こんばんは。
こちらはおそらく今年最後の書き込みになると思います。
先月11月中旬、私の叔母が「孤独死」してしまいました。
結局違ったのですが、一時は「強盗殺人」が疑われるほど、通常の死に方ではなかったので、警察で司法解剖が行われることになり、結果胃潰瘍によるショック死もしくは失血死との診断でした。
しかし、このような病気では普通死ぬことはありません。
私も「地域包括支援センター」から訪問介護や訪問看護というチャンネルにつないだり、あるいは遠隔見守りシステムの導入など、福祉に結び付けようとして動いていた矢先のことでした。
ならば、なぜ…
一つ考えられるのは、
両親にかしずいたあまり、自分の人生を謳歌することなく死を迎えた
ということです。
あるいは
人生に何の楽しみもなかった
のかもしれません。
いずれにせよ、厳しすぎた親のしつけに従い、それに忠実に従ったあまり、親の死後、自分の人生を謳歌することなく、抜け殻のように生きることになり、最後は座して死を待つことになってしまったこの叔母…
大きな誤謬があり、かつ時代の変化についていけなかった子育てを受け、それに従った結末だとすれば、本当の悲劇といわざるを得ません。
しかし、それが儒教では「是」とされているのです。
儒教の教えでは…
道に外れたことを行う君主を三度諌めても聞き入れられなかったら、君主の下から去るべきであるとされたのに対し、道に外れた親を三度諌めても聞き入れられなければ、泣き寝入りして従わなければならない
とされています。
私の母親は、道に外れた「躾」を私に対して行いました。
この原因がどこにあるのかを私は突き詰めた結果、
母親も好き好んでこのような躾をしたのではない
母親自体がそのような躾を先祖代々受けてきた
ということが分かったのです。
その言動は、母親から常々私は何度も見聞きしました。
その躾に完全に従い、かしずいてきた叔母ゆえ、このような運命をたどってしまったというのが私の見解です。
私も儒教の教えを信じています。
加えて、私は「たとえ親に誤謬があっても、子どもは親に従わねばならない」と考えていますし、親の望む人生を歩むことが親孝行であり、それこそが子供の義務である、と考えています。私はその点で「親不孝であり、子どもとしての義務を果たしていない」と考えています。
「あれ」のおかげで、自分らしい人生を歩むのみならず、多くの人を…としていますが、実はこれは「親不孝」の極みなのです。
ただ、このような「親不孝」をしない限り、自分らしい人生を歩めないという現実が私にはあり、そのような家に生まれた私は、「家じまい」「墓じまい」をする義務があるのです。本来孤独死すべきは、私の両親が亡くなった後の私なのです。
このような誤謬を抱えた家に生を受けた私は、結婚できないのが当然であり、私で「負の連鎖」を止めなければなりません。
仮に私が結婚し、子供をもうけようものなら、それこそ虐待に走っていた可能性があります。(当然虐待の結果、私は「塀の中」に入ることになります)
ですから、私はすでに「生涯独身」を貫く方針を固めています。
そのような、誰も幸せにできない人生を歩むことが「親孝行」という状態の私。
母親は、それを知ってか知らずか、「自衛隊に入ってほしかった」というのが口癖です。殉職を望んでいたのかもしれません。
さらに言えば、母親の出身地は薩摩半島。
薩摩半島には、特攻隊の基地であった知覧があります。
お国のために命をささげることが、戦時中の日本では最大の栄誉とされていました。
加えて母親は三姉妹の長女。先日亡くなったのは、次女に当たります。
ところが、母親には兄がいました。その兄は、戦後の混乱期に病に倒れ、幼くして世を去ったそうです。墓銘碑にもその記録があります。
そして、初孫が私。ところがその初孫が自閉症。母親は厳しい叱責を受けたそうです。さらに私には妹か弟がいたそうですが、私より重い障害がある可能性が取りざたされ、堕胎されたそうです。
このような「負の連鎖」が母親の家系にあることが分かり、しかも実質父親は「婿入り」状態。
母親は「毒親」ですが、その原因はこのような先祖代々の「負の連鎖」ということを突き止めていました。
このような家ゆえ、「親不孝」をしない限り、自らが自分らしい人生を歩めないという、矛盾を抱えて私は生きているのです。
それゆえ、私はなまじ結婚すると、矛盾を拡大再生産し、結果不幸を広げることになってしまいます。
ましてや私は儒教の教えこそが真実と信じている一人。それに逆らって「あれ」をしていること自体、儒教の教えに反しています。でも、そうしないと自分らしい人生を歩めないことも事実。
結局のところ、「親孝行」もごくまれではあるが時として、死を招くことがある、ということです。
そこに儒教の恐ろしさがあるのです。
その恐ろしさに私は気づいているからこそ、平気で「親不孝」ができるのです。
1997年プロのバルーンアーティストとして活動開始、2013年活動終了。Y's Dream代表として、表現者であると同時に経営者であった私。発達障害に直面し、現在は第一線を退いています。その中でいろいろ感じたことを書きとめています。
2017年12月27日水曜日
2017年11月29日水曜日
人とのかかわりを断ち切った○○の末路
こんにちは。
今、私の叔母が鹿児島市の火葬場で荼毘に付されています。
私はあえて、葬儀に参列しませんでした。
というか、叔母は誰にもみとられることなく、自らあの世へ旅立つ選択をしてしまったのです…
私は叔母の実態を確認し、福祉サービスにつなぐ目的で鹿児島を先日訪れていました。
少し離れた(東京なら都心と千葉、広島なら広島市と東広島市くらいの距離)場所にある常日頃から疲れをいやすために使っている湯治場を拠点に行動する予定でした。
長丁場に備え、レンタカーを借り、食材も地元(鹿児島)のスーパーで地元(鹿児島)の食材を準備し、生活を鹿児島に持ち込んで温泉につかりながらあらゆることを考えるつもりでした。
異変に気付いたのは2日目。初日、叔母の住む家を訪れると、郵便受けが怪しかったのですが、この日は祖母の月命日。お墓参りに行っている可能性が高い、叔母のことだからもし生きていたら大騒ぎをして、親族関係を断ち切るなどの暴挙に出かねない(過去にそうなりかけた事例が何度かあった)こともあり、その日はひとまず湯治場へ向かいました。
2日目の朝、鹿児島にいる以上、私を守ってくださっている有名な神社でもある霧島神宮に参拝し、その後鹿児島市に戻って、お墓参りをしました。そこへ…
電話が入りました。
「叔母が警察に連行された」
「実家に複数の警察官が駆けつけている」
そして2時間ほど後
「叔母の死亡が確認された」
「殺人事件の可能性がある」
ただならぬ事態と判断した私は、両親から
「可能な限り速やかに鹿児島から脱出するように、できれば広島の実家へ直行するように」
という指示を受けました。
私は鹿児島市→湯治場→鹿児島県内のとある新幹線駅(鹿児島中央駅ではない)というルートでレンタカーを運転し、湯治場で荷物をすべて回収、レンタカーをとある新幹線駅まで運転し、そこで乗り捨てました。レンタカー自体は鹿児島中央駅で借りたもので、この駅は乗り捨て無料可能駅に指定されていたこともあり、この駅に向かうのがベター、しかもこの駅のある町までは湯治場の近くにある鹿児島空港からのアクセス道路があることを知っていましたので、私はアクセス道路をレンタカーで疾走しました。そしてこのとある新幹線駅から九州新幹線に飛び乗り、そのまま広島まで直行しました。
私も両親も憔悴したのは言うまでもありません。加えて私はやけ酒をこのとある新幹線駅から広島駅までの間、ひたすらあおっていました。
緊急家族会議の結果、私は広島で留守番をすることにしました。
祖父の時…私はどうしても外せない風船の仕事(=バルーン演出)があり、それが終わってから翌日の飛行機で広島西飛行場から鹿児島へ。
祖母の時…親から「鹿児島に行くな」という指示が出た。当時私は折からのヘリウムガス払底問題もあって、廃業をすべきか否か真剣に悩んでおり、親は私の存在を隠したかったらしい。
私の母方の祖父母はいわゆる「毒親」とみられ、厳格すぎる子育てを施したそうです。聞いた話では私が風船屋を始める際にも「断固阻止」「廃業に追い込め」という話を私の母親にしたそうです。そして私の創業を詫びたという話を聞いています。
そして母親は祖母が亡くなった直後から、精神疾患になり、鬱状態に。一時は一家心中も考えたそうです。私が幼児だったころ、自閉症に悩んで、やはり一家心中を試みたこともあると聞いています。いずれも父親が止めたそうです。
