2016年も押し迫り、今日はクリスマスイブ。
私は今年もシングルベル…なのですが、昨日も明日もパーティーや飲み会。
たまたま一人でじっくり考える日がイブにあたっただけです。
このブログの2012年以降のテーマの一つとなったのが、見出しの問題。
この二つに私は縛られ、あれほど好きな風船を捨てざるを得なくなり、結婚しても相手に苦労を掛けると判断して生涯独身のライフプランを立てざるを得なくなったのです。
そしてその原因は広島のどこを探してもなく、遠く離れた鹿児島に答えがあったのです。
で、見出しの問題について。
私の場合、親子関係が「孝」をもとに成り立ち、その結果絆が「絆し」になってしまっていました。
母親が精神疾患を患い、自殺未遂をした原因は、母親がふつう長男にするような異常なまでの厳しい躾にあり、そもそもその厳しい躾を私の母親に対してした原因が母親の兄の夭逝にあったのです。
事実、私は母親の祖父母から異常なまでに可愛がられました。一方で自閉症児を生んだと母親は祖父母から厳しく叱責され、一家心中を試みたという話も耳にしました。その結果、私には妹か弟がいたのですが、この世に生を受けることがありませんでした。
そのような特殊事情があり、かつ当時は今と異なり発達障害に対する認識がなかった時代です。
厳しい躾の結果、私は非行に走りましたし、食毛症を発症して、今でも続いています。
いずれも親からの精神的なストレスが原因と今では言われていますが、70年代の当時はもっと躾を厳しくしろといういうのが主流でした。私の両親はいまだにこの考えの持ち主で、かつての首都の知事などの超保守的な考えを支持しています。
そして、私は一時期儒教にはまりました。私の両親及び私の「イエ」にある考えの背景が儒教にあると判断したのです。
儒教の教えを刷り込むことが、真っ新な自分になって、親に忠実に従うことができる、それがすなわち親孝行だと考えたからなのです。どんなに間違った考えを持った親でも、それが親である限り、子は泣き寝入りして従わなければいけないという考えに自分を持っていこうとしました。
それは結果できませんでした。
しかし、私は親孝行できません。
そして、両親と私の間には、絆ではなく「絆し」で結びついています。
これが私の家、とりわけ母親の方の「イエ」を貫いています。
このような「イエ」ですから、私は他人を巻き込みたくないのです。
結婚するということは、否が応にも巻き込むことなのです。
私で先祖代々続く「イエ」の負の歴史をとだえさせることが幸せになるためのすべという結論に達しました。
すでに、私は両親が亡くなった後の身の振り方を考えています。
私は孤独になるのは確実ですが、施設に入るつもりはなく、私の死後は行政にゆだねるつもりです。それも、広島ではなく、鹿児島の。
私が亡くなった後は相続人はいないはずです。遺産もないはずです。私はそれこそ無縁仏として処理されることになるでしょうし、極端な話遺骨も全部産業廃棄物として処分されていいとさえ思っているのです。
私の両親までは、永代供養の納骨堂に収めたいです。すでに日本全国、もちろん鹿児島にも永代供養の納骨堂ができています。このような納骨堂は墓地不足で全国的に増えています。
政府は「産めよ育てよ」という考えです。
しかし、私のようにそれができない人もいるのです。
厳しいことを言うようですが、秋葉原、荒川沖、下関駅の死刑囚も背景にあるのは
「厳しすぎて、かつ誤った親の躾」
だと私は思います。
以下引用 ソウス
「間違った厳しさ」 小さい時に厳しく育てることが大切といっても、間違った厳しさはかえって子供の発達をおかしくします。 親は自分の望むことを子供が進んでするように躾ようと思います。躾が大切、厳しく躾けなければいけないと言う時、母親の心に潜在的に働いているのは、この願望です。 この厳しさは間違った厳しさであることに気づいてくださらなくてはいけません。これは、大人の気に入った型の子供に仕立てるという気持ちが濃厚です。大人の意図に従わない時、禁止、叱責、罰が下されます。 目指す子供像は何でしょう。自ら考え、自主的に判断し、行動し、意志強く目的達成のために努力する。こういう子供を育てることにあるのではないでしょうか。 それなら叱って育てることを、厳しく育てることと勘違いをしていてはダメです。 これからの子育てでは、何よりも21世紀に役立つ子供を育てようという目的意識を持って、子育てをしなくてはなりません。 では、21世紀に役立つ良い子というのは、どのような像でしょうか。 私たち親が良い子という場合、両親の言うことをよく聞く子、先生の言うことをよく聞く子というように、親にとって都合のいい子をよい子だと考える傾向があります。 ところが、このような子供は、むしろ問題のある子供で要注意なのです。このような子供は、毎日おとなしく問題を起こさずに育ったとしても、自己主張がなく、社会の役に立つ貢献ができない人間に育つおそれがあるのです。 中学生、高校生になって家庭内暴力をふるう子供たちがいます。この子達の小さい頃を調べてみると、両親の言うことをよく聞いて、いい子だったとう例が非常に多いのです。