響は少なくて済みますが、ここで障害を無理やり矯正しようなどとすると、将来親は手痛いしっぺ返しを食らうことがあります。自分もそうでしたが、髪の毛などをむしる行為が子供にみられた場合、それは
親が子供にストレスを与え続けた
結果であり、将来大変危険です。
不登校・ひきこもり・ニート【スネップ】
家出・リストカット・非行(犯罪行為)・依存症

ひどいと
自殺・殺人(→死刑囚になってしまう)
に至る恐れがあります。
そうでなくても、親が子供にストレスを与え続けると、
子供は親に感謝しなくなるばかりでなく、
将来親に敵意を抱くことになります。
そのような人は
自己肯定感及び自己評価が低いので、自己承認欲求が高くなる一方、他の人に喜ばれることをしてもそれがうわべだけに思われてしまう傾向にある
のです。どこか鼻についてしっくりいかない、という印象はここから来ることが多く、そのような人はどんなに努力しても報われないという空しさに襲われることになります。

このような苦しみや空しさを感じる人が、他の人の価値観に合わせられるようにするにはどうすればいいのでしょうか…

一つ答えがあります。
それは
価値観を持たない
ということです。
すなわち、以前から述べているように
自分を空しくし、学んだことを自ら捨て去り(学習棄却)、自分を真っ新にする
ということになるのです。

もう一つの答えが
自らの価値観を主張する・築き上げる・強化する
ということです。というか一般論はこちらです。普通はこちらを選択すべきでしょうし、100人中99人、こちらを選択した方が正解ですし、発達障害がある人の就労移行支援も、こちらの方法を取るべきという指導を行っているケースがほとんどです。その中で自己肯定感を高める訓練を行い、結果就職できるのです。

ところがこの方法が通用しないケースもあります。私のようになまじ「一度夢をかなえ、その後自らの立ち位置を失った」ケースで、自らの価値観を主張したり強化したりしてもうまくいかない場合があります。その場合必要になるのが
価値観を捨て去る
という考えです。
しかし、この種の訓練のノウハウが現状ないのです。考えられる方法が、禅寺での修行であったり、「地獄の特訓」の類といったスパルタ研修ぐらいしかない現状なのです。いずれも自らの価値観を一度完全に捨て去って真っ新にできます。そこまでしないと再就職できない人がわずかながらいる現実があるのです。どうしてそのようなビジネスが生まれないのか…不思議でなりません。やはり
人権意識
がそのようなニーズを阻んでいるのでしょうか…以前某社員訓練の会社の社長が「人権はペスト菌」みたいなことを発言して問題になりましたが、ニーズはほんのわずかでもあると私は考えています。
これを読めば参考になるかもしれません…

2015年8月24日月曜日

飽和状態から生み出すものがないと価値観だけが頼りになる

おはようございます。
また長崎に台風が来そうです。一方でこの週末はピーカン…土曜日は外出しましたが、日曜日は急きょ在宅勤務…他のチームの仕事が大幅に遅れていた模様だったので、約4時間かけて他のチームに割り当てられていたデータ入力をこなしました。
このデータ入力が今週はピークです。一方で今週末には就労移行支援×バルーンプロジェクトの大きな山が…
久々の週休0日!
バルーンのプロジェクトについては後日改めて述べるとして、今の感想を述べると
とんでもなく話が大きくなっている!これを成功させたら大きな自信になるのは間違いない
ということです。
どうなるでしょうか…

さて、最近「企業における働き方」に関する事柄がネット上でいろいろ出てきており、いろいろなものを読んでいます。その中で印象に残ったのが一つ。
会社というところは理不尽なところである
20代の時の上司との相性でその人の人生が決まる
会社組織というところは「バスでどこに向かうか」ではなく「誰をバスに乗せるか」というところである

結局
会社と価値観を共有できない人が脱落していく
のです。ここでは
職業意識やプロ意識は邪魔ものに過ぎない
と評価されています。
この論拠、ジム・コリンズ著のベストセラーになっている「ビジョナリーカンパニー・飛躍の法則」の第2巻にあるようです。

この視点で行くと、もはや面接対策もへったくれもありません。
価値観が一致しなければ採用に至らない
のですから。どんなに面接対策をしても、どんなにしっかりとした応募書類を作成しても、価値観が違う、ただそれだけでジ・エンドですから。
だから私は
従順な「人手」になるための訓練が必要なのではないか。そのためには今までの経験や学んできた知識、すべてを捨て去って、器を大きくするばかりの「人間陶冶道場」みたいなものが必要なのではないか
と考えているのです。それが以前から述べている
学習棄却
なのです。

なぜこのような状況になるのか、というと、今の日本は
飽和状態
にあるからなのです。10年以上続いているような印象がします。
飽和状態なので、新しい市場を生み出そうという気概も感じられません。

