2016年12月24日土曜日

親孝行と「孝」、絆と「絆し」

こんにちは。
2016年も押し迫り、今日はクリスマスイブ。
私は今年もシングルベル…なのですが、昨日も明日もパーティーや飲み会。
たまたま一人でじっくり考える日がイブにあたっただけです。

このブログの2012年以降のテーマの一つとなったのが、見出しの問題。

この二つに私は縛られ、あれほど好きな風船を捨てざるを得なくなり、結婚しても相手に苦労を掛けると判断して生涯独身のライフプランを立てざるを得なくなったのです。
そしてその原因は広島のどこを探してもなく、遠く離れた鹿児島に答えがあったのです。

で、見出しの問題について。
私の場合、親子関係が「孝」をもとに成り立ち、その結果絆が「絆し」になってしまっていました。
母親が精神疾患を患い、自殺未遂をした原因は、母親がふつう長男にするような異常なまでの厳しい躾にあり、そもそもその厳しい躾を私の母親に対してした原因が母親の兄の夭逝にあったのです。
事実、私は母親の祖父母から異常なまでに可愛がられました。一方で自閉症児を生んだと母親は祖父母から厳しく叱責され、一家心中を試みたという話も耳にしました。その結果、私には妹か弟がいたのですが、この世に生を受けることがありませんでした。
そのような特殊事情があり、かつ当時は今と異なり発達障害に対する認識がなかった時代です。
厳しい躾の結果、私は非行に走りましたし、食毛症を発症して、今でも続いています。
いずれも親からの精神的なストレスが原因と今では言われていますが、70年代の当時はもっと躾を厳しくしろといういうのが主流でした。私の両親はいまだにこの考えの持ち主で、かつての首都の知事などの超保守的な考えを支持しています。
そして、私は一時期儒教にはまりました。私の両親及び私の「イエ」にある考えの背景が儒教にあると判断したのです。
儒教の教えを刷り込むことが、真っ新な自分になって、親に忠実に従うことができる、それがすなわち親孝行だと考えたからなのです。どんなに間違った考えを持った親でも、それが親である限り、子は泣き寝入りして従わなければいけないという考えに自分を持っていこうとしました。

それは結果できませんでした。

しかし、私は親孝行できません。
そして、両親と私の間には、絆ではなく「絆し」で結びついています。

これが私の家、とりわけ母親の方の「イエ」を貫いています。

このような「イエ」ですから、私は他人を巻き込みたくないのです。
結婚するということは、否が応にも巻き込むことなのです。
私で先祖代々続く「イエ」の負の歴史をとだえさせることが幸せになるためのすべという結論に達しました。

すでに、私は両親が亡くなった後の身の振り方を考えています。
私は孤独になるのは確実ですが、施設に入るつもりはなく、私の死後は行政にゆだねるつもりです。それも、広島ではなく、鹿児島の。
私が亡くなった後は相続人はいないはずです。遺産もないはずです。私はそれこそ無縁仏として処理されることになるでしょうし、極端な話遺骨も全部産業廃棄物として処分されていいとさえ思っているのです。
私の両親までは、永代供養の納骨堂に収めたいです。すでに日本全国、もちろん鹿児島にも永代供養の納骨堂ができています。このような納骨堂は墓地不足で全国的に増えています。
政府は「産めよ育てよ」という考えです。
しかし、私のようにそれができない人もいるのです。

厳しいことを言うようですが、秋葉原、荒川沖、下関駅の死刑囚も背景にあるのは
「厳しすぎて、かつ誤った親の躾」
だと私は思います。

以下引用 ソウス

「間違った厳しさ」
小さい時に厳しく育てることが大切といっても、間違った厳しさはかえって子供の発達をおかしくします。
親は自分の望むことを子供が進んでするように躾ようと思います。躾が大切、厳しく躾けなければいけないと言う時、母親の心に潜在的に働いているのは、この願望です。
この厳しさは間違った厳しさであることに気づいてくださらなくてはいけません。これは、大人の気に入った型の子供に仕立てるという気持ちが濃厚です。大人の意図に従わない時、禁止、叱責、罰が下されます。
目指す子供像は何でしょう。自ら考え、自主的に判断し、行動し、意志強く目的達成のために努力する。こういう子供を育てることにあるのではないでしょうか。
それなら叱って育てることを、厳しく育てることと勘違いをしていてはダメです。
これからの子育てでは、何よりも21世紀に役立つ子供を育てようという目的意識を持って、子育てをしなくてはなりません。
では、21世紀に役立つ良い子というのは、どのような像でしょうか。
私たち親が良い子という場合、両親の言うことをよく聞く子、先生の言うことをよく聞く子というように、親にとって都合のいい子をよい子だと考える傾向があります。
ところが、このような子供は、むしろ問題のある子供で要注意なのです。このような子供は、毎日おとなしく問題を起こさずに育ったとしても、自己主張がなく、社会の役に立つ貢献ができない人間に育つおそれがあるのです。
中学生、高校生になって家庭内暴力をふるう子供たちがいます。この子達の小さい頃を調べてみると、両親の言うことをよく聞いて、いい子だったとう例が非常に多いのです。小さい頃、いい子であまり自己主張をすることがなかったら、大きくなり、体力もでき、親の権威が薄くなった頃に、突如として家庭内暴力と言う形で自己主張が始まるといわれるのです。
だから、小さな頃の反抗は喜ばなくてはいけません。子供の反抗期があるというのは、子供の成長にとって、とても大きなプラスの意味をもつものなのです。
子供の反抗の効用を書いてみます。

