2018年11月17日土曜日

「ぶぶ漬け」と「フェスティバルマン」

こんばんは。

かつて勤務していた会社の上司(この上司、今なら「パワハラ」の部類に入る「クラッシャー上司」にあたる)に言われたのが
「フェスティバルマン」
早い話
「おめでたい人」
の意味。

しかし、このようなEnglishの単語は存在しなかった。完全な「和製英語」。

そして
「おめでたい人」
という言葉、軽蔑の意味でも何でもないのに、皮肉としかとらえられないようになっている。

本来の意味を完全に取り違えているとしか言いようがない。

似たような例に京都における
「ぶぶ漬け」の話
がある。

こちらは比較的有名であるが、これまた本来の意味から大きくずれた
婉曲表現
である。調べてみると上方落語から派生した意味らしい。

このような超婉曲表現、発達障害の特性である
「言葉を額面通り受け取ってしまう」
人にとっては
意味が分からない

というか、

文化が理解できない=生きていけない

というところまで行ってしまう。

しかし、この話、調べてみると「裏の裏」まで行ってしまうレベルの奥深さらしい。
ソウス

なぜこの話をしているのか、というと、
自分に「おめでとう!」といえる今がある
からなのです。が、
「これ、もしや…」
と思う節があったからなのです。
でも、「ぶぶ漬け」自体「裏の裏」すなわち…であるらしい。
ここまでくると日本史の奥深くまで知らないと理解ができない領域になるので、詳しく述べることができません。それだけ京都というところは奥深いところではあるのですが…間違いなく言えるのは
発達障害があぶりだされ、魔女狩りの対象になっていた
ことでしょう。

それがまかり通っていたのが1930年代、すなわち日中戦争が泥沼化し、太平洋戦争に突入する前の「戦前」の日本。隣組から治安維持法、大政翼賛会…恐ろしい。


2018年10月27日土曜日

同調圧力と自己犠牲と…

こんにちは。
たまに思い出したようにこちらには書き込みます。

いくら表面はきらきらピカピカしている人でも、内面には深い闇を抱えていることが多くあります。私も親、とりわけ母親の問題など、深い闇があります。そういうダークな内容はすべてここに書き込んでいます。

今日は見出しの通り
同調圧力と自己犠牲
のテーマでお届けしましょう。

先日、町内会の秋祭りに「動員」された。幸いこの日はトップシーズン(2018年10月…イベントシーズンなのでバルーンアーティストは引っ張りだこ)としては珍しい日曜オフ。よって応じることができたのだが、複数の人から聞き捨てならないことを耳にした。
「仕事を休んで参加している」


これはまだよい。ちゃんと職場の了解を得られる状況にある。
問題はその続き。
「全員参加のイベントの当日、イベント参加を断って町内会のほうに参加している」
!?!?

これはやってはいけません!

これは
自己犠牲
です!

というか、町内会とPTAはもはや
自己犠牲の精神で回り、成り立っている
のが現状なのです。

それに行政が頼っているのが現状です。本来税金からすべき行政サービスをタダ同然で町内会に押し付け、「協働」「絆」の美名のもとに行政サービスの簡素化を進めようとしている自治体が一部であるのです。介護、高齢者保護、さらには路線バス運行に至るまで、民間業者がすべきサービスを町内会が無償で営む方向に仕向けているケースさえあります。
ソウス1