この飽和状態
実はバルーン業界も当てはまっているのではないか
と私は考えています。

この1,2年、バルーン業界で新たな市場を生み出そう、という気概が感じられません。私が鬱に倒れた3年前と時を同じくしてヘリウムガス払底騒動が起こりました。この時流行したのが「バルーンスタンド」でした。その結果、夜の街でのバルーン需要の掘り起こしに成功し、今は安定しています。
しかし、私はこの恩恵を受けることがありませんでした。それどころか実は、倒れる少し前から夜の街でのバルーン需要をつかみ始めていて、ただでさえこのころは結婚式二次会需要もあり、一方で原価高騰が始まりつつあったころで、
利益なき繁忙
に陥っていました。長年の疲労が蓄積されていたところにこれが起きていたので、長時間労働の連続、精神も身体も限界に差し掛かりつつあったころでした。その一方で受けたい仕事を断るなど、やりがいにも疑問を感じつつあったころでした。そして1日3組も大がかりな演出が集中し、それが全部失敗…演出事故となり、大返還…
これがきっかけとなって鬱が判明、休業に追い込まれました。その後少し落ち着いたので再開しよう、と思っていたところに追い打ちをかけたように
ヘリウムガス払底
私は「バルーン市場は大きく縮小する」と判断、しばらく様子を見ていましたが、最終的に「やはりこれは撤退やむなし」と判断しました。
一方このころ行われていたバルーン業界の取り組みはというと…ヘリウムガスを使わない装飾や演出の開発を進めていました。生き残るためには必死ですから、様々なアイデアを出しています。
その後カタールやロシアルートの開拓などもあって、ヘリウムガスの供給は落ち着きましたが、ヘリウムガスの価格が高止まり。アベノミクスによる円安もあって、ヘリウムガスの価格はさらに高騰しています。
結果、このようなことになってしまいました

私の予測通り、
バルーン市場は縮小してしまったのです。

私は
あの時点で撤退したのは間違いではなかった
と思いました。
一方で、
意外なところにバルーンのニーズがありそうだ
と思いました。

昨年の3月、私はカウンセリングのため、心療内科に通っていましたが、心療内科の近くに
えっ!?
と思うものを見つけました。
何と、
就労移行支援事業所が、窓にたくさんの風船を飾っていた
のです。
ハローキティ、ミッキー&ミニー、その他いろいろカラフルな風船が…
ただ
膨らませて飾っているだけでした。

数日後、私はこの就労移行支援事業所を訪問しました。そこでバルーン教室を実施することになりました。
そして1年が過ぎ、
障害者・高齢者・児童福祉でバルーンが役に立つのではないか
と判断、今その市場開拓をしているところです。
このような取り組み、全国的に珍しいそうです。というか、
全国の先駆けになりそうな感じがしてきました。

2015年8月19日水曜日

適職と天職?天職から転職?

おはようございます。
夏が終わります…夏に弱い私にとってはありがたいです…

さて、適職と天職の違いについて非常に興味深く、かつ勉強になるサイトを見つけました。
ソウス(キャリタス転職より)

それによると
適職とは
・自身が持つ能力や資質をいかし、お金を得ることができる職業
・生きていくために必要な職業
・仕事の喜びより、収入を得られるかどうか  etc

天職とは
・生きがい
・お金になるかどうかに関係なく、好きで好きでたまらないこと
・時間がたつのも忘れてしまうほど、没頭できること
・達成感も高く、心が打ち震えるほど喜びを感じること  etc

要は
収入
達成感
自己実現

という三つのキーワードに収れんされます。

実は、私にとってバルーンアーティストはまさに
天職
でした。
すべてに当てはまりました。加えてある程度収入も得られる状態でした…適職と天職が重なるという、非常に幸せな状態が10年ほど続いていました。どういうことなのかというと
自らの能力や資質…想像を形にする空間構成力…だからあれだけの作品を作り上げることができた
ブライダルやイベントという一大市場が存在していたので、収入が確保できていた。当然それで生きていくことができた
風船が好きで好きでたまらなく、時間を忘れるほど没頭できた…20時間も風船を膨らませ続けたりすることに全く苦を感じなかった
全身を突き抜けるようなとてつもない快感を仕事を通して何度も味わうことができた…自ら考え出し、練りだしたバルーン演出が成功したときの快感を何度も経験した。そればかりか、多くの人にいつまでも心に残る感動の瞬間を何度も創り出すことができ、今でも多くの人々の心にそれが生き続けている…






私が創り続けてきた感動の瞬間です。これでほんの一部で、全体像は48ページにも及ぶあの作品集をご覧いただければと思います。
Y's Dreamバルーンアート作品集

このような幸せなことこの上ない状態が2011年ごろまで続いていたのです。
2011年3月11日を境に、少しずつ変化が起こり始めました。あの東日本大震災の日です。そして2012年に鬱発症、原因不明だったのが発達障害だったことが判明、追い打ちをかけるようにヘリウムガスが払底、さらに親子問題の深刻化…一方のバルーン業界も激変、自らの能力や資質とはかけ離れた方向へ進んでしまいました…さらにブライダルやイベントといった市場が震災をきっかけに縮小に向かい、ヘリウムガス払底や社会情勢の変化で原価は上昇の一途…
バルーンアーティストが適職でなくなってしまったのです。
職業評価では、むしろ「不適」とさえ判定されてしまったのです。

天職である部分は動きませんでした。





収入はさておき、
達成感と自己実現という点では全く変化がなかったのです。収入と別にバルーンをしていたという点もありますが、幸いそのような恵まれた環境のもとに身を置けたことが大きかったです(というか、まれにみる恵まれた環境だったと今では思う)。