1.子供が親と違う自分自身の考えを持つように成長した。

2.自分の考えを、態度や言葉で言い表すことができるようになった。

3.いくら叱られても、嫌なことは嫌、違うことは違うと堂々と発表する勇気を持つようになった。

このように、子供の側に3段階の進歩があり、自分の気持ちを主張することができるようになった結果、欲求不満を心の中に溜め込まずにすませることができるのです。

大人の考えたことに子供が疑問を持ち、考えたことを素直に発表することは、人間の進歩につながります。子供が口答えをしない、反抗をしないというのは、むしろ困った姿で、子供の何でもかんでもが抑えられたなら、人間の進歩はなくなってしまいます。
そこで、口答えや反抗を、むやみに叩いたり、叱ったりしてはいけません。子供の言い分を十分に聞いてやらなくてはいけないのです。するとそれは子供の発表の能力を育て、一方大人を賢くするのです。
親が子供に厳しくするというのは、大きくなって子供が自立できるようにするためです。それには次のような点で厳しくすればよいのです。

1・我慢できる子供にする。自分の感情のままに走らず、自分でセーブできる子にする。

2.社会のルールがわかる子にする。人を傷つけること人に迷惑をかけることをいけないとわかる子に育てる。

3.自分の行動に責任を持つことができる子供に育てる。

4.目標に向かって根気よく粘る子供に育てる。

~中略~

小言の多い親は子供のすることを、いちいち制限しがちです。子供はそのためにまっすぐ、すくすくと育つことができず、不満の塊となり、親に反抗し、強情になり、親が躾けようと思って小言を言うほど、親の言う反対のことをするようになります。
子供が生後10ヶ月に達すると、この時期は道具発見の時期、探索行動の時期と言われます。この時期の子供のすることは実験をし、勉強をしている姿なのです。それを、あれはいけない、これはいけない、と厳しく禁止すると非常に反抗心の強い子供を育ててしまいます。怒りっぽい子供、反抗的な子供は、ここから始まることが多いのです。
満2歳前後になると、子供に自立心が育ちます。すると今までは素直に親の言うことを聞いていた子が、急に自分を主張しはじめ、親の言うことは何でも「いや」と言い始めます。これは成長の一過程なのです。この時期に親が「いけないことはいけない」とわからせるように育てようと思ってきつく叱ると、これがまた子供を反抗的にし、強情にします。
子供は成長の節々で、いろいろな変化を見せて育っていきます。その時期その時期を、親が「今はそのような時期なのだ」と心得て、子供のすることを温かく見守って育てれば大過なく過ごせるのに、親がカッカしてしまうと子供がゆがみます。

引用ここまで
出典:
「認めてほめて愛して育てる」(七田眞:著、PHP研究所:発行)

私と前述の重大殺人犯罪の加害者(いずれも死刑囚)の違いは、ただ一点だけです。
「親と戦えたか」
このような間違った躾に対しては、いくら親といえども、戦争しなければなりません。
私は中学生時代から親と戦争することになりました。
そしてその戦争、今は「休戦中」なのです。

実は、私がこれだけ風船にのめりこんだのも、親と戦争するための一つの答えだったのです。
事実、私の母親は私が起業したことに対して祖父母に対して謝罪し、それに対して厳しく祖父母から叱責されたそうです。

なぜ私の祖父母は私の母親を厳しく叱責したのかは正直分かりません。しかし私の母親は
私を型にはめて育てようとして失敗したことを詫びた
のです。
これは紛れもない事実です。

