2016年12月24日土曜日

親孝行と「孝」、絆と「絆し」

こんにちは。
2016年も押し迫り、今日はクリスマスイブ。
私は今年もシングルベル…なのですが、昨日も明日もパーティーや飲み会。
たまたま一人でじっくり考える日がイブにあたっただけです。

このブログの2012年以降のテーマの一つとなったのが、見出しの問題。

この二つに私は縛られ、あれほど好きな風船を捨てざるを得なくなり、結婚しても相手に苦労を掛けると判断して生涯独身のライフプランを立てざるを得なくなったのです。
そしてその原因は広島のどこを探してもなく、遠く離れた鹿児島に答えがあったのです。

で、見出しの問題について。
私の場合、親子関係が「孝」をもとに成り立ち、その結果絆が「絆し」になってしまっていました。
母親が精神疾患を患い、自殺未遂をした原因は、母親がふつう長男にするような異常なまでの厳しい躾にあり、そもそもその厳しい躾を私の母親に対してした原因が母親の兄の夭逝にあったのです。
事実、私は母親の祖父母から異常なまでに可愛がられました。一方で自閉症児を生んだと母親は祖父母から厳しく叱責され、一家心中を試みたという話も耳にしました。その結果、私には妹か弟がいたのですが、この世に生を受けることがありませんでした。
そのような特殊事情があり、かつ当時は今と異なり発達障害に対する認識がなかった時代です。
厳しい躾の結果、私は非行に走りましたし、食毛症を発症して、今でも続いています。
いずれも親からの精神的なストレスが原因と今では言われていますが、70年代の当時はもっと躾を厳しくしろといういうのが主流でした。私の両親はいまだにこの考えの持ち主で、かつての首都の知事などの超保守的な考えを支持しています。
そして、私は一時期儒教にはまりました。私の両親及び私の「イエ」にある考えの背景が儒教にあると判断したのです。
儒教の教えを刷り込むことが、真っ新な自分になって、親に忠実に従うことができる、それがすなわち親孝行だと考えたからなのです。どんなに間違った考えを持った親でも、それが親である限り、子は泣き寝入りして従わなければいけないという考えに自分を持っていこうとしました。

それは結果できませんでした。

しかし、私は親孝行できません。
そして、両親と私の間には、絆ではなく「絆し」で結びついています。

これが私の家、とりわけ母親の方の「イエ」を貫いています。

このような「イエ」ですから、私は他人を巻き込みたくないのです。
結婚するということは、否が応にも巻き込むことなのです。
私で先祖代々続く「イエ」の負の歴史をとだえさせることが幸せになるためのすべという結論に達しました。

すでに、私は両親が亡くなった後の身の振り方を考えています。
私は孤独になるのは確実ですが、施設に入るつもりはなく、私の死後は行政にゆだねるつもりです。それも、広島ではなく、鹿児島の。
私が亡くなった後は相続人はいないはずです。遺産もないはずです。私はそれこそ無縁仏として処理されることになるでしょうし、極端な話遺骨も全部産業廃棄物として処分されていいとさえ思っているのです。
私の両親までは、永代供養の納骨堂に収めたいです。すでに日本全国、もちろん鹿児島にも永代供養の納骨堂ができています。このような納骨堂は墓地不足で全国的に増えています。
政府は「産めよ育てよ」という考えです。
しかし、私のようにそれができない人もいるのです。

厳しいことを言うようですが、秋葉原、荒川沖、下関駅の死刑囚も背景にあるのは
「厳しすぎて、かつ誤った親の躾」
だと私は思います。

以下引用 ソウス

「間違った厳しさ」
小さい時に厳しく育てることが大切といっても、間違った厳しさはかえって子供の発達をおかしくします。
親は自分の望むことを子供が進んでするように躾ようと思います。躾が大切、厳しく躾けなければいけないと言う時、母親の心に潜在的に働いているのは、この願望です。
この厳しさは間違った厳しさであることに気づいてくださらなくてはいけません。これは、大人の気に入った型の子供に仕立てるという気持ちが濃厚です。大人の意図に従わない時、禁止、叱責、罰が下されます。
目指す子供像は何でしょう。自ら考え、自主的に判断し、行動し、意志強く目的達成のために努力する。こういう子供を育てることにあるのではないでしょうか。
それなら叱って育てることを、厳しく育てることと勘違いをしていてはダメです。
これからの子育てでは、何よりも21世紀に役立つ子供を育てようという目的意識を持って、子育てをしなくてはなりません。
では、21世紀に役立つ良い子というのは、どのような像でしょうか。
私たち親が良い子という場合、両親の言うことをよく聞く子、先生の言うことをよく聞く子というように、親にとって都合のいい子をよい子だと考える傾向があります。
ところが、このような子供は、むしろ問題のある子供で要注意なのです。このような子供は、毎日おとなしく問題を起こさずに育ったとしても、自己主張がなく、社会の役に立つ貢献ができない人間に育つおそれがあるのです。
中学生、高校生になって家庭内暴力をふるう子供たちがいます。この子達の小さい頃を調べてみると、両親の言うことをよく聞いて、いい子だったとう例が非常に多いのです。小さい頃、いい子であまり自己主張をすることがなかったら、大きくなり、体力もでき、親の権威が薄くなった頃に、突如として家庭内暴力と言う形で自己主張が始まるといわれるのです。
だから、小さな頃の反抗は喜ばなくてはいけません。子供の反抗期があるというのは、子供の成長にとって、とても大きなプラスの意味をもつものなのです。
子供の反抗の効用を書いてみます。

1.子供が親と違う自分自身の考えを持つように成長した。

2.自分の考えを、態度や言葉で言い表すことができるようになった。

3.いくら叱られても、嫌なことは嫌、違うことは違うと堂々と発表する勇気を持つようになった。

このように、子供の側に3段階の進歩があり、自分の気持ちを主張することができるようになった結果、欲求不満を心の中に溜め込まずにすませることができるのです。

大人の考えたことに子供が疑問を持ち、考えたことを素直に発表することは、人間の進歩につながります。子供が口答えをしない、反抗をしないというのは、むしろ困った姿で、子供の何でもかんでもが抑えられたなら、人間の進歩はなくなってしまいます。
そこで、口答えや反抗を、むやみに叩いたり、叱ったりしてはいけません。子供の言い分を十分に聞いてやらなくてはいけないのです。するとそれは子供の発表の能力を育て、一方大人を賢くするのです。
親が子供に厳しくするというのは、大きくなって子供が自立できるようにするためです。それには次のような点で厳しくすればよいのです。

1・我慢できる子供にする。自分の感情のままに走らず、自分でセーブできる子にする。

2.社会のルールがわかる子にする。人を傷つけること人に迷惑をかけることをいけないとわかる子に育てる。

3.自分の行動に責任を持つことができる子供に育てる。

4.目標に向かって根気よく粘る子供に育てる。

~中略~

小言の多い親は子供のすることを、いちいち制限しがちです。子供はそのためにまっすぐ、すくすくと育つことができず、不満の塊となり、親に反抗し、強情になり、親が躾けようと思って小言を言うほど、親の言う反対のことをするようになります。
子供が生後10ヶ月に達すると、この時期は道具発見の時期、探索行動の時期と言われます。この時期の子供のすることは実験をし、勉強をしている姿なのです。それを、あれはいけない、これはいけない、と厳しく禁止すると非常に反抗心の強い子供を育ててしまいます。怒りっぽい子供、反抗的な子供は、ここから始まることが多いのです。
満2歳前後になると、子供に自立心が育ちます。すると今までは素直に親の言うことを聞いていた子が、急に自分を主張しはじめ、親の言うことは何でも「いや」と言い始めます。これは成長の一過程なのです。この時期に親が「いけないことはいけない」とわからせるように育てようと思ってきつく叱ると、これがまた子供を反抗的にし、強情にします。
子供は成長の節々で、いろいろな変化を見せて育っていきます。その時期その時期を、親が「今はそのような時期なのだ」と心得て、子供のすることを温かく見守って育てれば大過なく過ごせるのに、親がカッカしてしまうと子供がゆがみます。

引用ここまで
出典:
「認めてほめて愛して育てる」(七田眞:著、PHP研究所:発行)

