2020年6月5日金曜日

教育・訓練・躾・調教

こんにちは。

はっきり言って、「教育」と「訓練」があいまい、ごっちゃになっているのが現状である。そして「訓練」と「躾」は近い。さらに「訓練」と「躾」が度を越えると、それは「調教」になる。

残念ながら、私の両親がしてきたのは実は「調教」となる。私の両親は「教育」は一切してこなかった。両親が徹底して私にしたのは「躾」だったのだが、この「躾」に行き過ぎがあり、「調教」と化してしまったのだ。
その根源の原因は、両親のまたその親が、父親母親共に「調教」ともいうべきものを家庭の中で受けてきたことにあることがはっきりしてきたので、両親を責めることはできない。確かなのは、両親とも「躾」に厳しい家庭で育ったということである。その中でも母親は「躾」の範囲を逸脱し、「調教」を受けていたようである。
ではなぜ、「躾」もとい「調教」を私の両親は受けてきたのだろうか。それは時代背景が大きいと私は考える。
第二次世界大戦の前、昭和初期の日本の状況は、「男子はよき兵隊になれ」という時代であった。
2016年の3月に熊本県阿蘇市の満願寺温泉というところで撮影した画像なのだが、「日本徴兵保険申込所」というくだりがある。徴兵されるのは当時、栄誉とされていた。それ故このような保険が存在していた。それが南京事件に端を発する日中戦争、そして太平洋戦争へと進むにつれ、「お国のために命を捧げよ」という「大政翼賛」の時代へと進んでいく。
その後日本は敗戦、以後朝鮮戦争から高度経済成長、オイルショック、安定成長からバブル経済、バブル崩壊以降の「失われた…」と続くのだが、それとともに価値観が変化していく。元号も「昭和」から「平成」、そして「令和」へと変わっていくのだが、少なくとも「昭和」の間は「調教」を基礎とした「躾」が家庭内での子育てとしてよいものとされていた。社会がそれを求めていたからである。企業で「優秀」とされていた人材は「5S」が自然とできる人であり、5S(整理・整頓・清潔・清掃・躾)と「報連相」が企業で働くための基本とされていたからである。こういったものは「教育」よりも「訓練」で身に着けるものであり、自然と体が覚えるように「習慣化」されてこそ、よき企業人、組織人となる。
ところが、「平成」になってから変化が起きた。「情報化」と「グローバル化」である。その結果、バブル崩壊と併せて従来の価値観の崩壊が起きた。こうなると、「調教」や「躾」が通用しにくくなる。変化は平成の30年間をかけて少しずつ進んだ。そして「令和」の訪れと時をあまりたがえずにやってきた「コロナショック」…
この先、日本社会、日本企業の進路が大きく二つに分かれそうである。一つは、テレワークをベースとした「ジョブ型雇用」の普及と、「多種多様な働き方」の推進。情報化の進展がこれを可能にした。オフィスには最小限の人数しか必要なくなり、会議はテレビ会議システム。働く場所は自宅をはじめとした自分の好きなところでとなり、生活の一部に「働く」という行為が組み込まれるようになる。もう一つは、「メンバーシップ型雇用」をベースとした「訓練された組織」で働くこと。この場合、「全人格的労働」が必須となる。ただ、こちらは少数派となりそうである。このような企業では、「まっさらな人材、どのような色にでも染められる、どのような形にも変えられる、柔軟な人」が求められるようになる。「ブラック企業」のように見えるが、使いようによっては「自分を鍛える」ことができる。若い人はこのような組織に所属してみるのもよい。
ただ一つ言えるのは、「家庭」とりわけ親の立ち位置が変わりつつある、ということである。「調教」化した「躾」はもはや
百害あって一利なし
になっている。「虐待」の領域にさえなっている。親が子にすべき教育は
達成感、自己肯定感を身に着ける
ことに変化した。



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