そして2015年。
2012年に鬱で倒れた当初とはさらに様相が異なる、ややこしい事態になっています。
自己実現と達成感という観点で行くと、高齢者福祉(高齢者デイサービスなど)、児童福祉(児童デイサービスなど)、そして障碍者福祉(就労移行支援・就労継続支援など)でバルーンを活用するという道が見えています。私もその方面に進むべく、活動しています。
一方で収入面が自己実現及び達成感という観点から大きくかけ離れ、独り歩きするという状況になっています。その結果
収入面を重視するなら自分が今まで築いてきたキャリアを解体し、ゼロからキャリアを作り直す必要が生じる
一方
自己実現と達成感を重視すると収入面で問題が生じる。しかも既存の行政が全く対応できていない
という、ジレンマが発生してしまったのです。
具体的には、自分が推し進めようとする人生を歩む(バルーンの経験を福祉で活用する)と、両親に不利益が生じ、逆に親の意見に従おうとすると自らが築いてきた10年以上(15年は越えている、まだ20年には達していない)のキャリアを無にしなければならないという状態です。しかも幼少期の自閉症の後遺症が今になって表れるという問題まで起きており、おまけに両親が共依存・過干渉という、問題をさらに複雑化させる要因があります。

仕事を続けていくうちにそれがキャリアになるという考えもありますが、それは自分の形が固まっていない20代後半を中心とした人たちに当てはまる言葉です。ただ長期のひきこもりなどで自分の形を作れなかった人たちにも当てはまります(とある就労移行大手のプログラムを見ると、そのように作られています)。
そして今一番問題にしなければいけないのが、中途障害判明者となった40代を中心とした人たちへの対応です。この分野の対応が今非常に遅れています。とある人材派遣会社でそのようなプログラムを現在開発中という話を聞いています。そのような場合に重要視されるのが先日来から話題にしている
学習棄却
でしょう。高齢者のキャリア形成にも、キャリア再構築をテーマにした文献があり、それを読みました。そこにも似たようなことがありました。
いずれにせよ、天職からの転職という、極めてまれでかつ困難な局面に私は差し掛かっていることだけは事実です。

2015年8月18日火曜日

就労移行支援施設は働き方を身に着ける場所です!

こんにちは。

まず本題に入る前に。
私は現在、とある就労移行支援施設でバルーンに取り組んでいます。
そこではデザインをメンバーに考えさせ、グループワークを実施して全員で決めます。決めたデザインに私が意見することはできませんし、してはいけません。
私が判定するのは、あくまでも技術的に可能か、それだけです。
というか、不可能ならばそれに近い可能な方法で考えるという作業をします。
そして、制作の際も私は脇で見守るだけです。わからないところがあったら私に聞け、という感じです。
今後この施設が中心になってバルーンに取り組む際は、このようにしてグループワークを中心にしていくことにしています。私は基本ノータッチです。逆に私がとってきた仕事をお願いする際に、メンバーの皆さんにヘルプに入っていただくということにします。
どんな作品になるか楽しみです…

そこから何かが生まれそうな気がします。

この施設も運営にかかわっているのが
↓の記事の「もみ爺」。
ここの職員は「もみ爺」の着ぐるみの中の人を経験します。メンバーの中にも中の人を経験している人がいますし、中の人経験者が就労しているケースもあります。
ちなみに私は未経験です…

今見たらかなり苦戦中…orz

さて、ここから本題。
前にもお話ししましたが、
就労移行支援施設は居場所ではありません!
就労継続支援施設はA型もB型も制限がなく、「居場所」にすることができます。

何のために「就労移行支援施設」があるのでしょうか?
文字通り「一般就職を目指すため」です。
最近、ネット上でとある就労移行支援施設の通所日誌を複数目にしました。中にはその就労移行支援施設のテキストの中身をアップしているものもありました。この就労移行支援施設は自らのホームページでテキストの一部を公開しているのですが、見た限りよくできています。
そしてボルト・ビーズ・クリップといった、正確性と集中力を養う作業訓練も行われています。
私は別の就労移行支援施設でボルトとクリップを数回やりましたが、どこで役に立つのか疑問に思ったので聞くと、薬品卸会社の倉庫で一番役に立つそうです。薬品卸会社の倉庫は必要な薬を必要なだけ正確に出す必要があるところで、患者さんの生命の安全と薬品卸会社の利益率に直結するという重要な仕事だそうです。
ちなみに薬品卸会社といえば、「スズケン(塩野義系)」「メディセオ(武田系、パルタック・クラヤ・三星堂・エバルス・アトルなどが前身)」「アルフレッサ(第一三共系、アズウェル・福神・成和産業などが前身)」あたりが有名です。かつては「プロパー」と呼ばれ、営業担当者の激務(過労で倒れる人が続出)が有名でしたが、今はMRという情報提供者となり、営業スタイルが激変したそうです…薬品卸はおそらく昔と今とで全然仕事のイメージが異なる業界でしょう。

それによると、
しんどくても歯を食いしばって頑張る
といった内容が非常に多かったです。それだけ勤怠が重要なのです。
日本の仕事スタイルは在宅勤務をはじめとしたテレワークの普及などである程度は変わるとみられます。終身雇用の崩壊の影響も大きく、大企業に入社すれば安泰という時代ではもうありません。
だったら私の両親は何のノスタルジーにかぶれているのでしょうか…

しかし、在宅勤務は想像以上に伸びません。
以前の記事
その理由は「以前の記事」を見ていただければ詳しく述べていますので、ここでは省略します。
そのため勤怠が重要視されるのです。