私と前述の重大殺人犯罪の加害者(いずれも死刑囚)の違いは、ただ一点だけです。
「親と戦えたか」
このような間違った躾に対しては、いくら親といえども、戦争しなければなりません。
私は中学生時代から親と戦争することになりました。
そしてその戦争、今は「休戦中」なのです。

実は、私がこれだけ風船にのめりこんだのも、親と戦争するための一つの答えだったのです。
事実、私の母親は私が起業したことに対して祖父母に対して謝罪し、それに対して厳しく祖父母から叱責されたそうです。

なぜ私の祖父母は私の母親を厳しく叱責したのかは正直分かりません。しかし私の母親は
私を型にはめて育てようとして失敗したことを詫びた
のです。
これは紛れもない事実です。

私の父親は息子の起業を恥じ
私の母親は息子の起業を親類一堂に謝罪した

これが事実です。

だからこそ、私はこれだけ風船にのめりこめたのかもしれません。

結果、鬱症状を引き起こし、適応障害に追い込まれ、その背後には発達障害があった…

しかし、風船に出会ったことによって、自分らしく生きることができたのもまた事実。
風船のおかげで、私は「絆し」を断ち切ることが表向きはできたのです。

この数年の親の行動は、親の敗北を認めず、自分の手元に取り戻そうという印象がしました。自閉症との戦いを幼児期に経験したから、なおさらだったのかもしれません。しかし、それ自体が大きな過ちであったのです。
さらにそれが当時は正しいと認識されていた…
正しいと思われていたことが実際は間違いだった…ですから、親を責めることはできません。
そして、間違いをいまだに正しいと認識している両親の考えを改めることもできません。

私ができるのはこの二つだけ。

自分が選んだ人生を歩むこと
自らの世代で負の連鎖を断ち切ること


2016年11月10日木曜日

組織の歯車になる訓練?

こんばんは。
このブログですが、見てのとおり、更新が滞り、存在意義が問われつつあります。
「顔本」や「言葉版」の最近の自分の書き込みを見ると、キラキラピカピカした記事ばかりが目立ちます。
想いがカタチとなり、そしてはじける!、ということ
くす玉のような存在って?
私の風船に対するこだわり
いずれも「言葉版」の最近の記事です。リンクを張っているのでご覧ください。













最近の作品の写真です。社員として初めて迎えた、昨年も行われた福祉関連イベントです。

そこでつくづく思うのが、最近一部の就労移行支援事業所で顕著な
就職予備校化
の問題と、私の母親の
インナーチャイルド
の問題である。
一見関係ないようだが、この二つの問題は密接につながっている。

私が以前通っていた就労移行支援事業所。
もう3年近く前になるが、1年近い間、ここに通っていた。
その就労移行支援事業所、当時私とかかわっていた職員は所長は同じ会社の別の部署へ、それ以外の職員は全員退職し、別の就労移行支援事業所に移籍したり、公的機関に転職したりしている。職員は全員入れ替わった。そして今や、名前だけ同じで、当時とは訓練内容も目指しているものも全く異なっている状態になっている。
この就労移行支援事業所の現在の印象を率直に言うと、ズバリ
就職予備校
の一言である。
訓練の全ては就職のためにあり、そしてそこで定着するためにある印象が強い。
私は一時期、この現状を憂えていたが、今では
「これもありでは」
と思えるようになった。
一つは就労移行支援事業所の選択肢が増えたこと。様々なタイプの就労移行支援事業所から選べるようになり、合わない、と思えば体験の時点でやめてしまえばよい。今、ここの印象は
就労経験の浅い30代前半までの若い人向き
である。一度個性を捨てて型にはまった生き方をしたい人向きであるし、事実「型にはめる」訓練が多い。それがもう一つの理由であり、今やこの就労移行支援事業所の特色になった。実際最近ここに通っている人たちは、自分の「型」がなく、どのような生き方をしたらいいのかわからない人が多い印象がする。そういう人はそれこそ「型にはまる」必要がある。一度型にはまってみて、そこで生きていけるかどうかは型にはまらないと分からないと私は思う。

他方、それより大きな問題が、後者の「親のインナーチャイルド」である。
私の場合、母親が深刻な「インナーチャイルド」を抱えて生きているように思う。このような場合、母親は「アダルトチルドレン」となり、子供から見れば「毒親」になってしまうことが多い。
正直言う。
旧Y's Dreamが廃業に至ったのは母親にも大きな原因があるといっても過言ではない。

母親は厳格な躾を両親から受けて育ったという。
そしてことあるごとに「子供を起業させて申し訳ない」と謝罪していたという。
母親の両親は鹿児島出身である。子供、すなわち私が風船屋Y's Dreamを起業してからは、鹿児島に近づかないようにしていたという。
やがて長年の無理がたたって、私はうつを発症し、休業に追い込まれた。その時母親がやったことは…
母親の母親、すなわち私の祖母が亡くなったあたりから、母親もまた精神疾患になってしまった。原因不明の体全体の痛み…自殺未遂もしたらしい。
自殺未遂の話を聞いて、私は廃業を決断した。

私は母親が何を望んでいたのか、わかっていた。
母親はことあるごとに私が自衛隊に入ることを望んでいた。
子供が戦死しても、国のために死ぬことは名誉だと考えていたらしい。
労災や過労死で死ぬことは「殉職」だとも考えていたらしい。
そもそも母親はかつて、私が幼いころ自閉症の症状が顕著に出ていたころ、一家心中を考えたらしい。父親が説得して止めたという話を耳にしている。その父親も真夜中に山の中に置き去りにするようなことをした。

母親は子供を自らの親の望むように育てたかったのだろう。ところが自閉症の症状が出て、就学猶予の可能性すらあったという。1970年代後半の話である。
今なら児童デイサービスに入所して療育に取り組むべきケースであるし、そもそも1970年代後半と2010年代も後半に差し掛かりつつある今では社会が全く異なる。1990年代前半までは「型にはまった生き方」が幸せに生きる必須条件であった。ところがバブル崩壊→失われた10年→リーマンショック→東日本大震災と経て、価値観が激変した。

私が風船にどっぷりつかり、全くこれまでとは異なる生き方をしてきて、結果、全くなかった価値を生み出すまでに至った。このような生き方から脱却しようと、私は儒教を学んだ。両親の生き方、そして家に代々伝わる生き方の背景にあるものは儒教だと判断したからである。同時に徹底的に型にはまる努力もした。自ら築き上げたものを捨て、真っ新の状態にして、生まれ変わろうということを考えた。それを望んだのが母親であり、父親であった。儒教の教えの最大のものは「孝」であり、「たとえ親が間違っていても、それに泣いて従うのが子供の義務である」と自らの心をすべて入れ替えようと努力した…が、できなかった。

親の望むとおりに生きる、すなわち親の人生を子供が歩むのは、どこかで無理が生じるのが摂理である。私の場合、どこに問題があるのかをすべて一つ一つ調べ上げ、鹿児島の先祖の墓も調べ、結局最大の問題が母親の「イエ」にあり、母親のインナーチャイルド、すなわち生きにくさの原因となっているところまで突き止めた。「毒親の連鎖」もこれでわかった。さらに「私は結婚してはいけない」という宿命を抱えていることまでわかった。「結婚できない」のではなく「結婚すべきではない」のである。なぜなら、私が結婚すると、妻を不幸にするし、子供を虐待する恐れが非常に高いからである。私にも母親、あるいは先祖代々伝わる「毒」の連鎖が及び、その連鎖はその子供にも伝わる危険が非常に高い、ならば結婚すべきでないし、親になるべき人ではない、妻を巻き込み、子供を不幸にするだけである、と判断したからである。

そのような状況の中で、母親に孝の限りを尽くそうと思ったし、そういう親でも親孝行する義務は私にある。だから私は「型にはまる訓練」を自らに課した。なぜなら母親に罪は全くないからである。今では誤りかつ不必要とされる「舌の手術」も1970年代当時は最善の方法だとされていたし、1970年代と今とでは時代が全く異なるからである。

2016年10月26日水曜日

昨年の今頃を振り返る…と何かが見える?