一連の状況から、母親は「インナーチャイルド」に苦しめられている、と判断しました。
結果、私は今所属している企業の中で風船の活動を再開するに至ったのですが、母親には嘘を話ししています。そうせざるを得ないのも、母親が苦しんでいる真の原因は、祖父母及び祖父母が築き上げた家にある、と考えたからなのです。
今回亡くなられた叔母は、生涯一度も恋愛をすることなく、一度も働くことなく、高校卒業後、祖父母とともに暮らしてきました。祖父母が亡くなった後、唯一の生きがいであった料理もすることがなくなり、最初は鹿児島随一のデパートYやすぐそばにある南九州では有名なスーパーTで買い物をしていたのが、最近ではすぐ近くにできたコンビニSで惣菜を買って暮らしていたそうです。
加えて、私も今回訪れて驚いたのですが、周囲の家が全部なくなっていたのです。更地になっていて、私は状況が直ちにわかりました。「マンション用地になるな、これは」
おそらく不動産ブローカーが来て、土地売却を打診され、以降人とのかかわりを全く断ったのでしょう。
死因は「胃潰瘍による出血性ショックもしくは窒息」だったそうですが、これらの症状はふつう救急車を呼んで救急病院に搬送され、数週間の入院治療というケースがほとんどです。胃を大部分摘出し、食が細くなりますが、死ぬことはなかったはずです。私も福祉サービスにつなぐつもりでした。おそらくは「地域包括支援センター→ケアマネージャー→訪問介護orデイサービスと訪問看護の併用」というコースをたどり(当然介護保険対象になる)、それでも厳しくなると「老人保健施設(老健)」もしくは「介護サービス付高齢者住宅(サ高住)」入り、となるパターンでした。
しかし、この叔母は福祉に頼る意思がなかったのでしょう。どう見ても早く祖父母のところへ行きたかったのかもしれません。
おまけに、最近の福祉政策は、このようなケースを歓迎する傾向にあります。この叔母は年金をほとんど受け取ることなく亡くなったそうです。極論を言うと、このような亡くなり方が増えれば、年金は支払う必要なし、介護保険も健康保険も支払う必要なし、儲かるのは桶屋…
もしそうだとすれば、「何のための福祉なのか」というところまで考えなければならなくなります。
聞いた話では、私のもう一人のいとこがSNEP化しているそうです。
結局、生きがいを失った人たちの末路といわざるを得ないでしょう…
私はそのような人を少しでも減らすような活動をしなければいけません。幸い私は、そのすべがあります。そのすべは…言うまでもありません、「あれ」です。
今、私の叔母が鹿児島市の火葬場で荼毘に付されています。
私はあえて、葬儀に参列しませんでした。
というか、叔母は誰にもみとられることなく、自らあの世へ旅立つ選択をしてしまったのです…
私は叔母の実態を確認し、福祉サービスにつなぐ目的で鹿児島を先日訪れていました。
少し離れた(東京なら都心と千葉、広島なら広島市と東広島市くらいの距離)場所にある常日頃から疲れをいやすために使っている湯治場を拠点に行動する予定でした。
長丁場に備え、レンタカーを借り、食材も地元(鹿児島)のスーパーで地元(鹿児島)の食材を準備し、生活を鹿児島に持ち込んで温泉につかりながらあらゆることを考えるつもりでした。
異変に気付いたのは2日目。初日、叔母の住む家を訪れると、郵便受けが怪しかったのですが、この日は祖母の月命日。お墓参りに行っている可能性が高い、叔母のことだからもし生きていたら大騒ぎをして、親族関係を断ち切るなどの暴挙に出かねない(過去にそうなりかけた事例が何度かあった)こともあり、その日はひとまず湯治場へ向かいました。
2日目の朝、鹿児島にいる以上、私を守ってくださっている有名な神社でもある霧島神宮に参拝し、その後鹿児島市に戻って、お墓参りをしました。そこへ…
電話が入りました。
「叔母が警察に連行された」
「実家に複数の警察官が駆けつけている」
そして2時間ほど後
「叔母の死亡が確認された」
「殺人事件の可能性がある」
ただならぬ事態と判断した私は、両親から
「可能な限り速やかに鹿児島から脱出するように、できれば広島の実家へ直行するように」
という指示を受けました。
私は鹿児島市→湯治場→鹿児島県内のとある新幹線駅(鹿児島中央駅ではない)というルートでレンタカーを運転し、湯治場で荷物をすべて回収、レンタカーをとある新幹線駅まで運転し、そこで乗り捨てました。レンタカー自体は鹿児島中央駅で借りたもので、この駅は乗り捨て無料可能駅に指定されていたこともあり、この駅に向かうのがベター、しかもこの駅のある町までは湯治場の近くにある鹿児島空港からのアクセス道路があることを知っていましたので、私はアクセス道路をレンタカーで疾走しました。そしてこのとある新幹線駅から九州新幹線に飛び乗り、そのまま広島まで直行しました。
私も両親も憔悴したのは言うまでもありません。加えて私はやけ酒をこのとある新幹線駅から広島駅までの間、ひたすらあおっていました。
緊急家族会議の結果、私は広島で留守番をすることにしました。
祖父の時…私はどうしても外せない風船の仕事(=バルーン演出)があり、それが終わってから翌日の飛行機で広島西飛行場から鹿児島へ。
祖母の時…親から「鹿児島に行くな」という指示が出た。当時私は折からのヘリウムガス払底問題もあって、廃業をすべきか否か真剣に悩んでおり、親は私の存在を隠したかったらしい。
私の母方の祖父母はいわゆる「毒親」とみられ、厳格すぎる子育てを施したそうです。聞いた話では私が風船屋を始める際にも「断固阻止」「廃業に追い込め」という話を私の母親にしたそうです。そして私の創業を詫びたという話を聞いています。
そして母親は祖母が亡くなった直後から、精神疾患になり、鬱状態に。一時は一家心中も考えたそうです。私が幼児だったころ、自閉症に悩んで、やはり一家心中を試みたこともあると聞いています。いずれも父親が止めたそうです。
一連の状況から、母親は「インナーチャイルド」に苦しめられている、と判断しました。
結果、私は今所属している企業の中で風船の活動を再開するに至ったのですが、母親には嘘を話ししています。そうせざるを得ないのも、母親が苦しんでいる真の原因は、祖父母及び祖父母が築き上げた家にある、と考えたからなのです。
今回亡くなられた叔母は、生涯一度も恋愛をすることなく、一度も働くことなく、高校卒業後、祖父母とともに暮らしてきました。祖父母が亡くなった後、唯一の生きがいであった料理もすることがなくなり、最初は鹿児島随一のデパートYやすぐそばにある南九州では有名なスーパーTで買い物をしていたのが、最近ではすぐ近くにできたコンビニSで惣菜を買って暮らしていたそうです。
加えて、私も今回訪れて驚いたのですが、周囲の家が全部なくなっていたのです。更地になっていて、私は状況が直ちにわかりました。「マンション用地になるな、これは」
おそらく不動産ブローカーが来て、土地売却を打診され、以降人とのかかわりを全く断ったのでしょう。
死因は「胃潰瘍による出血性ショックもしくは窒息」だったそうですが、これらの症状はふつう救急車を呼んで救急病院に搬送され、数週間の入院治療というケースがほとんどです。胃を大部分摘出し、食が細くなりますが、死ぬことはなかったはずです。私も福祉サービスにつなぐつもりでした。おそらくは「地域包括支援センター→ケアマネージャー→訪問介護orデイサービスと訪問看護の併用」というコースをたどり(当然介護保険対象になる)、それでも厳しくなると「老人保健施設(老健)」もしくは「介護サービス付高齢者住宅(サ高住)」入り、となるパターンでした。
しかし、この叔母は福祉に頼る意思がなかったのでしょう。どう見ても早く祖父母のところへ行きたかったのかもしれません。
おまけに、最近の福祉政策は、このようなケースを歓迎する傾向にあります。この叔母は年金をほとんど受け取ることなく亡くなったそうです。極論を言うと、このような亡くなり方が増えれば、年金は支払う必要なし、介護保険も健康保険も支払う必要なし、儲かるのは桶屋…
もしそうだとすれば、「何のための福祉なのか」というところまで考えなければならなくなります。
聞いた話では、私のもう一人のいとこがSNEP化しているそうです。
結局、生きがいを失った人たちの末路といわざるを得ないでしょう…
私はそのような人を少しでも減らすような活動をしなければいけません。幸い私は、そのすべがあります。そのすべは…言うまでもありません、「あれ」です。
2017年9月16日土曜日
私がLINEをしない理由
おはようございます。
広島ではカープvs台風一色(福岡ならホークスvs台風)ですが、私はむしろサンフレッチェのJ2落ちを懸念しています…私は昨年、カープセリーグ優勝時に、広島におらず、その日所用があって訪れていた四国松山で静かに過ごしていました…