しかし、旧Y's Dreamは勤怠以上のシビアな世界でした。そのシビアさ、ボートレース並みでした。
いわゆる「返還欠場」が存在していたのです。「演出失敗」で代金をお客様から頂くことができない状況を「演出事故」とし、「返還欠場」という措置を取っていました。これがエスカレートして、「お客様を怒らせた場合は代金をいただかない」という、鬼のようなルールまで作ってしまいました。岡山の大手タクシー会社(母体は総合運輸・サービス企業)Rを範にしたこのルール、ある程度は機能していたが、このルールを悪用したモンスタークレーマー(自分自身もどちらかといえばクレーマーだったが…)の被害に遭うことも何度かありました。
そして「演出失敗・クレームは事故として扱い、代金返還を行う」という独自のルールが返還欠場と呼ばれるようになったのです(もちろん語源はボートレースの「スタート事故」)が…最後はこの超シビアなルールで自らの身を滅ぼしてしまったのです。しかもそれは自らの完全主義・超完璧主義に由来し、さらにその由来が自らの生い立ちに始まる様々な生きにくさ(自閉症=発達障害=一種の脳機能障害、アダルトチルドレン、厳格すぎる両親、その他…)にあるという事実を知ってしまいました…結果
Y's Dreamの廃業清算・プロバルーンアーティストからの引退
につながってしまったのです。

就労移行支援施設に1年近く通い、在宅勤務を1年近くして分かったことは…
今までの私が異常だった、すなわちY's Dreamは異常な「会社」だった
ということでした。さらにいえばY's Dreamはブラック企業だったといっても過言ではないのです。当たり前のことが当たり前でない…状況でした。
今、私は出来高制の仕事をしていますが、それでも勤怠はあります(事前に勤務調査をする=仕事をしたくない日は申告する)し、時間は厳守です。しかし返還欠場ということは一発勝負でない限りありません。旧Y's Dreamはボートレーサー並みの激しい仕事だったのです。
一方で、休日のサービス出勤や付き合いなども勤務評定に入れるような会社があります。これを勤怠の一部に含めるべきか?という意見もあります。現実問題2割近い企業がそうです。このような企業があるのもまた事実です。私は働く側としてもこれは賛成で、喜んで休日出勤やサービス残業をする方です。実際社会人として最初のころには、わざと時間外をつけずにそれこそサービス残業を進んでしていたことも何度かありました。そういう企業に入ってもいいように、先日のブログで述べたように「自らを空にする」のです。
他方、在宅勤務に限らず、働き方の多様化も叫ばれています。そうなると旧Y's Dreamの経験が生きます。仕事をした分だけ給料を受け取るという概念です。
今はこの価値観が両方共存しているカオスです。どう変化するのでしょうか…

いずれにせよ、どっちに転ぶにせよ、勤怠は社会人として当たり前のルールです。それを身に着けるのが就労移行支援施設の役目です。ですから居場所ではないのです!
ちなみに私が目にした「とある就労移行支援施設」は、日本各地にあり、カリキュラムはほぼ全国共通です。ここのカリキュラムは私には合わないものもありますが…必要なものも多いです。この「とある就労移行支援施設」は、社会人としての基礎を見直したいと考えたり、どこに行っても長続きしないというような人にお勧めです。逆に自分を確立してしまった私のような人は、「形を作り直す」ところからしなければならなくなる場合があり、かえって時間がかかるケースも考えられます。それこそ「すべてを空にする」気持ちでいかないとだめでしょう。

2015年8月15日土曜日

親の曲解が子供を不幸にする

こんにちは。
今日はブログの記事をたくさんアップしています。
それだけ書きたいことや書かねばならぬことが山のようにあるからなのです。

先ほどは「自己を空しくしなければ親の望むような就職はできない」というようなことを書きました。これは嘘でも何でもなく現実です。
以前の記事に私はこう書いた。(2015年2月28日の記事)
この現実を前にして、私は相当悩んでいる。
というか、「親の言うとおりに再就職するとしたら、これは相当の覚悟と期間が必要なのではないか。それを分かった上での親の言動なのか」という疑問が以前から湧いていた。
これができる人にならないといけないのが今の私。それを邪魔しているのが私が築き上げた経験であり実績。
そのような状況に置かれる人というのは、やはりごく限られた人。言い換えれば
何か一つでも輝かしい大きな実績と経験をした人でないと、このような状況に直面しないし、その中でもこのようなリセットが必要な状況に直面するに至る人はさらにごく限られた人なのが現状。
発達障害や精神障害を抱えた人にとって、これはかなりの困難を伴う。場合によっては1年や2年では終わらない。下手をすると5年以上かかる。これに取り組みながらの転職活動は、できるなら回避した方がよい。なぜなら
その間にも生活していかなければならないのが現実
だからである。

親の言っていることに対して「これは困難の極みだ。可能な限り回避した方がよい」と常々感じていたが、その理由がここ数日の間でやっとわかった。

とある。
結局親の人生を歩むには、自分をすべて否定し、自分をすべて空にする必要があるということをこの記事で言いたかったのである。
私の器をすべて空にしないと、新しいものが何も入らないというのが今の自分の現状なのである。
ちなみに、バルーン業界も激変しており、この業界に骨をうずめるなら、それこそアンラーニングが必須の状況。こちらについても別に記事にしている
だから私はいまさらバルーン業界に現役復帰しようなど考えていない。