こんばんは。
最近このブログの更新頻度が落ちています。
最近私も「顔本」なるものをするようになり、加えて写真共有アプリなるものもしていて、そちらに重点を置くようになったのもあります。
しかし、最近のアメブロを見ていると…。

近くこのブログの在り方を見直す時期に来ているのは間違いないようです。

さて、今日は一日何もしないで過ごしました。
この先しばらく忙しくなるからです。
年に一度の大勝負を控えています。

そんな今日ですが、一つ、発達障碍者の就労へのヒントになりそうなものを見つけました。
ソウス

…採用理由を明確に言語化できている企業・官公庁は本当に少ないです。何回も面接しておきながら、『根性が有りそうだから』とか『何となく印象が良かったから』の一言で採用理由を済ませる組織があるのには驚きです。中にはきちんとした文面でフィードバックしてくれる企業もあるのですが、そういう組織は文字通り「有り難い」です。

 こういう状況を踏まえますと、本当は採用側も採用の「決め手」が分かっていないのではないか、少なくとも言語化できるほど明瞭ではないんじゃないか、という疑いが現実味を帯びます。

 そこで思い出されるのが冒頭に紹介した『ウチで働く君がイメージできた』という採用側のコメントです。

 もう少し詳しく言うと『君が○○という部門で○○の業務についてるのが想像できた』とか『ウチは○○のような人を相手にすることが多いが、そういう人と渡り合っている君の姿が浮かんだ』というような話です。

 この類の話を本当によく耳にするということは、多くの組織にとってこれは本音なのでしょう。これを採用の「決め手」と呼んでいいと思います。
 ということは
「決め手」って何なのかと言うと、採用側が普段働いている職場の「空気」と応募者の持っている「空気」が合っているということ、職場にいるスタッフと似ている人、類似性のある人を採っている、そういうことになるんじゃないでしょうか
 もちろん、どんな組織でも多様な人材を欲しています。しかし、その多様さには一定の限界があるのではないでしょうか。
 たとえば、家族といえども父母子や兄弟姉妹の間で、性格や好みは様々、多様性があります。でも、品格とか、考え方の方向性とか、どこか似ている部分が有るのも事実でしょう。

 ということは、
採用の「決め手」とは応募者に家族的類似性あるかないか、になるんじゃないでしょうか。


引用ここまで

先日広島では「障害者合同面接会」が開催されました。
毎年多数の企業が参加し、そこに多くの障がい者、とりわけ精神障害や発達障がいを抱える人たちが参加するのですが、これで決まるケースは参加者の2割に満たない、と言われています。
私は2013年に参加し、2015年にも参加しました。2013年は全社不採用。
ところが、2015年は意外な展開になりました。私も2013年の例があったので、「どうせだめに決まっている」と思い、いくつか履歴書と職務経歴書を用意し、参加してみたら…
とあるブースで「このようなイベントがあるのですが…」と声をかけられました。
それが
夢FESTA2015
でした。
私は面接後この会社に電話をかけ、バルーンアーティストだったという正体を明らかにしたうえで「一次選考に通過した場合、イベントに協力したい」旨申し出ました。
結局一次選考を通過したのはこの会社だけだったのですが、私は公約を果たすべくこのイベントに協力しました。結果はそのまま採用となり、私はこの会社に入社することになりました。

結局、採用の「決め手」とは応募者に家族的類似性あるかないか、というのが私も実感した結論でした。

前述のソウスの続き
そうなると、早々に内定を決める人と何ヶ月もかかる人との差は、自分と家族的類似性をもつ組織に出会えたのが単に早かったか遅かったかだけの違い、と言えるのではないでしょうか。
 そう考えると実際に説明が通る現象がいくつかありますが、それは別の記事に譲ります。

 さて、このブログはあくまで、現実的にどう動くのか、実際にどんな言葉を発すれば効果があるのか、それらを追求するのが趣旨です。以上のことを踏まえて、あなたはどうすればよいのでしょう。
 2つのうちどちらかでしょう。
 ひとつは、
あなたと家族的類似性のある組織を探し、そういうところばかり応募する。
 もうひとつは、どうしても内定を獲りたい組織がある場合、そこのスタッフと「同じ匂い」をもつよう、今から無理やりにでも家族的類似性を身につける。

 前者の場合、やはり「仕事のリアル」を感じるべく、職場・現場に何度か足を運ぶということになるでしょう。応募先全てに何度も足を運ぶのは現実的ではありませんが、少なくともあなたの方から「自分と同じ匂いがする」ということを、家族的類似性を、そういった相性を感じる可能性が予想されるのなら、そういう組織に絞って、その自分の「嗅覚」が正しいかどうかを確かめに、見学に行っても良いでしょう。

 後者の場合は、志望先から何人かモデル社員を見つけて、その人の言動を今から身につけるのが良いでしょう。モデルは、パンフレット・HP・OB/OG訪問・そのOB/OGの紹介、などで見つけられると思います。複数見つけたら、その人たちが普段どんな考え方をし、何に気をつけてどんな発言・行動を取っているのかメモして、後はあなたの日常生活の中で可能な限り、マネをしてみることです。

 そして、そんなマメな努力そのものが採用の「決め手」になるんじゃないでしょうか。



「同類は惹かれ合うもの、同じ匂いを身にまとえ」

一年近くこの会社に勤務して、この言葉の意味が分かるような気がします。
こんなこと、就労移行支援事業所で指導していますか?
「面接は時の運…」とかほざいている就労移行支援事業所のエリアリーダーがいましたが、「時の運」の真実はこれなのです。
そこまで踏み込んだ就労移行支援ができていますか?

私はこれまで、ここまで踏み込んだ就職活動指導をしている就労移行支援施設を見ていません。
そしてそこまで踏み込んだ就職先開拓も、就労後の定着支援も見ていませんし、体験していません。
これが障がい者雇用の就労移行支援の現実なのです。
本当に就職実績や定着率を上げたいのなら、そこまで踏み込む必要があると思います。

最後に、「年に一度の大勝負」とは
夢FESTA2016
のことです。

2016年9月24日土曜日

ここ数日思うところ…やっぱり私は風船が好き

こんばんは。
ようやく午後6時で「こんばんは」になりました…が、まだまだアツイです。気温の高さもそうですが、それ以上にカープが…クライマックスシリーズ、どうなるのでしょうか?今日の安定した戦いぶりを見ていると、安心できそうですが、相手はベイスターズ・ジャイアンツどっちが来ても曲者。

そんな日々ですが、今日はとあるところでセミナーと交流会。
同じ障害に苦しむ人たちが日々思うところを話し合う座談会だったのですが…ちょっとしゃべりすぎたかな…反省。
しかし、人の話を聞いていて勉強になりました。
私と反対に、同じ障害に苦しむ人たちを見ていると、特に子供たちを見ていると、一緒に落ち込む、という人がいること。
私はどちらかというと、
好きなことを見つけて障がいを乗り越えよう
というタイプ。しかしそれが逆に…という人もいるようで、
先日のあの事件の犯人の気持ちが分からないでもない
という声も…

私は小さいとき、自閉症で、言葉がしゃべれなかった。幼稚園に入ることができず、就学猶予の可能性があるといわれた。それを舌の手術で克服したと両親は思い込んでいたが、実際はそうではなかった。今なら舌の手術ではなく乳幼児から通える児童デイサービスでの中長期的療育で対応するケースである。それも比較的軽度の発達障害を対象にしたところに通うのがベストなケースになる。
児童デイサービスは軽度から重度まで幅広いラインナップをそろえているところが良い。軽度なら選択肢も多い。(重度はまだ少ない)
それを治ったと思ってそのままにしていくと、社会に出たところでつまずくようになる。今では大学でも旧帝大を含めてサポート体制が行き届いているところが多く、大学生向けの就労移行支援サポートを行っているところもあるという。
昔と違い、今ではこのように成人期に至るまでサポートが行き届いている。

