2016年8月11日木曜日

ブログに書くことがない…と思いつつ

こんにちは。
今月に入ってからというもの、ご無沙汰になっています。

JBAN Conventionに、5年ぶりに正式参加しました。
2年前、バルーン業界の今を知る目的で様子を見に行った際、「この業界はどうなるのか」と危惧を抱きましたが、やはり業界全体が危機感を感じていたようで、落ち着くべきところに落ち着きつつあるような印象がし、私も安心しました。
そして実感したのは
「道は機能している」
ということ。
道なき道を切り開いた2000年代前半とは異なる様相になっていました。今や一つの「産業」「文化」です。
あとはさらなる市場の拡大と、新たなる分野の開拓でしょう。

JBAN Conventionの開催中に、地元のコミュニティfmが取材に訪れました。私はJBANの方にいて、はるかかなたの東京にいたのですが、ユーストリームで放送を聴くことができました。
今回東京で意識していたのが「会社の看板を背負う」こと。今勤務している会社のユニフォームを着て東京の街を歩き回っていました。JBAN Conventionもそのユニフォームで参加していました。
これを「社畜」とさげすむようなら、その人の心を疑いたいです。
なぜ地元広島から遠く離れた東京でかかる所業に及んだのか…今私が勤務している会社に対して、今私が携わっていることに対して、誇りを持っているからなのです。というか、
バルーンと福祉の融合
とりわけ、障がい者就労の現実と目指すべきところのギャップが大きすぎる、といっても過言ではないのです。

障がい者雇用の大半は、一般事務であったり、倉庫作業であったり、あるいは生産現場のライン作業であったりします。そこに働き甲斐があるのか…という現実に遭遇するケースもあります。
そういう中で生きていくために、就労移行の訓練があったりするのですが、私は一時期、ひたすら型にはまる訓練を自ら欲していた時期がありました。自分らしさをすべて捨て去り、全く違うまっさらな人間に生まれ変わろうと試みた時期がありました…が、それはできませんでした。

今でもふと思うのですが、もしあの時そのままひたすら型にはまる訓練を自らに課し続けていたら、今頃どうなっていたのだろうか…と考えます。
これが成功して、ただただロボットみたいに言われるがままに働く生き方をするのもまた人生だと思います。何の生きがいもなく、ただただ日々を過ごす…「暮らす」だけに生きる、そういう人生を選んでいたに違いありません。

そういう無味乾燥な、何の楽しみも生きがいもない人生もよかったかな、と思う時がたまにあります。
なぜなら、プレッシャーに押しつぶされることがないから。

でも、デメリットの方が多そうです…
生きがいのない人の特徴7つ

そういうただただつまらなく、無味乾燥な人生を私は送っていた可能性がありました。

私は風船と出会ったおかげで、そういう人生を送らずに済みました。
結局、再就職活動で決め手になったのはバルーンの実績でした。
そして今の会社でもバルーンを続けていて、さらに障がい者就労と結び付けるという、またしても道なきところに道を創る日々が続いている…

何だか今日は取り留めのない記事になりました。
そういえば先週の今頃は、私にとっては5年ぶりのJBAN Conventionのファイナルパーティーが始まろうとしていたころでした。
無味乾燥な人生を送りたい、と考えていたころから見れば、まさかあの場所に戻ることができるとは…
夢にも思っていませんでした。

今でもこのような作品を創れるのですから、私が創り上げてきたものがいかに大きく、手放すべきものでなかったのかが…

今日は夏というより、初秋の乾いた暑さでした。ふと空を見るとこのような作品が作りたくなりました。全部私が創り上げた感動の瞬間で構成したコラージュです。







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