それはさておき、私のところに最近
LINEアカウントはないか
という問い合わせが多数来ています。
しかし、私はLINEアカウントを開設する予定は今後もございません。もちろん現時点でもLINEアカウントはありません。
その理由ですが、表向きは
情報漏えい事故防止
です。しかし、本当の理由は
LINEをすることによって人間関係にストレスを感じる危険がある
と判断しているからなのです。
有名なのは「既読」ルールと、素早い返事を求められるという暗黙のルールです。
一方で、合わない人をグループから外すLINEいじめも多くみられます。ひどいと自殺した人までいるくらいですから、いかにLINEがストレスを感じさせるものかが分かります。
特に私のように、
精神障害認定されるほど対人関係に過敏な人は、LINEを金輪際使用しない
ことをお勧めします。
対人関係に敏感な人で、LINEでの付き合いに疲れる人は多いと聞きます。そうならないためにも、私はLINEを使用しない方針です。
なお、私はツイッターもしていません(ツイッターのアカウントもありません)。こちらは140文字以内での情報発信が難しいと考えたためで、LINE拒否とは別の理由です。
一方、当初は一切しない方針を貫いていたが、方針変更で積極的に使用するようになったSNSもあります。それは
Facebook
です。
2015年の秋ごろまで、私は同じ理由でフェイスブックも導入拒否していました。
ところが、バルーンの活動再開を検討するにあたって、情報発信の仕方を見直す必要が生じました。
それまで私はグーグルプラスを使用して、細々と情報を発信していました。バルーン関係の画像はTumblr[タンブラー]を使用していました。しかしこれでは、広く情報発信できないということが分かり、フェイスブック導入に踏み切りました。
※タンブラーはアカウント閉鎖して使用中止、グーグルプラスは最新作品集公開アルバムに用途変更
時を同じくして
インスタグラム
が出始め、こちらは2015年の秋に導入開始。これとフェイスブックを併用することによって、現在バルーンの活動をPRしています。
LINEの既読同様、フェイスブックの「いいね!」も強迫観念を迫るものとして問題視されていました(私が長いことフェイスブックをやらなかったのもこの理由)が、フェイスブックは一種の社会インフラと化し、ホームページやブログが果たしていた機能を取って代わりつつあります。
そのため、LINEと同様、情報漏えいが懸念されていたフェイスブックの安全性を確認したうえで、2015年秋に導入に踏み切りました。
現在では長年ブログによって行っていた情報発信を、フェイスブック中心に行うようになりました。企業もフェイスブックでの情報発信にガイドラインを設けるなどして運用するところが増え、社会インフラ化しつつあります。
LINEも社会インフラ化しつつありますが、私は導入するつもりは今後も全くありません。フェイスブック付属の「メッセンジャー」で代替できますし、写真共有サービスも多数あります。これらで代替できるので、わざわざ火の中に入るようなことは私はしません。
広島ではカープvs台風一色(福岡ならホークスvs台風)ですが、私はむしろサンフレッチェのJ2落ちを懸念しています…私は昨年、カープセリーグ優勝時に、広島におらず、その日所用があって訪れていた四国松山で静かに過ごしていました…
それはさておき、私のところに最近
LINEアカウントはないか
という問い合わせが多数来ています。
しかし、私はLINEアカウントを開設する予定は今後もございません。もちろん現時点でもLINEアカウントはありません。
その理由ですが、表向きは
情報漏えい事故防止
です。しかし、本当の理由は
LINEをすることによって人間関係にストレスを感じる危険がある
と判断しているからなのです。
有名なのは「既読」ルールと、素早い返事を求められるという暗黙のルールです。
一方で、合わない人をグループから外すLINEいじめも多くみられます。ひどいと自殺した人までいるくらいですから、いかにLINEがストレスを感じさせるものかが分かります。
特に私のように、
精神障害認定されるほど対人関係に過敏な人は、LINEを金輪際使用しない
ことをお勧めします。
対人関係に敏感な人で、LINEでの付き合いに疲れる人は多いと聞きます。そうならないためにも、私はLINEを使用しない方針です。
なお、私はツイッターもしていません(ツイッターのアカウントもありません)。こちらは140文字以内での情報発信が難しいと考えたためで、LINE拒否とは別の理由です。
一方、当初は一切しない方針を貫いていたが、方針変更で積極的に使用するようになったSNSもあります。それは
です。
2015年の秋ごろまで、私は同じ理由でフェイスブックも導入拒否していました。
ところが、バルーンの活動再開を検討するにあたって、情報発信の仕方を見直す必要が生じました。
それまで私はグーグルプラスを使用して、細々と情報を発信していました。バルーン関係の画像はTumblr[タンブラー]を使用していました。しかしこれでは、広く情報発信できないということが分かり、フェイスブック導入に踏み切りました。
※タンブラーはアカウント閉鎖して使用中止、グーグルプラスは最新作品集公開アルバムに用途変更
時を同じくして
インスタグラム
が出始め、こちらは2015年の秋に導入開始。これとフェイスブックを併用することによって、現在バルーンの活動をPRしています。
LINEの既読同様、フェイスブックの「いいね!」も強迫観念を迫るものとして問題視されていました(私が長いことフェイスブックをやらなかったのもこの理由)が、フェイスブックは一種の社会インフラと化し、ホームページやブログが果たしていた機能を取って代わりつつあります。
そのため、LINEと同様、情報漏えいが懸念されていたフェイスブックの安全性を確認したうえで、2015年秋に導入に踏み切りました。
現在では長年ブログによって行っていた情報発信を、フェイスブック中心に行うようになりました。企業もフェイスブックでの情報発信にガイドラインを設けるなどして運用するところが増え、社会インフラ化しつつあります。
LINEも社会インフラ化しつつありますが、私は導入するつもりは今後も全くありません。フェイスブック付属の「メッセンジャー」で代替できますし、写真共有サービスも多数あります。これらで代替できるので、わざわざ火の中に入るようなことは私はしません。
2017年6月18日日曜日
うるさい親は…
こんばんは。
これは30年前の公共広告機構(AC)のCMである。
今、このようなCMを公共の電波で流したら、ネット上で叩かれること請け合いである。
「うるさい親」=子供のことを肯定しない親(すなわち、いわゆる「毒親」)
であり、その結果自己肯定感が低い大人に成長して、生きづらさを感じるという弊害が30年たった今になって明らかになっている。
もっとも、ここまでグローバル化が進展して、価値観が激変するとは当時はだれも思ってなかったようだが。
とどのつまり、30年前、すなわち1986年ごろは
厳しい躾こそ子育ての王道
だったのである。今はそれが誤りだと分かっている。
それが行き過ぎて、暴力に及んでいたのが私の両親。
当時、私はこう読んで、揶揄していた記憶がある
うるさすぎる親は熱すぎて触れない
今でも私は「地震、雷、火事…」より「おやじ」の方が怖い。というか、私は「おやじ」のみならず「おふくろ」も怖かった。親がうるさすぎて、暴力をふるっていたからである。
両親は暴力をふるっていた当時のことを覚えていない。
私は両親が私に対して暴力をふるったことを今でもずっと覚えている。
もうこれ以上書くと、とんでもない内容になり、とても文字化できないレベルなので、ここで今日は終わりにする。
2017年5月28日日曜日
トントントンからりん隣組…
こんにちは。
今、私はある問題に大変悩んでいます。
その問題は、
町内会役員推薦の話
なのです。
私は、町内会に対していい印象を抱いていません。
なぜなら、複数の町内会で、問題に巻き込まれた経験があるからなのです。いずれも行政が絡む、非常に厄介な問題でした。
最初に巻き込まれたのがM市。ここは地方都市ですが、ここで私は町内会トラブルに巻き込まれました。
私は当時、団地の集合住宅に住んでいたのですが、下の階に住んでいたのが問題の町内会長。正確に言えば、元は単なる班長だったのが、町内会独立を企て、某保守系政党の派閥を絡めて動き回り、結果町内会独立に至ったのです。さらに厄介なことに、このM市、当時はすぐ近くに私立大学を誘致しようとした件をきっかけとして、市を二分した争いが起きていたのです。
