おはようございます。
最近、このような言葉を耳にしました。
働くとは、「はたをらくにする」ということである。
ここでいう「はた」とは、「自分の周囲にいる人」の意味。
とある政治家の国会答弁から生まれた言葉らしい。
現状を考える。
自分が仕事をすることによって、「はた」を「楽」にしているか。
答えは「否」である。
自分が生活するだけで精一杯で、周囲の人の生計を楽にする余裕はない。
というか、ここ数か月を振り返ってみると、
自己投資、すなわち自分のために稼いできたお金を使いまくっている
のが現状。
自己投資を続けた結果、親孝行することができなくなった
というのは、過去の旧Y's Dream時代に犯した過ち。
ホスト(キャバ嬢)を10年続けたのと何ら変わりがない
と、とあるキャリアコンサルタントが評価したのも頷ける。
親を楽にできなかった、という観点から見ると、同じ結果である。
実は、キャバ嬢やホストは、本当の意味で「仕事」ではない。
これらの仕事、実は「はたをらくにできない」のである。
最近、小学生女子のあこがれの職業に「キャバ嬢」がランクインしたことがあった。
高収入というのが一つの理由らしいが、現実問題、芸能界などと同じで、
使う金が半端でない
という現実がある。
究極の接客業だけあって、金をとにかくかけないといけない側面がある。
稼いだ分以上の投資をしないと、もっと稼げないのである。
しかも水商売の裏側は、魑魅魍魎が渦巻く世界。
うつなどの精神疾患になってもおかしくない。
そして、コミュニケーション能力等が長けているにもかかわらず、イメージ面から再就職市場で敬遠される。
「キャリアに足を引っ張られる」
現象が起きるのである。
本題からどんどんずれそうなので、キャバ嬢やホストの話はここまでにするが、実は
バルーン業界最大のマーケットがキャバクラやホストクラブ
という現実がある。
かつてバルーン業界最大のマーケットが
パチンコ店
だった時代があった。パチンコ業界はレジャーの多様化等で急激に衰退し、ピークだった1995年の3分の1にまで市場が縮小したという。
その後、バルーン業界最大のマーケットが
ブライダル業界
イベント業界
に移り、さらにバルーン業界自体が発展していった。バルーンギフトやホームパーティーの需要は着実に伸びた。イベント関係が縮小に向かい、ブライダル業界も少子化と晩婚化・未婚化の影響で縮小に向かっているが、一方でバルーンギフトとホームパーティーの需要は伸び続けている。
その中で、急激に需要が伸びたのがキャバクラやホストだった。
私は一時期、営業がてらキャバクラに出入りしていた。そして出入りしていたキャバクラの装飾なども手掛けていた。…が、
平日昼間はギフトや週末のブライダル向けの準備や発送
平日夜はキャバクラの装飾現場
週末はイベントやブライダルの現場
という状態だった。
加えて、バルーン業界の技術の進歩は急激だった。
ついていくためには稼いだ以上の投資をしないといけない。
同時にバルーンの立ち位置が変わった。
そんな中で、私は「慢性疲労」の状態になった。
心も体も限界だった。
結局、2012年に鬱を発症。
長期休業に追い込まれた。
これを見たのが両親。
ここぞ、とばかりに自分のもとに息子を取り戻そうとした。
このときの両親は異常そのものだった。
挙句の果てに、両親は「パンドラの箱」を開けてしまった。
ここでいう「パンドラの箱」とは、
自立している子供の人生に踏み込み、子供を親のために生きるように仕向けよう、とすること。
まさに「毒親」でなければまずありえない行状である。カルト宗教に足を踏み入れているわけではないのに、バルーン業界そのものを「カルト宗教」扱いしたりした。
このようなことをすると、「やまない雨」が降ることになる。すなわち「災害レベル」の出来事が起き、元に戻るのに長い歳月が必要になる。あるいは元に戻らない、取り返しのつかないことになってしまう。「やまない雨はない」というし、現実問題災害が起きても雨はいつかは必ずやむが、崩れた土砂や堤防を元通りに戻すには長い歳月が必要である。数年前に広島市安佐南区八木で起きた「山津波」は、局地的に「復興不能」地帯を生み出した。東日本大震災などでも出た「復興不能」。こうなると、もう元通りには戻らない。
話がどんどん横にそれていっている。元に戻そう。
「はたをらくにすること」ができて、初めて自立する、ということが可能だと私は思っている。自分が生きていくだけでは、自立していることになっていないと私は思う。
「はたをらくにする」ために、仕事と割り切って働く必要がある。そのためには、自分が生きていくだけの仕事に見切りをつける必要がある。
バルーン業界を「カルト宗教」呼ばわりした私の母親は、その後まもなくして鬱を発症した。正確には持病であった「自律神経失調症」が悪化した。そして歩くことができなくなった。さらには自殺未遂までしてしまった。この原因のすべては私にある、と考えた私は「母親を楽にするため」に、バルーンアーティスト引退を決断した。
ところが、原因を探求すると、違うところに問題がある、という結論に至った。母親の「イエ」に問題があり、母親が異常なまでに厳しくしつけられた結果だということが分かった。そして、自分自身の幼少期も厳しすぎる躾を受け、その結果「生きにくさ」につながっていたことが分かった。親子間で
負の連鎖
が起きていたのである。
私が幼いころ。
母親は祖父母の呵責に耐えながら、私の自閉症を無理やり直そうとした。それも今では「間違っている」とされる方法で。その結果、私は言葉がしゃべれるようになったが、今に続く後遺症が残った。
私が鬱を発症してようやく、本当の原因が分かった。私の自閉症は、根本治療されていなかったことが分かった。自閉症である以上、「発達障害」となる。障がいと向き合って、受け入れて生きるしかない、という結論に至った。両親が私にしてきた、厳しすぎる躾の後遺症は「精神障害」。これではどんなに努力しても、結果が出ないはずである。
「根っこに問題がある」=「土壌に問題がある」のだから。
だから、私は「土壌に問題がある」以上、その現実を受け入れて、それを踏まえて生きていくことを考えるのが最優先だと考えている。そのためにあるのが「療育」なのである。
しかし、その考えを邪魔するものが存在した。
それは「儒教」である。
両親は儒教を心のよりどころにしているようである。私の両親は父親も母親も儒教的価値観のもとで育てられた。実家の本棚には「論語」などの中国の古典がある。その結果、考えが超保守的である。
私も自分の考えを改め、自己洗脳して真っ新な自分に変わろうとして、儒教を学んだ。その結果たどり着いた考え。
「働くとは、周囲の人を楽にすることである。そこには自分の考えではなく、周囲の人のために尽くす、ということである。すなわち私は親のために働く。親のために今後の人生を歩んでいきたい」
「そのためには、自らをむなしくし、全てをありのまま受け入れる必要がある」
以前のべたような「学習放棄」をして、自分を一度空にし、全く違う考えを受け入れて、親のために生きていく、という人生を歩みたかったのである。
「よしんば親に過ちがあれど、子は親に従わなければならない」
という考えにも至った。儒教の最大の教え「孝」である。
だからこそ、「はたをらくにする」という言葉を聞いて、真っ先に思った。
「親を楽にするために仕事をする」ことができないうちは、「仕事をしているうちに入らない」と。ゆえに、私は「仕事をしていないのと同じ」だと。
とある就労移行支援施設の年頭のあいさつで「はたをらくにする」という話が出た。
この就労移行支援施設は、そのために何をすべきか、という訓練をする方向に向かっている。
しかし、私は「だったらもっと徹底した訓練が必要」と考える。
その訓練は「自らをむなしくする訓練」である。
自分の過去を捨てて、真っ新な自分として全く違う分野の仕事に取り組む覚悟をもって就職活動に取り組むのである。そこまでやって初めて「はたをらくにできる」。
「自分のために生きている」という価値観を捨て去ることが必要だと思うが、この就労移行支援施設は、残念ながらそこまで踏み込んだ訓練をしていない。だから「価値観が違う」という理由で不採用を積み重ねることになるのだ。「面接は時の運」とほざいているようだが、私から言わせれば「自らの器を一度空にし、相手が求める価値観を満たせる人になるよう、自らを作り替える」ぐらいのことができないといけない。
そのぐらい中高年の就職は厳しいのである。特に一度キャリアを築き上げた経験のある人にとっては。「築き上げたキャリアが足を引っ張る」とは、こういうことを指すのである。
ただし、これまで築いてきた価値観と企業が求める価値観が一致した(あるいは非常に近い)幸運に巡り合えた場合は話が全く異なってくる。このようなケースは私は「レアケース」に近い、と考えている。このようなケース自体まれだと私は思っているし、現実にそうである。
だからこそ、
「はたを楽にするためには、自分を一度むなしくしなければいけない」
のである。
1997年プロのバルーンアーティストとして活動開始、2013年活動終了。Y's Dream代表として、表現者であると同時に経営者であった私。発達障害に直面し、現在は第一線を退いています。その中でいろいろ感じたことを書きとめています。
2017年2月26日日曜日
2017年2月21日火曜日
インナーチャイルド…私を縛るものの正体とは
こんばんは。
今、私は「自分のお金が使えない」という状態に陥っています。
というのも、1月に20年ぶりにインフルエンザにかかってしまい、給料カットをくらってしまったからなのです。もちろん会社から懲戒処分を受けたわけではなく、あくまでも「ノーワーク、ノーペイ」の原則からこうなってしまったのですが…私傷病の場合、一定期間をこえると健康保険から補償されるのですが、あいにく3連休(「成人の日」関連)とぶつかって条件を満たさないため補償の対象外となり、有給休暇への振替制度もないので、欠勤扱いになってしまったのです…
このため、貯金を使わないといけない状態になっているのですが、その貯金の通帳は母親が握っているのです。つまり、
親が子供の金の動きを把握できる
状態になっているのです。
大の大人が親に財布を握られる、というのはこの時点で
異常この上ない