しかるに、サポートが行き届かない分野がある。
恋愛である。
最近、
カサンドラ症候群
という言葉をよく耳にする。発達障害、特にアスペルガー症候群の人の配偶者が鬱を発症することを指している。離婚に至るケースも多い。
アスペルガーが強く、他にADHDや強迫性障害、さらにはアダルトチルドレン、そして完全主義など様々な要素をはらむ発達障害の場合、生涯独身を貫いた方がよいケースもある。配偶者が鬱を発症してカサンドラ症候群に陥るほか、このような人は親がいわゆる「毒親」、それもノイローゼ型の毒親のことが多々あり、その結果子供に対して行き過ぎた「躾」をしてしまい、暴力や虐待に及び、最悪殺人行為にまで及ぶことがある。
このような発達障害は大半が知能障害を伴わないので、見過ごされがちになるのだが、もしこのような障害があると自覚した場合は、お見合いパーティーや結婚紹介所に行っても無駄である。無駄なエネルギーを費やすだけなので、早急に恋愛戦線からの撤退を勧める。私はそう判断して、すでに生涯独身のライフプランを立てている。
結婚不能状態にあると判定した自分が、他人の結婚式の演出を手掛けるというのも、考えてみれば妙な話なのだが、逆に私の場合は割り切っているので、何とも思わない。それどころか、好んでどんどん手がけている。取引先も理解していただいているところが多い。結婚したところでパートナーがカサンドラ症候群に陥り、離婚に至ってしまうと、慰謝料の問題、さらには子供がいた場合はその子供の親権など、大変な問題が山積することになり、目も当てられない。
私が幸せになれない分、私が生命を膨らませた風船で、幸せになっていただきたい…
という気持ちがあるのが正直なところなのである。

そういう私は、今
発達障害や自閉症に苦しむ子供たちやその親御さん、それにひきこもりやニートになってしまっている若者たちが元気が出るような本を作成している。
小学生の子供たちも読めるよう、全文ひらがなで書いてある。















今細かいところの手直しを行っているところで、来月には配布を開始します。

自分ができないことを他人のためにしてあげるとは、何ともしがたいが、それでも割り切ることができるのは、
それだけ風船が好きだから
に他ならない。

バルーン業界というところはキラキラピカピカした人たちの集まりで、私のように翳があるような人は隅に追いやられるふしがある。そのような私が、バルーン業界以外からみると
すごい!やばい!
を連発されるほどの評価を受けている。
この落差、いったい何なのだろうか?
といつも疑問に思っている。ただ一つ言わせていただくと、
原点を忘れてはいないか?
ということである。ツイストバルーンのレベルはとにかく高く、これが風船で作られているのか、ということに対しての驚きが先行してしまっている。それだけならいいのだが、技術の独り歩き…を私は危惧している。そしてありとあらゆる分野で高い能力が求められ、しかもその偏りがないことが要求されるという
桶の理論
の世界になってしまっているのが今のバルーン業界の現状である。コミュニケーション能力から手先の器用さまで、高いところでまんべんなくそろうことが要求されている。一つでも欠けると私のように低く評価されてしまう現実…ましてや私の場合先天的なところに原因がある…

だから私は一度引退を余儀なくされた。

むしろ私はそういう厳しいところでやれるだけのことをやってきたゆえ、
夢を見つけることの大切さ
を説くことができる。とりわけ同じ障害に苦しむ人たちにとって、さらに自信を失ってニートやひきこもりになっている若者たちにとって。

2016年8月11日木曜日

ブログに書くことがない…と思いつつ

こんにちは。
今月に入ってからというもの、ご無沙汰になっています。

JBAN Conventionに、5年ぶりに正式参加しました。
2年前、バルーン業界の今を知る目的で様子を見に行った際、「この業界はどうなるのか」と危惧を抱きましたが、やはり業界全体が危機感を感じていたようで、落ち着くべきところに落ち着きつつあるような印象がし、私も安心しました。
そして実感したのは
「道は機能している」
ということ。
道なき道を切り開いた2000年代前半とは異なる様相になっていました。今や一つの「産業」「文化」です。
あとはさらなる市場の拡大と、新たなる分野の開拓でしょう。

JBAN Conventionの開催中に、地元のコミュニティfmが取材に訪れました。私はJBANの方にいて、はるかかなたの東京にいたのですが、ユーストリームで放送を聴くことができました。
今回東京で意識していたのが「会社の看板を背負う」こと。今勤務している会社のユニフォームを着て東京の街を歩き回っていました。JBAN Conventionもそのユニフォームで参加していました。
これを「社畜」とさげすむようなら、その人の心を疑いたいです。
なぜ地元広島から遠く離れた東京でかかる所業に及んだのか…今私が勤務している会社に対して、今私が携わっていることに対して、誇りを持っているからなのです。というか、
バルーンと福祉の融合
とりわけ、障がい者就労の現実と目指すべきところのギャップが大きすぎる、といっても過言ではないのです。

障がい者雇用の大半は、一般事務であったり、倉庫作業であったり、あるいは生産現場のライン作業であったりします。そこに働き甲斐があるのか…という現実に遭遇するケースもあります。
そういう中で生きていくために、就労移行の訓練があったりするのですが、私は一時期、ひたすら型にはまる訓練を自ら欲していた時期がありました。自分らしさをすべて捨て去り、全く違うまっさらな人間に生まれ変わろうと試みた時期がありました…が、それはできませんでした。

今でもふと思うのですが、もしあの時そのままひたすら型にはまる訓練を自らに課し続けていたら、今頃どうなっていたのだろうか…と考えます。
これが成功して、ただただロボットみたいに言われるがままに働く生き方をするのもまた人生だと思います。何の生きがいもなく、ただただ日々を過ごす…「暮らす」だけに生きる、そういう人生を選んでいたに違いありません。

そういう無味乾燥な、何の楽しみも生きがいもない人生もよかったかな、と思う時がたまにあります。
なぜなら、プレッシャーに押しつぶされることがないから。

でも、デメリットの方が多そうです…
生きがいのない人の特徴7つ

そういうただただつまらなく、無味乾燥な人生を私は送っていた可能性がありました。

私は風船と出会ったおかげで、そういう人生を送らずに済みました。
結局、再就職活動で決め手になったのはバルーンの実績でした。
そして今の会社でもバルーンを続けていて、さらに障がい者就労と結び付けるという、またしても道なきところに道を創る日々が続いている…

何だか今日は取り留めのない記事になりました。
そういえば先週の今頃は、私にとっては5年ぶりのJBAN Conventionのファイナルパーティーが始まろうとしていたころでした。
無味乾燥な人生を送りたい、と考えていたころから見れば、まさかあの場所に戻ることができるとは…
夢にも思っていませんでした。

今でもこのような作品を創れるのですから、私が創り上げてきたものがいかに大きく、手放すべきものでなかったのかが…

今日は夏というより、初秋の乾いた暑さでした。ふと空を見るとこのような作品が作りたくなりました。全部私が創り上げた感動の瞬間で構成したコラージュです。







2016年7月17日日曜日

親は何を望んで子供をレールに乗せたがるのか?

こんばんは。

久しぶりに親の問題をこのブログでとりあげます。

オヤカク
という言葉が就活用語になってしまっている現状があります。
その背景で起きている問題に焦点を当てたサイトを見つけました。

親とお金で考える就職活動
このサイトによれば、親の過干渉で新卒就活に失敗した事例が複数掲載されています。
子供を自立させるはずが、子供の自立を阻み、子供の人生を狂わせる親の多いこと多いこと。

私の母親もこの類です。
というより、20年ほど前にこのような親は問題になっていたでしょうか…いなかったはずです。

福祉を家族だけに任せ切るような、儒教に頼った社会を日本の一部の政治家たちは指向しています。
ソウス
韓国に老人福祉法という法律がありますが、今でもその第3条には「国家と国民は敬老孝親の美風良俗にともなう健全な家族制度が、維持・発展するように努力しなければならない」というふうに規定されていて、要するに老人の扶養の最終的責任は、あくまで家族制度にあるのだと明言されています。政府はそうした家族制度が壊れないように努めるけれど、家族に福祉の責任を押し付けるということです。韓国のように資源のない社会が急速に発展しようと思えば、福祉はどうしても後回しになります。その時に都合が良かったのが、儒教という伝統なわけです。
日本にも儒教的伝統があるのですが、韓国の儒教との大きな違いが親孝行の「孝」という概念です。中国や韓国におけるそれは、日本人の考え方より広くて深いといえます。日本人にとっての孝というのは、生きている親を大事にするということに尽きると思うのですけれども、韓国人にとっての孝には大きくいって3つのレベルがあります。1つは、すでに亡くなっている祖先の霊を祀ること。2番目に生きている親を大事にすること。3番目に大事なのが、祖先から受け継いだ血統を伝えていくことです。つまり、子孫を残して、祖先を祀る連綿たる系譜を絶やさないようにすることです。これが儒教的な孝の概念で、日本人が想像する孝の概念よりも、宗教や生命観に近いものだといえます。
生きている人間だけじゃない、もうすでに死んでしまった祖先も、これから生まれてくる子孫も含めて、ずーっと永遠の生命の連鎖を絶やさないようにするということが儒教の本質にあります。どっちかというと日本の仏教に近いというか、ちなみに、日本の仏教の中には日本人が意識していないけど、本来の仏教とかけ離れた儒教的な要素がいっぱい入っています。現実には、韓国は近代化する中で、そういう伝統を置き去りにし、その代償の上に発展を築いてきたのですけれども、政府にとって都合の良いところだけこうやってつまみ食いをするわけです。

