こんにちは。
令和最初の8月15日、先の大戦の終戦記念日は、台風による嵐のさなかとなりました。
動いている交通機関はほとんどなく、午後からはいよいよひどくなることが予想され、街はゴーストタウン状態です。
そんな中思うのが、引きこもりや家庭内暴力、さらに統合失調症発症などの問題のそもそもの原因。
突き詰めていくと
第二次世界大戦前後の日本の在り方
が背景にあるような気がしてきました。
この時代の日本は、精神論で動いているようなものでした。典型例が
竹槍でB29を撃墜させる
というものでした。精神論はとりわけ陸軍で強かったようです。だからインパール作戦のような情けないことが起きるのです。
しかし、この精神論が日本の高度経済成長の原動力となったのもまた事実。
その高度成長は昭和最末期にバブル経済を引き起こし、そのバブルが崩壊して日本は厳しい国際競争にさらされることになりました。平成とはその中での変化の時代で、価値観は大きく変化していきました。当然「家父長制」は時代錯誤(「時代遅れ」という言葉は生易しすぎる)となり、「ほめる」ことだの「自己肯定感」だのといったものが子育ての本流にとってかわられつつあります。
一方で少子化という別の問題も引き起こし、高齢者の年金を支える財源が不足しているという社会問題も生じているのが現実ですが、そこまで予測しきれなかった高度経済成長期の政治および行政の誤謬はいかんともしがたいものがあります。
さらに「超高齢化社会」「多死社会」によって、介護人材から火葬場に至るまで、大幅な不足が見込まれている現状があります。競艇(ボートレース)を収益源としてあらゆる福祉事業を支えているある財団は一時期「船上火葬場」の構想を立てたほどです。先日私は「ターミナルケア」(終末期介護)について勉強する機会があり、また最新鋭型納骨堂を見学させていただく機会もありましたが、高齢化社会においてはこれらは避けて通れないと思います。
※私は「バルーン宇宙葬」は断固反対しています。これはバルーン、すなわちゴム風船の特性が関係しています。ゴム風船は基本地上10000メートル以上の成層圏で破裂し、粉々になりますが、突発的に発生する積乱雲などによってそこまで上昇しないこともあります。そのような風船が時折地上に落ちて、拾った人から手紙が届くなどの交流に至ることもありますが、バルーン宇宙葬で使った風船(もともと直径約2メートル程度の巨大なもの)が庭先に落ちて、中から白い粉末が出てきて、鑑定したら人骨を粉砕したものだった…という状況を考えてみてください。遺骨をゴミとして扱うのと同じだと私は考えます。遺灰を海上に流す(=散骨)方がよっぽど良いです。
かくいう私は火葬場に「自分の遺骨は焼き切りにしてほしい」と事前にお願いするつもりです。焼き切りの場合、遺骨は灰となり、収骨は行われません。当然墓も必要ありません。私の両親は樹木葬を希望していますが、私は樹木層も散骨もお断りし、それこそゴミと同じ方法で処理してほしいです。ちなみに火葬場で余った遺灰は「特別産業廃棄物」として扱われるそうです。
なんだか「毒親と戦争」について論じるつもりが、高齢化社会と葬儀に論点が変わってしまいました。
しかし、時代の流れとともに「躾」といわれていたものが実は「虐待」だった、というのが現実なのではないでしょうか。
2019年8月16日追記 私と同じような主張をしているコラムを見つけました。
「関東自立支援就労センター」のページ
このページの左側にあるコラムの記事のほとんどが私の主張と同じです。
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