問題の町内会長は大学誘致推進派。当時勤務していた会社の幹部は大学誘致推進のリーダー的存在。加えて当時の上司はその幹部の親戚…今ならパワハラに該当する行為を私は職場で受けていましたが、私は大学誘致反対派。加えて、当時勤務していた会社にはかつて社会党選出の衆議院議員を輩出するほどの力を持っていた組合が存在し、私は組合幹部と仲が良く、組合幹部が複数の重役と密接だったこともあり、会社の派閥争いまでからむ状態でした。その組合が大学誘致反対派と親しかったこともあり、大変厄介な状況が起きていたのです。さらに分裂元の町内会も反対派の市議会議員(自民党系)とつながっていました。当時も今も与党である自民党ですが、その自民党の中ですら割れている状態でした。
このような状態でしたので、私は大変なパワハラを受けていました。そして町内会分裂…少数派だった反対派住民はいじめを受け、自治会費を他の住民の倍以上払わされたり、一斉清掃の際、参加したのに罰金を払う事態に至りました。挙句の果ては複数回私の家に勝手に上り込む始末…。その後、大学誘致反対派に市長が交代し、大学誘致反対派が市議会の多数を占め、さらに私は組合幹部に近い重役に異動を勧められたこともあり、問題は沈静化しましたが、正直いってつらい思い出で、これで私は町内会に対してトラウマができてしまいました。
次に問題が起きたのがO町。ここは高齢化が進む中山間地域で、私はそのO町が進めていた地域活性化策に呼応して、家出同然に引っ越してきました。ここではM市ほどひどくなかったのですが、少子高齢化と私の仕事の特性が絡み合ったトラブルが起きました。
一つは、M市と同様、一斉清掃の罰金を参加したのに払う、という事態が起きたのです。どうも出欠を取ったのですが、私が離れていたところを清掃していたため、出欠をとる際にいなかった、という理由で、罰金を払わされてしまいました。私の両隣の家も欠席していて、罰金を払っていたようでした。翌年の総会で私は罰金制度の矛盾と改善を唱えましたが、否決されました。怒った私は今度は意図的に清掃に参加したものの出欠に応じず、罰金を3世帯分払うという実力行使に出ました。このとき、罰金の額が1世帯分多いと当時の町内会長が気付き、一軒一軒調べて回った結果私がわざとやったことが判明しましたが、経緯を話して私は返還を拒否。3日間にわたる話し合いの結果、私が清掃に参加していたこともわかり、その分の罰金は返還、1軒分の罰金は匿名扱いで社会福祉協議会に寄付ということで決着しました。さらにその際、片方の隣の家(身体障害者の高齢者の介護が必要な独居老人だった)は特別養護老人ホームに入居したため、空き家になったことを知りました。もう一方の隣の家も90近い高齢者で、認知症などにもなっておらず、介護不要でしたが、ある日突然入院し、そのまま亡くなられてしまいました。このときは私の家の前の本来私が駐車するスペースに、霊柩車を停めさせてあげたりもしました。家族が直葬を望んだこともあり、O町ではなく県庁所在地のH市の火葬場にこの霊柩車は向かっていったそうですが…
このO町では、一斉清掃中の事故等も二度ありました。一回目は別の方が草刈り機で手を負傷し、救急車が来る騒ぎになりました。この方は2か月ほど仕事を休まざるを得なくなったそうです。二回目は、草刈りを徹底的にやった結果、マムシが出て大捕り物に。私の家の庭先にも入り込み、私を含めた数人が昼過ぎまでかかって、最後は役場の職員で害を及ぼす獣を駆除する係の人が出動して駆除する騒ぎになりました。誰もマムシにかまれることなく、事故には至りませんでしたが、私は一日を棒に振り、加えて最後は空き家になっていた隣の家に入り込んだため、大迷惑をこうむりました。
このように私は、町内会トラブルを複数経験していることもあり、町内会の在り方に疑問を感じています。一方で今住んでいるところも、町内会の機能強化を推進する市長の方針もあって、いよいよ町内会が「隣組」化しています。
このような状況下で、私のところに役員推薦の話が来て、とても頭が痛いです。そう思ってネットで調べると、私以上に悩まされ、精神疾患になった人さえいる状況。ここ数年深刻になっていて、2年ほど前にはNHKで特集されたほどです。他方、抜本改革に動いた人も見られ、私は町内会退会に踏み切るか、引き受けたうえで抜本改革に取り組み、最終的には町内会解散→NPO法人化(実際にそうしたところも複数ある)に向き合うか、悩んでいます。抜本改革に取り組む前に、逮捕されない程度に無茶苦茶の不条理をやって住民の問題意識を喚起し、一部保守勢力による「隣組」復活に対する問題提起をすることも視野に入れています。
実は、私の母親は「隣組」復活大賛成派。一部保守勢力を支持し、戦前の日本社会を美化しています。一方の父親は、最近まで母親と同じ考えでしたが、ここへきて「大政翼賛会」に日本が向かっている、それは許せないと私に話してきました。安倍政権より保守的な考えの私の両親ですが、ここへきて温度差が出てきています。
私もやはり安倍政権より保守的な考えの持ち主ですが、一番ダメなのは中途半端。かつての「隣組」レベルまで町内会を強化するか、あるいは一度解体するか。M市やO町で起きていたのは「隣組」になろうとしてうまくいかなかった事例。
今住んでいる町は「隣組」復活を目論んでいるようです。そして行政が本来すべきことを町内会に任せ、行政はただ指示するだけにする体制を目指しています。
このような流れで目立つのが個人情報の不正なかき集め。実際経験したのは、市が知的及び精神障害者のリストを作成しようとしたことです。この件で私は郵送された書類をもって市役所に押しかけ、数時間にわたり猛抗議しました。結局担当者が「リスト掲載拒否できることを関係者に周知するように徹底する」と話したため、私は同封されていた書類の分かりにくいところにあった「リスト掲載拒否」にチェックをつけて提出し、私が障がい者リストに掲載されることはありませんでしたが、このリストは私も目にしました(私は拒否したので掲載されず)。そのリストは班単位になっていて、どの家に身体障害者がいるのか、どの家に知的障害者がいるのか、あるいはどの家に精神障害者がいるのかわかるようになっていました。そして身体障害者がどの家に災害時の救護を求めるのかも明記されていたのですが、よりによって私が身体障害者の救護先に指定されていました。このリストを配る際に町内会長とその身体障害者の介護をしている方が私にお願いに来たのですが、よりによって発達障害者に身体障害者の救護をお願いするとは…市役所にリスト掲載拒否を申し出たので、断りませんでしたが、東日本大震災、熊本震災、西日本集中豪雨(広島と福知山が被災)…とここ数年大規模災害が続いており、加えて某国のミサイルが落下する危険もあるという状況。戦前のこの「隣組」の時代には隣近所が運命共同体になっていたこともあり、それが当たり前だったのですが、今は時代が異なります。憲法を変えないと、昔に戻そうにも戻せないというのが今の安倍政権の考え方で、だから憲法改正へ…となるのだが、自民党総裁の任期を延長してもまだ時間が足りないのが憲法改正。唯一戦前に戻すとすれば、さらなる自民党総裁の任期延長しかないが…幸か不幸か、現時点で野党として機能しているのは共産党だけ。
ここまで書いてきて、問題なのは行政の「おしつけ」のような気がしてきました。かつてゆとりのある楽園的な職場だった郵便局は今やノルマ押しつけが横行するブラック企業レベルと化し、役所での非正規職員の待遇は悪くなるばかり。
私は韓国みたいな状況になる恐れがある、と危惧しています。韓国は儒教をバックボーンに、本来行政が果たすべき役割を放棄して福祉サービスを家族で対応するように押し付けた結果、自殺が世界トップになってしまっています。「地獄社会」となり、社会に余裕が全くなくなってしまい、極端な社会になってしまいました。日本も儒教の国ですから、こうならないとは限りません。
儒教がいかに恐ろしいか…
今、私はある問題に大変悩んでいます。
その問題は、
町内会役員推薦の話
なのです。
私は、町内会に対していい印象を抱いていません。
なぜなら、複数の町内会で、問題に巻き込まれた経験があるからなのです。いずれも行政が絡む、非常に厄介な問題でした。
最初に巻き込まれたのがM市。ここは地方都市ですが、ここで私は町内会トラブルに巻き込まれました。