そのような状況をすべて総合して、自己分析を行い、結論を出した。
私がとっている行動はすべて現実を見据え、現実的に可能な方法で動いている。できる範囲でできることをするのが今の自分の生き方であり、それを積み重ねることによって再自立をするというのが現実に即した生き方である。だから私は可能な方法で可能なことをやっているのである。
バルーンで生計を立てるのは難しいので、他に在宅で仕事をしたりしているのである。

その結論に親が食って掛かった。
当然私は激怒する。
ここ数日迷走と取れなくもない状況になっているが、親のやっていることはとてつもなく大変なことを私に要求していることと考えており、悩んで悩んで結論を出したものを鶴の一声でひっくり返すことを考えているとしか私には思えない。
2年前、再就職活動に取り組んでみて分かったことは、「運と縁」であり、そこに努力はない。結局合計で40社近くに不採用になった。当時広島で最も信頼できる障害者専門のエージェントの方と就労移行支援施設の支援者の方たちに支えられてこれである。しかもこの支援者の皆さんは転勤になったり、別の就労継続支援施設に移るなどした。私はこの就労移行支援施設に戻らないことにした。
今度仮に再就職しようとするなら、別の就労移行支援施設に行くつもりである。
就労移行支援施設の利用は最大で2年である。もし2年たっても就職できない場合、就労継続支援施設に行くことになる。雇用型がA型であり、非雇用型(すなわち昔の授産施設)がB型である。このB型の役目が変化しつつあり、そこでバルーンをやろう、という動きがあって、私も動いてきたのが本当のところなのである。
B型の工賃が10000円程度というのがこれまでの現実で、これでは到底生活できない。これを上げるのが今の福祉行政の課題と位置づけられている。そこでバルーン、という話になり、ここまで進んできたのだが、全然売れない。9月から抜本的な見直しを進める方針である。
再度言うが、
就労移行支援は2年しか使えない。2年間で就職できなかったら、就労継続支援施設に行く必要がある。
大事なことなので、繰り返しました。
つまるところ、就労移行支援施設が「障害者の居場所」になってはいけない。本来なら「訓練施設」なのである。しっかりした訓練とサポートを受けて1年近くかかって40社近く受けてやっと1社に採用されるのである。これが現実である。

親はこの現実が分かっていない。

そして私は、就労移行支援に頼れないから、自分で勉強し、自分で探し、自分で道を見つける必要がある。

これらの全体像を親は全く理解していない。それどころか「あなたに障害はない」という。

このような現実に耳や目をふさぐ両親はすなわち毒親だが、儒教の教えによれば「よしんばそのような道を踏み外した親と言えど、子供は従う義務がある」という。
今就活の用語に「オヤカク」なるものがあるという。中小企業やベンチャー企業に入社するのに親の確認が必須ということからこの言葉が生まれたというが、私の両親はこのような「オヤカク」を是としている。そして親が子供の就職後のケアに対しても確認したいのだろう。地元の有名な某ソースメーカーは親との連絡を緊密にしているというが、そのソースメーカーは過去に過労死を出している。
就活は今や親にとっては「子育て最終決戦」とまで言われているが、私の親は
子育て再試合
をやっているとしか思えない。それどころか
場外乱闘
のレベルだ。子育てで子供に対して異種格闘技をするような親は
曲解している
としか思えない。心配の域を超え、毒親の領域になる。そういう親に私は
あなたたちの望むとおりにするのなら、私はすべてを空にして全くの無の人間としてやっていくしかない
ということを宣言している。キャリア否定とはそういうことであり、背景に
親の強い否定
がメタメッセージとして隠されているのである。「オヤカク」をするような親とも違う。結局このような親のために子供は不幸になってしまうのである。

2015年8月10日月曜日

自己承認欲求の高さと自己肯定感及び自己評価の低さは比例している


こんにちは。
お盆が近くなると、すぐそばを走る山陽新幹線の本数が多くなる一方、ビジネスの動きが鈍くなります。ハローワークも求人が減ります。
一方、私はここ数日、長文のアップが続いています。
ひたすら自分を見つめなおすためにこのようなことを続けているのですが、親の望むような結論は出ず、出る答えは
「バルーン業界に復帰or現在のやり方を続けろ」のいずれか。
バルーン業界の現状の厳しさは身をもって実感しているので、おのずと答えは今やっていることを続けるということになります。
発達障碍者の就職率は3割に満たない(まとめサイトより)

詳しくは上記リンクのサイトを見ていただければわかるかと思います。
桶の理論
というのがありますが、発達障碍者は知能の凸凹がひどいために、普通の仕事をこなすのが困難と言われています。
仕事では、桶の理論が発動します。高学歴だったり、秀でている部分があっても、知能の凹凸が激しいと普通の仕事をこなすことに非常に不利なのです。大事な部分が抜けているのですから。
上記リンクのサイトより引用

上記サイトから分かるのは、
根本の原因がどこにあるのかを把握しないと、いつまでたっても問題が解決しないばかりか、問題が深刻化する一方である。
ということです。

そこで本題に入ります。
ここ数日述べていることは
自己評価が低い=自己承認欲求が高い=自己肯定感が低い
この3つがイコールだということです。
自己評価が低いことはすなわち自己肯定感が低いことです。
その原因はすべて共通しています。それは
両親が条件付きの愛情しか私に与えてこなかった
ということです。

