2015年9月16日水曜日

バルーンデコレーター…豊かかつ成熟した社会だからこそ生まれた職業

こんにちは。
このブログは、10年以上の長きにわたって「バルーンデコレーター」=「プロバルーンアーティスト」であった私が、長年の無理の結果鬱症状を呈して仕事を失って実質ニートになり、そこからどうやって這い上がるか、ということを中心に多角的に述べています。
このブログにはところどころ引用もあります。それは「なぜ私が長年無理をせざるを得なかったのか、そしてその本当の原因はどこにあるのか」を明らかにするための引用であり、論拠なのです。

今思うのは、仮に2012年5月の危機を乗り切ったところで、そのあと訪れた2012年11月から2013年春ごろのヘリウムガス払底という危機は乗り越えられなかったに違いない、ということです。
今にして思えば、2012年がやはり限界だった、ということでした。
その後バルーン業界もブライダル業界もトレンドが激変し、私が目指していた方向とバルーン業界の大きな流れが全く違う方向に向かってしまい、仮にあのまま続けていたらもっと傷口が広がっていた、というのは間違いなかったと痛感しています。
何しろ2013年の上半期、とりわけ2012年の12月から2013年の4月ごろまで、ヘリウムガスの入荷は困難を極め、何もできないという状態に陥っていました。その中から生まれたのがバルーンスタンドだったのですが、私にそこまでの気力が残っていませんでした。
結局ヘリウムガス払底とそれに伴うトレンドの激変が私に引退を決意させる最大の要因となったのですが、ヘリウムガスの供給は2014年になると以前のように回復しました。
他方私は、これまでの経験を生かせる場はないのかという模索を続け、最終的に福祉という全く違う角度からバルーンを見てみたところ、
これはいかせる
と判断、今年春以降広島市内のとある就労移行支援施設と二人三脚でバルーンに取り組んでいるのが現在の状況なのです。
ですから、私は以前やってきたようなことは、基本しない方針です。
私にお願いしたい、というオファーがあれば、その時はもちろんやります。
私がこれまでやってきたことは、若いバルーンデコレーターの皆さんに、どんどんやっていただきたいです。もう私は「ベテラン」の域を超え、「老兵」に近づいています。

そのような今の状況ですが、そもそもどうしてバルーンデコレーターが「職業」として成立するようになったのか、社会背景を考えてみました。
江戸時代から明治維新、世界恐慌、第二次世界大戦、そして高度経済成長期からバブル崩壊直後(平成5年=1993年ごろ)までを振り返ってみるのにいい本がありました。
「ひきこもりと家族トラウマ」(服部雄一著、2005年、NHK出版
上記著書より引用
昔はひきこもりはいませんでした。たとえば江戸時代の若者がひきこもっていたという文献は見たことはありません。それどころか、戦後、経済成長前の貧しい日本でもひきこもりはいなかった。ひきこもりが社会的な問題として登場してくるのは、80年代後半のバブル期あたり、そして新開などで取り上げられ始めたのはバブル崩壊後です。
 なぜ、ひきこもりは日本経済が破綻した頃に斯在化したのか。その問題を解くキーワードは「豊かさ」だと、私は考えています。個人を否定する日本では昔から、ひきこもりが生まれる素地があったのです。しかし、貧しい時代は、それが問題にならなかった。誰もが食べることで必死だったからです。

人口の減少に加えて、経済、教育、政治、社会システムの崩壊が続きます。この崩壊の原因になるのが「システムを変えられない日本」を作る「和の文化」です。和の精神を重んじる日本社会は「自分からは方向を変えられない」という致命的な欠陥をもち、そのために社会崩壊が進んでいきます。しかも、その問題を見ない「臭いものにフタをする習慣」が問題を悪化させています。(中略)
 日本人は、今度は子どもの感情を抑圧する日本的しつけと教育を変えられずに、子どもを病気にしています。

引用ここまで

少なくとも上記著書から言えるのは、高度経済成長期まで日本は貧しかったのです。貧しいということはすなわち「生きていくために働かなければいけない」ということであり、生活、暮らしが最優先の時代だったのです。
さらに日本は「農耕社会」。親の生き方を子供に押し付けるのが正解でした。それに大きな役目を果たしたのが
儒教
でした。

こうしてみると、二つのことが見えてきます。

まず、私と両親の衝突ですが、これはもはや
文明の衝突
レベルと言わざるを得ません。言い換えれば
宗教戦争
レベルです。親と子供の思想が根本から違うのですから、もはやこれはどうしようもありません。過去から現在に至るまで、宗教対立および思想対立が戦争の大きな原因であることに変わりはありません。私の場合、不幸にも家庭内で思想対立が起きているのです。すなわち
古い日本的な行動様式と近代的な自我の衝突
が家庭内で起きているのです。もはやこうなると、自浄作用が働きません。母親もこの衝突を経験し、古い日本的な行動様式に取り込まれてしまい、結果自分で自分を苦しめているのです。

もう一つですが、社会に余裕が出てきた、豊かな社会になったという観点から見ると、
豊かゆえに生き方が多様化した
ということが言えます。その中で生まれたのがバルーンデコレーターという職業なのかもしれません。女性の社会進出はそれを後押ししています。
高度経済成長期、風船といえば
単なる子供のおもちゃ
でした。
しかし今では
空間を華やかに彩るアイテム
であり、そして
人々に感謝の気持ちや幸せな気持ちを伝えるメッセンジャー
としての地位を確立しています。
日本では、前者よりも後者の方が主流になっています。私は前者の方のバルーンを志向していました。しかし今の主流は後者。前者と後者に求められる素質は大きく異なります。後者に求められるのは「コミュニケーション能力の高さ」であり「他人に感謝できる人」です。
これらは
親に感謝できる人でないと高めることができません。
前者はそうでもなく、むしろ想像力とそれを形にする技術が重要です。

海外でも日本でも、フラワーショップとバルーンショップの融合が進みつつあります。共通しているのは
人々に感謝の気持ちや幸せな気持ちを伝えるメッセンジャーとしてのアイテム
であり、同時に
社会が物質的にも精神的にも豊かになった
ということなのです。

昨年だったか、韓国で花の消費量が減っている、ということが言われていました。
私は日夜世界のバルーン業界の動向を見ていますが、韓国はバルーンの需要も伸びていないような印象を受けます。というか数年前まで急速に伸びたものの、そこで頭打ち、というような印象がします。
韓国は物質的にも金銭的にも豊かになりましたが、異常なまでの競争社会で、自殺率も日本の倍以上という状況です。加えて儒教が最重要視されている(すなわち親の考えが絶対である)国で、結果精神が貧しいままの状況になってしまったのかもしれません。
そうしてみると、精神的な豊かさとバルーン、風船の関係はある意味密接なのかもしれません。

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