私は当時、団地の集合住宅に住んでいたのですが、下の階に住んでいたのが問題の町内会長。正確に言えば、元は単なる班長だったのが、町内会独立を企て、某保守系政党の派閥を絡めて動き回り、結果町内会独立に至ったのです。さらに厄介なことに、このM市、当時はすぐ近くに私立大学を誘致しようとした件をきっかけとして、市を二分した争いが起きていたのです。
問題の町内会長は大学誘致推進派。当時勤務していた会社の幹部は大学誘致推進のリーダー的存在。加えて当時の上司はその幹部の親戚…今ならパワハラに該当する行為を私は職場で受けていましたが、私は大学誘致反対派。加えて、当時勤務していた会社にはかつて社会党選出の衆議院議員を輩出するほどの力を持っていた組合が存在し、私は組合幹部と仲が良く、組合幹部が複数の重役と密接だったこともあり、会社の派閥争いまでからむ状態でした。その組合が大学誘致反対派と親しかったこともあり、大変厄介な状況が起きていたのです。さらに分裂元の町内会も反対派の市議会議員(自民党系)とつながっていました。当時も今も与党である自民党ですが、その自民党の中ですら割れている状態でした。
このような状態でしたので、私は大変なパワハラを受けていました。そして町内会分裂…少数派だった反対派住民はいじめを受け、自治会費を他の住民の倍以上払わされたり、一斉清掃の際、参加したのに罰金を払う事態に至りました。挙句の果ては複数回私の家に勝手に上り込む始末…。その後、大学誘致反対派に市長が交代し、大学誘致反対派が市議会の多数を占め、さらに私は組合幹部に近い重役に異動を勧められたこともあり、問題は沈静化しましたが、正直いってつらい思い出で、これで私は町内会に対してトラウマができてしまいました。
次に問題が起きたのがO町。ここは高齢化が進む中山間地域で、私はそのO町が進めていた地域活性化策に呼応して、家出同然に引っ越してきました。ここではM市ほどひどくなかったのですが、少子高齢化と私の仕事の特性が絡み合ったトラブルが起きました。
一つは、M市と同様、一斉清掃の罰金を参加したのに払う、という事態が起きたのです。どうも出欠を取ったのですが、私が離れていたところを清掃していたため、出欠をとる際にいなかった、という理由で、罰金を払わされてしまいました。私の両隣の家も欠席していて、罰金を払っていたようでした。翌年の総会で私は罰金制度の矛盾と改善を唱えましたが、否決されました。怒った私は今度は意図的に清掃に参加したものの出欠に応じず、罰金を3世帯分払うという実力行使に出ました。このとき、罰金の額が1世帯分多いと当時の町内会長が気付き、一軒一軒調べて回った結果私がわざとやったことが判明しましたが、経緯を話して私は返還を拒否。3日間にわたる話し合いの結果、私が清掃に参加していたこともわかり、その分の罰金は返還、1軒分の罰金は匿名扱いで社会福祉協議会に寄付ということで決着しました。さらにその際、片方の隣の家(身体障害者の高齢者の介護が必要な独居老人だった)は特別養護老人ホームに入居したため、空き家になったことを知りました。もう一方の隣の家も90近い高齢者で、認知症などにもなっておらず、介護不要でしたが、ある日突然入院し、そのまま亡くなられてしまいました。このときは私の家の前の本来私が駐車するスペースに、霊柩車を停めさせてあげたりもしました。家族が直葬を望んだこともあり、O町ではなく県庁所在地のH市の火葬場にこの霊柩車は向かっていったそうですが…
このO町では、一斉清掃中の事故等も二度ありました。一回目は別の方が草刈り機で手を負傷し、救急車が来る騒ぎになりました。この方は2か月ほど仕事を休まざるを得なくなったそうです。二回目は、草刈りを徹底的にやった結果、マムシが出て大捕り物に。私の家の庭先にも入り込み、私を含めた数人が昼過ぎまでかかって、最後は役場の職員で害を及ぼす獣を駆除する係の人が出動して駆除する騒ぎになりました。誰もマムシにかまれることなく、事故には至りませんでしたが、私は一日を棒に振り、加えて最後は空き家になっていた隣の家に入り込んだため、大迷惑をこうむりました。
このように私は、町内会トラブルを複数経験していることもあり、町内会の在り方に疑問を感じています。一方で今住んでいるところも、町内会の機能強化を推進する市長の方針もあって、いよいよ町内会が「隣組」化しています。
このような状況下で、私のところに役員推薦の話が来て、とても頭が痛いです。そう思ってネットで調べると、私以上に悩まされ、精神疾患になった人さえいる状況。ここ数年深刻になっていて、2年ほど前にはNHKで特集されたほどです。他方、抜本改革に動いた人も見られ、私は町内会退会に踏み切るか、引き受けたうえで抜本改革に取り組み、最終的には町内会解散→NPO法人化(実際にそうしたところも複数ある)に向き合うか、悩んでいます。抜本改革に取り組む前に、逮捕されない程度に無茶苦茶の不条理をやって住民の問題意識を喚起し、一部保守勢力による「隣組」復活に対する問題提起をすることも視野に入れています。
実は、私の母親は「隣組」復活大賛成派。一部保守勢力を支持し、戦前の日本社会を美化しています。一方の父親は、最近まで母親と同じ考えでしたが、ここへきて「大政翼賛会」に日本が向かっている、それは許せないと私に話してきました。安倍政権より保守的な考えの私の両親ですが、ここへきて温度差が出てきています。
私もやはり安倍政権より保守的な考えの持ち主ですが、一番ダメなのは中途半端。かつての「隣組」レベルまで町内会を強化するか、あるいは一度解体するか。M市やO町で起きていたのは「隣組」になろうとしてうまくいかなかった事例。
今住んでいる町は「隣組」復活を目論んでいるようです。そして行政が本来すべきことを町内会に任せ、行政はただ指示するだけにする体制を目指しています。
このような流れで目立つのが個人情報の不正なかき集め。実際経験したのは、市が知的及び精神障害者のリストを作成しようとしたことです。この件で私は郵送された書類をもって市役所に押しかけ、数時間にわたり猛抗議しました。結局担当者が「リスト掲載拒否できることを関係者に周知するように徹底する」と話したため、私は同封されていた書類の分かりにくいところにあった「リスト掲載拒否」にチェックをつけて提出し、私が障がい者リストに掲載されることはありませんでしたが、このリストは私も目にしました(私は拒否したので掲載されず)。そのリストは班単位になっていて、どの家に身体障害者がいるのか、どの家に知的障害者がいるのか、あるいはどの家に精神障害者がいるのかわかるようになっていました。そして身体障害者がどの家に災害時の救護を求めるのかも明記されていたのですが、よりによって私が身体障害者の救護先に指定されていました。このリストを配る際に町内会長とその身体障害者の介護をしている方が私にお願いに来たのですが、よりによって発達障害者に身体障害者の救護をお願いするとは…市役所にリスト掲載拒否を申し出たので、断りませんでしたが、東日本大震災、熊本震災、西日本集中豪雨(広島と福知山が被災)…とここ数年大規模災害が続いており、加えて某国のミサイルが落下する危険もあるという状況。戦前のこの「隣組」の時代には隣近所が運命共同体になっていたこともあり、それが当たり前だったのですが、今は時代が異なります。憲法を変えないと、昔に戻そうにも戻せないというのが今の安倍政権の考え方で、だから憲法改正へ…となるのだが、自民党総裁の任期を延長してもまだ時間が足りないのが憲法改正。唯一戦前に戻すとすれば、さらなる自民党総裁の任期延長しかないが…幸か不幸か、現時点で野党として機能しているのは共産党だけ。
ここまで書いてきて、問題なのは行政の「おしつけ」のような気がしてきました。かつてゆとりのある楽園的な職場だった郵便局は今やノルマ押しつけが横行するブラック企業レベルと化し、役所での非正規職員の待遇は悪くなるばかり。
私は韓国みたいな状況になる恐れがある、と危惧しています。韓国は儒教をバックボーンに、本来行政が果たすべき役割を放棄して福祉サービスを家族で対応するように押し付けた結果、自殺が世界トップになってしまっています。「地獄社会」となり、社会に余裕が全くなくなってしまい、極端な社会になってしまいました。日本も儒教の国ですから、こうならないとは限りません。
儒教がいかに恐ろしいか…
2017年5月13日土曜日
ゴミとお宝は紙一重…
こんにちは。
本当に久しぶりの投稿になってしまいました。
非常に多忙な日々を過ごしていて、充実しているゆえに、こちらの投稿がほとんどない状態になってしまっています。
同じテーマで今こちらにもアップしているところです。
そして、
久々に体中を突き抜けるほどの、ものすごい達成感を味わうことができました!