私の父親は息子の起業を恥じ
私の母親は息子の起業を親類一堂に謝罪した

これが事実です。

だからこそ、私はこれだけ風船にのめりこめたのかもしれません。

結果、鬱症状を引き起こし、適応障害に追い込まれ、その背後には発達障害があった…

しかし、風船に出会ったことによって、自分らしく生きることができたのもまた事実。
風船のおかげで、私は「絆し」を断ち切ることが表向きはできたのです。

この数年の親の行動は、親の敗北を認めず、自分の手元に取り戻そうという印象がしました。自閉症との戦いを幼児期に経験したから、なおさらだったのかもしれません。しかし、それ自体が大きな過ちであったのです。
さらにそれが当時は正しいと認識されていた…
正しいと思われていたことが実際は間違いだった…ですから、親を責めることはできません。
そして、間違いをいまだに正しいと認識している両親の考えを改めることもできません。

私ができるのはこの二つだけ。

自分が選んだ人生を歩むこと
自らの世代で負の連鎖を断ち切ること


2016年11月10日木曜日

組織の歯車になる訓練?

こんばんは。
このブログですが、見てのとおり、更新が滞り、存在意義が問われつつあります。
「顔本」や「言葉版」の最近の自分の書き込みを見ると、キラキラピカピカした記事ばかりが目立ちます。
想いがカタチとなり、そしてはじける!、ということ
くす玉のような存在って?
私の風船に対するこだわり
いずれも「言葉版」の最近の記事です。リンクを張っているのでご覧ください。













最近の作品の写真です。社員として初めて迎えた、昨年も行われた福祉関連イベントです。

そこでつくづく思うのが、最近一部の就労移行支援事業所で顕著な
就職予備校化
の問題と、私の母親の
インナーチャイルド
の問題である。
一見関係ないようだが、この二つの問題は密接につながっている。

私が以前通っていた就労移行支援事業所。
もう3年近く前になるが、1年近い間、ここに通っていた。
その就労移行支援事業所、当時私とかかわっていた職員は所長は同じ会社の別の部署へ、それ以外の職員は全員退職し、別の就労移行支援事業所に移籍したり、公的機関に転職したりしている。職員は全員入れ替わった。そして今や、名前だけ同じで、当時とは訓練内容も目指しているものも全く異なっている状態になっている。
この就労移行支援事業所の現在の印象を率直に言うと、ズバリ
就職予備校
の一言である。
訓練の全ては就職のためにあり、そしてそこで定着するためにある印象が強い。
私は一時期、この現状を憂えていたが、今では
「これもありでは」
と思えるようになった。
一つは就労移行支援事業所の選択肢が増えたこと。様々なタイプの就労移行支援事業所から選べるようになり、合わない、と思えば体験の時点でやめてしまえばよい。今、ここの印象は
就労経験の浅い30代前半までの若い人向き
である。一度個性を捨てて型にはまった生き方をしたい人向きであるし、事実「型にはめる」訓練が多い。それがもう一つの理由であり、今やこの就労移行支援事業所の特色になった。実際最近ここに通っている人たちは、自分の「型」がなく、どのような生き方をしたらいいのかわからない人が多い印象がする。そういう人はそれこそ「型にはまる」必要がある。一度型にはまってみて、そこで生きていけるかどうかは型にはまらないと分からないと私は思う。

他方、それより大きな問題が、後者の「親のインナーチャイルド」である。
私の場合、母親が深刻な「インナーチャイルド」を抱えて生きているように思う。このような場合、母親は「アダルトチルドレン」となり、子供から見れば「毒親」になってしまうことが多い。
正直言う。
旧Y's Dreamが廃業に至ったのは母親にも大きな原因があるといっても過言ではない。

母親は厳格な躾を両親から受けて育ったという。
そしてことあるごとに「子供を起業させて申し訳ない」と謝罪していたという。
母親の両親は鹿児島出身である。子供、すなわち私が風船屋Y's Dreamを起業してからは、鹿児島に近づかないようにしていたという。
やがて長年の無理がたたって、私はうつを発症し、休業に追い込まれた。その時母親がやったことは…
母親の母親、すなわち私の祖母が亡くなったあたりから、母親もまた精神疾患になってしまった。原因不明の体全体の痛み…自殺未遂もしたらしい。
自殺未遂の話を聞いて、私は廃業を決断した。

私は母親が何を望んでいたのか、わかっていた。
母親はことあるごとに私が自衛隊に入ることを望んでいた。
子供が戦死しても、国のために死ぬことは名誉だと考えていたらしい。
労災や過労死で死ぬことは「殉職」だとも考えていたらしい。
そもそも母親はかつて、私が幼いころ自閉症の症状が顕著に出ていたころ、一家心中を考えたらしい。父親が説得して止めたという話を耳にしている。その父親も真夜中に山の中に置き去りにするようなことをした。