引用ここまで
このソウスには続きがあり、ひいては韓国における葬送文化の変化にまで話は及んでいるのだが、いずれにせよいえるのは韓国や中国では発達障害に対するケアがかなり立ち遅れているどころか、自己責任論の一環に組み込まれ、「棄民」の対象になり、最後は家族が面倒を見るのが必須になっている現状があるということである。
またあるサイトで、九州の一部にいわゆる「毒親」が多いという話を見聞きしたことがある(私は父親・母親とも「毒親」の多い地域出身)が、これらの地域は中国や韓国とのつながりが古の昔から安土桃山時代にかけて強く、一部では鎖国されていた江戸時代でもつながりがあったとされている(薩摩藩と琉球の関係など…薩摩藩は琉球を通して、実質明→清とのつながりがあった)。
結局は儒教が幅を利かしていたわけだ。

この「儒教」の価値観が曲者と言わざるを得ません。
というか、時の為政者は儒教を都合のいいところだけつまみ食いする傾向があります。中国、韓国、そして日本…日本の場合、江戸幕府から今日に至るまで、儒教的価値観が幅を利かしています。
儒教と社会福祉の価値観は相反しているような気が私はしてならないのです
…就労した今でも、この疑問は残りました。確かに儒教を「活用」することによって、政治の負担は軽減されるのが事実ですが…このような現実があるから、「オヤカク」が就活用語になるのかもしれません。


2016年7月12日火曜日

根っこを鍛えるためには

こんばんは。

根っこを鍛えるためには、土から作らなければいけない。
土はどうやって作られるか。
幼児期からの親の教育が重要。
それも「正しい愛情」を注ぐ必要がある。

「間違った愛情」はダメ。
そればかりか、根っこがゆがんでしまい、思春期以降に重大な問題を引き起こす。
下関駅、秋葉原、荒川沖…で起きた事件。
これらは「間違った愛情」を注いだ結果、その人の根っこが修復不可能なレベルにまで歪んでしまった結果である。

生まれ持った「土の性質」もある。
ただ、幼児期は「正しい愛情」によって、土の性質を改善することができる。
ここで間違ったことをしてしまうと、土が「悪い化学反応」を起こして、「災害」を引き起こしやすい土地になる。あるいは「地耐力」が全くなかったり、ばらつきが生じたりしてしまうことになる。その結果、家では「不同沈下」を引き起こすなど、最悪せっかくのマイホームをただ同然で手放す事態まで起きている。

悲しいことに、私の両親はこのことに気が付かず、「誤った地盤改良」を私に結果的にしてしまった。というか、1970年代当時は伝えられていた方法が正しいとされていた。今はこの方法は誤りとされている。当時は「最善」とされた方法が誤りだったのだから、両親を責めることはできない。

それだけ「土」は重要なのである。

発達障害の可能性がある、と診断された場合、幼児期に「療育」を行うのが今では一般的だが、それが正しいのである。誤った盲信は後々「不同沈下」を引き起こすことになり、大量殺人犯から結婚不能まで、どのような結末になるのかはさまざまだが、子供が生涯苦しめられることになるのは間違いない。

2016年6月21日火曜日

極端思考の背景には何があるのか?

こんにちは。
西日本は豪雨…よりによって熊本が…
しかし今年の梅雨はこれからが本番だと私は思います。1982年の長崎、1983年の石見、1993年の鹿児島、そして記憶に新しいところでは2014年の広島…過去には博多祇園山笠開催中の福岡が水没寸前になったこともありました。

当然今日はJRのダイヤがぐちゃぐちゃになり、いったいいつになったら列車が来るのかわからない状態。今日がたまたま休みでよかったです…

さて、このような交通機関の遅れや天候によって、遅刻することがあります。普通ならこのような場合、早く家を出るのが鉄則ですが、更なる予期せぬトラブルが発生し、遅刻してしまうことがあります。
数年前、とある会社に勤務していた時、大雪で道路が凍結しました。私は午前6時に出る始発のバスに乗って会社へ向かったのですが…途中で事故が原因の立ち往生。しかも運が悪いことに私は一番後ろの座席に押し込まれていました。始発便の始発から数個先のバス停留所から乗っていたのですが、すでに満席。私が最後に着席し、それ以降の乗客は何時間もたたされる事態になり、挙句の果てには数個先のバス停から乗車不能になり、全部運転手が断りを入れていました…が、このバスが更なるトラブルに巻き込まれてしまったのです…
何が起きていたのかというと、バスの数台前で事故が起きていたのです…
このためバスは2時間以上動かなくなり、結局遅刻…「不可抗力」と判定され、遅刻はなかったことにされました。
ところが、これさえも「甘い」という考えがあります…

「上司が鬼とならねば部下は動かず」という本が2000年代初頭に出版され、ブームになりました。この本の著者が社員の心得をネット上で記述していたのを見かけました。それによると

イチローはどんな凡打でも全力疾走する。結果ゴロが内野安打になる。
職場では駆け足で行動せよ。
ゆっくり歩く人に対してイライラするようになったら一流社員になった証拠だ。
などなど…

染谷和巳著「仕事のプロになるための成功法則99」より抜粋

読んでいて頭の中が疑問符でいっぱいになりました。
というか、これを実践していたところがありました。
ほかならぬ、旧Y's Dreamだったのです。

一生に一度の結婚式、風船がしぼんでいた、では言い訳になりません。遅刻なんてもってのほかです。
4万円はたいて東京へ往復したり、ありえないようなスピードで高速道路を走って間に合わせたりということもしました。というか、このような事例は極端にしても、それに近い事例が日常と化していました。バルーン演出に失敗したら代金を返還する(=「返還欠場」)こともしていました。
このようなことが日常化していたら、いつかは何らかの形で破たんします。うつを発症したり、体の健康を損ねたり…ひどいと人命を失いかねません。このような企業を
ブラック企業
と世間は呼ぶのです。その点で、旧Y's Dreamは「ブラック企業」でした。結果、旧Y's Dreamは破たんしました。私が精神疾患を発症するという形で…

だったら、ストレス耐性を上げるという方法があるじゃないか、という反論もあります。しかしこれもどうでしょうか。性格や気質というものは、持って生まれたものや親の育て方(とりわけ幼少期)に大きく左右されます。そのような根幹にかかわるところで過ちを犯した親の子供がニートやひきこもりになってしまうのです。
先月北海道で父親が子供を「躾」と称して置き去りにして、その後6日間にわたって行方不明となる事件がありました。運よく自衛隊員に発見されたからよかったようなものの、子供の心に大きな傷を残した可能性があります。父親は取り返しのつかない大きな傷を子供に与えてしまったのです。
同じような目に実は私はあっています。当時私は幼少期でした。40年程前です。私もまた、父親に「躾」と称して山の中に置き去りにされました。また、その前には、北九州八幡に当時あった親族の家で「躾」と称して追い出され、数百メートル離れた神社に座り込み、深夜に及ぶ警察まで出動した大騒動も引き起こしています。こういう行き過ぎた「躾」の被害を受けた子供たちは、大人になってから大きな悪影響が出ることが多いです。
しかも、これはどのような現れ方をするかは、人それぞれなのです。「ワタミ」や「たかの友梨」のような従業員を部品扱いするような企業の経営者になったりするケースがあるかと思えば、無差別殺人犯になるケースもあります。いずれも親の厳しすぎる「躾」の結果だと思います。
「療育」という概念がなかった昭和の時代、自閉症や発達障害を厳しい「躾」で矯正しようとした結果、社会的に問題になるような事例が数多く見受けられるようになりました。しかも昔は厳しい「躾」で矯正するのが正しいとされていました。虐待の世代間連鎖とはこういうことを指すのです。

一方、イチローはいわゆるアスペルガー症候群ではないか、という説があります。だからこそ凡打でも全力疾走するし、ストイックに野球に打ち込めている、という見方があります。他にも以前AKBのリーダーだった高橋みなみさんが同じではないかといわれています。
アスペルガー症候群は自閉症の一つであり、これを「矯正」するのはよくない、というのが今の主流です。そのための「療育」なのです。

さらに言えば、イチローは指導者になるのは無理、と私は見ています。なぜなら彼のやり方は他の人に適用できません。そのイチローの哲学に学べ、というのがそもそも無理であり、間違いなのです。仮にイチローが指導者として成功するようなことがあったら、彼はアスペルガーだということが誤りになります。
間違ったやり方でリーダーシップを発揮しようとするとぐちゃぐちゃになり、最終的に破たんします。それは私が旧Y's Dreamで身をもって証明しています…

2016年5月29日日曜日

定着支援!何をすべきか?