…同市の住宅団地街で、地元のバス路線の撤退を受けて、住民らは市によるコミュニティバスを最初は要求するものの実現しませんでした。
代わりにつくられたのが、“自治会”(のぞみが丘小学校区協働のまちづくり協議会)が運営主体となるバス「ベレッサ号」。住宅団地、駅、商業施設を結びます。
運賃を無料とし、運転手をボランティアとすることで、「自家用車」を運転するという体裁にしました。
えっ、ボランティア! というのが、まず驚きというか不安になるところです。
「ベレッサ号の運転手は現在40〜70代の17人で、年に1回は元バス運転手が同乗して運転を指導。運転中に危険を感じた『ヒヤリハット事例』を共有して解決策を話し合う機会も毎月設けている」(西日本新聞夕刊2016年12月22日付)
「基本的に高齢者のご利用が多いことや運行スケジュールがゆったりしていることもあり、時速40キロメートルくらいの安全運転を心掛けています。そのおかげか(2016年)3月末で運行開始から5年になりますが、現在まで無事故・無違反での運行をしています」(ベレッサ号のボランティア運転手・平島正治さん)
「今でも無事故・無違反ですか」と尋ねたところ、「車をこする自損事故は1つだけありましたが、それ以外は無事故・無違反のままです」という回答が同協議会事務局から、市の担当者を通じてありました。
これは、すごいことです。
行政はガソリン代などを支援し、企業は車両を寄贈。住民主体で生活の「足」を確保――厚生労働省の「地域力強化検討会」がうたう、模範的な「地域課題の解決」に見えます。…(上記「ソウス1」より引用ここまで)
これは福岡県のある市での実例だが、結局のところこのような「地域力強化」が成功しているのは非常に数少ない。そのような特殊ケースを全国に広めるために町内会強化が行われているところが散見される。
はっきり言って上記リンク元の記事にもあるように、これは
美談
である。背後にあるのは
自己犠牲をいとわない精神の持ち主
である。そういう人たちを日本という国は育てようとしているのか?というか、
かつては育てていたし、今また育てようとしている
のである。

そこで、ソウス2
…とくに日本の場合だと、集団が一丸となって(自己犠牲も含めて)何かに打ち込むことそのものを「立派だ」「尊い」と言って無批判に肯定したり、とにかく持て囃して盛り上げるという文化も、自己犠牲に対する認識の甘さを助長していると考えることができます。…


…自己犠牲をせずにローリスクな方法で結果を出している人を見つけてはお節介のように「若いうちの苦労は買ってでもするべき」「もっと本気で努力しないと意味がない」と口出ししてきて、自分の支払った犠牲は無駄ではなかったという確認作業に勤しんでしまうことがあるのです。
確かに、自分にとって価値あるものを支払ってまで行ってきたことが、ただの徒労であると認めるのは大きな苦痛だと思います。
しかし、その苦痛から逃れるだけでなく、同じような仲間を見つけて他人を教育するという体裁で、実は優しく支配して自分と同じ自己犠牲に巻き込もうとしているのです。…

さらに、ソウス3ソウス4
この「ソウス3」と「ソウス4」は、道徳の教科書の中身になるので、引用は見合わせるが、「ソウス3」は「星野君の二塁打」、「ソウス4」は「手品師」としていずれも道徳の教科書に載っている。

どちらも内容を踏まえて是非を議論するに値する内容で、いずれも正解はない。きちんと自分の意見をこの二つの事象に対して言えるようにするのが本来すべき教育だと思う。しかし、この二つの事象を用いて教科書では特定の価値観を「正解」とし、それに沿わない価値観は「間違い」として×をつけられる。

現時点で道徳は点数評価を行っていない、すなわち議論の余地を残しているので、まだ許せるが、もし特定の価値観のみを正解とするような方向性の指導を教諭、あるいは教育委員会主導で行ったらどうなるか。

さらに「ソウス3(=星野君の二塁打)」は、原作の意図が教科書の中で捻じ曲げられている、とさえ評されている。教科書の狙いは
犠牲の精神を植え付けること
とさえ受け取られても仕方ない内容になっているというではないか。

もっと言えば、道徳の教科書の低学年向けにあるのがこれ。
「かぼちゃのつる」
どんどん伸びるカボチャのつるがどんどんよその畑に入っていき、最後はトラックに弦を切られるという話なのだが、一つ間違えるとこれは
個性の否定
につながりかねない内容である。

つまるところ、これでは
国家に都合の良い人材の育成
を狙っているとしか思えない。このような教育をしている限り、あるいは町内会のために自らすべき仕事を放棄している限り、その先に明るい未来があるとは考えられない。あるのは
国力の衰退
である。