母親は子供を自らの親の望むように育てたかったのだろう。ところが自閉症の症状が出て、就学猶予の可能性すらあったという。1970年代後半の話である。
今なら児童デイサービスに入所して療育に取り組むべきケースであるし、そもそも1970年代後半と2010年代も後半に差し掛かりつつある今では社会が全く異なる。1990年代前半までは「型にはまった生き方」が幸せに生きる必須条件であった。ところがバブル崩壊→失われた10年→リーマンショック→東日本大震災と経て、価値観が激変した。

私が風船にどっぷりつかり、全くこれまでとは異なる生き方をしてきて、結果、全くなかった価値を生み出すまでに至った。このような生き方から脱却しようと、私は儒教を学んだ。両親の生き方、そして家に代々伝わる生き方の背景にあるものは儒教だと判断したからである。同時に徹底的に型にはまる努力もした。自ら築き上げたものを捨て、真っ新の状態にして、生まれ変わろうということを考えた。それを望んだのが母親であり、父親であった。儒教の教えの最大のものは「孝」であり、「たとえ親が間違っていても、それに泣いて従うのが子供の義務である」と自らの心をすべて入れ替えようと努力した…が、できなかった。

親の望むとおりに生きる、すなわち親の人生を子供が歩むのは、どこかで無理が生じるのが摂理である。私の場合、どこに問題があるのかをすべて一つ一つ調べ上げ、鹿児島の先祖の墓も調べ、結局最大の問題が母親の「イエ」にあり、母親のインナーチャイルド、すなわち生きにくさの原因となっているところまで突き止めた。「毒親の連鎖」もこれでわかった。さらに「私は結婚してはいけない」という宿命を抱えていることまでわかった。「結婚できない」のではなく「結婚すべきではない」のである。なぜなら、私が結婚すると、妻を不幸にするし、子供を虐待する恐れが非常に高いからである。私にも母親、あるいは先祖代々伝わる「毒」の連鎖が及び、その連鎖はその子供にも伝わる危険が非常に高い、ならば結婚すべきでないし、親になるべき人ではない、妻を巻き込み、子供を不幸にするだけである、と判断したからである。

そのような状況の中で、母親に孝の限りを尽くそうと思ったし、そういう親でも親孝行する義務は私にある。だから私は「型にはまる訓練」を自らに課した。なぜなら母親に罪は全くないからである。今では誤りかつ不必要とされる「舌の手術」も1970年代当時は最善の方法だとされていたし、1970年代と今とでは時代が全く異なるからである。

2016年10月26日水曜日

昨年の今頃を振り返る…と何かが見える?

こんばんは。
最近このブログの更新頻度が落ちています。
最近私も「顔本」なるものをするようになり、加えて写真共有アプリなるものもしていて、そちらに重点を置くようになったのもあります。
しかし、最近のアメブロを見ていると…。

近くこのブログの在り方を見直す時期に来ているのは間違いないようです。

さて、今日は一日何もしないで過ごしました。
この先しばらく忙しくなるからです。
年に一度の大勝負を控えています。

そんな今日ですが、一つ、発達障碍者の就労へのヒントになりそうなものを見つけました。
ソウス

…採用理由を明確に言語化できている企業・官公庁は本当に少ないです。何回も面接しておきながら、『根性が有りそうだから』とか『何となく印象が良かったから』の一言で採用理由を済ませる組織があるのには驚きです。中にはきちんとした文面でフィードバックしてくれる企業もあるのですが、そういう組織は文字通り「有り難い」です。

 こういう状況を踏まえますと、本当は採用側も採用の「決め手」が分かっていないのではないか、少なくとも言語化できるほど明瞭ではないんじゃないか、という疑いが現実味を帯びます。

 そこで思い出されるのが冒頭に紹介した『ウチで働く君がイメージできた』という採用側のコメントです。

 もう少し詳しく言うと『君が○○という部門で○○の業務についてるのが想像できた』とか『ウチは○○のような人を相手にすることが多いが、そういう人と渡り合っている君の姿が浮かんだ』というような話です。

 この類の話を本当によく耳にするということは、多くの組織にとってこれは本音なのでしょう。これを採用の「決め手」と呼んでいいと思います。
 ということは
「決め手」って何なのかと言うと、採用側が普段働いている職場の「空気」と応募者の持っている「空気」が合っているということ、職場にいるスタッフと似ている人、類似性のある人を採っている、そういうことになるんじゃないでしょうか。
 もちろん、どんな組織でも多様な人材を欲しています。しかし、その多様さには一定の限界があるのではないでしょうか。
 たとえば、家族といえども父母子や兄弟姉妹の間で、性格や好みは様々、多様性があります。でも、品格とか、考え方の方向性とか、どこか似ている部分が有るのも事実でしょう。