こんにちは。

平成30年、すなわち再来年に、
就労定着支援事業所
の創設が法で定められる方向に向かっています。

最近、それをにらんだ動きが就労移行支援事業所の分野で活発化しています。ある就労移行支援事業所は実際一般就労している障がいのある人たちを集めて自由に悩みを打ち明けるイベントを開催し、今後定期的に開くことにしているそうです。またある就労移行支援事業所は出身者が集まって交流会を開き、こちらは年に1~2回程度アルコール持込みも認めてやはり定期的に開くことにするほか、サークル開設も予定しているそうです。いくつか参加しましたが、障がいを抱えて働く人たちが悩みを共有でき、お互い情報交換をして頑張ろうという気にさせるという点では共通しており、
職員と対等の立場で語り合う
という点でいずれもよい試みだと感じました。

いずれにせよいえることは
就労移行支援事業所で行われている、いわゆる「訓練」の枠に当てはめるべきではない
ということです。

どうしても就労移行支援事業所での職員と訓練生の関係は
職員が上、利用者は下
になりがちです。

就労移行支援事業所で行われていることは、社会生活を送るために必要な「訓練」であり、面接トレーニングなどです。中には厳しいトレーニングを行っているところもあります。ですからどうしても職員が上から目線になりがちなのですが、定着支援では本来これをやってはいけません。それを厚生労働省はやれ数値目標だなどとやるからおかしくなり、かえって定着率が悪くなるようなところも出てしまうのです。どうも役所のやることはピントがずれているような気がしてなりません。現場を見ずに資料分析だけして会議室で物事を決めてしまうからこのようなことになるのでしょう。

本当に定着支援が必要なのは就労移行支援事業所を利用せずに一般就労した人たちではないでしょうか。あるいは出身の就労移行支援事業所が的外れの定着支援を行っている場合に限られます。社会人同士ですから、上から目線はよくないです。そのような就労定着支援に意味はありません。
いずれにせよ、定着支援強化の方向に政策が向かった以上、
就職実績×××人!
というようなまるで大学受験予備校か学習塾のような広告表現は、もはや意味がないと私は考えます。このような宣伝方法を打ったところは、軒並み方針の見直しを迫られ、実際見直して本来あるべき姿に戻ったところもあります。

ただ、少子化に苦しむ学習塾業界に、就労移行支援事業所開設を勧めるような論調の学習塾業界紙の記事が存在するのも事実ですが…

2016年5月21日土曜日

暇な休日に思う

こんにちは。

正直休日にすることがないという状況がゴールデンウィークが終わってからというもの、続いています。
この先8月にはJBAN Conventionがあり、有給休暇を取って上京するつもりです。
ここ数年参加できなかったイベントで、今年は久しぶりに参加したいなあ、と思っています。
そのため支出を抑える必要があり、無駄遣いができないというのが現実なのです。

その前には地元開催のツイスターズ2016もあります。

8年前のやはり地元開催の時は、バルーンの文化自体がまだまだ発展途上にあり、自分は率先して道を作る側でした。それから8年、バルーンの文化は完全に発展し、当時とは様子が様変わりしました。
この8年の間にはいろいろな出来事がありました。
5年前、東日本大震災
3年前、ヘリウムガス払底

その間に、バルーンの果たす役目も、立ち位置も、そしてバルーン業界の流れも大きく変わり、私は「自分の役目はもう終わった」と引退しました。
ところが、福祉の分野、特に障がい者就労の分野でバルーンの経験が生きると分かり、私はその分野に特化する形で活動再開を模索、結果昨年の今頃から活動を再開する形になりました。

感動を作り出すことがそれ自身、障がい者、特に精神障害や発達障害、さらに引きこもりやニートに苦しむ人たちに自信を身に着けさせることができるのでは、という観点から、今私は再びバルーンに取り組んでいるのです。

現役時代、私は「どこにもない感動を追い求めて」いました。数多くの感動の瞬間を創りだしてきました。…が、かなりの無理をしていたのは事実でした。結果、精神的にも経営的にも破綻をきたし、引退したのです。
あのまま続けることは、ヘリウムガス払底という事態に直面した以上、無理の一言に尽きたに違いありません。

一方で、勉強しなければいけないことも数多くあります。
来週はこのようなイベントもあります。
はたらくピア広島

先日は以前通っていた就労移行支援施設に顔を出す機会がありました。

精神障害・発達障害に苦しむ人たちの職場定着率は低いのが現状で、これを向上させるべく、
就労定着支援事業所
なるものを創設する動きがあるようです。さらに
定着率が低い就労移行支援事業所は、報酬を減らす
方向に向かっているようです。
今私は、就労定着支援事業所についてのリサーチを行っています。しかし、これに対して私は疑問を抱いています。
何も新設するのではなく、既存の就労移行支援事業所や就労継続支援事業所(AB問わない)が定着支援を強化すればいいのではないか?

このところの一連の就労移行支援関連の動きをみると、就労後のアフターサービス、すなわち定着支援を強化しようという動きが強く感じられます。何だか車や家電製品と同じで、
やりっぱなしではだめ
というような感じです。
家電でいえば、エ○ィ○ンやケ○○デンキみたいなやり方でないといけないのでしょう。地元が牙城のエ○ィ○ンはデオデオさらには第一産業の昔からアフターサービスに定評がありました。ミドリ電化も「アフターのミドリ」で有名でしたし。ヤ×ダのようなことをやっていてはダメ、ということになります。事実ヤ×ダにかつての勢いはありません。ベ△ト電器は中途半端で、結局…。(鹿児島ではベ△トが一夜にしてエ○ィ○ンに化けるという事態も起きているという。カ□イエレクトロという地元の老舗家電販売会社がヤ×ダのやり方を嫌ったためにこうなったとか…老舗家電販売会社は軒並みエ○ィ○ンかケ○○デンキのどちらかに合流している)


家電の話はともかく(Y's Dreamは「第一家庭電器」と同じ運命をたどった…)、いかにして障害者雇用、とりわけ精神・発達の各障がいの理解を得る必要があるか、というのが重要なテーマだと思います。

少しずつバルーンショップらしくなっています。が、これも障がい者の社会進出への取り組みの一環です。

2016年3月1日火曜日

「目的と手段の混同」が諸悪の根源!