小さい頃、いい子であまり自己主張をすることがなかったら、大きくなり、体力もでき、親の権威が薄くなった頃に、突如として家庭内暴力と言う形で自己主張が始まるといわれるのです。 だから、小さな頃の反抗は喜ばなくてはいけません。子供の反抗期があるというのは、子供の成長にとって、とても大きなプラスの意味をもつものなのです。 子供の反抗の効用を書いてみます。 1.子供が親と違う自分自身の考えを持つように成長した。 2.自分の考えを、態度や言葉で言い表すことができるようになった。 3.いくら叱られても、嫌なことは嫌、違うことは違うと堂々と発表する勇気を持つようになった。 このように、子供の側に3段階の進歩があり、自分の気持ちを主張することができるようになった結果、欲求不満を心の中に溜め込まずにすませることができるのです。 大人の考えたことに子供が疑問を持ち、考えたことを素直に発表することは、人間の進歩につながります。子供が口答えをしない、反抗をしないというのは、むしろ困った姿で、子供の何でもかんでもが抑えられたなら、人間の進歩はなくなってしまいます。 そこで、口答えや反抗を、むやみに叩いたり、叱ったりしてはいけません。子供の言い分を十分に聞いてやらなくてはいけないのです。するとそれは子供の発表の能力を育て、一方大人を賢くするのです。 親が子供に厳しくするというのは、大きくなって子供が自立できるようにするためです。それには次のような点で厳しくすればよいのです。 1・我慢できる子供にする。自分の感情のままに走らず、自分でセーブできる子にする。 2.社会のルールがわかる子にする。人を傷つけること人に迷惑をかけることをいけないとわかる子に育てる。 3.自分の行動に責任を持つことができる子供に育てる。 4.目標に向かって根気よく粘る子供に育てる。 ~中略~ 小言の多い親は子供のすることを、いちいち制限しがちです。子供はそのためにまっすぐ、すくすくと育つことができず、不満の塊となり、親に反抗し、強情になり、親が躾けようと思って小言を言うほど、親の言う反対のことをするようになります。 子供が生後10ヶ月に達すると、この時期は道具発見の時期、探索行動の時期と言われます。この時期の子供のすることは実験をし、勉強をしている姿なのです。それを、あれはいけない、これはいけない、と厳しく禁止すると非常に反抗心の強い子供を育ててしまいます。怒りっぽい子供、反抗的な子供は、ここから始まることが多いのです。 満2歳前後になると、子供に自立心が育ちます。すると今までは素直に親の言うことを聞いていた子が、急に自分を主張しはじめ、親の言うことは何でも「いや」と言い始めます。これは成長の一過程なのです。この時期に親が「いけないことはいけない」とわからせるように育てようと思ってきつく叱ると、これがまた子供を反抗的にし、強情にします。 子供は成長の節々で、いろいろな変化を見せて育っていきます。その時期その時期を、親が「今はそのような時期なのだ」と心得て、子供のすることを温かく見守って育てれば大過なく過ごせるのに、親がカッカしてしまうと子供がゆがみます。 |
引用ここまで
出典:
「認めてほめて愛して育てる」(七田眞:著、PHP研究所:発行) |
私と前述の重大殺人犯罪の加害者(いずれも死刑囚)の違いは、ただ一点だけです。
「親と戦えたか」
このような間違った躾に対しては、いくら親といえども、戦争しなければなりません。
私は中学生時代から親と戦争することになりました。
そしてその戦争、今は「休戦中」なのです。
実は、私がこれだけ風船にのめりこんだのも、親と戦争するための一つの答えだったのです。
事実、私の母親は私が起業したことに対して祖父母に対して謝罪し、それに対して厳しく祖父母から叱責されたそうです。
なぜ私の祖父母は私の母親を厳しく叱責したのかは正直分かりません。しかし私の母親は
私を型にはめて育てようとして失敗したことを詫びた
のです。
これは紛れもない事実です。
私の父親は息子の起業を恥じ
私の母親は息子の起業を親類一堂に謝罪した
これが事実です。
だからこそ、私はこれだけ風船にのめりこめたのかもしれません。
結果、鬱症状を引き起こし、適応障害に追い込まれ、その背後には発達障害があった…
しかし、風船に出会ったことによって、自分らしく生きることができたのもまた事実。
風船のおかげで、私は「絆し」を断ち切ることが表向きはできたのです。
この数年の親の行動は、親の敗北を認めず、自分の手元に取り戻そうという印象がしました。自閉症との戦いを幼児期に経験したから、なおさらだったのかもしれません。しかし、それ自体が大きな過ちであったのです。
さらにそれが当時は正しいと認識されていた…
正しいと思われていたことが実際は間違いだった…ですから、親を責めることはできません。
そして、間違いをいまだに正しいと認識している両親の考えを改めることもできません。
私ができるのはこの二つだけ。
自分が選んだ人生を歩むこと
自らの世代で負の連鎖を断ち切ること
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