 ということは、
採用の「決め手」とは応募者に家族的類似性あるかないか、になるんじゃないでしょうか。


引用ここまで

先日広島では「障害者合同面接会」が開催されました。
毎年多数の企業が参加し、そこに多くの障がい者、とりわけ精神障害や発達障がいを抱える人たちが参加するのですが、これで決まるケースは参加者の2割に満たない、と言われています。
私は2013年に参加し、2015年にも参加しました。2013年は全社不採用。
ところが、2015年は意外な展開になりました。私も2013年の例があったので、「どうせだめに決まっている」と思い、いくつか履歴書と職務経歴書を用意し、参加してみたら…
とあるブースで「このようなイベントがあるのですが…」と声をかけられました。
それが
夢FESTA2015
でした。
私は面接後この会社に電話をかけ、バルーンアーティストだったという正体を明らかにしたうえで「一次選考に通過した場合、イベントに協力したい」旨申し出ました。
結局一次選考を通過したのはこの会社だけだったのですが、私は公約を果たすべくこのイベントに協力しました。結果はそのまま採用となり、私はこの会社に入社することになりました。

結局、採用の「決め手」とは応募者に家族的類似性あるかないか、というのが私も実感した結論でした。

前述のソウスの続き
そうなると、早々に内定を決める人と何ヶ月もかかる人との差は、自分と家族的類似性をもつ組織に出会えたのが単に早かったか遅かったかだけの違い、と言えるのではないでしょうか。
 そう考えると実際に説明が通る現象がいくつかありますが、それは別の記事に譲ります。

 さて、このブログはあくまで、現実的にどう動くのか、実際にどんな言葉を発すれば効果があるのか、それらを追求するのが趣旨です。以上のことを踏まえて、あなたはどうすればよいのでしょう。
 2つのうちどちらかでしょう。
 ひとつは、
あなたと家族的類似性のある組織を探し、そういうところばかり応募する。
 もうひとつは、どうしても内定を獲りたい組織がある場合、そこのスタッフと「同じ匂い」をもつよう、今から無理やりにでも家族的類似性を身につける。

 前者の場合、やはり「仕事のリアル」を感じるべく、職場・現場に何度か足を運ぶということになるでしょう。応募先全てに何度も足を運ぶのは現実的ではありませんが、少なくともあなたの方から「自分と同じ匂いがする」ということを、家族的類似性を、そういった相性を感じる可能性が予想されるのなら、そういう組織に絞って、その自分の「嗅覚」が正しいかどうかを確かめに、見学に行っても良いでしょう。

 後者の場合は、志望先から何人かモデル社員を見つけて、その人の言動を今から身につけるのが良いでしょう。モデルは、パンフレット・HP・OB/OG訪問・そのOB/OGの紹介、などで見つけられると思います。複数見つけたら、その人たちが普段どんな考え方をし、何に気をつけてどんな発言・行動を取っているのかメモして、後はあなたの日常生活の中で可能な限り、マネをしてみることです。

 そして、そんなマメな努力そのものが採用の「決め手」になるんじゃないでしょうか。



「同類は惹かれ合うもの、同じ匂いを身にまとえ」

一年近くこの会社に勤務して、この言葉の意味が分かるような気がします。
こんなこと、就労移行支援事業所で指導していますか?
「面接は時の運…」とかほざいている就労移行支援事業所のエリアリーダーがいましたが、「時の運」の真実はこれなのです。
そこまで踏み込んだ就労移行支援ができていますか?

私はこれまで、ここまで踏み込んだ就職活動指導をしている就労移行支援施設を見ていません。
そしてそこまで踏み込んだ就職先開拓も、就労後の定着支援も見ていませんし、体験していません。
これが障がい者雇用の就労移行支援の現実なのです。
本当に就職実績や定着率を上げたいのなら、そこまで踏み込む必要があると思います。

最後に、「年に一度の大勝負」とは
夢FESTA2016
のことです。

2016年9月24日土曜日

ここ数日思うところ…やっぱり私は風船が好き

こんばんは。
ようやく午後6時で「こんばんは」になりました…が、まだまだアツイです。気温の高さもそうですが、それ以上にカープが…クライマックスシリーズ、どうなるのでしょうか?今日の安定した戦いぶりを見ていると、安心できそうですが、相手はベイスターズ・ジャイアンツどっちが来ても曲者。

そんな日々ですが、今日はとあるところでセミナーと交流会。
同じ障害に苦しむ人たちが日々思うところを話し合う座談会だったのですが…ちょっとしゃべりすぎたかな…反省。
しかし、人の話を聞いていて勉強になりました。
私と反対に、同じ障害に苦しむ人たちを見ていると、特に子供たちを見ていると、一緒に落ち込む、という人がいること。
私はどちらかというと、
好きなことを見つけて障がいを乗り越えよう
というタイプ。しかしそれが逆に…という人もいるようで、
先日のあの事件の犯人の気持ちが分からないでもない
という声も…