もっと言えば、「絆」は本来「ほだし」で、人々の行動を縛るものである。町内会は「地域の絆」を作るために様々な行事に取り組んでいるが、これが「ほだし」になっている。社会の変化についていけてない。そこにあるものは
自己犠牲の精神に裏打ちされた同調圧力
である。これに基づいた社会を目指そうとしている行政が存在するのだから、もはやどうしようもない。というか、これは
戦前回帰
に近い。

意味もなくこのようなことをするのなら、鹿児島県の知覧にある「特攻記念会館」に行って、特攻隊員が出撃の前に残した手紙などを見るがよい。こちらのほうがよっぽど道徳を学べる。


2018年8月29日水曜日

こちらに投稿するのは久しぶりです。が…

こんばんは。
こちらに投稿するのは実に久しぶりになります。

というか、どうしてもこちらに投稿すべき
事案
がおきてしまったからなのです。

その「事案」とは、
役所の障がい者雇用率水増し事案
のこと。

結局のこと、
民間の雇用率達成をノルマにすべき役所が水増しして、体裁を保っていた
ということ。

このようなことをしていては
何のための就労移行支援制度なのか
何のための就労定着支援制度なのか
疑わざるを得ない。
今年2018年のワーストニュースに値するだろう。
障がい者、とくに精神障碍者を馬鹿にしているといわざるを得ない。

ことの根幹を覆す事案なのだから。

Kaien、リタリコワークス、ウェルビー、チャレンジドアソウ…

様々な就労移行支援事業所が試行錯誤しながら障碍者の就労、とりわけ過労の結果精神障害に陥ったり、社会が先鋭化する変化の結果発達障害があぶりだされた人たち(私はこのカテゴリに入る)に取り組んでいる血のにじむような努力を踏みにじるような今回の事案。
内閣総理大臣が謝罪するのは当然のことである。

そこで私が思うのだが…

一部の企業が取り組んでいる「洗脳」。
これまで培ってきた価値観を覆し、その企業にとって都合が良い人材、ひいては過労死もいとわない人間、早い話が使い捨てのロボットに改造させるための「洗脳」。
戦前は旧日本軍もこのような「洗脳」を行っていたという。

実は私、この「洗脳」に取り組んだことがある。
結局うまくいかなかった。
だったらなぜ、この「洗脳」に私が取り組んだのか…
理由は、両親の望みをかなえるためだった。

実は私の父親は、とある大企業で「洗脳」を推進していた人物だった。そして母親は、「洗脳」されることが大企業で出世するために必要だと考えていた人物なのである。
要は私を
戦士
に育てたかったらしい。
幹部自衛官、もしくは大企業の幹部…

それが「イエ」に生きる者にとっての最高の誇りだったと思っていたのかもしれない。

そして私は、この親の望みをかなえることこそが
親孝行
と固く信じて疑わなかった。

「親孝行」は子どもの義務だと私は思っている。すなわち
親の望みをかなえるのが子どもの義務である
と今でも考えている。
それができなかった私は、はっきり言って
親不孝息子
であり、
親不孝息子は死刑囚と同格
と私は考えている。

そして、私はこうも考えている。

親の望みが齟齬をきたしている以上、私がすべきことは「親をみとる」ことであり、同時に「自らの代で家を絶やすこと」が世の中の幸せにつながる。

だから、私はすでに生涯独身を貫くことにしている。少なくとも齟齬をきたしている母親の家系は私で絶やすべきである。私の両親まではきちんと供養したい。ただ、私は…

火葬場のような上等なところで焼いてほしくない。ゴミ(産業廃棄物)扱いにして処分してほしい。できれば灰も残らないようにして、完全に焼き切ってゴミとして処分してほしい。

と思っている。当然葬式も無用である。

余談だが、私は死刑囚は火葬場ではなく、遺骨が残らないようにゴミ扱いで処分してほしいと考えている。(いったん火葬場で荼毘に付し、その後ゴミとして再焼却して、この世に存在しなかった人物として片付けてほしい)