事態です。もっともこれは私に責任があります…過去にギャンブルにおぼれていた時期があったのが大きな理由なのですが…
しかも、この貯金は祖父母の遺言もあって「自分の金」と「家の金」がごちゃ混ぜになってしまったのです。私を溺愛していた祖父母が私のために貯蓄保険をかけていたらしく、その満期保険金が含まれているようなのです。
加えて、母親が精神疾患にかかり、「福祉に頼りたくない」とばかり、保険外治療を受けています。この治療費が高額で、別会計になっているはずの両親の貯金が急速なペースで減っています。すでに年金生活に入っている両親は、かつて富裕層だったこともあり、貯金の減るペースの速さに「いざとなったら私に頼らざるを得ない」という不安を抱えていると聞きます。そのため「自分のお金なのに自由に使えない」という状況が起きているのです。
最悪の場合、
私が両親に仕送りをせざるを得なくなる
事態も考えられるのです。
私は旧Y's Dream時代、自営業ということもあって国民年金(および税金)しか払ってなく、厚生年金が出ないということもあって、祖父母の遺産を私の老後資金に充てたという私の両親の判断、これは私が唯一両親に感謝しています。私が過去にギャンブル依存症になり、挙句の果ては新興宗教に手を出しかけたのを見ている両親としては、貴重な資産をどぶに捨てるようなまねは許されなかったのでしょう。
しかし、パチンコや競馬・競輪といったギャンブル、さらには新興宗教にまではまった私は
風船に救われたのです。
風船に生命を吹き込む→その報酬を得る→その報酬で更なる風船に生命を吹き込む一方、その余りで生計を立てていく
というサイクルを確立したのです。
当時の貯金はすべて、旧Y's Dreamを立ち上げるために消えました。
仮に10万円という金額があります。
その10万円、どう使うかで価値が全く異なります。
パチンコ・競馬・競輪、さらにボートレースで10万円が消えたとします。これは
浪費
の一言。愚かなことこの上ないです。
一方、風船代に10万円を使ったとします。この10万円で
どれだけの風船に生命を吹き込み、その風船に接して、夢と感動と幸せ、さらにいつまでも心に残る感動を残すことができるでしょうか。
これは浪費ではありません。投資です。
私の両親は、この二つをごっちゃにしているのです。
どっちも「浪費」とみているのです。
私の両親は、弁護士にある相談をしたそうです。その相談内容を聞いて私はあきれました。
私を「浪費者」として「準禁治産者」認定してほしい、と。
2000年ごろまでは、「準禁治産者」という制度が法律で定められていました。しかし、この制度を悪用して、浪費者を制裁し、浪費者の人権を制限しようという親族が相次いだうえ、人権保護の観点から廃止されたそうです。(現在は「成年後見人制度」に改められた)
※発達障がいの場合、その障がいの影響と浪費癖の因果関係が認められれば、「成年後見人制度」の活用は可能だそうです。ただし、家庭裁判所の認定という、高いハードルが存在します…私の両親はここまで気づいていたのでしょうか?
そもそも、自立して生計を立てていた人を「浪費者」として「準禁治産者」認定しようとしたこと自体、許しがたい暴挙です。
加えて、私の母親は、バルーン業界全体を
カルト宗教
扱いしたのです。
私自身、新興宗教におぼれかけていました。半年ほど、その宗教の施設に何度も出入りしていました。その新興宗教は密教系で、般若信教は何度も唱えたので、今でも般若信教は覚えていますが…「お布施」が馬鹿にならないほどかかりそうになりかけていて、疑問に思い始めたころでもあったのです、バルーンアートに出会ったのは。
バルーンアートに出会い、そちらへの「投資」が大きくなって、新興宗教やギャンブルから足を洗うきっかけになったのです。
そういう経緯もあるから、私はバルーン業界を「カルト」呼ばわりした母親を許せなくなってしまったのです。周囲に大量殺人を犯した某カルト宗教におぼれた人がいたのも影響していたのも事実ですが…(この人はその宗教から脱会した)
ではなぜ、ここまで私の両親は不安に駆られているのでしょうか。とりわけ、母親は精神疾患を患うまでに至ったのでしょうか。
それは
両親が自分の生きたかった人生を生きることができなかった
ことに他ならないのです。
それがすなわち
インナーチャイルド
なのです。
インナーチャイルドに縛られる人たちは、大半が儒教の影響を強く受けています。私の両親は儒教の影響を強く受けています。儒教の影響を強く受けた「毒親」は、比較的多いです。太平洋戦争敗戦まで当たり前だった儒教精神、それが今でも息づいている「イエ」の伝統を守っている人ほど、「毒親」になってしまっています。
このような親は、子どもを必要以上に厳しくしつけます。とりわけ幼少期の躾が厳しすぎるぐらいになります。それが自己肯定感の低さにつながり、自己否定・完全主義の弊害をもたらすのです。
もっとひどいと、「親になってから初めて気持ちがわかる」とうそぶきます。
このような親に生まれた子供は、家庭を持たない、すなわち生涯独身を貫いた方が却って幸せになる場合さえあります。なぜなら、同じことを子供にしてしまう恐れが高いからなのです。いわゆる「毒親の連鎖」「虐待の連鎖」です。
私の母親は、ことあるごとに私に「親孝行してくれ」とせがみました。この時点で私から言わせればもう「アウト」です。というより、母親自体生きづらさを抱えていることの証左です、この行為自体が。
子どもに親孝行を強要しようとすることそのものが、親が「インナーチャイルド」を抱えていることの表れなのです。
そのような親を心配させまいと思う子供もまた、身動きが取れなくなり、自分で自分を縛ることになるのです。そのような子供も「インナーチャイルド」に支配されているのです。
もうここまで来ると、「きずな」ではなく「ほだし」です。漢字は「絆」で同じですが、意味が正反対になってしまっています。というより、もともとは「絆し」、すなわち「ほだし」の方の意味だそうで、あとから「きずな」の意味に転じたそうなのです。
私はいまだに、親子の「絆し」に苦しんでいます。しかるに、両親は本当の原因をいまだに知ろうとしませんし、仮に知ったところで「パンドラの箱」を開けて自分の人生を後悔することになってしまうので、「知らぬが仏」なのです。昭和の時代は、それでやっていけた時代だったのです。
社会がそれだけ変化してしまったのが大きく、その波に自分が翻弄されているだけなのかもしれないのですが…
今、私は「自分のお金が使えない」という状態に陥っています。
というのも、1月に20年ぶりにインフルエンザにかかってしまい、給料カットをくらってしまったからなのです。もちろん会社から懲戒処分を受けたわけではなく、あくまでも「ノーワーク、ノーペイ」の原則からこうなってしまったのですが…私傷病の場合、一定期間をこえると健康保険から補償されるのですが、あいにく3連休(「成人の日」関連)とぶつかって条件を満たさないため補償の対象外となり、有給休暇への振替制度もないので、欠勤扱いになってしまったのです…
このため、貯金を使わないといけない状態になっているのですが、その貯金の通帳は母親が握っているのです。つまり、
親が子供の金の動きを把握できる
状態になっているのです。
大の大人が親に財布を握られる、というのはこの時点で
異常この上ない
事態です。もっともこれは私に責任があります…過去にギャンブルにおぼれていた時期があったのが大きな理由なのですが…
しかも、この貯金は祖父母の遺言もあって「自分の金」と「家の金」がごちゃ混ぜになってしまったのです。私を溺愛していた祖父母が私のために貯蓄保険をかけていたらしく、その満期保険金が含まれているようなのです。
加えて、母親が精神疾患にかかり、「福祉に頼りたくない」とばかり、保険外治療を受けています。この治療費が高額で、別会計になっているはずの両親の貯金が急速なペースで減っています。すでに年金生活に入っている両親は、かつて富裕層だったこともあり、貯金の減るペースの速さに「いざとなったら私に頼らざるを得ない」という不安を抱えていると聞きます。そのため「自分のお金なのに自由に使えない」という状況が起きているのです。
最悪の場合、
私が両親に仕送りをせざるを得なくなる
事態も考えられるのです。
私は旧Y's Dream時代、自営業ということもあって国民年金(および税金)しか払ってなく、厚生年金が出ないということもあって、祖父母の遺産を私の老後資金に充てたという私の両親の判断、これは私が唯一両親に感謝しています。私が過去にギャンブル依存症になり、挙句の果ては新興宗教に手を出しかけたのを見ている両親としては、貴重な資産をどぶに捨てるようなまねは許されなかったのでしょう。
しかし、パチンコや競馬・競輪といったギャンブル、さらには新興宗教にまではまった私は
風船に救われたのです。
風船に生命を吹き込む→その報酬を得る→その報酬で更なる風船に生命を吹き込む一方、その余りで生計を立てていく
というサイクルを確立したのです。
当時の貯金はすべて、旧Y's Dreamを立ち上げるために消えました。
仮に10万円という金額があります。
その10万円、どう使うかで価値が全く異なります。
パチンコ・競馬・競輪、さらにボートレースで10万円が消えたとします。これは
浪費
の一言。愚かなことこの上ないです。
一方、風船代に10万円を使ったとします。この10万円で
どれだけの風船に生命を吹き込み、その風船に接して、夢と感動と幸せ、さらにいつまでも心に残る感動を残すことができるでしょうか。
これは浪費ではありません。投資です。
私の両親は、この二つをごっちゃにしているのです。
どっちも「浪費」とみているのです。
私の両親は、弁護士にある相談をしたそうです。その相談内容を聞いて私はあきれました。
私を「浪費者」として「準禁治産者」認定してほしい、と。
2000年ごろまでは、「準禁治産者」という制度が法律で定められていました。しかし、この制度を悪用して、浪費者を制裁し、浪費者の人権を制限しようという親族が相次いだうえ、人権保護の観点から廃止されたそうです。(現在は「成年後見人制度」に改められた)
※発達障がいの場合、その障がいの影響と浪費癖の因果関係が認められれば、「成年後見人制度」の活用は可能だそうです。ただし、家庭裁判所の認定という、高いハードルが存在します…私の両親はここまで気づいていたのでしょうか?
