2015年5月12日火曜日

取捨選択の重要性…市場は常に動いている

おはようございます。
バルーンの市場は、伸びる市場と縮む市場があるのが現状だと私は実感しています。3月から続いた一連のトライアルで、子育て世代のママに一定のニーズがあるということがはっきりしました。誕生日パーティーに各種イベント…
それらの潜在需要をいかにして掘り起こすかが
課題です。

そして、おそらく最大のテーマになるであろう
発達障碍者の就労支援にいかにしてバルーンを役立てるか
 方向性は見えています。
これをいかにして形にするか
が今後取り組むべきテーマになる、ということはこれまで述べてきたとおりです。

一方、これまで主力だったブライダル市場は、縮小の一途。
特にここ数年主力の「ゲストハウスウェディング」と、「ホテルウェディング」「互助会系結婚式場」がそろって苦戦しています。
以前述べたように、ブライダルでのバルーンの市場は最盛期の半分近くにまで落ち込んでいるということもあります。

しかも、ブライダル業界は生き残るために提携業者の囲い込みを強化する傾向にあります。
その結果、これ自体かなり由々しい事態なのですが、
会場を選ぶことが先行し、結果自分たちのやりたいことができないケースが多数出ている、それが「結婚式は高くてめんどくさくて疲れるだけ」と思われ、いわゆる「なし婚」の増加につながっているのです。
ブライダル市場でBtoCでやっていくことは、年々厳しくなっているのが現状です。

他方、BtoBでやろうとすると、
受けた以上責任が伴う
ことになり、結果
やりたい仕事を断らざるを得ない
ことになってしまいます。
結果、私は無理に無理を重ね、最後は鬱に似た症状を呈して廃業・引退に追い込まれました。

そのような市場動向の変化が起きている現状を踏まえ、今後私はバルーンに取り組んでいくのですが、そうなると、以前述べたように、いわゆる
学びほぐしが必要
となってきます。

ラッピングなどの知識も必要、という意見もありました。
いずれにせよ、今の私に必要なのは
もう一度学びなおす
くらいの覚悟なのかもしれません。

2015年4月17日金曜日

キックオフ=飲み会?

こんにちは。


最近、電車の中づりに
飲み会じゃない、キックオフだ
というコピーの広告がぶら下がっています。
見ると、
あの人を、歓迎会
というコピーもあります。


ソウス(ぐるなび)


この季節、新年度のスタートもあって、いたるところで人事異動などがあり、新しいプロジェクトがスタートしています。
人事異動もさることながら、新入社員や転職してきた中途入社の社員も数多くさまざまな職場に入ってきています。


そのような新しく入ってきた社員は、すなわち新しいチームの一員となるわけですが、当然面接を潜り抜けてきます。面接を通して
この人はチームの一員として適しているか
が試され、それをクリアできたものだけがこの春に新チームの一員として迎え入れられたのです。


当然のことながら、どこのチームにも入れなかった人がいます。
そういう人たち、特に就職浪人になってしまった人は、この広告を見てどう思うのでしょうか…


電車にはそういう人たちも乗ってきます。
私も「どこのチームにも入れなかった」一人で、一方で全く新しいことに取り掛かる準備を進めている状況にあります。
こういう広告を見ると、どうも違和感を感じざるを得ません。


そして、一部では飲み会を
キックオフ
と称しているところが見られます。
私から言えば、
キックオフ=プレイボール
であり、
試合開始
の意味でとらえています。


試合=戦い
という意味で考えると、
チームで戦っていく
ということにつながります。


それで、チームの一員として親睦を深めるために、飲み会を行い、それが「キックオフ」につながったものと私は考えています。


しかし、こういう見方もあります。



ソウス(脱社畜ブログより)


チームビルディングに飲み会は欠かせない、という考えに一石を投じる記事。


私も同感です。チームの結束を固めるのに必ずしも飲み会は必要でないというのが私の考えです。


そして、発達障害の人は特に、チームに溶け込むのが難しいケースがあります。


チームの一員としてやっていくには、時として個を捨て去る必要性が出てきます。
しかしそれをすることで、その人は成長できるのだろうか?