2018年4月23日月曜日

会社という名の不条理

こんにちは。

ここ数日、私はすごく悩んでいます。
といいますのも、何の相談もなく会社の事業計画を変更する計画を幹部だけで進めており、そのあおりでバルーンに関する上司への相談ができない、というか相談しても相手にされない、という状況が起きています。
今回の経営計画の変更は、主に別部門同士の再編が主になっているのですが、一部不採算部門の廃止と残った部門の強化が軸になっているようです。その中でバルーン部門をどうするのか、という点で会社の意見が分かれているようなのです。というのも、「現時点でバルーン部門は採算が取れているが、将来的には厳しくなる可能性がある」というレポートを会社に提出したのがきっかけで、慎重派が縮小や廃止を主張する一方、一部の幹部が別部門(この部門は現時点で不採算だが、将来性があるとされている)と融合させて発展させるべき、という主張をし、現状維持を主張する意見も加わって意見が分かれてしまったのです。
厳しくなる、と予測した当のバルーン部門ですが、これまでの口コミなどから新たな仕事の依頼が予想以上に増えています。一方であくまでも慎重派は「一時的」と主張、縮小を唱え、受注を断るように案にそそのかしています。
このため、今後の方向性が決められず、その結果、新規の仕事が受けられない状態に陥って、受けた仕事を流さざるを得ない「失注」に至ったり、受けようとする仕事を全部断らざるを得ない状況が相次いでいます。
こうなると、もはや「会社とはこういうものだ」という理不尽の域では済まなくなります。そうなると残された手段は
会社の方針に従わない
という実力行使か
会社の方針に従って、投げやりに仕事をする
かのどちらかになってしまいます。
そうなると、もはや「報告・連絡・相談」が機能しません。

数年前、とある大手メーカーでこのようなことがありました。
「新商品開発のスケジュール遅れの責任を取って責任者を解雇する」
早い話、仕事の失敗で首になった、ということです。このメーカーには批判が殺到しましたが、批判を受けて行った記者会見では「会社へ適切な報告を怠ったために解雇した」というような趣旨の発言がありました。仕事の基本をおろそかにして解雇されたということでした…が、この半年後、この大手メーカーは性能を偽装表示するというとんでもない不祥事が発覚しました。
この大手メーカーは以前にも内部でリコール処理を行い、その結果一般市民の命を奪うという重大な事故を引き起こしました。このメーカーは同じ過ちを繰り返すという愚行をしてしまい、結局別の大手メーカーの傘下に入ることになったのですが、調べてみると会社の設定した目標そのものに無理があり、それが達成できないという状況になって、事実を報告しようにもできない状態になったようです。「報告・連絡・相談」がかえって自らの身を亡ぼすという企業風土が背景にあったとしか考えられず、結果的に「トカゲのしっぽ切り」の犠牲になってしまったのです。

他方、企業というものは、絶えず情勢の変化に応じて、経営方針を変えていく必要があります。その結果、「朝令暮改」が起きても何ら不思議ではありません。

つまるところ、今バルーン部門で起きていることは、「朝令暮改」に振り回されてしまい、ルールがころころ変わり、以前のルールではOKだったものが、新ルールではNGになるなどの混乱が発生している、ということなのです。

これは明らかな不条理と言わざるを得ませんが、ここで問題になるのが次の二つです。

一つは「就労移行支援事業所の訓練の在り方」です。
現時点で、ストレスコーピングなどの訓練をしている就労移行支援事業所はあっても、会社とはそういう理不尽なところだ、という訓練をしている就労移行支援事業所は聞きません。
一時期、会社の理不尽さを実感させ、それに慣れるような訓練をしていた就労移行支援事業所が散見されましたが、そのような就労移行支援事業所は軒並み低評価を受けたり、ひどい場合は2ちゃんねる(今の5ちゃんねる)などの掃き溜め掲示板にスレが立つなど、批判の対象になっているのが現状です。
しかし、私は「このような理不尽さを体験させる就労移行支援事業所こそ、求められている」と考えます。悪く言えば、「社畜養成所」みたいなところがあってもいいのでは、と思うのです。
「社畜」となって、自分の考えを捨てて、会社の方針に全面的に従うような人間に訓練して鍛えるようなところがあってもいい、と思います。
ただ、これについては、本当にそのような訓練が必要な人は限られているはずです。まさに「ニッチ市場」ですが、ニーズは確実にあるはずです。

