2015年9月22日火曜日

40年前の自分、22年前の自分に…

こんにちは。




思うところがあって上の景色が見えるところに行きました…

というか
♪迷子の迷子の大猫さん
♪あなたの答えはどこですか


という状態が長く続いています。

というわけで、上の景色が見える都市に行ってきたのです。





私が3歳か4歳の時に一人でふらっと家を出て、ずっと座り込んでいたという神社。
写真は取らなかったが、この神社の鳥居を見た時、その時の記憶がよみがえってきた…40年前、幼少期の私が見た景色はこれだったのでしょうか…
警察も出動する騒ぎになり、夜になって警官に見つけられ、ものすごく母親に怒られ、殴られ、ひたすら泣いた記憶が今でもあります…
というか、母親はいつもその母親(=私の祖母、すでに故人)に厳しく怒られていたらしいです(本人談)。ちなみに私の祖父母は当時、この都市に住んでいました。

当時の私は、自閉症でした。(今の発達障害はその名残である)
言葉がしゃべれませんでした。
どこの幼稚園にも保育所にも受け入れてもらえず、母親はひたすらその両親の呵責に耐えていたそうです。
そして躾を厳しくすることが子育ての正解とされていて、それが常識だった時代だったのです。

さらに言えば私は「就学猶予」になっていた可能性もあったのです。
就学猶予についての「ソウス」
当時は、就学猶予・就学免除という制度が残っていたからです。当時は、自閉症のお子さんは、御両親が非常に強い御意志を示されて、そして周囲のバックアップがあって、普通学級にお入りになるという方がごく一部いらっしゃっただけでした。今思うと、かなり高機能の方です。あとの方は殆どが就学猶予でした。そして児童学園というところ、または、このデイケアのようなところにお入りになるのですが…(以降省略)
引用ここまで
私の両親が目指していたのは、色が濃い部分だったのではないか、と思います。何しろ当時でも珍しかった「自閉症を治す手術」を別の都市の大学病院で受けたくらいですから。結果は
自閉症が「高機能自閉症」になっただけでした。
それでも小学校では普通学級に入学できました。というより「自閉症は治った」とつい数年前まで思っていたそうです、私の両親は。



その後、この都市特有の「坂の街」を体感すべく、路線バスと徒歩で山の中腹を歩くと、このような景色に出会いました。
ほぼ同じ景色を22年前に眺めていました…

当時私はこの都市にある大学の4年生。当時もうすでに氷河期でしたが、バブル期から一転した状況に戸惑い、そして何より情報不足でした。それでも何とか内定を2社から得たのですが、1社は親の紹介で内定を得たも同然で、それをけってあえて給料も安い、休日も少ない、労働条件が悪いバス会社の方を選びました。さすがにこの件は親が根に持つことはありませんでしたが…

そして大学生活も残り半年、卒論をまとめるためにこの都市を含めた九州の主要都市を歩き回っていました。

今回私はこの都市のバスに1日乗り放題のチケットで乗っていたのですが、多かったのが
高齢者専用定期券
この都市のみならず、この都市以外を運行するこのバス会社のバス全部に1か月6000円で乗り放題の定期券の利用者が圧倒的多数でした。坂が多く、高齢化が進行している都市ゆえの現象でしょう。私は坂の多い都市とそれ以外では路線バスのシェアが大きく違うことと、吸引力の大きい都市への高速バス需要が大きくなるという予測を自らの卒論で立てましたが、それ以上の変化をしてしまいました…結果、坂の多い都市以外では車社会が進行し、さらに今では自転車が主流になっています…結果、バス会社にいるより風船屋をやった方が地域社会に貢献できると判断するまでに至りました。地方に行けばいくほど、路線バスはもはや「福祉」になっています。過疎地では80歳、90歳になっても車が生活必需品で、認知症を患った高齢者の無謀運転が問題になっているくらいですから…

しかし、本当の目的は別にありました。
この都市にあるとあるバルーンショップを訪問することが目的でした。
結論から言うと、
行って正解
でした。
以前「私と同じ主張をするバルーンショップのオーナーさんがいる」というようなことをこのブログで延べました。その方に会いに行ったのです。
バルーン業界のあるべき姿、将来どうあるべきかについてなど、約3時間も延々と議論できました。
それでも私はこう思いました…
やっぱり厳しい…
詳細は後日。

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