2015年1月18日日曜日

自己肯定と自己否定

こんばんは。
今日は広島は「全国男子駅伝」でした…が、井口中継所で福井が途中棄権、愛知は襷投げで失格…こんなに荒れたのは珍しいです。私は電車に乗っていて、途中で先導の警察車両が見えたので下車し、そこから沿道で応援しましたが、福井の途中棄権は街頭テレビで知り、愛知の失格はネットニュースでたった今知りました。


それはさておき、自己否定の根源って一体どこにあるのか…と考えてみました。


ソウス


上記ソウスより引用


ある時、上司に仕事を頼まれたとしましょう。その時、自分なりに仕事を仕上げましたが、自分の出来る範囲の精一杯の力で仕上げた仕事であるのに、出来上がったものが、上司が要求したレベルを満たしているだろうかと、自信が持てず、大きな不安が生じて、やっぱり自分がする仕事なんてダメなんだと思って提出自体に躊躇してしまう。そして、ようやく実際に上司に、仕事を提出し、『良く出来ているね!』と褒められても、素直に『ありがとうございます!』と喜べない人。逆に、ちょっとここの部分を修正してなどと言われようなものなら『自分にはこんな仕事も出来ないんだ!』『使い物にならない人間なんだ!』と思ってしまう人。
このような人が、自己肯定感の低い人と言えるでしょう。


引用ここまで


はっきり言います。
私は自己否定の塊です。
自己否定を打ち破るためにバルーンであれだけのものを築き上げたのです。


その自分で築き上げたものを自己否定しようとしていたのです。


どうしてこのような、馬鹿げたことを私はしようとしていたのでしょうか。


このような行動をする背景には、親の存在が関係しているようでした。
幼少期の親の育て方に問題があったということです。
この問題については極めて根深いものがあり、その根源は母親の故郷である鹿児島の風土(=薩摩藩)が絡むという、自分の力ではどうすることもできないところに原因があると認識しています。
そういう鹿児島の暗部については「薩摩剣士隼人 第一部完結編」でも取り上げられており、たびたび私が問題視する「レッテル貼り」が関係しています。そして悪役「ヤッセンボー」はその象徴です。


鹿児島以外の人は恐らく何のことやらさっぱりわからないでしょうから、ウィキペディアかユーチューブで「薩摩剣士隼人」と検索してください。
私の言っている意味がわかります。


20代前半、社会人1~2年目のころの自分自身は、本当にひどいものでした。ギャンブル以外に趣味がないという状態でした。
そこから、このブログのトップにもあるような立派な1冊の作品集が作れるまでのバルーンアーティストになったこと自体、客観的に見ればすごいことだったようです。


しかし、私が相談を持ち掛けたとあるキャリアコンサルタントがとんでもない発言をし、それを私が呑み込んだことによって再び自己否定に走るようになりました。


バルーンアートのキャリアは所詮キャバ嬢やホストと同じ


私は納得してしまいました。


確かにキャバクラやホストクラブの装飾が多いのは事実です。
最大の顧客がキャバクラやホストクラブというバルーン業界の現状もあります。
しかし、キャバ嬢のコミュニケーション能力のすごさをどう評価していたのでしょうか、このキャリアコンサルタントは?


そして私は、本当の自分を殺して、ただ会社の命令に従ってのみ生きるロボットとしての人生を模索しようとしたのです。親のためだけに人生を生きることを模索したのです。
たとえ、どんなに親が過干渉・共依存であったとしても、泣いて従うことが子供の務めであり、義務であるという考えに立っていました。まさに
儒教
の価値観です。そして、自分自身、儒教的価値観に賛成で、
孝経
を読んでみたくなったほどです。親に間違いがあっても、それに従うのが子の務めという考えに私は同感でしたし、それより何より、私の両親は儒教の熱心な信奉者だったのです。


これが実は、自己否定の根底にあったのです。

儒教的価値観と自らがつくりあげたバルーンアートに大きな齟齬がある…

私は自己矛盾を抱えていることがわかりました。


どちらかを否定しないと、自分自身が成り立たない状況にあったのです。
私はバルーンアーティストとしての自分を否定することを試みました。
結局それはできませんでした。


そうなると、バルーンアーティストとしてのありのままの自分を受け入れるしかありません。
自己否定の塊にとって、自己肯定ほど難しいものはありません。


実際、ここ数日とあるブライダル業界の関係者とブライダル業界の現状を話し合う機会がありました。その中で私は、
「私が手がけるバルーンアートの作品づくりに、発達障害などでに苦しむ人たちを参加させたい。そして感動を共有することによって社会へ踏み出す一歩にしたい」
という話をしました。その時の表情がとにかく笑顔で、生き生きとしていて、輝いているといわれました。


私が本当にバルーンアートを通してやりたかったのは、新郎新婦様やゲストの皆様だけではなく、その場に居合わせた人すべてが感動し、幸せな気持ちになっていただくことだったのです。
このような仕事を数多く私は経験してきたのですが、それは一方で、結婚式場や広告代理店などにうまく「利用」されてしまう側面もあったのです。そのはざまで私はもがき苦しみ、プレッシャーに押しつぶされ、最後は「仕掛けた演出が失敗した=演出事故=返還欠場」が同時多発的に起きる「大返還」を惹き起こして、鬱に似た症状を呈し、原因究明の中で発達障害が判明したのです。
最後はただ「こなす」だけの仕事になっていた面もあります。


このような状況で、感動や幸せ、そしていつまでも心に残る思い出を作ることはできるはずがありません。


いたるところで自家撞着になっていた私は、一度引退するよりほかなかったのです。


そして私は、今までの自分は死んだものとして、すべてを入れ替えることを考えたのです。そのためには徹底した自己否定をする必要があったのです。「人間改造」の域まで私は挑もうとしていたのです。人格改造セミナーへの参加すら考えました。


そこまでやる必要がはたしてあったのでしょうか…答えは「ノー」でした。
私は、親孝行するためには徹底的に自己否定をし、人格改造を断行する覚悟でいました。そこまでやって親に尽くすことが、親孝行だとかたくなに信じていたのです。
結局、それは間違いだったのです。というより、親孝行以前の問題だったのです。


私は現在、近い将来のバルーン業界への復帰を考えていますが、
バルーン業界やブライダル業界の現状が変わらない限り、バルーンを生業にすることはあり得ませんし、できませんし、してはいけません。
同じ過ちを繰り返し、再び自己撞着を惹き起こすだけです。
今のバルーン業界やブライダル業界、本当に人々に感動や幸せを与えることができる現状にあるでしょうか?
このままでは私と同じ苦しみを味わう人が再び出てしまいます。
そして何より、本当に私がやりたいことができません。


私の風船に対する思いから、どれだけのことを学ぶことができるのでしょうか…
それだけのものが形として残っている事実がある以上、自己肯定はしても自己否定はする理由がないのです。

このコラージュ写真に対する私の思い、感じることができますか?

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