「ホウレンソウ」(=報告・連絡・相談)や5Sの範疇を越え、超有名アニメ「ワンピース」の領域にまでなってくる。
「ホウレンソウ」は仕事の基礎として必須であるが、それ以上を求められると、発達障害のある人にとってはつらくなってくる。
もっとも、そういう職場にも対応できるような訓練をしている就労移行支援事業所もあるらしい。


「ワンピース」については、是非を含めて機会を変えて論じる必要があるので、ここでは詳しく述べません。
それを抜きにしても、この
キックオフ
という言葉、奥が深いです。


だったら
ノーサイド
はどうなるの?打ち上げが「ノーサイド」?


難しい… 奥が深い…

2015年4月16日木曜日

不向きな○○

こんにちは。
広島空港が大変なことになってしまいました。
起きた事故もさることながら、その原因が
自然現象
が原因の模様…


自然現象が原因の航空事故はそうめったにあるものではありません。


こうなると、
「空港を作ってはいけない場所に空港を作ってしまった」
という、どうしようもない問題にいきついてしまいます。
恐らく80年代ごろには分からなかった問題でしょう、気象が変わってしまったのですから。


それだけではありません。
昨年の八木の山津波にしても、地名は如実に物語っていました。
壊滅した一帯は
芦谷
と呼ばれていたそうです。
芦=悪し(あし)
つまり「流された過去があるから家を建ててはいけない」という言い伝えを無視した結果、あのような大惨事になってしまったのです。


このように、自然の摂理に逆らおうとすると、とてつもないしっぺ返しを食らうことになるのです。


私自身もそうで、
本当はバルーンデコレーターは不適格
だったのです。


どんなに頑張っても、結果が出ないことがあります。
その場合、まれにですが
「本来就いてはいけない仕事についてしまった」
ということがあります。
発達障害、特に自閉症の傾向があった場合、生まれつきの能力に偏りがあり、その結果ある一定のところまで来ると、限界の症状を呈し、壊れてしまうということがあります。


どうしようもないところに邪魔されてしまう、というのは歯がゆいですが、それが持って生まれたものである以上、どうしようもありません。
広島空港にしてもそうで、もともとは山だったのを無理に切り開いて空港にした場所だそうです。広島は空港に適したところが周辺に本当に少なく、廃港になった広島西飛行場(昔の広島空港)の滑走路を延長しようとすると、厳島を削らなければいけなくなるそうです。古からの御神体である厳島を削るととんでもないことが起きかねません。畏れ多くそれはできない、ということになり、新空港を作るしかなかったのですが、適している場所が本当に少なかったようです。そして半ば強引にあの場所に空港を作ったそうです。


こうしてみると、米軍岩国飛行場を民間開放したのは正しかったことになります。


さて、広島空港です。
本来なら「空港そのものに問題があった」という結論を出して、
使用中止→廃港
にするのが本来だと思います。岩国飛行場はすでに民間開放されています。しかし、これをすると
巨大な無駄
になってしまいます。抜本的な改良を行って、使用していくよりほかにないのです。


私自身もそうで、バルーンを完全に捨て去ることはすなわち
巨大な無駄
になります。人生の中で巨大な無駄を出すと、それこそ「人生終了」です。
私の両親は広島空港を廃港にするのと同じことをもくろんだのです。
私の場合も、すでに何人か代わりになる人が出ているのが現状です。


しかし、それはできませんでした。
やはり抜本的な在り方を考え、それを生かすしかないのです。

2015年3月18日水曜日

発達障害を抱えながら働くということ

こんばんは。
ここ数日ブログの更新がありませんでしたが、「発達障害がある人もその才能を生かせる業界にバルーン業界をしていくことができるのか」というテーマに取り掛かり始めたこともあり、多忙な日々を過ごしています。
テーマ自体が壮大なものであり、時間をかけて取り組まなければならないものなので、しばらく更新頻度が落ちるのは確実です。