そもそも、自立して生計を立てていた人を「浪費者」として「準禁治産者」認定しようとしたこと自体、許しがたい暴挙です。
加えて、私の母親は、バルーン業界全体を
カルト宗教
扱いしたのです。
私自身、新興宗教におぼれかけていました。半年ほど、その宗教の施設に何度も出入りしていました。その新興宗教は密教系で、般若信教は何度も唱えたので、今でも般若信教は覚えていますが…「お布施」が馬鹿にならないほどかかりそうになりかけていて、疑問に思い始めたころでもあったのです、バルーンアートに出会ったのは。
バルーンアートに出会い、そちらへの「投資」が大きくなって、新興宗教やギャンブルから足を洗うきっかけになったのです。
そういう経緯もあるから、私はバルーン業界を「カルト」呼ばわりした母親を許せなくなってしまったのです。周囲に大量殺人を犯した某カルト宗教におぼれた人がいたのも影響していたのも事実ですが…(この人はその宗教から脱会した)
ではなぜ、ここまで私の両親は不安に駆られているのでしょうか。とりわけ、母親は精神疾患を患うまでに至ったのでしょうか。
それは
両親が自分の生きたかった人生を生きることができなかった
ことに他ならないのです。
それがすなわち
インナーチャイルド
なのです。
インナーチャイルドに縛られる人たちは、大半が儒教の影響を強く受けています。私の両親は儒教の影響を強く受けています。儒教の影響を強く受けた「毒親」は、比較的多いです。太平洋戦争敗戦まで当たり前だった儒教精神、それが今でも息づいている「イエ」の伝統を守っている人ほど、「毒親」になってしまっています。
このような親は、子どもを必要以上に厳しくしつけます。とりわけ幼少期の躾が厳しすぎるぐらいになります。それが自己肯定感の低さにつながり、自己否定・完全主義の弊害をもたらすのです。
もっとひどいと、「親になってから初めて気持ちがわかる」とうそぶきます。
このような親に生まれた子供は、家庭を持たない、すなわち生涯独身を貫いた方が却って幸せになる場合さえあります。なぜなら、同じことを子供にしてしまう恐れが高いからなのです。いわゆる「毒親の連鎖」「虐待の連鎖」です。
私の母親は、ことあるごとに私に「親孝行してくれ」とせがみました。この時点で私から言わせればもう「アウト」です。というより、母親自体生きづらさを抱えていることの証左です、この行為自体が。
子どもに親孝行を強要しようとすることそのものが、親が「インナーチャイルド」を抱えていることの表れなのです。
そのような親を心配させまいと思う子供もまた、身動きが取れなくなり、自分で自分を縛ることになるのです。そのような子供も「インナーチャイルド」に支配されているのです。
もうここまで来ると、「きずな」ではなく「ほだし」です。漢字は「絆」で同じですが、意味が正反対になってしまっています。というより、もともとは「絆し」、すなわち「ほだし」の方の意味だそうで、あとから「きずな」の意味に転じたそうなのです。
私はいまだに、親子の「絆し」に苦しんでいます。しかるに、両親は本当の原因をいまだに知ろうとしませんし、仮に知ったところで「パンドラの箱」を開けて自分の人生を後悔することになってしまうので、「知らぬが仏」なのです。昭和の時代は、それでやっていけた時代だったのです。
社会がそれだけ変化してしまったのが大きく、その波に自分が翻弄されているだけなのかもしれないのですが…
2017年2月7日火曜日
謙譲の美徳、武士道…果たして子どもたちに有益か?
こんばんは。
日本人の自己肯定感の低さが、日本人独特の
謙譲の美徳
武士道
と関係しているのでは、という説がまことしとやかに言われています。
アメリカ…約89%
中国…約87%
韓国…約75%
日本…約36%
これは、「自分自身を価値ある人間と思う」という文部科学省の高校生に対するアンケート調査の結果であるが、日本だけが著しく低い。
褒められているのを、「いやいや」と否定する親…これが結果的に、子どもに
否定的な思考回路
を作っていることになってしまっているという。
子どもに謙譲の美徳を理解せよ、というのが困難である。
しかし、私は謙遜の美徳を理解してしまった。それもゆがんだ形で。
その結果、ひたすら自分を低くする考えが身についてしまった。これも自己評価を著しく低くする一因になってしまった。
そして武士道。
相手を立てるのが武士道の基本という。
私は現役のバルーンアーティスト時代、「武士道」を通し続けた。
何があっても相手が最優先であり、自分にいかなる理由があれど、相手の言い分を最優先した。たとえ自分に何ら非がなくても、相手の言い分を全部聞き入れていた。
これらの日本独特の文化、
相手を立て、自らを低くする
ということを私はかつて徹底していた。それが筋を通すことであるとかたくなに信じていた。
さらに、私の両親の考えが儒教に基づいていた。
私の父親の先祖は江戸時代、下級武士の家だったという。一方母親の先祖も「在郷武士」。加えて母親は薩摩島津藩の城下、鶴丸城(=鹿児島城)の城下町にルーツがある。薩摩島津藩はあの「郷中教育」で有名であり、鹿児島独特の生きにくさに今でもつながっているとされる。数年前に放映されていた「薩摩剣士隼人第2部完結編」で、鹿児島へ急ぐローカルヒーローである隼人に向かって悪役「ヤッセンボー」の一味である「くぐり狐衆」が街道に立ちはだかり
「お前はこの鹿児島をどう思う…すべての人が自分らしく生きられる社会と思うか!」
という場面はその象徴であり、これを公式ユーチューブで見たとき
自分が直面している生きづらさが鹿児島の風土と深くかかわっていた
と認識した。
男は男らしく、女は女らしく、謙譲し相手を立て、自分を低く見せるのが美徳
というのが薩摩の文化。
一方の父親は葉隠で有名な肥前の出身。この「葉隠」がまた儒教の影響を色濃く見せた武士道を説く教本。
このような謙譲と武士道の美徳を基本とする家に生まれ育ち、しかも生まれた子供は自閉症。両親、とりわけ母親の精神的重圧は大きかったのは推して知るべし。その結果、厳しすぎる躾に走ってしまったのは容易に察することができる。
このような環境の中で自己肯定感を培うのは非常に困難であった。結果、私は自閉症の症状は治まったが、チックと発達障がいの症状が今でも出ている。とりわけ異食症がひどい。
これらの症状は親からの圧力がひどかったり、愛情が不足している場合に出ることが多い、ということを最近になって知った。
そして、振り返ってみる。
つい最近まで、自分の考えは「武士道」に基づいていた。
だから、お客様を満足させることができなければ代金をいただかない、というようなことまでしてしまったのかもしれない。(これを私は「返還欠場」と呼んでいた)
親の行き過ぎた躾に対抗しようとして、そしてそれを乗り越えようとして、私は風船にここまでのめり込んだ節がある。その結果生み出したものはものすごいものだったが、それを全然「すごい」とは思わず、むしろ「当たり前」と思い、それどころか「もっと上がいる」と、雲の上の高みを目指していたのがかつての自分であった。
結果、引退を余儀なくされ、一度離れて客観的に見て、ようやく自分がしてきたことのすごさに気が付いた。同時に自分を取り巻く「生きにくさ」の正体に向き合うことができた。そうしてやっと「自己肯定感」を実感できた。
幼少期に培われた自己否定の思考回路を改めるには、あまりにも莫大な労力と時間がかかってしまう。そして、自分とひたすら向き合う、塗炭の苦しみを味わうことになる。
このような苦しみをこれ以上子どもたちに味わせたくない。そのためには、
結果だけではなくそのプロセスを評価して褒め、達成感を味わせるような教育が重要なのである。
今、私は
心に中にくす玉を持ってほしい
ということを主張している。
そのくす玉を花開かせるための努力を尊重し、成功体験というくす玉を花開かせることの積み重ねが、人生の大輪の華を咲かせ、その人が輝く人生を送ることができる
と私は考えている。その背景にあるのが
私がしてきたようなつらい経験をする子どもを減らしたい
という願いからである。
日本人の自己肯定感の低さが、日本人独特の
謙譲の美徳
武士道
と関係しているのでは、という説がまことしとやかに言われています。
アメリカ…約89%
中国…約87%
韓国…約75%
日本…約36%
これは、「自分自身を価値ある人間と思う」という文部科学省の高校生に対するアンケート調査の結果であるが、日本だけが著しく低い。
褒められているのを、「いやいや」と否定する親…これが結果的に、子どもに
否定的な思考回路
を作っていることになってしまっているという。
子どもに謙譲の美徳を理解せよ、というのが困難である。
しかし、私は謙遜の美徳を理解してしまった。それもゆがんだ形で。
その結果、ひたすら自分を低くする考えが身についてしまった。これも自己評価を著しく低くする一因になってしまった。
そして武士道。
相手を立てるのが武士道の基本という。
私は現役のバルーンアーティスト時代、「武士道」を通し続けた。
何があっても相手が最優先であり、自分にいかなる理由があれど、相手の言い分を最優先した。たとえ自分に何ら非がなくても、相手の言い分を全部聞き入れていた。
これらの日本独特の文化、
