こんにちは。
今、私の叔母が鹿児島市の火葬場で荼毘に付されています。
私はあえて、葬儀に参列しませんでした。
というか、叔母は誰にもみとられることなく、自らあの世へ旅立つ選択をしてしまったのです…
私は叔母の実態を確認し、福祉サービスにつなぐ目的で鹿児島を先日訪れていました。
少し離れた(東京なら都心と千葉、広島なら広島市と東広島市くらいの距離)場所にある常日頃から疲れをいやすために使っている湯治場を拠点に行動する予定でした。
長丁場に備え、レンタカーを借り、食材も地元(鹿児島)のスーパーで地元(鹿児島)の食材を準備し、生活を鹿児島に持ち込んで温泉につかりながらあらゆることを考えるつもりでした。
異変に気付いたのは2日目。初日、叔母の住む家を訪れると、郵便受けが怪しかったのですが、この日は祖母の月命日。お墓参りに行っている可能性が高い、叔母のことだからもし生きていたら大騒ぎをして、親族関係を断ち切るなどの暴挙に出かねない(過去にそうなりかけた事例が何度かあった)こともあり、その日はひとまず湯治場へ向かいました。
2日目の朝、鹿児島にいる以上、私を守ってくださっている有名な神社でもある霧島神宮に参拝し、その後鹿児島市に戻って、お墓参りをしました。そこへ…
電話が入りました。
「叔母が警察に連行された」
「実家に複数の警察官が駆けつけている」
そして2時間ほど後
「叔母の死亡が確認された」
「殺人事件の可能性がある」
ただならぬ事態と判断した私は、両親から
「可能な限り速やかに鹿児島から脱出するように、できれば広島の実家へ直行するように」
という指示を受けました。
私は鹿児島市→湯治場→鹿児島県内のとある新幹線駅(鹿児島中央駅ではない)というルートでレンタカーを運転し、湯治場で荷物をすべて回収、レンタカーをとある新幹線駅まで運転し、そこで乗り捨てました。レンタカー自体は鹿児島中央駅で借りたもので、この駅は乗り捨て無料可能駅に指定されていたこともあり、この駅に向かうのがベター、しかもこの駅のある町までは湯治場の近くにある鹿児島空港からのアクセス道路があることを知っていましたので、私はアクセス道路をレンタカーで疾走しました。そしてこのとある新幹線駅から九州新幹線に飛び乗り、そのまま広島まで直行しました。
私も両親も憔悴したのは言うまでもありません。加えて私はやけ酒をこのとある新幹線駅から広島駅までの間、ひたすらあおっていました。
緊急家族会議の結果、私は広島で留守番をすることにしました。
祖父の時…私はどうしても外せない風船の仕事(=バルーン演出)があり、それが終わってから翌日の飛行機で広島西飛行場から鹿児島へ。
祖母の時…親から「鹿児島に行くな」という指示が出た。当時私は折からのヘリウムガス払底問題もあって、廃業をすべきか否か真剣に悩んでおり、親は私の存在を隠したかったらしい。
私の母方の祖父母はいわゆる「毒親」とみられ、厳格すぎる子育てを施したそうです。聞いた話では私が風船屋を始める際にも「断固阻止」「廃業に追い込め」という話を私の母親にしたそうです。そして私の創業を詫びたという話を聞いています。
そして母親は祖母が亡くなった直後から、精神疾患になり、鬱状態に。一時は一家心中も考えたそうです。私が幼児だったころ、自閉症に悩んで、やはり一家心中を試みたこともあると聞いています。いずれも父親が止めたそうです。
一連の状況から、母親は「インナーチャイルド」に苦しめられている、と判断しました。
結果、私は今所属している企業の中で風船の活動を再開するに至ったのですが、母親には嘘を話ししています。そうせざるを得ないのも、母親が苦しんでいる真の原因は、祖父母及び祖父母が築き上げた家にある、と考えたからなのです。
今回亡くなられた叔母は、生涯一度も恋愛をすることなく、一度も働くことなく、高校卒業後、祖父母とともに暮らしてきました。祖父母が亡くなった後、唯一の生きがいであった料理もすることがなくなり、最初は鹿児島随一のデパートYやすぐそばにある南九州では有名なスーパーTで買い物をしていたのが、最近ではすぐ近くにできたコンビニSで惣菜を買って暮らしていたそうです。
加えて、私も今回訪れて驚いたのですが、周囲の家が全部なくなっていたのです。更地になっていて、私は状況が直ちにわかりました。「マンション用地になるな、これは」
おそらく不動産ブローカーが来て、土地売却を打診され、以降人とのかかわりを全く断ったのでしょう。
死因は「胃潰瘍による出血性ショックもしくは窒息」だったそうですが、これらの症状はふつう救急車を呼んで救急病院に搬送され、数週間の入院治療というケースがほとんどです。胃を大部分摘出し、食が細くなりますが、死ぬことはなかったはずです。私も福祉サービスにつなぐつもりでした。おそらくは「地域包括支援センター→ケアマネージャー→訪問介護orデイサービスと訪問看護の併用」というコースをたどり(当然介護保険対象になる)、それでも厳しくなると「老人保健施設(老健)」もしくは「介護サービス付高齢者住宅(サ高住)」入り、となるパターンでした。
しかし、この叔母は福祉に頼る意思がなかったのでしょう。どう見ても早く祖父母のところへ行きたかったのかもしれません。
おまけに、最近の福祉政策は、このようなケースを歓迎する傾向にあります。この叔母は年金をほとんど受け取ることなく亡くなったそうです。極論を言うと、このような亡くなり方が増えれば、年金は支払う必要なし、介護保険も健康保険も支払う必要なし、儲かるのは桶屋…
もしそうだとすれば、「何のための福祉なのか」というところまで考えなければならなくなります。
聞いた話では、私のもう一人のいとこがSNEP化しているそうです。
結局、生きがいを失った人たちの末路といわざるを得ないでしょう…
私はそのような人を少しでも減らすような活動をしなければいけません。幸い私は、そのすべがあります。そのすべは…言うまでもありません、「あれ」です。
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