こんばんは。

このところブログの更新が途絶えていました。
今、私は自分が勤務する会社が今後も発展していくために何をしていくべきか、会社と従業員が共に成長し合える会社作りには何が必要か、というテーマに仕事として取り組んでいて、そのため連日多忙です。
その中で「反面教師」にしなければいけない事例にいくつか接しました。

今月3月はそのテーマを軸に複数回ブログとして記事にすることにしました。
「職場の教養」という本があります。これは働くにあたっての心構えを説く本で、あくまでも「手段」です。詳しい内容は「職場の教養」で検索してください。検索すれば分かる通り、一種の道徳本です。「何のために働くのか」を認識させるための本です。
ところが、これが「職場の強要」と一部で揶揄されています。理由は簡単で、これが「独り歩き」し、「活力朝礼」だの「朝礼コンテスト」だのというものが存在し、それ自体が目的と化しているのです。これは明らかな
目的と手段の混同
と言わざるを得ません。

また、仕事の基本はいわゆる5Sです。
整理整頓清潔清掃
躾のみ赤文字で強調しました。
これには理由があります…このシリーズで取り上げますが、今日は別の問題を取り上げるので、機会を改めます。

先日、私は以前勤務していたバス会社の職場を訪れる機会がありました。
その時びっくりしたのが
変化の推移

私が勤務していた当時、若干荒れていたとはいえ、ある程度整理はされていました。かれこれ18年前、1998年ごろのことです。
私が退職した後、職場はリストラの嵐が吹き荒れたこともあり、荒廃が進みました。そして…
会社の倉庫は
化け物屋敷
と化してしまいました。

私が精神疾患に苦しみ、バルーンからいかにして足を洗うか模索していた2013年ごろ、このバス会社はとある会社の経営指導を受けていました。その会社がとった指導は
徹底した整理整頓
でした。

これが手段のうちは問題ありませんが、いつの間にか
目的と化してしまいました。

本来起きてはならない
手段と目的の混同
が起きてしまっていたのです…

こうなると
ブラック企業へまっしぐら
です。

その決して犯してはならない過ち
「目的と手段の混同」

かくいう私も犯していたのです…
早い話、旧Y's Dreamもまた
目的と手段を混同していたのです!


私は以前勤務していた職場で、あるものを目にしました。
その時、私は
この会社に見切りをつけてよかった
と率直に思いました。

聞いた話、一連の流れの中で、複数の当時の仲間たちがこのバス会社に見切りをつけたそうです。
このバス会社は私が退職した数年後に希望退職者を募り、その後、会社分割をしています。規制緩和というバス業界を襲った荒波に対応するために会社分割をしたようですが、その後も苦戦が続き、縮小均衡を続けたようです。そして起死回生の裏技としてこのような経営に走ったと私は考えます…

が、まさかその後にもう一段階あるとは…

旧Y's Dreamも過去のものとなり、新たな段階に進んでいるくらい時は過ぎ去っているとはいえ、あまりの変化に私も愕然としてしまいました…

2016年2月20日土曜日

就労移行支援と就労継続支援が目指すそれぞれの方向性

こんにちは。
やはり更新頻度が落ちてしまいます…
こうも忙しいと。

仕事はスピードが勝負です。
旧Y's Dreamの時代から続いています。
だから忙しくなるのですが…

春に向けていろいろな案件が動き始めています。
1月から2月はその準備の時期で、ここをしっかりとしておかないと惰性で1年を過ごしてしまいかねません。

というわけで本題です。
先日私はとある就労移行支援事業所を訪問しました。
この就労移行支援事業所のフェイスブックを見て、「ここは厳しい訓練をしているようだ」「一度しっかり見ておきたい」と思い、事前にアポを取って訪問させていただきました。
行ってみて、事業所の訓練内容などの説明を受けた後、昼礼を見学させていただきました。注目すべきは「職場の教養」を昼礼に取り入れていること。これはそこで働く従業員に社会人としての意識の向上を図るために「倫理研究所」なる一般社団法人が発行している小冊子なのですが、これが賛否両論なのです。一部では「活力朝礼」なるものに取り入れられ、社員の意思統一が図られている一方、「職場の強要」などと揶揄され、ブラック企業を生み出すツールとして活用されているのではないかという意見も聞きます。
しかし、私から言わせていただくと、これを毎日読んで、みんなの前で感想を発表すること自体、訓練の一環とするのはありだと考えます。と言いますのも、この就労移行支援事業所は、
今まで私が見てきた中で一番厳しい就労移行支援事業所
だと思います。全国展開する就労移行支援大手でも、このようなことはしていません。おそらく全国でも屈指の厳しい就労移行支援事業所ではないでしょうか。訓練内容も
そこまでやるか
というようなものもあります。
しかし、そこまでやることによって、
企業が求める「人財」になれる
のです。

今まで私が見てきた就労移行支援事業所は、
社会人基礎力を身に着け、社会人として働く
ことに重点が置かれていたところが多かったのです。しかし、この就労移行支援事業所は
企業人、組織人として働くための能力を身に着ける
ことに特化しています。ここは一時期このブログで述べ続けていた
バスに乗せていただけるような「その企業にとって財産になるような人」を育成する
就労移行支援事業所だと実感しました。このような就労移行支援事業所は目指すべき方向性の一つであり、その方向性が徹底しているような印象がしました。
この方向性を目指す就労移行支援なら、ここくらい徹底するべきでしょう。ここを出たら、どのようなブラック企業でも定着できそうな気がするほど、徹底した企業人養成の場になっていました。この方向性を目指そうとして中途半端なことをしている就労移行支援事業所が多すぎるような気がしてならないのです、私には。

他方、もう一つの方向性があります。
それは
成功体験を身に着ける
場としての就労支援です。これはむしろ就労継続支援が目指すべき方向性であります。

私は長年バルーンデコレーターとしてやってきました。
その経験を通して、数多くの体験をしてきました。
突き抜けるような天にも舞い上がるほどの成功体験から、地を這う悔しさにまみれた失敗体験まで…
この経験それぞれが貴重であり、そのような経験をしていないからこそ、惰性で生きるようになり、結果ニートやひきこもりになってしまうのです。そしてその背景には発達障害がある場合も多いです。
そういう経験を積ませて、社会人基礎力を身に着け、社会人として働くための力を身に着ける方法もあります。というより、ほとんど成功体験を身に着けていない人たちには、こちらの方がよいと私は考えます。
成功体験を味わうことによって身につくものが
自信
なのです。その自信を身に着けるための訓練にバルーンを活用するのが私のこれからの仕事なのです。
制作した作品で人を笑顔にすることができる、これも立派な成功体験なのです。

自信を身に着けた後、直接就活するという選択もあれば、会社の中で働くためにもっと勉強したい、という人も出てくるに違いありません。進路は一人一人違って当然で、その人に会ったキャリアプランを作らなくてはいけません。その際に必要となるのが前述のような厳しい訓練を行う就労移行支援事業所なのです。

だからこそ、就労移行支援事業所や就労継続支援事業所を選ぶ際は、しっかりとした吟味が必要なのです。そこに通うのが苦痛になるという状況が一番避けなければならないことなのです。

2016年2月11日木曜日

もらい事故に思う

こんにちは。
このところ非常に多忙で、かつ就労支援とバルーンの融合の話が着々と進みつつあります。
それはいいことなのですが、連日帰るのが定時より遅くなっています。
そのため今の季節、一番危ない日暮れ時が帰宅時間と重なります。

こういう時は車の運転には細心の注意を払わなければならないのですが、どれだけ細心の注意を払っていても避けることのできない事故があります。信号待ちや渋滞の最後尾などで追突される、いわゆる「もらい事故」です。
このような事故は避けられない…と思われがちなのですが、実は避ける方法があるらしいのです。その方法が
心がけ
なのだそうです。

「文句が多い」
「いつも誰かあるいは何かのせいにしている」
「いつも怒っているように見える」
人は、事故を起こす以上に、事故に巻き込まれる率が高くなると、とあるブログに書いていました。

かつての自分に当てはめてみます。
「文句が多い」=結構当てはまります。これは今も当てはまります。
「いつも誰かあるいは何かのせいにしている」=これは全く当てはまりませんでした。というかむしろ逆で、自分を常に責めていました。
「いつも怒っているように見える」=これはかなり当てはまっていました。が今はこれは当てはまりません。

5年前、2011年ごろは本当にいろいろな「災難」に巻き込まれていました。
東日本大震災の間接被災(制作した「くす玉バルーン」が津波にのみこまれた、当時の取引先は跡形もなく津波ですべてを失った、全員避難できたのが不幸中の幸い)に始まり、ヘリウムガス落下事故による骨折、挙句の果ては鹿に車が体当たりされる始末…。
今にして思えば、破たんへの序曲だったのかもしれません。

その当時を思い出すと…
とにかく必死の一言で、毎日が戦争のようでした。心に余裕がない状態でした。
そして「もっと上へ」などと、ひたすら上昇志向で、自分を極限に追い込んでいるような感じでした。そうでもしないと生き残れないという危機感がありました。とりわけ震災以降は、ブライダル市場やバルーン市場の激変についていくのが精いっぱいの状態だったと、今では思います。

