2019年8月28日水曜日

(復刻)正直なところ…私はもう風船を見たくない

こんばんは。この記事は2013年7月25日の「旧ふうせんだいすきおっさんのひとりごと」を復刻したものです。6年前を振り返り、改めてアップします。

おはようございます。

先週末に実質最後の仕事を終えたのち、なんだか気が抜けたようになった。

来週は日本最大のバルーンの祭典、JBAN Conventionだという。
私は正直、今年も行くかどうか迷っている。
というより、セミナーのラインナップや空席状況などを見ていると、一つの傾向が浮かび上がったような気がする。

ツイスト系・ギフト系といったものの実用性が高いセミナーの人気が高い。

事実これらの分野はまだまだ発展すると私は思う。
一方演出系やデコレーション系の苦戦が目立つ。

もはやこれらは頭打ちなのかもしれない。

市場の伸びもこれ以上見込めず、ヘリウムガス不足傾向の定着という状況下では、新しいことにもチャレンジできない…

私が引退を決めた最大の理由がこれである。
今後おそらく、私はバルーンをビジネスとして取り組むことはまずない。

バルーンギフトは他人の気持ちを読むことがうまい人が仕事にしていくことになろう。
フローリストもギフト系でそのような人材が重用されるけいこうにあるという。
ツイスティング系は本当に明るく、笑顔が素敵、「華」がある人が身に着けるべき技術になるような気がする。
いずれにせよ、私の出る幕はもはやない。

私はすでに最低1年はバルーンの世界から遠ざかるつもりである。
全く畑違いの仕事に就きたいと思っている。
全くのゼロからの勉強になるのは間違いない。
場合によってはもう二度と戻ってこないかもしれない。
というか、その可能性は高い。
キャリアリセットを私は希望している。そうなると私は完全な転進を図ることになり、全く違う自分に生まれ変わることになる。
正直、バルーンアーティストであった自分を否定したいぐらいなのである。

事実あるところには、バルーンアーティストであったことを隠した履歴書と職務経歴書を提出し、12年もの間フリーターとしてアルバイトを転々としていたというようなことを面接で話したぐらいであった。もちろん不採用だったが。

私が戻ってこようにも、そこに私の居場所がない、というぐらいにバルーン業界が変化していたら、また面白い、と思う。

そうなるかどうかわからないが、3年後、2016年ぐらいにどのようにバルーン業界が変化しているか、大いに見ものである。

今週中に3年後のバルーン業界の予想を記事にすることにする。

3年後のバルーン業界の変化を見るのが本当に楽しみだ…3年後にこのころの予想を見て、当たっているのもうれしいし、外れているのもまた由である。

が、私はその頃この世にいないかも…

2019年8月15日木曜日

終戦記念日に思う

こんにちは。
令和最初の8月15日、先の大戦の終戦記念日は、台風による嵐のさなかとなりました。
動いている交通機関はほとんどなく、午後からはいよいよひどくなることが予想され、街はゴーストタウン状態です。

そんな中思うのが、引きこもりや家庭内暴力、さらに統合失調症発症などの問題のそもそもの原因。
突き詰めていくと
第二次世界大戦前後の日本の在り方
が背景にあるような気がしてきました。

この時代の日本は、精神論で動いているようなものでした。典型例が
竹槍でB29を撃墜させる
というものでした。精神論はとりわけ陸軍で強かったようです。だからインパール作戦のような情けないことが起きるのです。