相手を立て、自らを低くする
ということを私はかつて徹底していた。それが筋を通すことであるとかたくなに信じていた。
さらに、私の両親の考えが儒教に基づいていた。
私の父親の先祖は江戸時代、下級武士の家だったという。一方母親の先祖も「在郷武士」。加えて母親は薩摩島津藩の城下、鶴丸城(=鹿児島城)の城下町にルーツがある。薩摩島津藩はあの「郷中教育」で有名であり、鹿児島独特の生きにくさに今でもつながっているとされる。数年前に放映されていた「薩摩剣士隼人第2部完結編」で、鹿児島へ急ぐローカルヒーローである隼人に向かって悪役「ヤッセンボー」の一味である「くぐり狐衆」が街道に立ちはだかり
「お前はこの鹿児島をどう思う…すべての人が自分らしく生きられる社会と思うか!」
という場面はその象徴であり、これを公式ユーチューブで見たとき
自分が直面している生きづらさが鹿児島の風土と深くかかわっていた
と認識した。
男は男らしく、女は女らしく、謙譲し相手を立て、自分を低く見せるのが美徳
というのが薩摩の文化。
一方の父親は葉隠で有名な肥前の出身。この「葉隠」がまた儒教の影響を色濃く見せた武士道を説く教本。
このような謙譲と武士道の美徳を基本とする家に生まれ育ち、しかも生まれた子供は自閉症。両親、とりわけ母親の精神的重圧は大きかったのは推して知るべし。その結果、厳しすぎる躾に走ってしまったのは容易に察することができる。
このような環境の中で自己肯定感を培うのは非常に困難であった。結果、私は自閉症の症状は治まったが、チックと発達障がいの症状が今でも出ている。とりわけ異食症がひどい。
これらの症状は親からの圧力がひどかったり、愛情が不足している場合に出ることが多い、ということを最近になって知った。
そして、振り返ってみる。
つい最近まで、自分の考えは「武士道」に基づいていた。
だから、お客様を満足させることができなければ代金をいただかない、というようなことまでしてしまったのかもしれない。(これを私は「返還欠場」と呼んでいた)
親の行き過ぎた躾に対抗しようとして、そしてそれを乗り越えようとして、私は風船にここまでのめり込んだ節がある。その結果生み出したものはものすごいものだったが、それを全然「すごい」とは思わず、むしろ「当たり前」と思い、それどころか「もっと上がいる」と、雲の上の高みを目指していたのがかつての自分であった。
結果、引退を余儀なくされ、一度離れて客観的に見て、ようやく自分がしてきたことのすごさに気が付いた。同時に自分を取り巻く「生きにくさ」の正体に向き合うことができた。そうしてやっと「自己肯定感」を実感できた。
幼少期に培われた自己否定の思考回路を改めるには、あまりにも莫大な労力と時間がかかってしまう。そして、自分とひたすら向き合う、塗炭の苦しみを味わうことになる。
このような苦しみをこれ以上子どもたちに味わせたくない。そのためには、
結果だけではなくそのプロセスを評価して褒め、達成感を味わせるような教育が重要なのである。
今、私は
心に中にくす玉を持ってほしい
ということを主張している。
そのくす玉を花開かせるための努力を尊重し、成功体験というくす玉を花開かせることの積み重ねが、人生の大輪の華を咲かせ、その人が輝く人生を送ることができる
と私は考えている。その背景にあるのが
私がしてきたようなつらい経験をする子どもを減らしたい
という願いからである。
2017年1月30日月曜日
親は子の義務?子は親の所有物?
今日の見出しは、25年前、大学生時代に大学の先輩に私に問いかけられた言葉です。
こんばんは。
私はそもそも間違いである舌の手術によって自閉症が治ったとされ、以後小学生の間「いい子」としてとおっていました。
私の母親は、「昔は本当に良い子だったのに」が口癖です。数年前、家庭内暴力を私が惹き起こした時、「昔の良い子に戻ってほしい」と母親が叫びました。
これがそもそもの間違いなのです。
ソウス
私は自閉症・発達障害・アダルトチルドレンです。加えて鬱症状を呈しましたが、それは「新型鬱」でした。おまけにそれを母親は「甘え」の一言で切って捨てたのです。一方で母親は過干渉(父親も過干渉)。
上記ソウスより
機能不全家族の例としては、両親が出来すぎたエリートだったり、昔から親が苦労しているのを目の当たりにしていたり、精神的に弱く不安定な親だったり、子供を管理したがる過保護で過干渉な親だったり、非常に厳格な親のもとで育てられたり、虐待を受けていたり、とにかく子供の頃から周囲に気を使わなければいけない家庭のことを指します。僕の経験的には幼少時に反抗期が無かった子供が非常に多いです。
引用ここまで
確かに私は自己否定の塊になっていた。風船と出会ってプロのバルーンアーティストになってからでさえそうで、常に頂点を目指し、常に全力疾走を続けていた。自分がいかにすごいことをしていたのか知らず、常に上を目指し、ゴールの見えないマラソンを全力で走り続けることをひたすらしていたのである。
そして、引退後は今度は、自分の人生を全否定して全く違うまっさらな自分に変わろうとした。徹底した自己否定をして、キャリアリセットを試み、自分を真っ新にしようとした。
一方で私は完璧主義者でもあった。それゆえ、お客様を感動させることができなければ、値引きをしたり、ひどいと「返還欠場」と称して、代金を受け取らなかったことがたびたびであった。
自己否定と完璧主義、この二つは一体であり、その原因は幼少期の親の愛情不足、あるいは「条件付きの愛情しか与えられない」ことにあるという。
その結果、私はいまだに「子にとって親は義務であり、親にとって子は所有物である」という思考が抜けきっていない。それどころか、「論語」をはじめとした儒教の教えをよりどころにして、「親の気持ちを受け入れ、それに沿って行動することこそが親孝行」という考えがある。さらに、「親孝行は子供の義務である」と固く信じていて、「私は義務を果たせていない」といまだに考えている。
こういう人は結婚してはならない。なぜなら、仮に結婚したところで、「妻(夫)を喜ばせるのが夫(妻)の役目」とかたくなに信じてしまい、常に人の顔色をうかがうことになるからである。その背景には「見捨てられる不安」があり、さらに背景を探ると「親の顔色を常に窺って生きてきた子供」すなわち「条件付きの愛情しか親から与えられなかった」ことに原因がある。
そういうことを繰り返すから、毒親や「やさしい虐待」の世代間連鎖が起き、ニート・ひきこもり・家庭内暴力といった問題につながり、最悪の場合自殺、さらには大量殺人にまで至るのである。
そういう私は、つい最近になってやっと自己肯定感を感じるようになった。というか、ようやく自分のしてきたことがいかに素晴らしく、かつすごいことだったのか実感できるようになった。
しかし、いまだに親に対しては、顔色をうかがっている。特に母親は私の一挙一動に不安を覚えているらしい。両親に会うときは、徹底した猫かぶりをし、本当のことを話さない。本当にことを話すと、母親が不安になるらしい。そういう母親自体がアダルトチルドレンであり、今ではうつ状態に陥っている。
このブログで、母親がどうしてそうなったのかは、すでに何度も述べている。そしてそれが、今の自分にも連鎖しているというのも承知している。
そして、私も母親も、常に他人の顔色をうかがう傾向がある。
一方で私の祖母が、亡くなる数週間前に私の父親に話した言葉
「婿に来てくれてありがとう」
この言葉に涙を流すほどうれしさを感じた私の父…
私の家族は、「機能不全家族」だったと痛感した。そして母親の家全体が「機能不全家族」であり、それが連鎖して私に影響していると考えざるを得ず、その原因の一つが薩摩(藩)の風土にあるとまで考えている。
このような「機能不全家族」から両親が抜けだすことはもはや不可能だと私は考えている。そのような考えを改めることがもはやできない年齢に達しており、考えを改めさせることは完全に困難である。
だから私はどうすればいいのか、だが、考えの根底に儒教があり、それゆえ「親の気持ちを受け入れ、親の気持ちに沿って行動し、親を安心させ、喜ばせるのが親孝行」であり、親孝行イコール孝であり、その考えが最も尊いという考えが自分の根底にある限り、他人の顔色をうかがうことも治らないし、自分らしい人生を送ることもできないし、ましてや恋愛や結婚なんてできない、というかすべきでない。こういう考えがある人に限って、子供に対して暴力を振るい、虐待するようになる。
すなわちこれが「毒親の連鎖」である。
こんばんは。
私はそもそも間違いである舌の手術によって自閉症が治ったとされ、以後小学生の間「いい子」としてとおっていました。
私の母親は、「昔は本当に良い子だったのに」が口癖です。数年前、家庭内暴力を私が惹き起こした時、「昔の良い子に戻ってほしい」と母親が叫びました。
これがそもそもの間違いなのです。
ソウス
私は自閉症・発達障害・アダルトチルドレンです。加えて鬱症状を呈しましたが、それは「新型鬱」でした。おまけにそれを母親は「甘え」の一言で切って捨てたのです。一方で母親は過干渉(父親も過干渉)。
上記ソウスより