発達障害といってもいろいろな種類があり、ひとくくりにはできません。
ただ共通しているのは、


高度なコミュニケーション能力と要領の良さだけが求められている現代社会の中で、その枠からはみ出した人たちをどう活用していくか


ということです。


そして
失った自信をどうやって取り戻して、就労につなげていくか
というのがテーマになっています。
そのツールとしてバルーンを活用することを私は考えていましたが、このプランを具体化させる段階に差し掛かっています。
その中で見出しの課題の答えを見出すことができるのかもしれません。


難問ですが、時間をかけてじっくり取り組むことにします。



2015年初のバルーン… 今年最初のバルーン…3月になってようやく風船を膨らませました。保育園のイベントでした。

227系電車 JRに新車が入りました。ネットで新車の時間が情報として入るので、最近打ち合わせなどで出歩く機会が多いのですが、極力新車にあたるように時間を組んでいます…今までボロばかりで、JRは敬遠していましたが、これは静かで快適です。

2015年3月1日日曜日

学習棄却(アンラーン) バルーンの場合

おはようございます。


昨日、アンラーニングについて述べた。
その中で「バルーン業界はアンラーンが必要」とだけ簡単に述べた。
今日は詳しく述べることにします。


すでに何度も述べている通り、バルーン業界は今、曲がり角に差し掛かっている。
これまでのビジネスモデルから、新しいビジネスモデルへの変化のさなかにある。


広島では、フラワーアレンジにメッセージバルーンを添えるというスタイルが主流になっている。聞いた話では、日比谷花壇系列のeフローラさんがフラワーギフトにバルーンを組み込むための講習を行っているらしい。
さらに広島は他の地域に比べてバルーンショップが少なく、手軽にバルーンを入手できるとは言い難い状況にある。加えて格安バルーンを中国から導入しているダイソーの本拠地でもある。
このためほかの地域に比べて広島はバルーンが身近になっているとは言い難い。この状況は私が何とかしなければいけないと思っているが、周知のとおり私は深刻な精神的ダメージをこうむって、いまだにそこから立ち直れない。というか立ち直ろうにしても、休んでいる間にバルーンを取り巻く環境があまりにも変化していくのを目の当たりにして
「もはやこれまでのやり方では再び破綻するだけだ、しかも今度は本当に金銭的破綻に至りかねない」
と判断し、復帰をためらっているのが現状である。


そこで必要なのがアンラーン、学習棄却である。
言い換えれば
成功体験を一度すべて捨て去ること
である。


すでにいくつかのトップクラスのバルーンデコレーター、バルーンアーティストはこれができていて、新たな展開に移っている。
バルーンギフトの手法はどんどん新しいものができており、常に勉強と投資を怠ってはいけないのが現状。
とてもこの現状についていけないというのが私の考え。


だったら私は何をすべきなのか。
やはり
若い世代に自らの経験を伝える
ことしかないのではないか。
だから私はバルーン業界の団体に籍を残した。


何年も同じことばかりやっているバルーンデコレーターはもう必要とされていない


先日述べた「ブライダルにおけるバルーン需要の低下」はこの表れではないか。


こういう時こそ
風船で何がしたいのか
風船で何ができるのか
をもう一度考える必要がある。

2015年2月28日土曜日

学習棄却(アンラーン)の必要性に直面して…

こんにちは。


今の自分に一番必要なものが今日の見出しです。


学習棄却、アンラーンとは、
経験したもの、得た知識、そしてこれまでの蓄積をすべて一度捨て去る
ことである。


特に一つの道を切り開いたり、極めた人にとっては、ある意味一番至難で厳しいことなのかもしれない。


しかしこれをしないと次へ進めない状況が生じている人がいるのもまた事実である。


ほかならぬ私自身が今この状況にある。


この視点、アプローチが正直どこも欠けていると私は痛感している。本当にわかっているのはごく一部のビジネスパーソン、それも「超一流」と呼ばれるトップクラスのビジネスパーソンだけというのが現状である。