のですが、その間にこのような記事を見かけました。
バルーンに携わっている方の記事なのですが、その方が就労支援でこのような残念な事例を目の当たりにされたそうです。
内容を要約すると、
就労移行支援施設の支援を受けて一般就労についた障がい者が上司からパワハラを受け、耐えかねて退職しようとしたところ、就労移行支援施設から「お願いだからやめないでくれ、辞めるのなら別の理由で辞表をかけ」といわれた…
私が以前から問題視している
数字稼ぎ、実績欲しさの就労移行支援の典型
だとこの問題は思います。
本当のところはわからないのですが、このような事例は他にもいくつか見聞きしています。
そればかりか、就労移行支援事業所の中には
就労実績○○人!6か月定着率○○%!
というような、
これ、就職予備校じゃん
というようなことをする事例も多々見受けられます。
そして悪いことに、
就職予備校に行くことによって、親が安心する→働くことによって親を楽にすることができる
という流れがあるのです。
親を安心させることがすなわち親孝行であり、子供の義務である
という考えもあり、現実問題として私はこの考えに沿っています。
しかし、この考えだと、本人の人生ではなく、周りの人のための人生を歩むため、パワハラに耐えるということにつながりかねません。
このような考えでは、お宝になるはずの人材がごみになってしまいかねません。
私も一度、そうなりかけた経験があります。
その背後にあったのが親の考えであり、さらに突き詰めると、
儒教的価値観
にぶちあたりました。私は父親も母親も儒教的価値観の中で育ったのですが、とりわけ母親は島津藩鶴丸城下の在郷武士の家系で、商人=武士の土地にルーツがあり、その結果厳格な子育てを受け、結果インナーチャイルドに苦しみ、精神障害に至るまでになってしまっています。母親は朱子学の思想に近い考えです。そのような母親を安心させるために、私は「もう風船を膨らませることはしない」と一度は決めたのです。
だから、ゴミになりかけた私を再びよみがえらせ、お宝にした今の会社には、感謝の言葉もないのです。
しかし、ゴミになりかけている人をお宝にするのはなかなか容易ではありません。その人の持っている良さを引き出すことが大切であり、それをするのが障がい者サービスに携わる人たち、とりわけ放課後等児童デイサービスと就労支援に携わる人たちの責務なのです。
本当に久しぶりの投稿になってしまいました。
非常に多忙な日々を過ごしていて、充実しているゆえに、こちらの投稿がほとんどない状態になってしまっています。
同じテーマで今こちらにもアップしているところです。
そして、
久々に体中を突き抜けるほどの、ものすごい達成感を味わうことができました!
のですが、その間にこのような記事を見かけました。
バルーンに携わっている方の記事なのですが、その方が就労支援でこのような残念な事例を目の当たりにされたそうです。
内容を要約すると、
就労移行支援施設の支援を受けて一般就労についた障がい者が上司からパワハラを受け、耐えかねて退職しようとしたところ、就労移行支援施設から「お願いだからやめないでくれ、辞めるのなら別の理由で辞表をかけ」といわれた…
私が以前から問題視している
数字稼ぎ、実績欲しさの就労移行支援の典型
だとこの問題は思います。
本当のところはわからないのですが、このような事例は他にもいくつか見聞きしています。
そればかりか、就労移行支援事業所の中には
就労実績○○人!6か月定着率○○%!
というような、
これ、就職予備校じゃん
というようなことをする事例も多々見受けられます。
そして悪いことに、
就職予備校に行くことによって、親が安心する→働くことによって親を楽にすることができる
という流れがあるのです。
親を安心させることがすなわち親孝行であり、子供の義務である
という考えもあり、現実問題として私はこの考えに沿っています。
しかし、この考えだと、本人の人生ではなく、周りの人のための人生を歩むため、パワハラに耐えるということにつながりかねません。
このような考えでは、お宝になるはずの人材がごみになってしまいかねません。
私も一度、そうなりかけた経験があります。
その背後にあったのが親の考えであり、さらに突き詰めると、
儒教的価値観
にぶちあたりました。私は父親も母親も儒教的価値観の中で育ったのですが、とりわけ母親は島津藩鶴丸城下の在郷武士の家系で、商人=武士の土地にルーツがあり、その結果厳格な子育てを受け、結果インナーチャイルドに苦しみ、精神障害に至るまでになってしまっています。母親は朱子学の思想に近い考えです。そのような母親を安心させるために、私は「もう風船を膨らませることはしない」と一度は決めたのです。
だから、ゴミになりかけた私を再びよみがえらせ、お宝にした今の会社には、感謝の言葉もないのです。
しかし、ゴミになりかけている人をお宝にするのはなかなか容易ではありません。その人の持っている良さを引き出すことが大切であり、それをするのが障がい者サービスに携わる人たち、とりわけ放課後等児童デイサービスと就労支援に携わる人たちの責務なのです。
2017年2月26日日曜日
はたを楽にする、という意味
おはようございます。
最近、このような言葉を耳にしました。
働くとは、「はたをらくにする」ということである。
ここでいう「はた」とは、「自分の周囲にいる人」の意味。
とある政治家の国会答弁から生まれた言葉らしい。
現状を考える。
自分が仕事をすることによって、「はた」を「楽」にしているか。
答えは「否」である。
自分が生活するだけで精一杯で、周囲の人の生計を楽にする余裕はない。
というか、ここ数か月を振り返ってみると、
自己投資、すなわち自分のために稼いできたお金を使いまくっている
のが現状。
自己投資を続けた結果、親孝行することができなくなった
というのは、過去の旧Y's Dream時代に犯した過ち。
ホスト(キャバ嬢)を10年続けたのと何ら変わりがない
と、とあるキャリアコンサルタントが評価したのも頷ける。
親を楽にできなかった、という観点から見ると、同じ結果である。
実は、キャバ嬢やホストは、本当の意味で「仕事」ではない。
これらの仕事、実は「はたをらくにできない」のである。
最近、小学生女子のあこがれの職業に「キャバ嬢」がランクインしたことがあった。
高収入というのが一つの理由らしいが、現実問題、芸能界などと同じで、
使う金が半端でない
という現実がある。
究極の接客業だけあって、金をとにかくかけないといけない側面がある。
稼いだ分以上の投資をしないと、もっと稼げないのである。
しかも水商売の裏側は、魑魅魍魎が渦巻く世界。
うつなどの精神疾患になってもおかしくない。
そして、コミュニケーション能力等が長けているにもかかわらず、イメージ面から再就職市場で敬遠される。
「キャリアに足を引っ張られる」
現象が起きるのである。
本題からどんどんずれそうなので、キャバ嬢やホストの話はここまでにするが、実は
バルーン業界最大のマーケットがキャバクラやホストクラブ
という現実がある。
かつてバルーン業界最大のマーケットが
パチンコ店
だった時代があった。パチンコ業界はレジャーの多様化等で急激に衰退し、ピークだった1995年の3分の1にまで市場が縮小したという。
その後、バルーン業界最大のマーケットが
ブライダル業界
イベント業界
に移り、さらにバルーン業界自体が発展していった。バルーンギフトやホームパーティーの需要は着実に伸びた。イベント関係が縮小に向かい、ブライダル業界も少子化と晩婚化・未婚化の影響で縮小に向かっているが、一方でバルーンギフトとホームパーティーの需要は伸び続けている。
その中で、急激に需要が伸びたのがキャバクラやホストだった。