機能不全家族の例としては、両親が出来すぎたエリートだったり、昔から親が苦労しているのを目の当たりにしていたり、精神的に弱く不安定な親だったり、子供を管理したがる過保護で過干渉な親だったり、非常に厳格な親のもとで育てられたり、虐待を受けていたり、とにかく子供の頃から周囲に気を使わなければいけない家庭のことを指します。僕の経験的には幼少時に反抗期が無かった子供が非常に多いです。
引用ここまで
確かに私は自己否定の塊になっていた。風船と出会ってプロのバルーンアーティストになってからでさえそうで、常に頂点を目指し、常に全力疾走を続けていた。自分がいかにすごいことをしていたのか知らず、常に上を目指し、ゴールの見えないマラソンを全力で走り続けることをひたすらしていたのである。
そして、引退後は今度は、自分の人生を全否定して全く違うまっさらな自分に変わろうとした。徹底した自己否定をして、キャリアリセットを試み、自分を真っ新にしようとした。
一方で私は完璧主義者でもあった。それゆえ、お客様を感動させることができなければ、値引きをしたり、ひどいと「返還欠場」と称して、代金を受け取らなかったことがたびたびであった。
自己否定と完璧主義、この二つは一体であり、その原因は幼少期の親の愛情不足、あるいは「条件付きの愛情しか与えられない」ことにあるという。
その結果、私はいまだに「子にとって親は義務であり、親にとって子は所有物である」という思考が抜けきっていない。それどころか、「論語」をはじめとした儒教の教えをよりどころにして、「親の気持ちを受け入れ、それに沿って行動することこそが親孝行」という考えがある。さらに、「親孝行は子供の義務である」と固く信じていて、「私は義務を果たせていない」といまだに考えている。
こういう人は結婚してはならない。なぜなら、仮に結婚したところで、「妻(夫)を喜ばせるのが夫(妻)の役目」とかたくなに信じてしまい、常に人の顔色をうかがうことになるからである。その背景には「見捨てられる不安」があり、さらに背景を探ると「親の顔色を常に窺って生きてきた子供」すなわち「条件付きの愛情しか親から与えられなかった」ことに原因がある。
そういうことを繰り返すから、毒親や「やさしい虐待」の世代間連鎖が起き、ニート・ひきこもり・家庭内暴力といった問題につながり、最悪の場合自殺、さらには大量殺人にまで至るのである。
そういう私は、つい最近になってやっと自己肯定感を感じるようになった。というか、ようやく自分のしてきたことがいかに素晴らしく、かつすごいことだったのか実感できるようになった。
しかし、いまだに親に対しては、顔色をうかがっている。特に母親は私の一挙一動に不安を覚えているらしい。両親に会うときは、徹底した猫かぶりをし、本当のことを話さない。本当にことを話すと、母親が不安になるらしい。そういう母親自体がアダルトチルドレンであり、今ではうつ状態に陥っている。
このブログで、母親がどうしてそうなったのかは、すでに何度も述べている。そしてそれが、今の自分にも連鎖しているというのも承知している。
そして、私も母親も、常に他人の顔色をうかがう傾向がある。
一方で私の祖母が、亡くなる数週間前に私の父親に話した言葉
「婿に来てくれてありがとう」
この言葉に涙を流すほどうれしさを感じた私の父…
私の家族は、「機能不全家族」だったと痛感した。そして母親の家全体が「機能不全家族」であり、それが連鎖して私に影響していると考えざるを得ず、その原因の一つが薩摩(藩)の風土にあるとまで考えている。
このような「機能不全家族」から両親が抜けだすことはもはや不可能だと私は考えている。そのような考えを改めることがもはやできない年齢に達しており、考えを改めさせることは完全に困難である。
だから私はどうすればいいのか、だが、考えの根底に儒教があり、それゆえ「親の気持ちを受け入れ、親の気持ちに沿って行動し、親を安心させ、喜ばせるのが親孝行」であり、親孝行イコール孝であり、その考えが最も尊いという考えが自分の根底にある限り、他人の顔色をうかがうことも治らないし、自分らしい人生を送ることもできないし、ましてや恋愛や結婚なんてできない、というかすべきでない。こういう考えがある人に限って、子供に対して暴力を振るい、虐待するようになる。
すなわちこれが「毒親の連鎖」である。
2017年1月7日土曜日
真性「ドリームキラー」の存在
こんにちは。
最近、私の周囲で抱いた夢に対して前向きに努力する人にたくさん出会いました。
その結果、かえって由々しき事態になっています。
なぜか?
実は私は、夢を見ることが「本当は」「本当に」許されていない状況下に生きているからなのです。
なぜか?
実は私の一番身近にいる人が、いわゆる「ドリームキラー」「ドリームクラッシャー」の部類にあたるのです。
「ドリームキラー」「ドリームクラッシャー」と呼ばれる人たちは、私は2種類あると考えています。それはおおむね9対1の比率でわかれていると思います。9割の方は本当にその人を心配しているから「ドリームクラッシャー」「ドリームキラー」になっているだけで、こういう人に対しては本気を出せば逆に応援してくれる存在になります。
問題は残り1割の方です。本当に夢をかなえるための邪魔を、ありとあらゆる方法でしてきます。様々な方法で足を引っ張ります。私の場合、両親も親族(特に母親の方)もこぞって「断固阻止」を打ってきました。
このような行為をする人は
真性ドリームキラー
あるいは
真性ドリームクラッシャー
と呼びます。(以下「真性」と省略)
そして、その人が「真性」になる背景には、
その人の人生が充実しておらず
その人の人生に余裕がなく
かつ、その人自身がその人の人生を送っていない
ということがあげられると私は思います。
私の場合、母親がそれでした。
母親に同調して、父親もそうなりました。
ここで登場するのが儒教です。
儒教の最大の教えは「孝」です。有名なのは、古代から100年ほど前の清王朝に至るまでの中国では、法に定められているほどで、今でも韓国などではこの精神が生き続けています。
ウィキペディアによると、
道に外れたことを行う君主を三度諌めても聞き入れられなかったら、君主の下から去るべきであるとされたのに対し、道に外れた親を三度諌めても聞き入れられなければ、泣き寝入りして従わなければならないとされた。有能な大臣が、自分の親の喪中に出仕したことを不孝であると咎められて失脚するようなことも起こった。
とあります。
私の家は、父親の家も母親の家も儒教の精神が浸透していています。実家には「論語」があり、私も何度か読みました。
一方で、母親も父親も私が見た限り、「その人自身の人生を送っていない」と思いました。母親の方は叔母も同様でした。
こうなると、
文明の衝突
のようなことが親子間で起こります。
宗教戦争
みたいなことが親子で起きている、といっても過言ではありません。
私はこのような状況下で、家出同然にプロのバルーンアーティストになったのです。
私は親の理解を得るため、ありとあらゆることを試みました。表面上は理解していたふりをしていたのですが、実際は受け入れていませんでした。そして積年の恨みを晴らすようなことをしてしまったのです。
私は最初、なぜこのようなことを親がしたのか、理解ができませんでした。親がやったことは「道に外れた」ことでした。そしてなぜ親が「道を外れてしまった」のか、私はありとあらゆることを調べました。その結果、
私は夢を抱いて生きてはいけない宿命にあった
ことが分かったのです。
自閉症、それに伴う発達障害、今では幼少期なら児童デイサービスでの「療育」を通して緩和することが可能です。私が幼少期だった1970年代、そのようなものはありませんでした。結果「悲劇」が起きたのです。具体的な「悲劇」の内容を知ったのは最近のことでした。
結局どこに最大の原因があったのか。
母親の家に、誰一人として自分の人生を送ることができた人が一人もいなかった
ことが最大の原因ではないか、という結論に至りました。
母親、そしてその両親、さらに先祖代々そのような教育が連綿と伝わり、加えて自閉症の子どもを産んだことが「家の恥」とされた…母親がメンツをかけて自閉症を「治療」したのもわかるような気がしました。
そして、そのような家に生まれたが故、私は
本当に夢を抱いて生きることが許されなかった
のかもしれません。
私は本来、親の望むとおりの人生を歩むべき宿命を背負った人だったのです。
ところが、私は宿命に背いて、夢を抱いて生きてしまったのです、20年近い間。
そして夢をかなえてしまったのです。
宿命に気づいたのは、夢をかなえてしまった後でした。
私は自らの中に矛盾を抱えて生きることになってしまったのです。
これ以上夢をかなえるのなら、「孝」にそむくことになる。
しかるに、私が叶えた夢によって、多くの人を元気づけ、多くの人を感動させ、多くの人を幸せにしてきたのも事実。
ならば、私ができることは何か…
叶えてきた夢を通して、他の人の夢を叶える手助けをすること。
これだけです。
最近、私の周囲で抱いた夢に対して前向きに努力する人にたくさん出会いました。
その結果、かえって由々しき事態になっています。
なぜか?
実は私は、夢を見ることが「本当は」「本当に」許されていない状況下に生きているからなのです。
なぜか?