まずバルーン業界。
これまで述べてきたとおり、市場環境そのものが大きく変化している。
ブライダルやイベントでの需要は大きく減り、一方でギフト需要は伸びているものの、供給過剰気味である。
そしてちょっとした町にはほとんどバルーンショップができて、ネットショップは個性を競う状況になっている一方、100円ショップでもヘリウム入りバルーンが売られているという現状があり、特にここ広島では一番の風船の入手もとがダ○ソーという実態である。
このような状況下では、私が何度も言っているように
ただ風船を膨らませるだけのバルーンデコレーターはもういらない
一番大切なのは風船で何がしたいのか、そして何ができるのかを提案することである
ということなのである。
それを踏まえて私がつくりあげてきたもの、そして私が目指しているものを考える必要がある。


バルーン業界についてはこの程度でとどめておく。


今日はここからが本題。
転職する際に一番必要なことは何かなのである。


私はこれまで、ありのままの自分で面接に臨んでいた。


それでいいところもあるにはあるが、これでは単なる「労働力」として採用されるにすぎない、ということをここ数日の間に痛感した。
転職をする際、本当に求められているのはこれまでやってきたことを踏まえ、何ができるのか、ということではないことを痛感する出来事が先日起きた。
それを一度捨て去ることができるのかが一番重要なのだった。


なぜか。


ソウス(「日本の人事部」アンラーニングの方向性 より)


熟達者になるには長い経験が必要ですが、それは特定の領域においてのみ優れている人です。つまり、熟達化を進めるには、長期的に安定した領域が存在していることが前提です。しかし、ビジネスの世界は、一定時間ごとにルールが変わるゲームのようなものです。環境が変われば、価値観も役割も変わります。特に現代のような変化の激しい環境下では、かつての経験が必ずしも有効とはならないのです。むしろ、過去の経験そのものが、新たな環境に適応する際の妨げとなることの方が多いのではないでしょうか。
そんな中で10年もかけて一つの道を究めても、熟達者になったときにはもう違うルールのゲームが行われているのです。こうした分野では、熟達という概念自体が無意味なものとなってしまいます。それは、熟達を強く意識しすぎることが、時代遅れになった価値観や考え方、行動パターンに気づくことを遅らせることにつながるからです。

引用ここまで


私がバルーンアーティストとして現役で活動していた際の末期に直面したことは、まさしくこれだった。


そして転職する際に一番必要なのは、
一度すべてを捨て去ること
だったのだ。


一度すべてを捨て去るという指導を、どこの転職エージェントがしているのだろうか。
というか、そのような転職指導は今まで聞いたことがなかったし、見たこともなかった。
ネットで調べてみたが、やはり出てこない。


Weblio辞書 によると、
個人や組織が激しい環境変化に適応して、継続的な成長を遂げるためには、いわゆる学習(ラーニング)と学習棄却(アンラーニング)という、2種類の一見相反する学びのプロセスのサイクルをたえず回していくことが不可欠
とある。先ほどのソウスも引用されている。


どうやら、かなりの覚悟と期間が必要な状況である。
というか、これをしないと私は転職できない、というのが結論。


この現実を前にして、私は相当悩んでいる。
というか、「親の言うとおりに再就職するとしたら、これは相当の覚悟と期間が必要なのではないか。それを分かった上での親の言動なのか」という疑問が以前から湧いていた。
これができる人にならないといけないのが今の私。それを邪魔しているのが私が築き上げた経験であり実績。
そのような状況に置かれる人というのは、やはりごく限られた人。言い換えれば
何か一つでも輝かしい大きな実績と経験をした人でないと、このような状況に直面しないし、その中でもこのようなリセットが必要な状況に直面するに至る人はさらにごく限られた人なのが現状。


発達障害や精神障害を抱えた人にとって、これはかなりの困難を伴う。場合によっては1年や2年では終わらない。下手をすると5年以上かかる。これに取り組みながらの転職活動は、できるなら回避した方がよい。なぜなら
その間にも生活していかなければならないのが現実
だからである。


親の言っていることに対して「これは困難の極みだ。可能な限り回避した方がよい」と常々感じていたが、その理由がここ数日の間でやっとわかった。


そして一番必要なのがアンラーニング、学習棄却だったという現実に直面した私。
どうすればいのか…途方に暮れている。

2015年2月27日金曜日

どうして親にうそをつかざるを得ないのか?