もう一つは、「自分軸の判断ができない状況に置かれた場合の対処法」です。
このような理不尽に置かれた場合、まずはしっかりと本質を見極める必要があります。なぜこのような理不尽を会社はするのか…。そして場合によっては、会社と交渉する必要があります。
この時点で両者が歩み寄るケースが10ケース中9割でしょう。
問題は残り1割のケースです。
先ほど述べた非常手段を行使することになります。「会社の方針を無視する」か「投げやりになるか」です。どちらも危険な橋です。しかしこの段階で100ケース中90は会社が異変に気付きます。そうなると話し合いとなりますが、ここで会社に対する問題点などをきちんと指摘してください。大半の場合は折り合いが付きます。
残りの1割は会社が異変に気付かず放置し、取り返しのつかない事態にいたります。ここで9と1に分かれます。
9のケースは、会社から何らかの形で出ていくことになります。というか、自ら会社を辞める、あるいは会社が退職勧奨を行うかのいずれかになります。そのような事態に備え、次の手を打つ(転職活動はその一つ)ことが重要になります。
残りの1が非常に厳しいケースです。これは二種類あります。
一つは会社が「懲戒解雇」に踏み切るケースです。これをされると、その人は再就職が基本困難になり、路頭に迷うことになります。場合によっては自殺に至ることもあるでしょう。
もう一つが「自らやめるという決断が諸般の事情によりできない」ケースです。これが一番危険なケースです。

ここで私がたびたび主張している「孝」の概念の出番になります。
道に外れた君主を三度いさめても言うことを聞かない場合、その君主のもとから去るのが正しいのに対し、道に外れた親を三度いさめても言うことを聞かない場合、泣いて従うしかない

君主を三度いさめても…のくだり。会社もこれに当てはまります。一度目、二度目は見極めが必要です(今の自分の状況はまだ一度目のレベル。だから辛抱して見極める必要がある)。
ところが、親が道に外れている場合、それに従うのが子供の義務だと私は考えます。
つまるところ、「よしんば親がいわゆる「毒親」であったとしても、子供はそれに従わなければならない」ということです。
なぜなら、私の場合はこれまで何度も述べてきたように、親がいわゆる「毒親」なのですが、その「毒親」の原因は先祖代々から伝わるもので、その毒ゆえに殉じた親類さえいるほどです。
しかも、私の場合は母親の家系が先祖代々続く「毒親」の流れになっていて、その結果聞いた話では私の母方の唯一のいとこが就職が決まらず、SNEP化しているそうです。さらに父親は母親の家系に婿入りしたも同然になっています。
このような、ある意味会社より何百倍も理不尽な家に生まれ育った私は、すでに生涯独身を決めています。私には今生きている兄弟はいません。兄弟が本当ならいたのですが、その兄弟は死産(正確には強制流産…「優生保護法」の関係という話もあるらしい)、その後私の母親は子どもが産めなくなった、と聞いています。
これほどの理不尽をもってしても、私は「孝」の概念に従います。なぜなら、私はもはや誰も攻めることができない、と結論付けていますから。

幸い今の状況は、会社の仕事に関しては、そこまで追い詰められている状況ではありません。まだ一度目の段階です。ここで早まると「道を外す」ことになります。

その場合に取るべき方法は…こちら



2018年4月21日土曜日

できないことを無理強いさせる不条理

こんにちは。
こちらのブログ、本当に久しぶり、というか、2018年初の投稿になります。

実は、私、町内会役員になってしまいました…。

それで大変困っています。

なぜなら、
仕事を犠牲にしなければならない
からなのです。

とりわけ、バルーンの関連に大きな影響が出るのは避けられなくなってきました。

このため、久しぶりに主治医に相談したところ
「場合によっては自治会退会やむなし」
という結論になりました。

まず、私は現在、事情があって一軒家に一人暮らしをしています。この事情が両親と親族がらみなのです。
私の両親はともに、親族が広島にいません。父親の親族は全員東京、母親の親族は全員鹿児島なのです。さらに母親の家のほうが資産を抱えており、放置していると高額の相続税がかかるらしかったのです。
このため資産を不動産に換物する必要が生じ、今の家を購入した経緯があるのです。
この時点で問題が発生します。