私は小さいとき、自閉症で、言葉がしゃべれなかった。幼稚園に入ることができず、就学猶予の可能性があるといわれた。それを舌の手術で克服したと両親は思い込んでいたが、実際はそうではなかった。今なら舌の手術ではなく乳幼児から通える児童デイサービスでの中長期的療育で対応するケースである。それも比較的軽度の発達障害を対象にしたところに通うのがベストなケースになる。
児童デイサービスは軽度から重度まで幅広いラインナップをそろえているところが良い。軽度なら選択肢も多い。(重度はまだ少ない)
それを治ったと思ってそのままにしていくと、社会に出たところでつまずくようになる。今では大学でも旧帝大を含めてサポート体制が行き届いているところが多く、大学生向けの就労移行支援サポートを行っているところもあるという。
昔と違い、今ではこのように成人期に至るまでサポートが行き届いている。

しかるに、サポートが行き届かない分野がある。
恋愛である。
最近、
カサンドラ症候群
という言葉をよく耳にする。発達障害、特にアスペルガー症候群の人の配偶者が鬱を発症することを指している。離婚に至るケースも多い。
アスペルガーが強く、他にADHDや強迫性障害、さらにはアダルトチルドレン、そして完全主義など様々な要素をはらむ発達障害の場合、生涯独身を貫いた方がよいケースもある。配偶者が鬱を発症してカサンドラ症候群に陥るほか、このような人は親がいわゆる「毒親」、それもノイローゼ型の毒親のことが多々あり、その結果子供に対して行き過ぎた「躾」をしてしまい、暴力や虐待に及び、最悪殺人行為にまで及ぶことがある。
このような発達障害は大半が知能障害を伴わないので、見過ごされがちになるのだが、もしこのような障害があると自覚した場合は、お見合いパーティーや結婚紹介所に行っても無駄である。無駄なエネルギーを費やすだけなので、早急に恋愛戦線からの撤退を勧める。私はそう判断して、すでに生涯独身のライフプランを立てている。
結婚不能状態にあると判定した自分が、他人の結婚式の演出を手掛けるというのも、考えてみれば妙な話なのだが、逆に私の場合は割り切っているので、何とも思わない。それどころか、好んでどんどん手がけている。取引先も理解していただいているところが多い。結婚したところでパートナーがカサンドラ症候群に陥り、離婚に至ってしまうと、慰謝料の問題、さらには子供がいた場合はその子供の親権など、大変な問題が山積することになり、目も当てられない。
私が幸せになれない分、私が生命を膨らませた風船で、幸せになっていただきたい…
という気持ちがあるのが正直なところなのである。

そういう私は、今
発達障害や自閉症に苦しむ子供たちやその親御さん、それにひきこもりやニートになってしまっている若者たちが元気が出るような本を作成している。
小学生の子供たちも読めるよう、全文ひらがなで書いてある。















今細かいところの手直しを行っているところで、来月には配布を開始します。

自分ができないことを他人のためにしてあげるとは、何ともしがたいが、それでも割り切ることができるのは、
それだけ風船が好きだから
に他ならない。

バルーン業界というところはキラキラピカピカした人たちの集まりで、私のように翳があるような人は隅に追いやられるふしがある。そのような私が、バルーン業界以外からみると
すごい!やばい!
を連発されるほどの評価を受けている。
この落差、いったい何なのだろうか?
といつも疑問に思っている。ただ一つ言わせていただくと、
原点を忘れてはいないか?
ということである。ツイストバルーンのレベルはとにかく高く、これが風船で作られているのか、ということに対しての驚きが先行してしまっている。それだけならいいのだが、技術の独り歩き…を私は危惧している。そしてありとあらゆる分野で高い能力が求められ、しかもその偏りがないことが要求されるという
桶の理論
の世界になってしまっているのが今のバルーン業界の現状である。コミュニケーション能力から手先の器用さまで、高いところでまんべんなくそろうことが要求されている。一つでも欠けると私のように低く評価されてしまう現実…ましてや私の場合先天的なところに原因がある…

だから私は一度引退を余儀なくされた。

むしろ私はそういう厳しいところでやれるだけのことをやってきたゆえ、
夢を見つけることの大切さ
を説くことができる。とりわけ同じ障害に苦しむ人たちにとって、さらに自信を失ってニートやひきこもりになっている若者たちにとって。