このようなことを続けていてはいつかは破たんします。

自分の利益、自分の欲求を軸に情熱と勢いで結果に繋がったのは一昔前です。というか、旧Y's Dreamは、情熱と勢いで突っ走っていました。だからあれだけの作品をつくることができたのですが、時代が変わってしまったのです。

他方、私の母親は運やツキを極端に重視する人でした。父親もどちらかといえば重視していました。
これらを極端に重視する子育てをすると、反動で子供が自分で自分を追い込むようになる危険があります。そうなると
常に誰かあるいは何かのせいにする人よりたちが悪くなってしまいます。
完全主義者になってしまいます。
結果
精神障害を引き起こす危険が高くなります。
ましてや、自閉症や発達障害の子供にこのような子育てをすると、人格障害者になる危険が非常に高くなります。そのような子供が親殺しに走ったり、ひどいと社会を震撼させる凶悪犯罪を惹き起こしたりするのです。あるいは自殺をしてしまうのです。

今回の「もらい事故」の話に戻すと、相手がかなり追いつめられていた状況にあった感じがしてきました。
相手の勤務先は某大手保険会社。入社2年目。卒業大学は大都市圏の有名私大と推測できました。
大都市圏の大学出身=学生時代はペーパードライバー。東京・大阪・福岡では、公共交通機関ですべてが事足りる(名古屋は例外)。
入社2年目=まだまだ新人だが、今では新人もすぐに結果を求められる傾向にある。かなりのプレッシャーになっている状態が推測される。
このような状況から、相手の心にかなり余裕がないことが考えられ、加えて運転技術が未熟。その結果起こした事故と考えられます。
事故を起こした相手には私はその場は厳しく接しました。実況見分が終わった後、私は直ちに病院に行き、異常がないか確認しました。結果異常がなかったのですが、相手にはその旨は現時点では知らせていません。青信号だったものの前方渋滞で発進後ただちに停止せざるを得ない状況にあった私の車に追突してきたので、明らかな相手の前方不注意です。相手は当然平謝り、相手の車は大手保険会社の営業車。これで私の方に過失があるといわれたのなら、この某大手保険会社の見識と信用を疑い、その会社の本質(大手と言えどブラック…○芝が典型例)を見てしまうことになります…下手な芝居はできないはずです。

というか、私自身が変わったことを実感しました。
「自分を責め続ける」ことや「いつも怒っているように見える」状況にないのです。いま勤務している会社からは「いつも笑顔で会社を明るくしている」と評価されるまでになっています。
いま勤務している会社が「バルーン業務を勤務に取り込む」という決断を下していただいたからこのような状況になっているのですが、これはある意味英断でしょう。というか、相手の状況が理解できるようになったのです…

それもこれも、どん底を経験して、自分にひたすら向き合ったからわかることなのかもしれません…

2016年1月24日日曜日

達成感を味わさせるのが私の仕事…のはず

こんにちは。
西日本は大寒波。
高速道路は山口より西は閉鎖。
一方広島県でも、可部より奥へはいけない状態。
吉和・豊平・大朝などは封鎖状態です(公共交通機関も止まってしまっているため)。

かろうじて新幹線など鉄道系だけが動いている状態です…

アメダスを見ると氷点下。
今夜が一番ひどいらしい。
明日はどういうことになっているのか…

そんな中、男子駅伝が開催される予定の広島市は、積雪なし。
肩すかし状態ですが…
結局男子駅伝は予定通り開催されました。

私は3年ぶりに沿道で観戦しました。
今回は宮島口で観戦しましたが…寒かった。

2011年の大朝の豪雪の様子はこちら…あまりのひどさに避難しましたが、避難先で…
2013年の男子駅伝観戦記はこちら…とんでもない大アクシデントが…

九州および山口はごく一部を除いて大混乱の模様。
広島県も北広島町をはじめ、大混乱の模様。
にもかかわらず広島~宮島~岩国だけはセーフ。

というわけで長い前置きはここまで。
ここからが今日の本題です。

今、本業の仕事で、就労継続支援B型と就労移行支援の在り方について悩んでいます。
まず就労継続支援の定義ですが、A型とB型があります。A型は雇用契約を結ぶのに対し、B型は雇用契約を結ばないという違いがあります。この結果、生活をするのに十分な給与がB型では得られないという問題がある一方、A型では営利追求と利用者の管理の両立が難しく、職員に過重な負担を強いるケースや利用者を危険にさらすようなケースが散見されています。
他方、就労移行支援では、一部で「就職予備校化」の様相を呈しています。訓練プログラムに問題があるようなところも多々あると聞きます。
さらに私が気にしているのが、利用期間の問題です。就労移行支援は一生涯のうち2年しか使えません。その2年のうちに一般就労ができなかったら、容赦なく就労継続支援に移ることを求められます。このため数字稼ぎに走るところも多く、結果「就職予備校化」につながっています。他方、就労継続支援はいつまでも利用できます。結果、障碍者年金と相まって、就労への意識が低下してしまうことに結びついているのかもしれません。
現状、精神・発達障碍者への国民年金の審査は厳しくなる傾向にあります。最初2級と判定された人が、更新の際に3級と判定され、障碍者年金の支給が停止されるケースも見られるようになりました。社会保障費の伸びを抑えるために厚生労働省の役人はあの手この手を考えています。
加えて保守化の流れによって「家族の役割強化」を志向しているといわれ、戦前における家、すなわち「イエ」の在り方に戻ろうという流れになっています。ところがこれは私自身も直面したように、画一的な家族関係を求めようとした結果もたらされる親子間の問題を引き起こしかねず、そのような問題に苦しめられている人たちを孤立させ、悪循環になってしまいます。

そのような問題に直面した私ができることといえば、
風船で人を幸せにする経験を多くの同じような障害に苦しむ人たちに味わさせ、その経験を自信に結び付けさせる
ということだと信じています。
ここ数か月述べ続けている
たくさんのくす玉をはじけさせた私として、同じ障害に苦しむ人たちの心の中にくす玉の種を植え、その種を大輪の花として開花させる手助けをする
ということは、こういうことなのです。

2016年1月10日日曜日

当事者としてできること

こんばんは。
まず以下のことを踏まえてこの記事をアップします。

私は、発達障害を抱えている当事者です。
同時に、発達障害に苦しむ人たちに一般就労の道を切り開こうとしている支援者でもあります。

さて、昨日1月9日から今日1月10日にかけて、障がい者の一般就労に取り組む当事者と支援者が参加するイベント「きらり広島2016」が開催されました。
以前このイベントが開催される、という話をとあるところで耳にしてはいたのですが、日々の仕事の忙しさからすっかりこのイベントのことを忘れてしまっていました。
そして気が付いたのは1月9日の夜…フェイスブックをチェックしていて「しまった!」と大声を上げてしまいました。
何しろ昨日1月9日は細道で離合失敗をして車をこするわ、こすった車のバンパーにDIYで補修できる車の塗料を塗ったら車の中にシンナーの臭いが充満、一時的に中毒状態になりぼーっとしてしまい、青信号に気づかずに後ろの車からドアを強引に開けられ、あわや警察沙汰になるわ、散々な一日でした。

そして迎えた今日。
旧Y's Dreamから移管した結婚式場でのスパークバルーンシャワー。
約200個の風船が舞う、感動の瞬間…この瞬間こそ「AWESOME!」と呼ぶにふさわしい感動の瞬間なのですが、終了後新郎新婦様もゲストの皆様も持ち帰らなかった風船は回収されます。
その回収された風船をこの「きらり広島2016」に持参しました。

吹き抜けから風船を降らせたのですが…

演出の内容よりも
上から風船を降らせるというサプライズを実施したことに対して感動の声が相次ぎました。
もう一度書きます。
私は発達障害の当事者です。
そして今、就労先で障碍者福祉とエンターテイメントの融合に取り組んでいます。

演出そのものはうまくいったとは到底言えません。
何しろいくつか残ってしまいました…
しかし、そうやって一瞬の驚きをいつまでも心に残る感動という形にする、そういう想いがその場にいた皆さんに通じたのだけは確かでした。