こんにちは。
昼休みの投稿です。
仕事の合間に見かけた文章。
ソウス
その中の一部分。
組織のからくりを理解して行動している。それも10代のうちから。
発達障害を抱えている人は、これが理解できない。仮に理解できても、「不条理」として戦うことを選ぶ。
その背景が完全主義思想であり、その根底にあるものが親のゆがんだ愛情にある。
その結果、「どんなに結果を残して行っても、やがてつぶれる」ことになってしまう。
そうなると、人間の基礎というのは、幼少期から思春期に入るまでの間にできることになり、親の役目の重要さを改めて認識する必要がある。
私の場合、先天的な自閉症を抱えていて、それを治すためだけに幼少期が費やされた。当時は自閉症は治るという考えが主流で、両親もそれに呼応した。今では考えられないことであるが、70年代当時と今とでは全く状況が異なり、加えて親(特に母親)の幼少期にも厳格な家庭教育があったらしいから、それが連鎖して今に至っているというのが私が出した結論。
発達障害、自閉症、そしてアダルトチルドレン…
結局のところ、組織の中で出世できるか否かは、幼少期から10代までの親の教育で決まるような気がしてならない。それを誤ると、後々子供がひきこもりや不登校になってしまう。
私の父親は、ビジネスに心理テクニックを取り入れることで、某大手企業の部長まではなることができた。しかし、これ以上となると、心理テクニックだけではどうにもならない。
そして、心理テクニックを子育てに適用しようとすると、アダルトチルドレンになってしまう。ひどいと不登校や家庭内暴力の原因になる。
そのような親に育てられると、人間の根っこのところで、社会に出た後で苦しむことになる。以前述べたことのある「他人を寄せ付けない厳しさ」をまとい、結果その人の努力が反映されにくい状況にぶつかってしまう。たとえその人がどんなに能力があろうとも。
かくして親の責任は重大である。
ましてや発達障害の疑いあり、と診断された場合、今では70年代当時と違って、適切な対処方法があるという。一番効果があるのが
ほめる子育て
だという。そして、豊かな環境の中で子供の感性を磨くことだという。
私は残念ながら、あまり親に褒められた記憶がない。むしろ殴られてばかりだった。山の中に放り投げられたこともあった。体罰、暴力は何度もあったし、ある時はボウルが壊れるぐらい激しく殴られたこともあった。
厳しくしつけることがよい子供を育てるとかたくなに信じていた両親だった。今では「間違った子育て」と判定されるに違いない。それが昔はまかり通っていた。「ほめる子育て」は軟弱な子供を育てることにつながるとして、どちらかといえば否定されていた。
今と当時の常識は大きく異なっていたし、ましてや自閉症を完治することは不可能に等しいというのが今の考えの主流である。だから私はすでに
親を責めることはできない
と結論付けている。
10代の時から、私は親と戦ってきた。親と戦うこと自体
異常
である。だが、私はこの異常の原因の根底がつい最近まで分からなかった。その原因がどうしようもないところにあるということが分かった今、
現実を受け入れる
ことが一番大切だと感じている。だから私はプロとしてのバルーンアーティストを引退した。自分一人でできることの限界を思い知らされたからである。やれるだけのことをやってダメだったのだから、悟るしかないのである。
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