2020年5月27日水曜日

低い自己肯定感と自粛警察

こんにちは。
新型コロナウイルスの緊急事態宣言は解除され、日常に戻りつつあるのですが、その日を迎えられなかった人がいます。志村けんさんや岡江久美子さん等とは別の理由です。とあるテレビ局のリアリティー番組でその悲劇が起きてしまいました。
私もそのインスタグラムのストーリーズは見たのですが…
「愛してる 長生きしてね…」「さようなら。」
その写真をアップし終えたのち、抱きかかえていた猫をかごに入れて自らの職場だった場所へ運び、その後わずかばかりの距離を歩いて、「硫化水素発生中」という張り紙を張って酸性と塩素系洗浄剤?を混ぜ、自ら命を絶った…その間わずか2時間程度。

なぜこのような悲劇が起きたのか?

私は「日本人の低い自己肯定感」に最大の原因がある、と考えました。新型コロナウイルス感染拡大の際にはびこった、いわゆる「自粛警察」と同根です。
ではなぜ、「自粛警察」なるものが発生するのでしょうか?

その背景にあるのが、日本独特の「集団主義」「恥の文化」にあると考えます。それが「同調圧力」につながり、不安や「不公平感」と相まって、「自粛警察」「コロナ警察」のような理解しがたい行動に出るという論調が多いように感じます。

私も実は、「自粛警察」になりかけました。日本でも指折りの「ホットスポット」となっていた北海道札幌市のとある場所で一人芝居を行おうとしていた知り合いの女性(この方はバルーンアーティストである傍ら、一人芝居を長年続けてきた方である)に、私は「安全上大いに問題がある、やめるべきでは」とフェイスブックで呼びかけました。
私が「やめろ」と呼びかけたのには理由がありました。小劇場はライブハウス等と同じで、この時期問題になっていたクラスター感染の危険が非常に高い、と感じたからです。そもそも私は「人を幸せにするはずの風船だからこそ、安全を最優先にすべきである。死亡事故などもってのほか、論外だ」という考えがバルーンアーティストとして活動を始めた最初のころからずっとあり、実際その考えに基づいてストップをかけた事例もあります。
安全はすべてに優先する
これが旧Y's Dreamから一貫している私のバルーンに対する根幹の姿勢であり、それ故2月下旬の段階で「ふうせんまつりが今年でなくてよかった」というつぶやきをSNS上でしたほどです。つまり、2月下旬の段階で開催断念を決断していたと思います。早くあきらめた方が、傷も少なくて済むと考える節もありました。

しかし、彼女と私の仲はこれで冷え切ってしまいました…彼女にとって私は「自粛警察」に映ったのでしょう。
…結果ですが、彼女は台本を書き換えたうえで朗読劇に切り替え、成功させました。会場がたまたま屋外も使える場所だったのも幸いしたようです。
私は彼女の困難をはねのける力に脱帽しました。

話を「自粛警察」の元の話に戻すと、以前述べた「町内会と農村と村八分」に近い構図が見えてきます。「ムラ」「群れ」が基準となっている日本社会…ここに最大の問題が潜んでいる、と考えます。その延長線にあるのが日本独特の「集団主義」「恥の文化」だと私は考えます。その中では「同調圧力」が非常に強くなります。それ故、マズロー心理学の言う「承認欲求」が重要になり、自己肯定感が基本のアドラー心理学は日本では軽視されるということになります。
これこそが、日本で不登校がなくならず、発達障がいが「障がい」とされる大きな原因の一つであることは間違いなさそうです。

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