おはようございます。


幼児、特に3歳から5歳ぐらいのお子さんをお持ちの親の悩みでときどき聞かれるのが
「子供が嘘をつく」
ということ。


もし子供が嘘をついている際、厳しく叱責を繰り返そうものなら、後々大変なことになる。


早い段階で親の方が気づけばいいのだが、一歩間違うと子供は自己保身のためにうそをつく習慣が身についてしまう。
そして
親は厳しい叱責を繰り返す→子供は自己保身のためにうそをつく→親はまた厳しい叱責を繰り返す
という悪循環に陥ってしまう。


そして子供は次のいずれかに陥ってしまう。
家出をする
非行に走る
不登校に陥る
完全主義者になってしまう
私の場合、家出をしたうえ、完全主義者になってしまった。


非行に走った場合、あるいは不登校に陥った場合、この段階で親が間違いに気づくことが多い。その前段階で家出をするケースもある。
問題は家出をしても親が間違いに気づかない場合である。
この場合子供は以下のいずれかになってしまう。


ひきこもり・ニート・SNEPになってしまう
自殺する
犯罪を犯す(場合によっては殺人を犯す)
完全主義者になってしまう(あるいは強迫障害ないしは人格障害を引き起こす)


そして


社会に適合できなくなってしまう
うつ等の精神疾患に陥る
アダルトチルドレンになってしまう


このいずれかになってしまう。


私の場合、
家出→完全主義者+うつ病+アダルトチルドレン
というパターンである。


しかし、私はあえて親を責めない。
70年代の常識は
厳しくしつけることが子供のためになる
といったものであった。これが間違いだったため、ある意味被害を受けた人たちが現代社会にあぶりだされている。これが
発達障害認定者急増
の一因といっても過言ではないと私は思っている。
加えて、
完璧な子育てをすることを親自体がまたその親から求められていた。
こうなると、親を責めるわけにいかない。
今まで経験しなかったような価値観の変化が起きている。
価値観の変化に親がついていけたり、あるいは親が価値観の変化を認めればいいのだが、親によっては
復古主義
に走るケースもある。私の両親がこれにあたる。そして私まで
復古主義に走る傾向がみられるようになった。


さらに悪いことに、私は
親の判断基準に従う
ということを自分に課している。本来時代に合わない
儒教
の教えを絶対視するようになった。普通に考えればおかしいことを、自らの行動基準にしてしまうようになった。


ここまでくれば、親の教育(というより洗脳)が成功したということになるのだが、本来の望ましい姿とは大きくかけ離れたものになってしまう。そして世間から相手にされなくなってしまう。


自己評価の低さ(=徹底した自己否定)
完全主義(=100%が最低ライン、白か黒か)


これらはすべて厳格な親の教育の結果といってよい。
厳格な教育の結果、私は
他人の入り込むすきがない、ゆとりのない人
に育ってしまった。こういう人はどんなに実力があっても結果を残せない。というより、今の社会で最も必要とされていない人になってしまっている。


そこで登場するのがバルーン、風船である。
確かにバルーンアーティストとしてあれだけの実績を残すことはできた。しかしそれは、実績を上げることによって親と対等に戦うためであった。
それが世の中の変化で空転し始めると、たちどころに崩壊した。
親は私を取り込んでしまった。取り込まれると
ミイラ取りがミイラになる
結果になってしまう。価値観の齟齬を自分の中できたして、自家撞着に陥ってしまう。だから私は引退を余儀なくされた。


このような構造を打破することは容易ではない。
少なくとも幸いなのは、私が結婚できなかったことである。
なぜなら、仮に結婚していると、
暴力の連鎖が親子間で起きていた
可能性が高いからである。最近多い虐待事案の原因の大半はこれではなかろうか。


一部で復古主義者や懐古主義者が
「発達障害の原因は親の愛情不足にある」
と言っているが、半分正しく半分間違いである。というより
親の認識の間違いが悲劇の根底にある。
それがつい最近まで分からなかった。間違った説が正しいと思われていたのが70年代である。だから

私は親に同情している。そして親を責めることをやめた。