普通、町内会は家族単位、世帯単位です。
ところが、単身世帯の場合、一人で町内会の役員の負担を強いられることが出てきます。
私がかつて在住していたO町の場合、私と両隣が単身世帯、しかも両隣は80台以上の高齢者、さらに片方は特別養護老人ホームに入っていました。
このため、清掃に参加しても罰金(出不足金)を3件分、合計最大15000円(最初3000円×3軒、のちに私が出不足金を値上げする動議を出して可決されたため、5000円になった)払っていました。
ここでなぜ私が出不足金値上げ動議を出したのか、と言いますと、その前に在住していたM市で出不足金を悪用した町内会会計を行っていたのに遭遇し、会社を巻き込んだトラブルになった経験があったからなのです。最終的にこの町内会(M市のほう)の応援する市議会議員の活動資金に流用されていたことがわかったのですが、この町内会は分裂でできた町内会で、いまだに真相は謎です。そのため、会計報告に出不足金の行方がなかったのを見つけた私が、わざと出不足金値上げを提案して、結果可決に至りました。こちらの町内会(O町)は値上げによって、出不足金の超過が判明し、結局会計監査で引っ掛かり、超過分は町の社会福祉協議会に寄付という形で決着しました。

このように、単身世帯、とりわけ現役世代に負担になるような町内会の仕組みに問題があると私は考えています。
しかし、私は今後、町内会の機能を強化すべき状況が来る、と考えています。理由は言うまでもなく「少子高齢化」です。

私は、現在福祉事業の会社に所属しているのですが、このような福祉事業の会社が営利ですべきことを行財政改革の一環(=税金節約)と称して、町内会に委託する方向性が一部市町村で見られます。つまり、住民同士の助け合いに行政が本来すべき機能を頼ろうとしているのです。
私は今後、福祉を町内会が担うことを前提で行政が動いていると考えています。そうなると…
福祉事業の会社は軒並み立ちいかなくなる
とにらんでいます。そういうところまで視野に入れているのです。

本来行政がすべきサービスを町内会に担わせる…そういう時代に備える必要がある、というのが私の考えですが、現状の町内会は特定市議の支持基盤に成り下がっているのが現状です。
このため、町内会の役員は、かなりの調整能力を必要とします。
はっきり言って、私は務まりません。というか、むしろ破壊したいぐらいなのです。
そればかりか、現状私は役員の中で一番若手なのです。

そうなると…さらに上の役員になる可能性が高いです。
最終的に町内会長まで行く可能性までありますが、もし私が町内会長になったら、とんでもないことを考えています。
町内のペット散歩全面禁止(散歩させたかったら近くにもあるドッグランへ)
町内会見回り活動強化
災害訓練の強化(原発事故などを想定し、バスを用いて遠隔地まで避難し、そこに数日間とどまる)
など…
極端なことを行い、住民に住民としての意識を問います。
…ここまでやれば、町内会は空中分解でしょう。というより、出ていく住民も出るでしょう。

つまり、できないことを押し付けるということが町内会(およびPTA)で横行しているのです。
このような状況なので、脱会者が後を絶ちません。聞いた話では、複数の班で集団脱会が昨年相次いだそうなのです。
今年は子供会が空中分解したこともあり、これ以上起こすと行政サイドからにらまれる、というようなことを町内会長が話していました。しかし、このような現状を長年放置して、一方で行政が本来すべき(あるいは民間業者に委託すべき)サービスを町内会に丸投げするというようなことをしていると、結果地域コミュニティ崩壊につながります。

私もこの問題点を今度班会議に出すことにしていますが、班会議が荒れたりした場合は、町内会退会に踏み切るつもりです。