2016年2月20日土曜日

就労移行支援と就労継続支援が目指すそれぞれの方向性

こんにちは。
やはり更新頻度が落ちてしまいます…
こうも忙しいと。

仕事はスピードが勝負です。
旧Y's Dreamの時代から続いています。
だから忙しくなるのですが…

春に向けていろいろな案件が動き始めています。
1月から2月はその準備の時期で、ここをしっかりとしておかないと惰性で1年を過ごしてしまいかねません。

というわけで本題です。
先日私はとある就労移行支援事業所を訪問しました。
この就労移行支援事業所のフェイスブックを見て、「ここは厳しい訓練をしているようだ」「一度しっかり見ておきたい」と思い、事前にアポを取って訪問させていただきました。
行ってみて、事業所の訓練内容などの説明を受けた後、昼礼を見学させていただきました。注目すべきは「職場の教養」を昼礼に取り入れていること。これはそこで働く従業員に社会人としての意識の向上を図るために「倫理研究所」なる一般社団法人が発行している小冊子なのですが、これが賛否両論なのです。一部では「活力朝礼」なるものに取り入れられ、社員の意思統一が図られている一方、「職場の強要」などと揶揄され、ブラック企業を生み出すツールとして活用されているのではないかという意見も聞きます。
しかし、私から言わせていただくと、これを毎日読んで、みんなの前で感想を発表すること自体、訓練の一環とするのはありだと考えます。と言いますのも、この就労移行支援事業所は、
今まで私が見てきた中で一番厳しい就労移行支援事業所
だと思います。全国展開する就労移行支援大手でも、このようなことはしていません。おそらく全国でも屈指の厳しい就労移行支援事業所ではないでしょうか。訓練内容も
そこまでやるか
というようなものもあります。
しかし、そこまでやることによって、
企業が求める「人財」になれる
のです。

今まで私が見てきた就労移行支援事業所は、
社会人基礎力を身に着け、社会人として働く
ことに重点が置かれていたところが多かったのです。しかし、この就労移行支援事業所は
企業人、組織人として働くための能力を身に着ける
ことに特化しています。ここは一時期このブログで述べ続けていた
バスに乗せていただけるような「その企業にとって財産になるような人」を育成する
就労移行支援事業所だと実感しました。このような就労移行支援事業所は目指すべき方向性の一つであり、その方向性が徹底しているような印象がしました。
この方向性を目指す就労移行支援なら、ここくらい徹底するべきでしょう。ここを出たら、どのようなブラック企業でも定着できそうな気がするほど、徹底した企業人養成の場になっていました。この方向性を目指そうとして中途半端なことをしている就労移行支援事業所が多すぎるような気がしてならないのです、私には。

他方、もう一つの方向性があります。
それは
成功体験を身に着ける
場としての就労支援です。これはむしろ就労継続支援が目指すべき方向性であります。

私は長年バルーンデコレーターとしてやってきました。
その経験を通して、数多くの体験をしてきました。
突き抜けるような天にも舞い上がるほどの成功体験から、地を這う悔しさにまみれた失敗体験まで…
この経験それぞれが貴重であり、そのような経験をしていないからこそ、惰性で生きるようになり、結果ニートやひきこもりになってしまうのです。そしてその背景には発達障害がある場合も多いです。
そういう経験を積ませて、社会人基礎力を身に着け、社会人として働くための力を身に着ける方法もあります。というより、ほとんど成功体験を身に着けていない人たちには、こちらの方がよいと私は考えます。
成功体験を味わうことによって身につくものが
自信
なのです。その自信を身に着けるための訓練にバルーンを活用するのが私のこれからの仕事なのです。
制作した作品で人を笑顔にすることができる、これも立派な成功体験なのです。

自信を身に着けた後、直接就活するという選択もあれば、会社の中で働くためにもっと勉強したい、という人も出てくるに違いありません。進路は一人一人違って当然で、その人に会ったキャリアプランを作らなくてはいけません。その際に必要となるのが前述のような厳しい訓練を行う就労移行支援事業所なのです。

だからこそ、就労移行支援事業所や就労継続支援事業所を選ぶ際は、しっかりとした吟味が必要なのです。そこに通うのが苦痛になるという状況が一番避けなければならないことなのです。

2016年2月11日木曜日

もらい事故に思う

こんにちは。
このところ非常に多忙で、かつ就労支援とバルーンの融合の話が着々と進みつつあります。
それはいいことなのですが、連日帰るのが定時より遅くなっています。
そのため今の季節、一番危ない日暮れ時が帰宅時間と重なります。