2016年8月11日木曜日

ブログに書くことがない…と思いつつ

こんにちは。
今月に入ってからというもの、ご無沙汰になっています。

JBAN Conventionに、5年ぶりに正式参加しました。
2年前、バルーン業界の今を知る目的で様子を見に行った際、「この業界はどうなるのか」と危惧を抱きましたが、やはり業界全体が危機感を感じていたようで、落ち着くべきところに落ち着きつつあるような印象がし、私も安心しました。
そして実感したのは
「道は機能している」
ということ。
道なき道を切り開いた2000年代前半とは異なる様相になっていました。今や一つの「産業」「文化」です。
あとはさらなる市場の拡大と、新たなる分野の開拓でしょう。

JBAN Conventionの開催中に、地元のコミュニティfmが取材に訪れました。私はJBANの方にいて、はるかかなたの東京にいたのですが、ユーストリームで放送を聴くことができました。
今回東京で意識していたのが「会社の看板を背負う」こと。今勤務している会社のユニフォームを着て東京の街を歩き回っていました。JBAN Conventionもそのユニフォームで参加していました。
これを「社畜」とさげすむようなら、その人の心を疑いたいです。
なぜ地元広島から遠く離れた東京でかかる所業に及んだのか…今私が勤務している会社に対して、今私が携わっていることに対して、誇りを持っているからなのです。というか、
バルーンと福祉の融合
とりわけ、障がい者就労の現実と目指すべきところのギャップが大きすぎる、といっても過言ではないのです。

障がい者雇用の大半は、一般事務であったり、倉庫作業であったり、あるいは生産現場のライン作業であったりします。そこに働き甲斐があるのか…という現実に遭遇するケースもあります。
そういう中で生きていくために、就労移行の訓練があったりするのですが、私は一時期、ひたすら型にはまる訓練を自ら欲していた時期がありました。自分らしさをすべて捨て去り、全く違うまっさらな人間に生まれ変わろうと試みた時期がありました…が、それはできませんでした。

今でもふと思うのですが、もしあの時そのままひたすら型にはまる訓練を自らに課し続けていたら、今頃どうなっていたのだろうか…と考えます。
これが成功して、ただただロボットみたいに言われるがままに働く生き方をするのもまた人生だと思います。何の生きがいもなく、ただただ日々を過ごす…「暮らす」だけに生きる、そういう人生を選んでいたに違いありません。

そういう無味乾燥な、何の楽しみも生きがいもない人生もよかったかな、と思う時がたまにあります。
なぜなら、プレッシャーに押しつぶされることがないから。

でも、デメリットの方が多そうです…
生きがいのない人の特徴7つ

そういうただただつまらなく、無味乾燥な人生を私は送っていた可能性がありました。

私は風船と出会ったおかげで、そういう人生を送らずに済みました。
結局、再就職活動で決め手になったのはバルーンの実績でした。
そして今の会社でもバルーンを続けていて、さらに障がい者就労と結び付けるという、またしても道なきところに道を創る日々が続いている…

何だか今日は取り留めのない記事になりました。
そういえば先週の今頃は、私にとっては5年ぶりのJBAN Conventionのファイナルパーティーが始まろうとしていたころでした。
無味乾燥な人生を送りたい、と考えていたころから見れば、まさかあの場所に戻ることができるとは…
夢にも思っていませんでした。

今でもこのような作品を創れるのですから、私が創り上げてきたものがいかに大きく、手放すべきものでなかったのかが…

今日は夏というより、初秋の乾いた暑さでした。ふと空を見るとこのような作品が作りたくなりました。全部私が創り上げた感動の瞬間で構成したコラージュです。







2016年7月17日日曜日

親は何を望んで子供をレールに乗せたがるのか?

こんばんは。

久しぶりに親の問題をこのブログでとりあげます。

オヤカク
という言葉が就活用語になってしまっている現状があります。
その背景で起きている問題に焦点を当てたサイトを見つけました。

親とお金で考える就職活動
このサイトによれば、親の過干渉で新卒就活に失敗した事例が複数掲載されています。
子供を自立させるはずが、子供の自立を阻み、子供の人生を狂わせる親の多いこと多いこと。