一つ一つについては以下のリンクから読んでいただければ幸いです。
自己肯定感が低い真の原因
自己評価の低さの本当の原因は…

今日は「自己承認欲求の高さ」について深く考えてみます。
私はとにかく「最高のもの」「自分だけしかなしえないもの」を目指して、バルーンアートに取り組んできました。
結果、バルーンに対する姿勢やスパークバルーンに対する思いといったものは、高く評価されるまでになりました。というか、
気が付いたら高く評価されていたのです。
私は「今の自分に満足してはいけない。もっと上を目指さなくてはいけない。今の自分に満足することはうぬぼれだ」と思い続けていました。
結局のところ
自己承認欲求の高さと自己肯定感及び自己評価の低さは相関関係(比例の関係)にあった
のです。

思えば17年前、私が27歳の時でした。1998年のことです。
とある町のフリーマーケットで細長い風船を膨らませていた私は、「テレビ番組に出てみたら」と勧められました。その方が私を某テレビ局のとあるテレビ番組に推薦してくださいました。この番組は私が当時住んでいた町では映っておらず、その方が住む隣町ではケーブルテレビで他県からの放送を受信して映っていたようです。
しばらく経ったのち、テレビ番組制作会社の方が私を訪ねてきました。当時はバス会社に勤務していたので、実際にはめったにやらないバスの洗車(通常は自動洗車機)をする場面などを撮影して回りました。
数日後、私は飛行機に乗って東京の世田谷区、小田急線沿線にある某テレビスタジオに行きました。そこで私は徹夜で1人でバルーンオブジェを制作し、そのまま収録しました…。その番組はアーティストが3組ほど作品を持ち寄って対決するもので、挑戦者は私と悪役紹介のメンバー、防衛者(前のチャンピョン)は当時小学6年生だった油絵を描く方でした。悪役紹介がけちょんけちょんにけなされた後、私の出番が来ました。私は無我夢中でした。何をしゃべったのかも覚えていません。そして小学生が出演した後…何と私が小学生より高い評価を受け、チャンピョンになってしまったのです。
私は驚きのあまり、当時の記憶がほとんどありません…が、これだけは覚えています。
控室で「やったー!!」と叫んで飛び上がったこと。
この番組は2週分の収録で、別の日の収録のかたもいたのですが、悪役紹介を含めた控室全員から祝福されたことはとても印象深かったです。
その後次の収録では渡辺満里奈さんと控室で1対1で話をしたこともあります…この時は雪うさぎを制作し、この時もチャンピョンになりました。その後4回勝ち進み、あと何回かで100万円+ニューヨークというところで敗れました…「たけしの誰でもピカソ」の「アートバトル」でした。

長年バルーンの仕事をしてきて、ガッツポーズをし、飛び上がるぐらい喜んだことは、このほかに数えるほどしかありません。
初めてバルーンドロップ600個を成功させたとき…
カウントダウンイベントで2000個の風船を降らせたとき…
初めてスパークバルーンシャワーを成功させたとき…
新郎新婦様と抱き合って喜んだこともあります。
バックヤードでスタッフと抱き合って喜んだこともあります。

これらは飛び上がって喜ぶというより、むしろ最高の瞬間を創り出せて、結果最高の仕事ができたという喜びでしょう。
全身を突き抜けるほどの、天にも昇る快感
を仕事を通して味わえたのは、ある意味ものすごい達成感だと思います。

しかしそれらの経験をもってしても、自己承認欲求の高さはとどまることを知りませんでした。
というか、
これでもまだ不十分
と自分を追い詰める方がどちらかといえば多かったです。
ある意味自分は
ストイックだったのかもしれません。
それゆえ、
本当に素晴らしい演出ができた時の快感は相当のものだったのでしょう。

私のスパークバルーンに対する思い
このようなページを作るくらいでしたから…今でもその思いを刻んでバルーンの仕事に取り組んでいる人がいるという事実は、とてもうれしくて心強く、誇りに思えます。
 

それでも満足せずに上を目指していたのですから、自己承認欲求の強さは並大抵のものでなかったことは容易に察しがつきます。
そして
自己承認欲求の強さの原因が低い自己肯定感と低い自己評価にあり、
その自己肯定感及び自己評価の低さの原因が幼少期の親子関係にあり、
さらに幼少期の親子関係の原因が自閉症並びに発達障害という先天的な脳の問題にあり、
それが今の生きづらさに直結している半面、
一連のメカニズムに目を背けて表面しか見ようとしない両親へのいら立ちにつながり、
両親へのいら立ちが両親に感謝できないことにつながり、
その原因が両親の育てられ方にあり、
さらにその原因が先祖代々続く家の土壌にあった

ということなのです。

結局のところ
最後は
自らが抱える負の要因

が足を引っ張ったのです。努力ではどうにもならないところがある、というのはこういうことであり、母親が言う
器以上のものを入れようとしたら壊れる
ということなのです。結局冒頭の桶の話に戻ってしまいます。

2015年8月9日日曜日

自己肯定感が低い真の原因

こんにちは。
今日、とあるホテルのオープンスペースをのぞいてみると、
ものすごいバルーンのフォトバックが!

