2016年2月11日木曜日

もらい事故に思う

こんにちは。
このところ非常に多忙で、かつ就労支援とバルーンの融合の話が着々と進みつつあります。
それはいいことなのですが、連日帰るのが定時より遅くなっています。
そのため今の季節、一番危ない日暮れ時が帰宅時間と重なります。

こういう時は車の運転には細心の注意を払わなければならないのですが、どれだけ細心の注意を払っていても避けることのできない事故があります。信号待ちや渋滞の最後尾などで追突される、いわゆる「もらい事故」です。
このような事故は避けられない…と思われがちなのですが、実は避ける方法があるらしいのです。その方法が
心がけ
なのだそうです。

「文句が多い」
「いつも誰かあるいは何かのせいにしている」
「いつも怒っているように見える」
人は、事故を起こす以上に、事故に巻き込まれる率が高くなると、とあるブログに書いていました。

かつての自分に当てはめてみます。
「文句が多い」=結構当てはまります。これは今も当てはまります。
「いつも誰かあるいは何かのせいにしている」=これは全く当てはまりませんでした。というかむしろ逆で、自分を常に責めていました。
「いつも怒っているように見える」=これはかなり当てはまっていました。が今はこれは当てはまりません。

5年前、2011年ごろは本当にいろいろな「災難」に巻き込まれていました。
東日本大震災の間接被災(制作した「くす玉バルーン」が津波にのみこまれた、当時の取引先は跡形もなく津波ですべてを失った、全員避難できたのが不幸中の幸い)に始まり、ヘリウムガス落下事故による骨折、挙句の果ては鹿に車が体当たりされる始末…。
今にして思えば、破たんへの序曲だったのかもしれません。

その当時を思い出すと…
とにかく必死の一言で、毎日が戦争のようでした。心に余裕がない状態でした。
そして「もっと上へ」などと、ひたすら上昇志向で、自分を極限に追い込んでいるような感じでした。そうでもしないと生き残れないという危機感がありました。とりわけ震災以降は、ブライダル市場やバルーン市場の激変についていくのが精いっぱいの状態だったと、今では思います。

このようなことを続けていてはいつかは破たんします。

自分の利益、自分の欲求を軸に情熱と勢いで結果に繋がったのは一昔前です。というか、旧Y's Dreamは、情熱と勢いで突っ走っていました。だからあれだけの作品をつくることができたのですが、時代が変わってしまったのです。

他方、私の母親は運やツキを極端に重視する人でした。父親もどちらかといえば重視していました。
これらを極端に重視する子育てをすると、反動で子供が自分で自分を追い込むようになる危険があります。そうなると
常に誰かあるいは何かのせいにする人よりたちが悪くなってしまいます。
完全主義者になってしまいます。
結果
精神障害を引き起こす危険が高くなります。
ましてや、自閉症や発達障害の子供にこのような子育てをすると、人格障害者になる危険が非常に高くなります。そのような子供が親殺しに走ったり、ひどいと社会を震撼させる凶悪犯罪を惹き起こしたりするのです。あるいは自殺をしてしまうのです。

今回の「もらい事故」の話に戻すと、相手がかなり追いつめられていた状況にあった感じがしてきました。
相手の勤務先は某大手保険会社。入社2年目。卒業大学は大都市圏の有名私大と推測できました。
大都市圏の大学出身=学生時代はペーパードライバー。東京・大阪・福岡では、公共交通機関ですべてが事足りる(名古屋は例外)。
入社2年目=まだまだ新人だが、今では新人もすぐに結果を求められる傾向にある。かなりのプレッシャーになっている状態が推測される。
このような状況から、相手の心にかなり余裕がないことが考えられ、加えて運転技術が未熟。その結果起こした事故と考えられます。
事故を起こした相手には私はその場は厳しく接しました。実況見分が終わった後、私は直ちに病院に行き、異常がないか確認しました。結果異常がなかったのですが、相手にはその旨は現時点では知らせていません。青信号だったものの前方渋滞で発進後ただちに停止せざるを得ない状況にあった私の車に追突してきたので、明らかな相手の前方不注意です。相手は当然平謝り、相手の車は大手保険会社の営業車。これで私の方に過失があるといわれたのなら、この某大手保険会社の見識と信用を疑い、その会社の本質(大手と言えどブラック…○芝が典型例)を見てしまうことになります…下手な芝居はできないはずです。

というか、私自身が変わったことを実感しました。
「自分を責め続ける」ことや「いつも怒っているように見える」状況にないのです。いま勤務している会社からは「いつも笑顔で会社を明るくしている」と評価されるまでになっています。
いま勤務している会社が「バルーン業務を勤務に取り込む」という決断を下していただいたからこのような状況になっているのですが、これはある意味英断でしょう。というか、相手の状況が理解できるようになったのです…

それもこれも、どん底を経験して、自分にひたすら向き合ったからわかることなのかもしれません…

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