2015年4月17日金曜日

キックオフ=飲み会?

こんにちは。


最近、電車の中づりに
飲み会じゃない、キックオフだ
というコピーの広告がぶら下がっています。
見ると、
あの人を、歓迎会
というコピーもあります。


ソウス(ぐるなび)


この季節、新年度のスタートもあって、いたるところで人事異動などがあり、新しいプロジェクトがスタートしています。
人事異動もさることながら、新入社員や転職してきた中途入社の社員も数多くさまざまな職場に入ってきています。


そのような新しく入ってきた社員は、すなわち新しいチームの一員となるわけですが、当然面接を潜り抜けてきます。面接を通して
この人はチームの一員として適しているか
が試され、それをクリアできたものだけがこの春に新チームの一員として迎え入れられたのです。


当然のことながら、どこのチームにも入れなかった人がいます。
そういう人たち、特に就職浪人になってしまった人は、この広告を見てどう思うのでしょうか…


電車にはそういう人たちも乗ってきます。
私も「どこのチームにも入れなかった」一人で、一方で全く新しいことに取り掛かる準備を進めている状況にあります。
こういう広告を見ると、どうも違和感を感じざるを得ません。


そして、一部では飲み会を
キックオフ
と称しているところが見られます。
私から言えば、
キックオフ=プレイボール
であり、
試合開始
の意味でとらえています。


試合=戦い
という意味で考えると、
チームで戦っていく
ということにつながります。


それで、チームの一員として親睦を深めるために、飲み会を行い、それが「キックオフ」につながったものと私は考えています。


しかし、こういう見方もあります。



ソウス(脱社畜ブログより)


チームビルディングに飲み会は欠かせない、という考えに一石を投じる記事。


私も同感です。チームの結束を固めるのに必ずしも飲み会は必要でないというのが私の考えです。


そして、発達障害の人は特に、チームに溶け込むのが難しいケースがあります。


チームの一員としてやっていくには、時として個を捨て去る必要性が出てきます。
しかしそれをすることで、その人は成長できるのだろうか?


「ホウレンソウ」(=報告・連絡・相談)や5Sの範疇を越え、超有名アニメ「ワンピース」の領域にまでなってくる。
「ホウレンソウ」は仕事の基礎として必須であるが、それ以上を求められると、発達障害のある人にとってはつらくなってくる。
もっとも、そういう職場にも対応できるような訓練をしている就労移行支援事業所もあるらしい。


「ワンピース」については、是非を含めて機会を変えて論じる必要があるので、ここでは詳しく述べません。
それを抜きにしても、この
キックオフ
という言葉、奥が深いです。


だったら
ノーサイド
はどうなるの?打ち上げが「ノーサイド」?


難しい… 奥が深い…

2015年4月16日木曜日

不向きな○○

こんにちは。
広島空港が大変なことになってしまいました。
起きた事故もさることながら、その原因が
自然現象
が原因の模様…


自然現象が原因の航空事故はそうめったにあるものではありません。


こうなると、
「空港を作ってはいけない場所に空港を作ってしまった」
という、どうしようもない問題にいきついてしまいます。
恐らく80年代ごろには分からなかった問題でしょう、気象が変わってしまったのですから。


それだけではありません。
昨年の八木の山津波にしても、地名は如実に物語っていました。
壊滅した一帯は
芦谷
と呼ばれていたそうです。
芦=悪し(あし)
つまり「流された過去があるから家を建ててはいけない」という言い伝えを無視した結果、あのような大惨事になってしまったのです。


このように、自然の摂理に逆らおうとすると、とてつもないしっぺ返しを食らうことになるのです。


私自身もそうで、
本当はバルーンデコレーターは不適格
だったのです。


どんなに頑張っても、結果が出ないことがあります。
その場合、まれにですが
「本来就いてはいけない仕事についてしまった」
ということがあります。
発達障害、特に自閉症の傾向があった場合、生まれつきの能力に偏りがあり、その結果ある一定のところまで来ると、限界の症状を呈し、壊れてしまうということがあります。


どうしようもないところに邪魔されてしまう、というのは歯がゆいですが、それが持って生まれたものである以上、どうしようもありません。
広島空港にしてもそうで、もともとは山だったのを無理に切り開いて空港にした場所だそうです。広島は空港に適したところが周辺に本当に少なく、廃港になった広島西飛行場(昔の広島空港)の滑走路を延長しようとすると、厳島を削らなければいけなくなるそうです。古からの御神体である厳島を削るととんでもないことが起きかねません。畏れ多くそれはできない、ということになり、新空港を作るしかなかったのですが、適している場所が本当に少なかったようです。そして半ば強引にあの場所に空港を作ったそうです。


こうしてみると、米軍岩国飛行場を民間開放したのは正しかったことになります。


さて、広島空港です。
本来なら「空港そのものに問題があった」という結論を出して、
使用中止→廃港
にするのが本来だと思います。岩国飛行場はすでに民間開放されています。しかし、これをすると
巨大な無駄
になってしまいます。抜本的な改良を行って、使用していくよりほかにないのです。


私自身もそうで、バルーンを完全に捨て去ることはすなわち
巨大な無駄
になります。人生の中で巨大な無駄を出すと、それこそ「人生終了」です。
私の両親は広島空港を廃港にするのと同じことをもくろんだのです。
私の場合も、すでに何人か代わりになる人が出ているのが現状です。


しかし、それはできませんでした。
やはり抜本的な在り方を考え、それを生かすしかないのです。