実は私の一番身近にいる人が、いわゆる「ドリームキラー」「ドリームクラッシャー」の部類にあたるのです。
「ドリームキラー」「ドリームクラッシャー」と呼ばれる人たちは、私は2種類あると考えています。それはおおむね9対1の比率でわかれていると思います。9割の方は本当にその人を心配しているから「ドリームクラッシャー」「ドリームキラー」になっているだけで、こういう人に対しては本気を出せば逆に応援してくれる存在になります。
問題は残り1割の方です。本当に夢をかなえるための邪魔を、ありとあらゆる方法でしてきます。様々な方法で足を引っ張ります。私の場合、両親も親族(特に母親の方)もこぞって「断固阻止」を打ってきました。
このような行為をする人は
真性ドリームキラー
あるいは
真性ドリームクラッシャー
と呼びます。(以下「真性」と省略)
そして、その人が「真性」になる背景には、
その人の人生が充実しておらず
その人の人生に余裕がなく
かつ、その人自身がその人の人生を送っていない
ということがあげられると私は思います。
私の場合、母親がそれでした。
母親に同調して、父親もそうなりました。
ここで登場するのが儒教です。
儒教の最大の教えは「孝」です。有名なのは、古代から100年ほど前の清王朝に至るまでの中国では、法に定められているほどで、今でも韓国などではこの精神が生き続けています。
ウィキペディアによると、
道に外れたことを行う君主を三度諌めても聞き入れられなかったら、君主の下から去るべきであるとされたのに対し、道に外れた親を三度諌めても聞き入れられなければ、泣き寝入りして従わなければならないとされた。有能な大臣が、自分の親の喪中に出仕したことを不孝であると咎められて失脚するようなことも起こった。
とあります。
私の家は、父親の家も母親の家も儒教の精神が浸透していています。実家には「論語」があり、私も何度か読みました。
一方で、母親も父親も私が見た限り、「その人自身の人生を送っていない」と思いました。母親の方は叔母も同様でした。
こうなると、
文明の衝突
のようなことが親子間で起こります。
宗教戦争
みたいなことが親子で起きている、といっても過言ではありません。
私はこのような状況下で、家出同然にプロのバルーンアーティストになったのです。
私は親の理解を得るため、ありとあらゆることを試みました。表面上は理解していたふりをしていたのですが、実際は受け入れていませんでした。そして積年の恨みを晴らすようなことをしてしまったのです。
私は最初、なぜこのようなことを親がしたのか、理解ができませんでした。親がやったことは「道に外れた」ことでした。そしてなぜ親が「道を外れてしまった」のか、私はありとあらゆることを調べました。その結果、
私は夢を抱いて生きてはいけない宿命にあった
ことが分かったのです。
自閉症、それに伴う発達障害、今では幼少期なら児童デイサービスでの「療育」を通して緩和することが可能です。私が幼少期だった1970年代、そのようなものはありませんでした。結果「悲劇」が起きたのです。具体的な「悲劇」の内容を知ったのは最近のことでした。
結局どこに最大の原因があったのか。
母親の家に、誰一人として自分の人生を送ることができた人が一人もいなかった
ことが最大の原因ではないか、という結論に至りました。
母親、そしてその両親、さらに先祖代々そのような教育が連綿と伝わり、加えて自閉症の子どもを産んだことが「家の恥」とされた…母親がメンツをかけて自閉症を「治療」したのもわかるような気がしました。
そして、そのような家に生まれたが故、私は
本当に夢を抱いて生きることが許されなかった
のかもしれません。
私は本来、親の望むとおりの人生を歩むべき宿命を背負った人だったのです。
ところが、私は宿命に背いて、夢を抱いて生きてしまったのです、20年近い間。
そして夢をかなえてしまったのです。
宿命に気づいたのは、夢をかなえてしまった後でした。
私は自らの中に矛盾を抱えて生きることになってしまったのです。
これ以上夢をかなえるのなら、「孝」にそむくことになる。
しかるに、私が叶えた夢によって、多くの人を元気づけ、多くの人を感動させ、多くの人を幸せにしてきたのも事実。
ならば、私ができることは何か…
叶えてきた夢を通して、他の人の夢を叶える手助けをすること。
これだけです。
2016年12月24日土曜日
親孝行と「孝」、絆と「絆し」
こんにちは。
2016年も押し迫り、今日はクリスマスイブ。
私は今年もシングルベル…なのですが、昨日も明日もパーティーや飲み会。
たまたま一人でじっくり考える日がイブにあたっただけです。
このブログの2012年以降のテーマの一つとなったのが、見出しの問題。
この二つに私は縛られ、あれほど好きな風船を捨てざるを得なくなり、結婚しても相手に苦労を掛けると判断して生涯独身のライフプランを立てざるを得なくなったのです。
そしてその原因は広島のどこを探してもなく、遠く離れた鹿児島に答えがあったのです。
で、見出しの問題について。
私の場合、親子関係が「孝」をもとに成り立ち、その結果絆が「絆し」になってしまっていました。
母親が精神疾患を患い、自殺未遂をした原因は、母親がふつう長男にするような異常なまでの厳しい躾にあり、そもそもその厳しい躾を私の母親に対してした原因が母親の兄の夭逝にあったのです。
事実、私は母親の祖父母から異常なまでに可愛がられました。一方で自閉症児を生んだと母親は祖父母から厳しく叱責され、一家心中を試みたという話も耳にしました。その結果、私には妹か弟がいたのですが、この世に生を受けることがありませんでした。
そのような特殊事情があり、かつ当時は今と異なり発達障害に対する認識がなかった時代です。
厳しい躾の結果、私は非行に走りましたし、食毛症を発症して、今でも続いています。
いずれも親からの精神的なストレスが原因と今では言われていますが、70年代の当時はもっと躾を厳しくしろといういうのが主流でした。私の両親はいまだにこの考えの持ち主で、かつての首都の知事などの超保守的な考えを支持しています。
そして、私は一時期儒教にはまりました。私の両親及び私の「イエ」にある考えの背景が儒教にあると判断したのです。
儒教の教えを刷り込むことが、真っ新な自分になって、親に忠実に従うことができる、それがすなわち親孝行だと考えたからなのです。どんなに間違った考えを持った親でも、それが親である限り、子は泣き寝入りして従わなければいけないという考えに自分を持っていこうとしました。
それは結果できませんでした。
しかし、私は親孝行できません。
そして、両親と私の間には、絆ではなく「絆し」で結びついています。
これが私の家、とりわけ母親の方の「イエ」を貫いています。
このような「イエ」ですから、私は他人を巻き込みたくないのです。
結婚するということは、否が応にも巻き込むことなのです。
私で先祖代々続く「イエ」の負の歴史をとだえさせることが幸せになるためのすべという結論に達しました。
すでに、私は両親が亡くなった後の身の振り方を考えています。
私は孤独になるのは確実ですが、施設に入るつもりはなく、私の死後は行政にゆだねるつもりです。それも、広島ではなく、鹿児島の。
私が亡くなった後は相続人はいないはずです。遺産もないはずです。私はそれこそ無縁仏として処理されることになるでしょうし、極端な話遺骨も全部産業廃棄物として処分されていいとさえ思っているのです。
私の両親までは、永代供養の納骨堂に収めたいです。すでに日本全国、もちろん鹿児島にも永代供養の納骨堂ができています。このような納骨堂は墓地不足で全国的に増えています。
政府は「産めよ育てよ」という考えです。
しかし、私のようにそれができない人もいるのです。
厳しいことを言うようですが、秋葉原、荒川沖、下関駅の死刑囚も背景にあるのは
「厳しすぎて、かつ誤った親の躾」
だと私は思います。
以下引用 ソウス
引用ここまで
出典:
私と前述の重大殺人犯罪の加害者(いずれも死刑囚)の違いは、ただ一点だけです。
「親と戦えたか」
このような間違った躾に対しては、いくら親といえども、戦争しなければなりません。
私は中学生時代から親と戦争することになりました。
そしてその戦争、今は「休戦中」なのです。
実は、私がこれだけ風船にのめりこんだのも、親と戦争するための一つの答えだったのです。
事実、私の母親は私が起業したことに対して祖父母に対して謝罪し、それに対して厳しく祖父母から叱責されたそうです。
なぜ私の祖父母は私の母親を厳しく叱責したのかは正直分かりません。しかし私の母親は
私を型にはめて育てようとして失敗したことを詫びた
のです。
これは紛れもない事実です。
私の父親は息子の起業を恥じ
私の母親は息子の起業を親類一堂に謝罪した
これが事実です。
だからこそ、私はこれだけ風船にのめりこめたのかもしれません。
結果、鬱症状を引き起こし、適応障害に追い込まれ、その背後には発達障害があった…
しかし、風船に出会ったことによって、自分らしく生きることができたのもまた事実。
風船のおかげで、私は「絆し」を断ち切ることが表向きはできたのです。
この数年の親の行動は、親の敗北を認めず、自分の手元に取り戻そうという印象がしました。自閉症との戦いを幼児期に経験したから、なおさらだったのかもしれません。しかし、それ自体が大きな過ちであったのです。
さらにそれが当時は正しいと認識されていた…
正しいと思われていたことが実際は間違いだった…ですから、親を責めることはできません。
そして、間違いをいまだに正しいと認識している両親の考えを改めることもできません。
私ができるのはこの二つだけ。
自分が選んだ人生を歩むこと
自らの世代で負の連鎖を断ち切ること
2016年も押し迫り、今日はクリスマスイブ。
私は今年もシングルベル…なのですが、昨日も明日もパーティーや飲み会。
たまたま一人でじっくり考える日がイブにあたっただけです。
このブログの2012年以降のテーマの一つとなったのが、見出しの問題。
この二つに私は縛られ、あれほど好きな風船を捨てざるを得なくなり、結婚しても相手に苦労を掛けると判断して生涯独身のライフプランを立てざるを得なくなったのです。