私の母親もこの類です。
というより、20年ほど前にこのような親は問題になっていたでしょうか…いなかったはずです。

福祉を家族だけに任せ切るような、儒教に頼った社会を日本の一部の政治家たちは指向しています。
ソウス
韓国に老人福祉法という法律がありますが、今でもその第3条には「国家と国民は敬老孝親の美風良俗にともなう健全な家族制度が、維持・発展するように努力しなければならない」というふうに規定されていて、要するに老人の扶養の最終的責任は、あくまで家族制度にあるのだと明言されています。政府はそうした家族制度が壊れないように努めるけれど、家族に福祉の責任を押し付けるということです。韓国のように資源のない社会が急速に発展しようと思えば、福祉はどうしても後回しになります。その時に都合が良かったのが、儒教という伝統なわけです。
日本にも儒教的伝統があるのですが、韓国の儒教との大きな違いが親孝行の「孝」という概念です。中国や韓国におけるそれは、日本人の考え方より広くて深いといえます。日本人にとっての孝というのは、生きている親を大事にするということに尽きると思うのですけれども、韓国人にとっての孝には大きくいって3つのレベルがあります。1つは、すでに亡くなっている祖先の霊を祀ること。2番目に生きている親を大事にすること。3番目に大事なのが、祖先から受け継いだ血統を伝えていくことです。つまり、子孫を残して、祖先を祀る連綿たる系譜を絶やさないようにすることです。これが儒教的な孝の概念で、日本人が想像する孝の概念よりも、宗教や生命観に近いものだといえます。
生きている人間だけじゃない、もうすでに死んでしまった祖先も、これから生まれてくる子孫も含めて、ずーっと永遠の生命の連鎖を絶やさないようにするということが儒教の本質にあります。どっちかというと日本の仏教に近いというか、ちなみに、日本の仏教の中には日本人が意識していないけど、本来の仏教とかけ離れた儒教的な要素がいっぱい入っています。現実には、韓国は近代化する中で、そういう伝統を置き去りにし、その代償の上に発展を築いてきたのですけれども、政府にとって都合の良いところだけこうやってつまみ食いをするわけです。

引用ここまで
このソウスには続きがあり、ひいては韓国における葬送文化の変化にまで話は及んでいるのだが、いずれにせよいえるのは韓国や中国では発達障害に対するケアがかなり立ち遅れているどころか、自己責任論の一環に組み込まれ、「棄民」の対象になり、最後は家族が面倒を見るのが必須になっている現状があるということである。
またあるサイトで、九州の一部にいわゆる「毒親」が多いという話を見聞きしたことがある(私は父親・母親とも「毒親」の多い地域出身)が、これらの地域は中国や韓国とのつながりが古の昔から安土桃山時代にかけて強く、一部では鎖国されていた江戸時代でもつながりがあったとされている(薩摩藩と琉球の関係など…薩摩藩は琉球を通して、実質明→清とのつながりがあった)。
結局は儒教が幅を利かしていたわけだ。

この「儒教」の価値観が曲者と言わざるを得ません。
というか、時の為政者は儒教を都合のいいところだけつまみ食いする傾向があります。中国、韓国、そして日本…日本の場合、江戸幕府から今日に至るまで、儒教的価値観が幅を利かしています。
儒教と社会福祉の価値観は相反しているような気が私はしてならないのです
…就労した今でも、この疑問は残りました。確かに儒教を「活用」することによって、政治の負担は軽減されるのが事実ですが…このような現実があるから、「オヤカク」が就活用語になるのかもしれません。


2016年7月12日火曜日

根っこを鍛えるためには

こんばんは。

根っこを鍛えるためには、土から作らなければいけない。
土はどうやって作られるか。
幼児期からの親の教育が重要。
それも「正しい愛情」を注ぐ必要がある。

「間違った愛情」はダメ。
そればかりか、根っこがゆがんでしまい、思春期以降に重大な問題を引き起こす。
下関駅、秋葉原、荒川沖…で起きた事件。
これらは「間違った愛情」を注いだ結果、その人の根っこが修復不可能なレベルにまで歪んでしまった結果である。

生まれ持った「土の性質」もある。
ただ、幼児期は「正しい愛情」によって、土の性質を改善することができる。
ここで間違ったことをしてしまうと、土が「悪い化学反応」を起こして、「災害」を引き起こしやすい土地になる。あるいは「地耐力」が全くなかったり、ばらつきが生じたりしてしまうことになる。その結果、家では「不同沈下」を引き起こすなど、最悪せっかくのマイホームをただ同然で手放す事態まで起きている。

悲しいことに、私の両親はこのことに気が付かず、「誤った地盤改良」を私に結果的にしてしまった。というか、1970年代当時は伝えられていた方法が正しいとされていた。今はこの方法は誤りとされている。当時は「最善」とされた方法が誤りだったのだから、両親を責めることはできない。

それだけ「土」は重要なのである。

発達障害の可能性がある、と診断された場合、幼児期に「療育」を行うのが今では一般的だが、それが正しいのである。誤った盲信は後々「不同沈下」を引き起こすことになり、大量殺人犯から結婚不能まで、どのような結末になるのかはさまざまだが、子供が生涯苦しめられることになるのは間違いない。