フォトバック(からふる工房の作品)
あたかも先日まで行われていたJBAN Conventionの会場から抜け出してきたかの作品です。

このホテル、私が一時期入っていたが、私が精神疾患によって責任を持って仕事を受けることができないと自ら判断したため降板し、元スタッフの方に譲ったところです。
しかもこの作品を制作されたその方はJBAN Conventionが終わってすぐに広島に帰り、制作に取り掛かったとか…

私は複雑な思いになりました。
この方は私が引退して、後を継いだのですが、今や広島を代表するバルーンデコレーターに成長しています。とうの昔に私は追い越されてしまいました…
本来なら喜ぶべきところなのでしょうが…

昨日は広島市内の某所で別のバルーンデコレーターの方にお会いしました。
この方、JBAN Conventionのコンテストに参加し、入賞されたそうです。初めて参加したにもかかわらず…です。
これはこれで素晴らしいことだと思います。

こうしてみると、私はむしろ
「後に続く人たちのために道を作った」
ことの方を誇りに思えてきました。

道なき道を切り開くこと10年以上。
今バルーン業界は成熟期にあり、ブライダルのように衰退しつつある分野もあります。先日話題にした呉のとある結婚式場の破たんはその典型です。
この結婚式場の結婚式の画像を一つ一つ検索すると、彼女が手がけたバルーン演出の画像が見つかりました。私がフォーマットを作った演出を見事に完成させていました。(私が手がけていた演出とほとんどまったく同じなのだが、彼女の方がよりスマート)

つまるところ、私が創った基礎を次に続く方たちがどんどん発展させているのです。
こうしてみると、
私の役目は終わったのかな
と思えて仕方ありません。

しかし、私は新たな役目を今になっています。
自らを苦しめている本当の原因が発達障害で、一連の精神疾患はその発達障害の二次障害だったということが3年前の段階ではっきりしました。しかもそれは21世紀になってから知られるようになった症例で、現役で活動していたころはわかりづらかったといえます。一時期は「アスペルガー症候群」と言われていました(今は「自閉症スペクトラム」とされている)。
このような障害は行動療法で緩和されるといわれています。その方法が「自己肯定感を高める」ということです。そこで活用しているのがバルーンなのです。
エントランス
その一環でコンサートのデコレーションを手掛けたのですが、初めての作品でここまでのものができたのは立派だと思います。

私と同じ障害に苦しむ人たちはひきこもり・ニートになるなど、社会から切り離されてしまっています。そのような人たちに社会参加のきっかけとしてバルーンを活用する取り組みを進めていくのが今後自らすべきことだと思うのです。

そういう私は正直
今でも自己肯定感が低い
のです。

客観的に見れば、道なき道を切り開き、さらに次なるステップを踏み出そうとしているにもかかわらず、です。
なぜそう思えてしまうのでしょうか…

実は、
親を安心させるのが私の最大の義務
その義務を全く果たせていない

という現状にあるからなのです。
親を安心させることはすなわち再就職活動の成功です。
ところが私は気づいています。
このまま再就職活動を続けるのはずるずると不採用を重ねるだけの消耗戦となり、かえって危険
と。
無理な就職は自殺に至る恐れすらあるのです。

正直言ってこれは私の両親にとっては
不都合な真実
よりほかありません。

親の価値観に子供をしたがわせようとするのは価値観の変化が起きてしまった現状では非常に困難と言わざるを得ません。
親の価値観に基づいて就職するためには、一度私をすべて白紙にするしかないとさえ考えています。親の意向に基づいて就職するために、徹底的な自己否定に自己批判を過去にやってみましたが、うまくいきませんでした。結局バルーンでやってきたことから何ができるかを抽出した自己分析の方がうまくいきましたが、そこに親の意向はありませんでした。知恵袋なども使いましたが、先日述べたように管理者養成学校か戸塚ヨットスクールしかないという結論に達し、それらの費用は最低30万かかることもわかりました。
他方、私は幼い時から「チック」があったり、体中の毛を食べるなどの症状が出ていました。今ではこれは「親の育て方に問題があるシグナル」と言われ、子供からのSOSとして受け止め、親は真剣に対応する必要があるといわれています。しかし当時は親もまた子育てに対するプレッシャーがあり、無理やり矯正しようとすることを繰り返しました。その結果二度にわたる家出をすることになってしまいました。
そればかりか、そもそも私は
条件付きの愛情ばかりを両親から受けてきた
のです。私は親の欲求を満たすために生きてきたようなもので、親の敷いたレールの上を走ることを要求されていたのです。条件付きの愛情ばかりを受け続けると、結果
自己肯定感が低くなり、自己承認欲求が高くなってしまいます。

親は私を「育て上げよう」という気持ちで、今でも行動しています。そして自衛隊に入った近所の子供と比較したりしています。
親のやることなすことすべて、
ほとんどすべて「やってはいけないこと」にあたる
と私は見ています。そして毎日のように
「私を安心させて」
と電話で叫んでいます。

このような状態ですから、実家に帰りたくても帰れないのです。

そしてこのような親に育てられた結果、
独特の変なオーラを発してしまい、面接官に「この人は何か影がありそうだ、採用すべきでない」
となって、不採用を重ねてしまうことになるのです。この独特の変なオーラ、「顔が笑っているのに目が笑っていない」という印象で、ブラック企業に長く務めた人と似たような毒を持ってしまうのです。

これが
自己肯定感が低い真の原因
だと私は思います。

本来低い自己肯定感を高める唯一の方法が、私には風船だった
といっても過言ではありません。
これを捨て去ることはすなわち自己否定です。そして
風船を取ると何も残らないスカスカ人間だ
と言われるようになり、自分では
今頃親を殺して塀の中にいるか、自ら命を絶っていたか
とまで思うようになっているのです。

このように自己分析の結論が出ているのに、それでも否定するのでしょうか…私の両親は

2015年8月6日木曜日

自己評価の低さの本当の原因は…宗教的家族?