私は一時期、営業がてらキャバクラに出入りしていた。そして出入りしていたキャバクラの装飾なども手掛けていた。…が、
平日昼間はギフトや週末のブライダル向けの準備や発送
平日夜はキャバクラの装飾現場
週末はイベントやブライダルの現場
という状態だった。
加えて、バルーン業界の技術の進歩は急激だった。
ついていくためには稼いだ以上の投資をしないといけない。
同時にバルーンの立ち位置が変わった。
そんな中で、私は「慢性疲労」の状態になった。
心も体も限界だった。
結局、2012年に鬱を発症。
長期休業に追い込まれた。
これを見たのが両親。
ここぞ、とばかりに自分のもとに息子を取り戻そうとした。
このときの両親は異常そのものだった。
挙句の果てに、両親は「パンドラの箱」を開けてしまった。
ここでいう「パンドラの箱」とは、
自立している子供の人生に踏み込み、子供を親のために生きるように仕向けよう、とすること。
まさに「毒親」でなければまずありえない行状である。カルト宗教に足を踏み入れているわけではないのに、バルーン業界そのものを「カルト宗教」扱いしたりした。
このようなことをすると、「やまない雨」が降ることになる。すなわち「災害レベル」の出来事が起き、元に戻るのに長い歳月が必要になる。あるいは元に戻らない、取り返しのつかないことになってしまう。「やまない雨はない」というし、現実問題災害が起きても雨はいつかは必ずやむが、崩れた土砂や堤防を元通りに戻すには長い歳月が必要である。数年前に広島市安佐南区八木で起きた「山津波」は、局地的に「復興不能」地帯を生み出した。東日本大震災などでも出た「復興不能」。こうなると、もう元通りには戻らない。
話がどんどん横にそれていっている。元に戻そう。
「はたをらくにすること」ができて、初めて自立する、ということが可能だと私は思っている。自分が生きていくだけでは、自立していることになっていないと私は思う。
「はたをらくにする」ために、仕事と割り切って働く必要がある。そのためには、自分が生きていくだけの仕事に見切りをつける必要がある。
バルーン業界を「カルト宗教」呼ばわりした私の母親は、その後まもなくして鬱を発症した。正確には持病であった「自律神経失調症」が悪化した。そして歩くことができなくなった。さらには自殺未遂までしてしまった。この原因のすべては私にある、と考えた私は「母親を楽にするため」に、バルーンアーティスト引退を決断した。
ところが、原因を探求すると、違うところに問題がある、という結論に至った。母親の「イエ」に問題があり、母親が異常なまでに厳しくしつけられた結果だということが分かった。そして、自分自身の幼少期も厳しすぎる躾を受け、その結果「生きにくさ」につながっていたことが分かった。親子間で
負の連鎖
が起きていたのである。
私が幼いころ。
母親は祖父母の呵責に耐えながら、私の自閉症を無理やり直そうとした。それも今では「間違っている」とされる方法で。その結果、私は言葉がしゃべれるようになったが、今に続く後遺症が残った。
私が鬱を発症してようやく、本当の原因が分かった。私の自閉症は、根本治療されていなかったことが分かった。自閉症である以上、「発達障害」となる。障がいと向き合って、受け入れて生きるしかない、という結論に至った。両親が私にしてきた、厳しすぎる躾の後遺症は「精神障害」。これではどんなに努力しても、結果が出ないはずである。
「根っこに問題がある」=「土壌に問題がある」のだから。
だから、私は「土壌に問題がある」以上、その現実を受け入れて、それを踏まえて生きていくことを考えるのが最優先だと考えている。そのためにあるのが「療育」なのである。
しかし、その考えを邪魔するものが存在した。
それは「儒教」である。
両親は儒教を心のよりどころにしているようである。私の両親は父親も母親も儒教的価値観のもとで育てられた。実家の本棚には「論語」などの中国の古典がある。その結果、考えが超保守的である。
私も自分の考えを改め、自己洗脳して真っ新な自分に変わろうとして、儒教を学んだ。その結果たどり着いた考え。
「働くとは、周囲の人を楽にすることである。そこには自分の考えではなく、周囲の人のために尽くす、ということである。すなわち私は親のために働く。親のために今後の人生を歩んでいきたい」
「そのためには、自らをむなしくし、全てをありのまま受け入れる必要がある」
以前のべたような「学習放棄」をして、自分を一度空にし、全く違う考えを受け入れて、親のために生きていく、という人生を歩みたかったのである。
「よしんば親に過ちがあれど、子は親に従わなければならない」
という考えにも至った。儒教の最大の教え「孝」である。
だからこそ、「はたをらくにする」という言葉を聞いて、真っ先に思った。
「親を楽にするために仕事をする」ことができないうちは、「仕事をしているうちに入らない」と。ゆえに、私は「仕事をしていないのと同じ」だと。
とある就労移行支援施設の年頭のあいさつで「はたをらくにする」という話が出た。
この就労移行支援施設は、そのために何をすべきか、という訓練をする方向に向かっている。
しかし、私は「だったらもっと徹底した訓練が必要」と考える。
その訓練は「自らをむなしくする訓練」である。
自分の過去を捨てて、真っ新な自分として全く違う分野の仕事に取り組む覚悟をもって就職活動に取り組むのである。そこまでやって初めて「はたをらくにできる」。
「自分のために生きている」という価値観を捨て去ることが必要だと思うが、この就労移行支援施設は、残念ながらそこまで踏み込んだ訓練をしていない。だから「価値観が違う」という理由で不採用を積み重ねることになるのだ。「面接は時の運」とほざいているようだが、私から言わせれば「自らの器を一度空にし、相手が求める価値観を満たせる人になるよう、自らを作り替える」ぐらいのことができないといけない。
そのぐらい中高年の就職は厳しいのである。特に一度キャリアを築き上げた経験のある人にとっては。「築き上げたキャリアが足を引っ張る」とは、こういうことを指すのである。
ただし、これまで築いてきた価値観と企業が求める価値観が一致した(あるいは非常に近い)幸運に巡り合えた場合は話が全く異なってくる。このようなケースは私は「レアケース」に近い、と考えている。このようなケース自体まれだと私は思っているし、現実にそうである。
だからこそ、
「はたを楽にするためには、自分を一度むなしくしなければいけない」
のである。
最近、このような言葉を耳にしました。
働くとは、「はたをらくにする」ということである。
ここでいう「はた」とは、「自分の周囲にいる人」の意味。
とある政治家の国会答弁から生まれた言葉らしい。
現状を考える。
自分が仕事をすることによって、「はた」を「楽」にしているか。
答えは「否」である。
自分が生活するだけで精一杯で、周囲の人の生計を楽にする余裕はない。
というか、ここ数か月を振り返ってみると、
自己投資、すなわち自分のために稼いできたお金を使いまくっている
のが現状。
自己投資を続けた結果、親孝行することができなくなった
というのは、過去の旧Y's Dream時代に犯した過ち。
ホスト(キャバ嬢)を10年続けたのと何ら変わりがない
と、とあるキャリアコンサルタントが評価したのも頷ける。
親を楽にできなかった、という観点から見ると、同じ結果である。
実は、キャバ嬢やホストは、本当の意味で「仕事」ではない。
これらの仕事、実は「はたをらくにできない」のである。
最近、小学生女子のあこがれの職業に「キャバ嬢」がランクインしたことがあった。
高収入というのが一つの理由らしいが、現実問題、芸能界などと同じで、
使う金が半端でない
という現実がある。
究極の接客業だけあって、金をとにかくかけないといけない側面がある。