そしてその原因は広島のどこを探してもなく、遠く離れた鹿児島に答えがあったのです。
で、見出しの問題について。
私の場合、親子関係が「孝」をもとに成り立ち、その結果絆が「絆し」になってしまっていました。
母親が精神疾患を患い、自殺未遂をした原因は、母親がふつう長男にするような異常なまでの厳しい躾にあり、そもそもその厳しい躾を私の母親に対してした原因が母親の兄の夭逝にあったのです。
事実、私は母親の祖父母から異常なまでに可愛がられました。一方で自閉症児を生んだと母親は祖父母から厳しく叱責され、一家心中を試みたという話も耳にしました。その結果、私には妹か弟がいたのですが、この世に生を受けることがありませんでした。
そのような特殊事情があり、かつ当時は今と異なり発達障害に対する認識がなかった時代です。
厳しい躾の結果、私は非行に走りましたし、食毛症を発症して、今でも続いています。
いずれも親からの精神的なストレスが原因と今では言われていますが、70年代の当時はもっと躾を厳しくしろといういうのが主流でした。私の両親はいまだにこの考えの持ち主で、かつての首都の知事などの超保守的な考えを支持しています。
そして、私は一時期儒教にはまりました。私の両親及び私の「イエ」にある考えの背景が儒教にあると判断したのです。
儒教の教えを刷り込むことが、真っ新な自分になって、親に忠実に従うことができる、それがすなわち親孝行だと考えたからなのです。どんなに間違った考えを持った親でも、それが親である限り、子は泣き寝入りして従わなければいけないという考えに自分を持っていこうとしました。
それは結果できませんでした。
しかし、私は親孝行できません。
そして、両親と私の間には、絆ではなく「絆し」で結びついています。
これが私の家、とりわけ母親の方の「イエ」を貫いています。
このような「イエ」ですから、私は他人を巻き込みたくないのです。
結婚するということは、否が応にも巻き込むことなのです。
私で先祖代々続く「イエ」の負の歴史をとだえさせることが幸せになるためのすべという結論に達しました。
すでに、私は両親が亡くなった後の身の振り方を考えています。
私は孤独になるのは確実ですが、施設に入るつもりはなく、私の死後は行政にゆだねるつもりです。それも、広島ではなく、鹿児島の。
私が亡くなった後は相続人はいないはずです。遺産もないはずです。私はそれこそ無縁仏として処理されることになるでしょうし、極端な話遺骨も全部産業廃棄物として処分されていいとさえ思っているのです。
私の両親までは、永代供養の納骨堂に収めたいです。すでに日本全国、もちろん鹿児島にも永代供養の納骨堂ができています。このような納骨堂は墓地不足で全国的に増えています。
政府は「産めよ育てよ」という考えです。
しかし、私のようにそれができない人もいるのです。
厳しいことを言うようですが、秋葉原、荒川沖、下関駅の死刑囚も背景にあるのは
「厳しすぎて、かつ誤った親の躾」
だと私は思います。
以下引用 ソウス
| 「間違った厳しさ」 小さい時に厳しく育てることが大切といっても、間違った厳しさはかえって子供の発達をおかしくします。 親は自分の望むことを子供が進んでするように躾ようと思います。躾が大切、厳しく躾けなければいけないと言う時、母親の心に潜在的に働いているのは、この願望です。 この厳しさは間違った厳しさであることに気づいてくださらなくてはいけません。これは、大人の気に入った型の子供に仕立てるという気持ちが濃厚です。大人の意図に従わない時、禁止、叱責、罰が下されます。 目指す子供像は何でしょう。自ら考え、自主的に判断し、行動し、意志強く目的達成のために努力する。こういう子供を育てることにあるのではないでしょうか。 それなら叱って育てることを、厳しく育てることと勘違いをしていてはダメです。 これからの子育てでは、何よりも21世紀に役立つ子供を育てようという目的意識を持って、子育てをしなくてはなりません。 では、21世紀に役立つ良い子というのは、どのような像でしょうか。 私たち親が良い子という場合、両親の言うことをよく聞く子、先生の言うことをよく聞く子というように、親にとって都合のいい子をよい子だと考える傾向があります。 ところが、このような子供は、むしろ問題のある子供で要注意なのです。このような子供は、毎日おとなしく問題を起こさずに育ったとしても、自己主張がなく、社会の役に立つ貢献ができない人間に育つおそれがあるのです。 中学生、高校生になって家庭内暴力をふるう子供たちがいます。この子達の小さい頃を調べてみると、両親の言うことをよく聞いて、いい子だったとう例が非常に多いのです。小さい頃、いい子であまり自己主張をすることがなかったら、大きくなり、体力もでき、親の権威が薄くなった頃に、突如として家庭内暴力と言う形で自己主張が始まるといわれるのです。 だから、小さな頃の反抗は喜ばなくてはいけません。子供の反抗期があるというのは、子供の成長にとって、とても大きなプラスの意味をもつものなのです。 子供の反抗の効用を書いてみます。 1.子供が親と違う自分自身の考えを持つように成長した。 2.自分の考えを、態度や言葉で言い表すことができるようになった。 3.いくら叱られても、嫌なことは嫌、違うことは違うと堂々と発表する勇気を持つようになった。 このように、子供の側に3段階の進歩があり、自分の気持ちを主張することができるようになった結果、欲求不満を心の中に溜め込まずにすませることができるのです。 大人の考えたことに子供が疑問を持ち、考えたことを素直に発表することは、人間の進歩につながります。子供が口答えをしない、反抗をしないというのは、むしろ困った姿で、子供の何でもかんでもが抑えられたなら、人間の進歩はなくなってしまいます。 そこで、口答えや反抗を、むやみに叩いたり、叱ったりしてはいけません。子供の言い分を十分に聞いてやらなくてはいけないのです。するとそれは子供の発表の能力を育て、一方大人を賢くするのです。 親が子供に厳しくするというのは、大きくなって子供が自立できるようにするためです。それには次のような点で厳しくすればよいのです。 1・我慢できる子供にする。自分の感情のままに走らず、自分でセーブできる子にする。 2.社会のルールがわかる子にする。人を傷つけること人に迷惑をかけることをいけないとわかる子に育てる。 3.自分の行動に責任を持つことができる子供に育てる。 4.目標に向かって根気よく粘る子供に育てる。 ~中略~ 小言の多い親は子供のすることを、いちいち制限しがちです。子供はそのためにまっすぐ、すくすくと育つことができず、不満の塊となり、親に反抗し、強情になり、親が躾けようと思って小言を言うほど、親の言う反対のことをするようになります。 子供が生後10ヶ月に達すると、この時期は道具発見の時期、探索行動の時期と言われます。この時期の子供のすることは実験をし、勉強をしている姿なのです。それを、あれはいけない、これはいけない、と厳しく禁止すると非常に反抗心の強い子供を育ててしまいます。怒りっぽい子供、反抗的な子供は、ここから始まることが多いのです。 満2歳前後になると、子供に自立心が育ちます。すると今までは素直に親の言うことを聞いていた子が、急に自分を主張しはじめ、親の言うことは何でも「いや」と言い始めます。これは成長の一過程なのです。この時期に親が「いけないことはいけない」とわからせるように育てようと思ってきつく叱ると、これがまた子供を反抗的にし、強情にします。 子供は成長の節々で、いろいろな変化を見せて育っていきます。その時期その時期を、親が「今はそのような時期なのだ」と心得て、子供のすることを温かく見守って育てれば大過なく過ごせるのに、親がカッカしてしまうと子供がゆがみます。 |
引用ここまで
出典:
| 「認めてほめて愛して育てる」(七田眞:著、PHP研究所:発行) |
私と前述の重大殺人犯罪の加害者(いずれも死刑囚)の違いは、ただ一点だけです。
「親と戦えたか」
このような間違った躾に対しては、いくら親といえども、戦争しなければなりません。
私は中学生時代から親と戦争することになりました。
そしてその戦争、今は「休戦中」なのです。
実は、私がこれだけ風船にのめりこんだのも、親と戦争するための一つの答えだったのです。
事実、私の母親は私が起業したことに対して祖父母に対して謝罪し、それに対して厳しく祖父母から叱責されたそうです。
なぜ私の祖父母は私の母親を厳しく叱責したのかは正直分かりません。しかし私の母親は
私を型にはめて育てようとして失敗したことを詫びた
のです。
これは紛れもない事実です。
私の父親は息子の起業を恥じ
私の母親は息子の起業を親類一堂に謝罪した
これが事実です。
だからこそ、私はこれだけ風船にのめりこめたのかもしれません。
結果、鬱症状を引き起こし、適応障害に追い込まれ、その背後には発達障害があった…
しかし、風船に出会ったことによって、自分らしく生きることができたのもまた事実。
風船のおかげで、私は「絆し」を断ち切ることが表向きはできたのです。
この数年の親の行動は、親の敗北を認めず、自分の手元に取り戻そうという印象がしました。自閉症との戦いを幼児期に経験したから、なおさらだったのかもしれません。しかし、それ自体が大きな過ちであったのです。
さらにそれが当時は正しいと認識されていた…
正しいと思われていたことが実際は間違いだった…ですから、親を責めることはできません。
そして、間違いをいまだに正しいと認識している両親の考えを改めることもできません。
私ができるのはこの二つだけ。
自分が選んだ人生を歩むこと
自らの世代で負の連鎖を断ち切ること
2016年11月10日木曜日
組織の歯車になる訓練?
こんばんは。
このブログですが、見てのとおり、更新が滞り、存在意義が問われつつあります。
「顔本」や「言葉版」の最近の自分の書き込みを見ると、キラキラピカピカした記事ばかりが目立ちます。
想いがカタチとなり、そしてはじける!、ということ
くす玉のような存在って?
