こんにちは。
最近、私の周囲で抱いた夢に対して前向きに努力する人にたくさん出会いました。
その結果、かえって由々しき事態になっています。
なぜか?
実は私は、夢を見ることが「本当は」「本当に」許されていない状況下に生きているからなのです。
なぜか?
実は私の一番身近にいる人が、いわゆる「ドリームキラー」「ドリームクラッシャー」の部類にあたるのです。
「ドリームキラー」「ドリームクラッシャー」と呼ばれる人たちは、私は2種類あると考えています。それはおおむね9対1の比率でわかれていると思います。9割の方は本当にその人を心配しているから「ドリームクラッシャー」「ドリームキラー」になっているだけで、こういう人に対しては本気を出せば逆に応援してくれる存在になります。
問題は残り1割の方です。本当に夢をかなえるための邪魔を、ありとあらゆる方法でしてきます。様々な方法で足を引っ張ります。私の場合、両親も親族(特に母親の方)もこぞって「断固阻止」を打ってきました。
このような行為をする人は
真性ドリームキラー
あるいは
真性ドリームクラッシャー
と呼びます。(以下「真性」と省略)
そして、その人が「真性」になる背景には、
その人の人生が充実しておらず
その人の人生に余裕がなく
かつ、その人自身がその人の人生を送っていない
ということがあげられると私は思います。
私の場合、母親がそれでした。
母親に同調して、父親もそうなりました。
ここで登場するのが儒教です。
儒教の最大の教えは「孝」です。有名なのは、古代から100年ほど前の清王朝に至るまでの中国では、法に定められているほどで、今でも韓国などではこの精神が生き続けています。
ウィキペディアによると、
道に外れたことを行う君主を三度諌めても聞き入れられなかったら、君主の下から去るべきであるとされたのに対し、道に外れた親を三度諌めても聞き入れられなければ、泣き寝入りして従わなければならないとされた。有能な大臣が、自分の親の喪中に出仕したことを不孝であると咎められて失脚するようなことも起こった。
とあります。
私の家は、父親の家も母親の家も儒教の精神が浸透していています。実家には「論語」があり、私も何度か読みました。
一方で、母親も父親も私が見た限り、「その人自身の人生を送っていない」と思いました。母親の方は叔母も同様でした。
こうなると、
文明の衝突
のようなことが親子間で起こります。
宗教戦争
みたいなことが親子で起きている、といっても過言ではありません。
私はこのような状況下で、家出同然にプロのバルーンアーティストになったのです。
私は親の理解を得るため、ありとあらゆることを試みました。表面上は理解していたふりをしていたのですが、実際は受け入れていませんでした。そして積年の恨みを晴らすようなことをしてしまったのです。
私は最初、なぜこのようなことを親がしたのか、理解ができませんでした。親がやったことは「道に外れた」ことでした。そしてなぜ親が「道を外れてしまった」のか、私はありとあらゆることを調べました。その結果、
私は夢を抱いて生きてはいけない宿命にあった
ことが分かったのです。
自閉症、それに伴う発達障害、今では幼少期なら児童デイサービスでの「療育」を通して緩和することが可能です。私が幼少期だった1970年代、そのようなものはありませんでした。結果「悲劇」が起きたのです。具体的な「悲劇」の内容を知ったのは最近のことでした。
結局どこに最大の原因があったのか。
母親の家に、誰一人として自分の人生を送ることができた人が一人もいなかった
ことが最大の原因ではないか、という結論に至りました。
母親、そしてその両親、さらに先祖代々そのような教育が連綿と伝わり、加えて自閉症の子どもを産んだことが「家の恥」とされた…母親がメンツをかけて自閉症を「治療」したのもわかるような気がしました。
そして、そのような家に生まれたが故、私は
本当に夢を抱いて生きることが許されなかった
のかもしれません。
私は本来、親の望むとおりの人生を歩むべき宿命を背負った人だったのです。
ところが、私は宿命に背いて、夢を抱いて生きてしまったのです、20年近い間。
そして夢をかなえてしまったのです。
宿命に気づいたのは、夢をかなえてしまった後でした。
私は自らの中に矛盾を抱えて生きることになってしまったのです。
これ以上夢をかなえるのなら、「孝」にそむくことになる。
しかるに、私が叶えた夢によって、多くの人を元気づけ、多くの人を感動させ、多くの人を幸せにしてきたのも事実。
ならば、私ができることは何か…
叶えてきた夢を通して、他の人の夢を叶える手助けをすること。
これだけです。
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