しかし、この精神論が日本の高度経済成長の原動力となったのもまた事実。

その高度成長は昭和最末期にバブル経済を引き起こし、そのバブルが崩壊して日本は厳しい国際競争にさらされることになりました。平成とはその中での変化の時代で、価値観は大きく変化していきました。当然「家父長制」は時代錯誤(「時代遅れ」という言葉は生易しすぎる)となり、「ほめる」ことだの「自己肯定感」だのといったものが子育ての本流にとってかわられつつあります。
一方で少子化という別の問題も引き起こし、高齢者の年金を支える財源が不足しているという社会問題も生じているのが現実ですが、そこまで予測しきれなかった高度経済成長期の政治および行政の誤謬はいかんともしがたいものがあります。
さらに「超高齢化社会」「多死社会」によって、介護人材から火葬場に至るまで、大幅な不足が見込まれている現状があります。競艇(ボートレース)を収益源としてあらゆる福祉事業を支えているある財団は一時期「船上火葬場」の構想を立てたほどです。先日私は「ターミナルケア」(終末期介護)について勉強する機会があり、また最新鋭型納骨堂を見学させていただく機会もありましたが、高齢化社会においてはこれらは避けて通れないと思います。
※私は「バルーン宇宙葬」は断固反対しています。これはバルーン、すなわちゴム風船の特性が関係しています。ゴム風船は基本地上10000メートル以上の成層圏で破裂し、粉々になりますが、突発的に発生する積乱雲などによってそこまで上昇しないこともあります。そのような風船が時折地上に落ちて、拾った人から手紙が届くなどの交流に至ることもありますが、バルーン宇宙葬で使った風船(もともと直径約2メートル程度の巨大なもの)が庭先に落ちて、中から白い粉末が出てきて、鑑定したら人骨を粉砕したものだった…という状況を考えてみてください。遺骨をゴミとして扱うのと同じだと私は考えます。遺灰を海上に流す(=散骨)方がよっぽど良いです。
かくいう私は火葬場に「自分の遺骨は焼き切りにしてほしい」と事前にお願いするつもりです。焼き切りの場合、遺骨は灰となり、収骨は行われません。当然墓も必要ありません。私の両親は樹木葬を希望していますが、私は樹木層も散骨もお断りし、それこそゴミと同じ方法で処理してほしいです。ちなみに火葬場で余った遺灰は「特別産業廃棄物」として扱われるそうです。

なんだか「毒親と戦争」について論じるつもりが、高齢化社会と葬儀に論点が変わってしまいました。
しかし、時代の流れとともに「躾」といわれていたものが実は「虐待」だった、というのが現実なのではないでしょうか。

2019年8月16日追記 私と同じような主張をしているコラムを見つけました。
「関東自立支援就労センター」のページ
このページの左側にあるコラムの記事のほとんどが私の主張と同じです。


2019年8月14日水曜日

不適性排除社会、どう対応するか

こんにちは。
ソウス「不適性な人をひそかに排除する社会の到来」

内側で差別をなくそうとするほど、ハイリスクな人を避けようとする反動が形成される。人間の生まれ持った性質に迫るような「選別」が、現代社会の公私両面で広がっている…

詳細は上記ソウスを読んでいただくとして、冒頭の要約部分を引用させていただいた。
私はかなり早い段階で婚活市場から退出している。というか、30代のころは経営を軌道に乗せようとして婚活どころではなく、40代になったら精神疾患から発達障害判明となり、今度は婚活市場から事実上排除されるという状態になっている。
加えて私の場合、仮に結婚しても配偶者を不幸にするだけだと思っている。母方の叔母の「緩慢な自殺」は、母方の家系に大きな誤謬があったことの証であり、それに伴う不幸な結果といわざるを得ない。このような問題が大いにある家系は子孫を残さないのが世のためだと私は考えている。私は
両親より早く死んではいけない
両親の供養が済んだらいつ死んでもかまわない
と考えており、すでに
終活
を始めている現状がある。

むしろ注意すべきは介護問題で、父親か母親のいずれかが死んだらすぐに私は「介護臨戦態勢」に入ることになる。どう考えても私の両親は、片方が死んだら介護が必要な状態になるのは目に見えている。このような状態になった時、まず出番が来るのが
地域包括支援センター(地域包括)
であり、
ケアマネージャー(ケアマネ)
である。すぐに「地域包括→ケアマネ」のルートを確立し、支援計画を組んでもらう必要が出てくる。

一方で私はクローズでの一般雇用は困難と判断している。近いうちに一度受けてみようと思うのが
不適性検査スカウター
おそらく、私は「不適性」と判断されるに違いない。というか、すでに別の診断で、そういう診断が医学的に出ている。
私の両親は、この現実が分かっていない。というか、
臭い物に蓋をする
ようなことをしている。
だから全く新しい形態の就業を目指すことにしている。仮に転職活動をすると、泥沼にはまる危険が極めて高い。理由はこのブログで何度も述べているが、一言でいえば
日本の雇用が「メンバーシップ型雇用」である
故の問題だと私は思う。
ソウス「転職=即戦力幻想の先へ」

それによると、私がたびたび主張しているように、
アンラーニング(学習棄却)ができなければ、転職が困難
という現状が厳然として存在する。

私は転職しようとする場合、
完全にイエスマンになりきる
洗脳される
個を捨て、まっさらな自分になる
以外に道がないのが現状。それを可能とするのが、実は存在することが最近になって分かった。ただし、それは
カルトレベル
のものである。
こういうところや、こういうところ
前回の記事で
子捨て山
と私はこれらの施設を評したが、本当に私を変えてしまいたいのなら、こういうところに入れるべきである。というか、
それが現実である。
現実が分かっていないから、夢物語を平気で言うことができるのである。