私の風船に対するこだわり
いずれも「言葉版」の最近の記事です。リンクを張っているのでご覧ください。
最近の作品の写真です。社員として初めて迎えた、昨年も行われた福祉関連イベントです。
そこでつくづく思うのが、最近一部の就労移行支援事業所で顕著な
就職予備校化
の問題と、私の母親の
インナーチャイルド
の問題である。
一見関係ないようだが、この二つの問題は密接につながっている。
私が以前通っていた就労移行支援事業所。
もう3年近く前になるが、1年近い間、ここに通っていた。
その就労移行支援事業所、当時私とかかわっていた職員は所長は同じ会社の別の部署へ、それ以外の職員は全員退職し、別の就労移行支援事業所に移籍したり、公的機関に転職したりしている。職員は全員入れ替わった。そして今や、名前だけ同じで、当時とは訓練内容も目指しているものも全く異なっている状態になっている。
この就労移行支援事業所の現在の印象を率直に言うと、ズバリ
就職予備校
の一言である。
訓練の全ては就職のためにあり、そしてそこで定着するためにある印象が強い。
私は一時期、この現状を憂えていたが、今では
「これもありでは」
と思えるようになった。
一つは就労移行支援事業所の選択肢が増えたこと。様々なタイプの就労移行支援事業所から選べるようになり、合わない、と思えば体験の時点でやめてしまえばよい。今、ここの印象は
就労経験の浅い30代前半までの若い人向き
である。一度個性を捨てて型にはまった生き方をしたい人向きであるし、事実「型にはめる」訓練が多い。それがもう一つの理由であり、今やこの就労移行支援事業所の特色になった。実際最近ここに通っている人たちは、自分の「型」がなく、どのような生き方をしたらいいのかわからない人が多い印象がする。そういう人はそれこそ「型にはまる」必要がある。一度型にはまってみて、そこで生きていけるかどうかは型にはまらないと分からないと私は思う。
他方、それより大きな問題が、後者の「親のインナーチャイルド」である。
私の場合、母親が深刻な「インナーチャイルド」を抱えて生きているように思う。このような場合、母親は「アダルトチルドレン」となり、子供から見れば「毒親」になってしまうことが多い。
正直言う。
旧Y's Dreamが廃業に至ったのは母親にも大きな原因があるといっても過言ではない。
母親は厳格な躾を両親から受けて育ったという。
そしてことあるごとに「子供を起業させて申し訳ない」と謝罪していたという。
母親の両親は鹿児島出身である。子供、すなわち私が風船屋Y's Dreamを起業してからは、鹿児島に近づかないようにしていたという。
やがて長年の無理がたたって、私はうつを発症し、休業に追い込まれた。その時母親がやったことは…
母親の母親、すなわち私の祖母が亡くなったあたりから、母親もまた精神疾患になってしまった。原因不明の体全体の痛み…自殺未遂もしたらしい。
自殺未遂の話を聞いて、私は廃業を決断した。
私は母親が何を望んでいたのか、わかっていた。
母親はことあるごとに私が自衛隊に入ることを望んでいた。
子供が戦死しても、国のために死ぬことは名誉だと考えていたらしい。
労災や過労死で死ぬことは「殉職」だとも考えていたらしい。
そもそも母親はかつて、私が幼いころ自閉症の症状が顕著に出ていたころ、一家心中を考えたらしい。父親が説得して止めたという話を耳にしている。その父親も真夜中に山の中に置き去りにするようなことをした。
母親は子供を自らの親の望むように育てたかったのだろう。ところが自閉症の症状が出て、就学猶予の可能性すらあったという。1970年代後半の話である。
今なら児童デイサービスに入所して療育に取り組むべきケースであるし、そもそも1970年代後半と2010年代も後半に差し掛かりつつある今では社会が全く異なる。1990年代前半までは「型にはまった生き方」が幸せに生きる必須条件であった。ところがバブル崩壊→失われた10年→リーマンショック→東日本大震災と経て、価値観が激変した。
私が風船にどっぷりつかり、全くこれまでとは異なる生き方をしてきて、結果、全くなかった価値を生み出すまでに至った。このような生き方から脱却しようと、私は儒教を学んだ。両親の生き方、そして家に代々伝わる生き方の背景にあるものは儒教だと判断したからである。同時に徹底的に型にはまる努力もした。自ら築き上げたものを捨て、真っ新の状態にして、生まれ変わろうということを考えた。それを望んだのが母親であり、父親であった。儒教の教えの最大のものは「孝」であり、「たとえ親が間違っていても、それに泣いて従うのが子供の義務である」と自らの心をすべて入れ替えようと努力した…が、できなかった。
親の望むとおりに生きる、すなわち親の人生を子供が歩むのは、どこかで無理が生じるのが摂理である。私の場合、どこに問題があるのかをすべて一つ一つ調べ上げ、鹿児島の先祖の墓も調べ、結局最大の問題が母親の「イエ」にあり、母親のインナーチャイルド、すなわち生きにくさの原因となっているところまで突き止めた。「毒親の連鎖」もこれでわかった。さらに「私は結婚してはいけない」という宿命を抱えていることまでわかった。「結婚できない」のではなく「結婚すべきではない」のである。なぜなら、私が結婚すると、妻を不幸にするし、子供を虐待する恐れが非常に高いからである。私にも母親、あるいは先祖代々伝わる「毒」の連鎖が及び、その連鎖はその子供にも伝わる危険が非常に高い、ならば結婚すべきでないし、親になるべき人ではない、妻を巻き込み、子供を不幸にするだけである、と判断したからである。
そのような状況の中で、母親に孝の限りを尽くそうと思ったし、そういう親でも親孝行する義務は私にある。だから私は「型にはまる訓練」を自らに課した。なぜなら母親に罪は全くないからである。今では誤りかつ不必要とされる「舌の手術」も1970年代当時は最善の方法だとされていたし、1970年代と今とでは時代が全く異なるからである。
このブログですが、見てのとおり、更新が滞り、存在意義が問われつつあります。
「顔本」や「言葉版」の最近の自分の書き込みを見ると、キラキラピカピカした記事ばかりが目立ちます。
想いがカタチとなり、そしてはじける!、ということ
くす玉のような存在って?
私の風船に対するこだわり
いずれも「言葉版」の最近の記事です。リンクを張っているのでご覧ください。
最近の作品の写真です。社員として初めて迎えた、昨年も行われた福祉関連イベントです。
そこでつくづく思うのが、最近一部の就労移行支援事業所で顕著な
就職予備校化
の問題と、私の母親の
インナーチャイルド
の問題である。
一見関係ないようだが、この二つの問題は密接につながっている。
私が以前通っていた就労移行支援事業所。
もう3年近く前になるが、1年近い間、ここに通っていた。
その就労移行支援事業所、当時私とかかわっていた職員は所長は同じ会社の別の部署へ、それ以外の職員は全員退職し、別の就労移行支援事業所に移籍したり、公的機関に転職したりしている。職員は全員入れ替わった。そして今や、名前だけ同じで、当時とは訓練内容も目指しているものも全く異なっている状態になっている。
この就労移行支援事業所の現在の印象を率直に言うと、ズバリ
就職予備校
の一言である。
訓練の全ては就職のためにあり、そしてそこで定着するためにある印象が強い。
私は一時期、この現状を憂えていたが、今では
「これもありでは」
と思えるようになった。
一つは就労移行支援事業所の選択肢が増えたこと。様々なタイプの就労移行支援事業所から選べるようになり、合わない、と思えば体験の時点でやめてしまえばよい。今、ここの印象は
就労経験の浅い30代前半までの若い人向き
である。一度個性を捨てて型にはまった生き方をしたい人向きであるし、事実「型にはめる」訓練が多い。それがもう一つの理由であり、今やこの就労移行支援事業所の特色になった。実際最近ここに通っている人たちは、自分の「型」がなく、どのような生き方をしたらいいのかわからない人が多い印象がする。そういう人はそれこそ「型にはまる」必要がある。一度型にはまってみて、そこで生きていけるかどうかは型にはまらないと分からないと私は思う。
他方、それより大きな問題が、後者の「親のインナーチャイルド」である。
私の場合、母親が深刻な「インナーチャイルド」を抱えて生きているように思う。このような場合、母親は「アダルトチルドレン」となり、子供から見れば「毒親」になってしまうことが多い。
正直言う。
旧Y's Dreamが廃業に至ったのは母親にも大きな原因があるといっても過言ではない。
母親は厳格な躾を両親から受けて育ったという。
そしてことあるごとに「子供を起業させて申し訳ない」と謝罪していたという。
母親の両親は鹿児島出身である。子供、すなわち私が風船屋Y's Dreamを起業してからは、鹿児島に近づかないようにしていたという。
やがて長年の無理がたたって、私はうつを発症し、休業に追い込まれた。その時母親がやったことは…
母親の母親、すなわち私の祖母が亡くなったあたりから、母親もまた精神疾患になってしまった。原因不明の体全体の痛み…自殺未遂もしたらしい。
自殺未遂の話を聞いて、私は廃業を決断した。
私は母親が何を望んでいたのか、わかっていた。
母親はことあるごとに私が自衛隊に入ることを望んでいた。
子供が戦死しても、国のために死ぬことは名誉だと考えていたらしい。
労災や過労死で死ぬことは「殉職」だとも考えていたらしい。
そもそも母親はかつて、私が幼いころ自閉症の症状が顕著に出ていたころ、一家心中を考えたらしい。父親が説得して止めたという話を耳にしている。その父親も真夜中に山の中に置き去りにするようなことをした。
母親は子供を自らの親の望むように育てたかったのだろう。ところが自閉症の症状が出て、就学猶予の可能性すらあったという。1970年代後半の話である。
今なら児童デイサービスに入所して療育に取り組むべきケースであるし、そもそも1970年代後半と2010年代も後半に差し掛かりつつある今では社会が全く異なる。1990年代前半までは「型にはまった生き方」が幸せに生きる必須条件であった。ところがバブル崩壊→失われた10年→リーマンショック→東日本大震災と経て、価値観が激変した。
私が風船にどっぷりつかり、全くこれまでとは異なる生き方をしてきて、結果、全くなかった価値を生み出すまでに至った。このような生き方から脱却しようと、私は儒教を学んだ。両親の生き方、そして家に代々伝わる生き方の背景にあるものは儒教だと判断したからである。同時に徹底的に型にはまる努力もした。自ら築き上げたものを捨て、真っ新の状態にして、生まれ変わろうということを考えた。それを望んだのが母親であり、父親であった。儒教の教えの最大のものは「孝」であり、「たとえ親が間違っていても、それに泣いて従うのが子供の義務である」と自らの心をすべて入れ替えようと努力した…が、できなかった。
親の望むとおりに生きる、すなわち親の人生を子供が歩むのは、どこかで無理が生じるのが摂理である。私の場合、どこに問題があるのかをすべて一つ一つ調べ上げ、鹿児島の先祖の墓も調べ、結局最大の問題が母親の「イエ」にあり、母親のインナーチャイルド、すなわち生きにくさの原因となっているところまで突き止めた。「毒親の連鎖」もこれでわかった。さらに「私は結婚してはいけない」という宿命を抱えていることまでわかった。「結婚できない」のではなく「結婚すべきではない」のである。なぜなら、私が結婚すると、妻を不幸にするし、子供を虐待する恐れが非常に高いからである。私にも母親、あるいは先祖代々伝わる「毒」の連鎖が及び、その連鎖はその子供にも伝わる危険が非常に高い、ならば結婚すべきでないし、親になるべき人ではない、妻を巻き込み、子供を不幸にするだけである、と判断したからである。
そのような状況の中で、母親に孝の限りを尽くそうと思ったし、そういう親でも親孝行する義務は私にある。だから私は「型にはまる訓練」を自らに課した。なぜなら母親に罪は全くないからである。今では誤りかつ不必要とされる「舌の手術」も1970年代当時は最善の方法だとされていたし、1970年代と今とでは時代が全く異なるからである。
登録:
投稿 (Atom)