稼いだ分以上の投資をしないと、もっと稼げないのである。
しかも水商売の裏側は、魑魅魍魎が渦巻く世界。
うつなどの精神疾患になってもおかしくない。
そして、コミュニケーション能力等が長けているにもかかわらず、イメージ面から再就職市場で敬遠される。
「キャリアに足を引っ張られる」
現象が起きるのである。
本題からどんどんずれそうなので、キャバ嬢やホストの話はここまでにするが、実は
バルーン業界最大のマーケットがキャバクラやホストクラブ
という現実がある。
かつてバルーン業界最大のマーケットが
パチンコ店
だった時代があった。パチンコ業界はレジャーの多様化等で急激に衰退し、ピークだった1995年の3分の1にまで市場が縮小したという。
その後、バルーン業界最大のマーケットが
ブライダル業界
イベント業界
に移り、さらにバルーン業界自体が発展していった。バルーンギフトやホームパーティーの需要は着実に伸びた。イベント関係が縮小に向かい、ブライダル業界も少子化と晩婚化・未婚化の影響で縮小に向かっているが、一方でバルーンギフトとホームパーティーの需要は伸び続けている。
その中で、急激に需要が伸びたのがキャバクラやホストだった。
私は一時期、営業がてらキャバクラに出入りしていた。そして出入りしていたキャバクラの装飾なども手掛けていた。…が、
平日昼間はギフトや週末のブライダル向けの準備や発送
平日夜はキャバクラの装飾現場
週末はイベントやブライダルの現場
という状態だった。
加えて、バルーン業界の技術の進歩は急激だった。
ついていくためには稼いだ以上の投資をしないといけない。
同時にバルーンの立ち位置が変わった。
そんな中で、私は「慢性疲労」の状態になった。
心も体も限界だった。
結局、2012年に鬱を発症。
長期休業に追い込まれた。
これを見たのが両親。
ここぞ、とばかりに自分のもとに息子を取り戻そうとした。
このときの両親は異常そのものだった。
挙句の果てに、両親は「パンドラの箱」を開けてしまった。
ここでいう「パンドラの箱」とは、
自立している子供の人生に踏み込み、子供を親のために生きるように仕向けよう、とすること。
まさに「毒親」でなければまずありえない行状である。カルト宗教に足を踏み入れているわけではないのに、バルーン業界そのものを「カルト宗教」扱いしたりした。
このようなことをすると、「やまない雨」が降ることになる。すなわち「災害レベル」の出来事が起き、元に戻るのに長い歳月が必要になる。あるいは元に戻らない、取り返しのつかないことになってしまう。「やまない雨はない」というし、現実問題災害が起きても雨はいつかは必ずやむが、崩れた土砂や堤防を元通りに戻すには長い歳月が必要である。数年前に広島市安佐南区八木で起きた「山津波」は、局地的に「復興不能」地帯を生み出した。東日本大震災などでも出た「復興不能」。こうなると、もう元通りには戻らない。
話がどんどん横にそれていっている。元に戻そう。
「はたをらくにすること」ができて、初めて自立する、ということが可能だと私は思っている。自分が生きていくだけでは、自立していることになっていないと私は思う。
「はたをらくにする」ために、仕事と割り切って働く必要がある。そのためには、自分が生きていくだけの仕事に見切りをつける必要がある。
バルーン業界を「カルト宗教」呼ばわりした私の母親は、その後まもなくして鬱を発症した。正確には持病であった「自律神経失調症」が悪化した。そして歩くことができなくなった。さらには自殺未遂までしてしまった。この原因のすべては私にある、と考えた私は「母親を楽にするため」に、バルーンアーティスト引退を決断した。
ところが、原因を探求すると、違うところに問題がある、という結論に至った。母親の「イエ」に問題があり、母親が異常なまでに厳しくしつけられた結果だということが分かった。そして、自分自身の幼少期も厳しすぎる躾を受け、その結果「生きにくさ」につながっていたことが分かった。親子間で
負の連鎖
が起きていたのである。
私が幼いころ。
母親は祖父母の呵責に耐えながら、私の自閉症を無理やり直そうとした。それも今では「間違っている」とされる方法で。その結果、私は言葉がしゃべれるようになったが、今に続く後遺症が残った。
私が鬱を発症してようやく、本当の原因が分かった。私の自閉症は、根本治療されていなかったことが分かった。自閉症である以上、「発達障害」となる。障がいと向き合って、受け入れて生きるしかない、という結論に至った。両親が私にしてきた、厳しすぎる躾の後遺症は「精神障害」。これではどんなに努力しても、結果が出ないはずである。
「根っこに問題がある」=「土壌に問題がある」のだから。
だから、私は「土壌に問題がある」以上、その現実を受け入れて、それを踏まえて生きていくことを考えるのが最優先だと考えている。そのためにあるのが「療育」なのである。
しかし、その考えを邪魔するものが存在した。
それは「儒教」である。
両親は儒教を心のよりどころにしているようである。私の両親は父親も母親も儒教的価値観のもとで育てられた。実家の本棚には「論語」などの中国の古典がある。その結果、考えが超保守的である。
私も自分の考えを改め、自己洗脳して真っ新な自分に変わろうとして、儒教を学んだ。その結果たどり着いた考え。
「働くとは、周囲の人を楽にすることである。そこには自分の考えではなく、周囲の人のために尽くす、ということである。すなわち私は親のために働く。親のために今後の人生を歩んでいきたい」
「そのためには、自らをむなしくし、全てをありのまま受け入れる必要がある」
以前のべたような「学習放棄」をして、自分を一度空にし、全く違う考えを受け入れて、親のために生きていく、という人生を歩みたかったのである。
「よしんば親に過ちがあれど、子は親に従わなければならない」
という考えにも至った。儒教の最大の教え「孝」である。
だからこそ、「はたをらくにする」という言葉を聞いて、真っ先に思った。
「親を楽にするために仕事をする」ことができないうちは、「仕事をしているうちに入らない」と。ゆえに、私は「仕事をしていないのと同じ」だと。
とある就労移行支援施設の年頭のあいさつで「はたをらくにする」という話が出た。
この就労移行支援施設は、そのために何をすべきか、という訓練をする方向に向かっている。
しかし、私は「だったらもっと徹底した訓練が必要」と考える。
その訓練は「自らをむなしくする訓練」である。
自分の過去を捨てて、真っ新な自分として全く違う分野の仕事に取り組む覚悟をもって就職活動に取り組むのである。そこまでやって初めて「はたをらくにできる」。
「自分のために生きている」という価値観を捨て去ることが必要だと思うが、この就労移行支援施設は、残念ながらそこまで踏み込んだ訓練をしていない。だから「価値観が違う」という理由で不採用を積み重ねることになるのだ。「面接は時の運」とほざいているようだが、私から言わせれば「自らの器を一度空にし、相手が求める価値観を満たせる人になるよう、自らを作り替える」ぐらいのことができないといけない。
そのぐらい中高年の就職は厳しいのである。特に一度キャリアを築き上げた経験のある人にとっては。「築き上げたキャリアが足を引っ張る」とは、こういうことを指すのである。
ただし、これまで築いてきた価値観と企業が求める価値観が一致した(あるいは非常に近い)幸運に巡り合えた場合は話が全く異なってくる。このようなケースは私は「レアケース」に近い、と考えている。このようなケース自体まれだと私は思っているし、現実にそうである。
だからこそ、
「はたを楽にするためには、自分を一度むなしくしなければいけない」
のである。
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