こんにちは。
今日は余りにも暑すぎるので家でひきこもります。明日は打ち合わせなので、外出します。

見出しのように「宗教的…」とあるところ、大体ふつうありえない考えがまかり通ることが多いです。これが企業の場合だと、いわゆる「ブラック企業」であり、家庭だと「毒親」となるのです。

ソウス(会社選びの現場から…「宗教っぽい」会社より

上記ソウスを読んでいただければわかるか、と思いますが、要点だけまとめたところを引用します。
「宗教っぽい」会社とは、ある価値基準を作り、今までにない価値を創出することにより、本来0またはマイナスであるものに価値をつけ、対価として労働や資本を提供させる会社のこと
「宗教っぽい会社」には自己承認欲求の強い人が向いている。
「数字では表すことのできない」つまり人に押し付けづらい価値観は宗教っぽい会社特有のものである
引用ここまで

私の父親は「我が家は宗教だ」という発言をしたことがあります。
私の母親はバルーン業界をカルト呼ばわりしました。

父親が言う「宗教」は、儒教が家の考えの根本にあることを指したかったようです。
そして母親のカルト発言が私が引退を決断させるに至る最大の要因になりました。
もはや私の家の価値観は世間とは大きくずれている。
このような家族である限り、バルーンを膨らませることはもうできない。
親を安心させるためには、私が身を切るしかない。


私はこう考え、引退を決断しました。

その後、私は自己評価が低すぎることに気が付きました。
問題点を突き詰めると、
自己評価が低い=自己承認欲求が高い
なぜ自己評価が低くなったのか→親の厳しすぎる躾、時には体罰を伴うこともあった
親がなぜ厳しくしつけたのか→親も周囲の目を気にして生きてきた→結局親は自分らしく生きることが許されなかった(私の場合、父親・母親ともに)
←私の両親には秘密があった模様→母親には兄がいたが、終戦直後の混乱で夭逝した→母親の実家は男子がいなかった→猛烈に厳しい躾を母親は受けていたという→愛情飢餓親の子供に対する厳しい躾につながった

自己承認欲求が高い→バルーンアートの世界にはまり込んだ→一定の成果を収めることができた→しかしもっと上がいる→限りなく頂点を目指そうとした→いくら頑張っても届かない→どんなに努力しても自分はダメ、という低い自己評価につながる→自己否定←完全主義

ということになります。
これがアダルトチルドレンの負のループです。

こういう人は洗脳されやすいので要注意です。
そもそもこういう人がオウムなどのカルト宗教に入信したり、大量無差別殺人を起こしたりして、死刑になったりします。秋葉原や土浦などの無差別殺人事件もそうです。

正直言って、私の両親、特に母親は私をマインドコントロール(=洗脳)しようとしていたのです。私をコントロールすることによって、自分の心を安定させていたのです。

他方、バルーンの活動にのめりこむことによって、私は大きな成果を上げていたのは事実です。
一体どれだけの人を幸せにしてきたのか…

私が以前通っていたとある就航移行支援施設の方が、私の作品集を借りて一晩かけてみたそうです。
その感想…
「すごい、感動した」
この一言でした。しかしこの一言が私の心に響きました。

私がやってきたことに間違いはなかったのです

それだけではありません。私の作品集も、私の動画集も、何人もの人が1日に見て下さっているのです。

ここで現役時代の私を振り返ると
風船こそが私のアイデンティティだった→少しでも多く風船の仕事がしたかった→血のにじむような努力の結果…日本でも屈指のスパークバルーン演出を手掛け、宅配スパークバルーンを初めて実用化した…その結果多くの人々の心の中にいつまでも残る感動を作り上げることができた
その一方で私の心の中はボロボロだった

という状況だったに違いありません。

昨年、私はこのようなグラフィックを作ってみました。


このグラフィックも自分で作ったのですが、画像がすべて自分の作品のコラージュなのです。

過去の資産を焼き直すだけでこれだけのものを作れる自分がすごいと改めて痛感しました。

これだけのものをご破算にしろ、と主張しているのが私の両親なのです。

 たびたび述べているように、儒教の経書「孝経」には
道徳の根源、宇宙の原理としての形而上化、無条件服従と父子相隠
が記されています。
この考えから、私は
「よしんば道に外れた親と言えど、従わねばならぬ」
という思考に至り、自ら築き上げたものを壊そうとしているのです。そのための根拠を探しているのですが、出てくるのは宗教、それもどちらかといえばカルト系の新興宗教の経典ばかりです。
結局、私の家は常識が通用しない特殊な家と言わざるを得ず、
家庭が宗教になっている
と考えざるを得ません。

そういう私が営んでいたY's Dreamは、
自らが持つ宗教的価値観を押し付けるのは、風船が持つ他の人を幸せにする力と相容れないという内部矛盾を抱えていて、自分にひたすら厳しさを課す一方、共に働く仲間に基本無理を強いることができず、ものすごい内圧がかかり、その内圧が自らを自滅させた
ということになるのでしょう。