こういう時は車の運転には細心の注意を払わなければならないのですが、どれだけ細心の注意を払っていても避けることのできない事故があります。信号待ちや渋滞の最後尾などで追突される、いわゆる「もらい事故」です。
このような事故は避けられない…と思われがちなのですが、実は避ける方法があるらしいのです。その方法が
心がけ
なのだそうです。

「文句が多い」
「いつも誰かあるいは何かのせいにしている」
「いつも怒っているように見える」
人は、事故を起こす以上に、事故に巻き込まれる率が高くなると、とあるブログに書いていました。

かつての自分に当てはめてみます。
「文句が多い」=結構当てはまります。これは今も当てはまります。
「いつも誰かあるいは何かのせいにしている」=これは全く当てはまりませんでした。というかむしろ逆で、自分を常に責めていました。
「いつも怒っているように見える」=これはかなり当てはまっていました。が今はこれは当てはまりません。

5年前、2011年ごろは本当にいろいろな「災難」に巻き込まれていました。
東日本大震災の間接被災(制作した「くす玉バルーン」が津波にのみこまれた、当時の取引先は跡形もなく津波ですべてを失った、全員避難できたのが不幸中の幸い)に始まり、ヘリウムガス落下事故による骨折、挙句の果ては鹿に車が体当たりされる始末…。
今にして思えば、破たんへの序曲だったのかもしれません。

その当時を思い出すと…
とにかく必死の一言で、毎日が戦争のようでした。心に余裕がない状態でした。
そして「もっと上へ」などと、ひたすら上昇志向で、自分を極限に追い込んでいるような感じでした。そうでもしないと生き残れないという危機感がありました。とりわけ震災以降は、ブライダル市場やバルーン市場の激変についていくのが精いっぱいの状態だったと、今では思います。

このようなことを続けていてはいつかは破たんします。

自分の利益、自分の欲求を軸に情熱と勢いで結果に繋がったのは一昔前です。というか、旧Y's Dreamは、情熱と勢いで突っ走っていました。だからあれだけの作品をつくることができたのですが、時代が変わってしまったのです。

他方、私の母親は運やツキを極端に重視する人でした。父親もどちらかといえば重視していました。
これらを極端に重視する子育てをすると、反動で子供が自分で自分を追い込むようになる危険があります。そうなると
常に誰かあるいは何かのせいにする人よりたちが悪くなってしまいます。
完全主義者になってしまいます。
結果
精神障害を引き起こす危険が高くなります。
ましてや、自閉症や発達障害の子供にこのような子育てをすると、人格障害者になる危険が非常に高くなります。そのような子供が親殺しに走ったり、ひどいと社会を震撼させる凶悪犯罪を惹き起こしたりするのです。あるいは自殺をしてしまうのです。

今回の「もらい事故」の話に戻すと、相手がかなり追いつめられていた状況にあった感じがしてきました。
相手の勤務先は某大手保険会社。入社2年目。卒業大学は大都市圏の有名私大と推測できました。
大都市圏の大学出身=学生時代はペーパードライバー。東京・大阪・福岡では、公共交通機関ですべてが事足りる(名古屋は例外)。
入社2年目=まだまだ新人だが、今では新人もすぐに結果を求められる傾向にある。かなりのプレッシャーになっている状態が推測される。
このような状況から、相手の心にかなり余裕がないことが考えられ、加えて運転技術が未熟。その結果起こした事故と考えられます。
事故を起こした相手には私はその場は厳しく接しました。実況見分が終わった後、私は直ちに病院に行き、異常がないか確認しました。結果異常がなかったのですが、相手にはその旨は現時点では知らせていません。青信号だったものの前方渋滞で発進後ただちに停止せざるを得ない状況にあった私の車に追突してきたので、明らかな相手の前方不注意です。相手は当然平謝り、相手の車は大手保険会社の営業車。これで私の方に過失があるといわれたのなら、この某大手保険会社の見識と信用を疑い、その会社の本質(大手と言えどブラック…○芝が典型例)を見てしまうことになります…下手な芝居はできないはずです。

というか、私自身が変わったことを実感しました。
「自分を責め続ける」ことや「いつも怒っているように見える」状況にないのです。いま勤務している会社からは「いつも笑顔で会社を明るくしている」と評価されるまでになっています。
いま勤務している会社が「バルーン業務を勤務に取り込む」という決断を下していただいたからこのような状況になっているのですが、これはある意味英断でしょう。というか、相手の状況が理解できるようになったのです…

それもこれも、どん底を経験して、自分にひたすら向き合ったからわかることなのかもしれません…