2017年2月21日火曜日

インナーチャイルド…私を縛るものの正体とは

こんばんは。

今、私は「自分のお金が使えない」という状態に陥っています。
というのも、1月に20年ぶりにインフルエンザにかかってしまい、給料カットをくらってしまったからなのです。もちろん会社から懲戒処分を受けたわけではなく、あくまでも「ノーワーク、ノーペイ」の原則からこうなってしまったのですが…私傷病の場合、一定期間をこえると健康保険から補償されるのですが、あいにく3連休(「成人の日」関連)とぶつかって条件を満たさないため補償の対象外となり、有給休暇への振替制度もないので、欠勤扱いになってしまったのです…

このため、貯金を使わないといけない状態になっているのですが、その貯金の通帳は母親が握っているのです。つまり、
親が子供の金の動きを把握できる
状態になっているのです。

大の大人が親に財布を握られる、というのはこの時点で
異常この上ない
事態です。もっともこれは私に責任があります…過去にギャンブルにおぼれていた時期があったのが大きな理由なのですが…

しかも、この貯金は祖父母の遺言もあって「自分の金」と「家の金」がごちゃ混ぜになってしまったのです。私を溺愛していた祖父母が私のために貯蓄保険をかけていたらしく、その満期保険金が含まれているようなのです。
加えて、母親が精神疾患にかかり、「福祉に頼りたくない」とばかり、保険外治療を受けています。この治療費が高額で、別会計になっているはずの両親の貯金が急速なペースで減っています。すでに年金生活に入っている両親は、かつて富裕層だったこともあり、貯金の減るペースの速さに「いざとなったら私に頼らざるを得ない」という不安を抱えていると聞きます。そのため「自分のお金なのに自由に使えない」という状況が起きているのです。

最悪の場合、
私が両親に仕送りをせざるを得なくなる
事態も考えられるのです。

私は旧Y's Dream時代、自営業ということもあって国民年金(および税金)しか払ってなく、厚生年金が出ないということもあって、祖父母の遺産を私の老後資金に充てたという私の両親の判断、これは私が唯一両親に感謝しています。私が過去にギャンブル依存症になり、挙句の果ては新興宗教に手を出しかけたのを見ている両親としては、貴重な資産をどぶに捨てるようなまねは許されなかったのでしょう。

しかし、パチンコや競馬・競輪といったギャンブル、さらには新興宗教にまではまった私は
風船に救われたのです。
風船に生命を吹き込む→その報酬を得る→その報酬で更なる風船に生命を吹き込む一方、その余りで生計を立てていく
というサイクルを確立したのです。
当時の貯金はすべて、旧Y's Dreamを立ち上げるために消えました。

仮に10万円という金額があります。
その10万円、どう使うかで価値が全く異なります。
パチンコ・競馬・競輪、さらにボートレースで10万円が消えたとします。これは
浪費
の一言。愚かなことこの上ないです。
一方、風船代に10万円を使ったとします。この10万円で
どれだけの風船に生命を吹き込み、その風船に接して、夢と感動と幸せ、さらにいつまでも心に残る感動を残すことができるでしょうか。
これは浪費ではありません。投資です。

私の両親は、この二つをごっちゃにしているのです。
どっちも「浪費」とみているのです。

私の両親は、弁護士にある相談をしたそうです。その相談内容を聞いて私はあきれました。
私を「浪費者」として「準禁治産者」認定してほしい、と。

2000年ごろまでは、「準禁治産者」という制度が法律で定められていました。しかし、この制度を悪用して、浪費者を制裁し、浪費者の人権を制限しようという親族が相次いだうえ、人権保護の観点から廃止されたそうです。(現在は「成年後見人制度」に改められた)
※発達障がいの場合、その障がいの影響と浪費癖の因果関係が認められれば、「成年後見人制度」の活用は可能だそうです。ただし、家庭裁判所の認定という、高いハードルが存在します…私の両親はここまで気づいていたのでしょうか?

そもそも、自立して生計を立てていた人を「浪費者」として「準禁治産者」認定しようとしたこと自体、許しがたい暴挙です。

加えて、私の母親は、バルーン業界全体を
カルト宗教
扱いしたのです。
私自身、新興宗教におぼれかけていました。半年ほど、その宗教の施設に何度も出入りしていました。その新興宗教は密教系で、般若信教は何度も唱えたので、今でも般若信教は覚えていますが…「お布施」が馬鹿にならないほどかかりそうになりかけていて、疑問に思い始めたころでもあったのです、バルーンアートに出会ったのは。
バルーンアートに出会い、そちらへの「投資」が大きくなって、新興宗教やギャンブルから足を洗うきっかけになったのです。
そういう経緯もあるから、私はバルーン業界を「カルト」呼ばわりした母親を許せなくなってしまったのです。周囲に大量殺人を犯した某カルト宗教におぼれた人がいたのも影響していたのも事実ですが…(この人はその宗教から脱会した)

ではなぜ、ここまで私の両親は不安に駆られているのでしょうか。とりわけ、母親は精神疾患を患うまでに至ったのでしょうか。
それは
両親が自分の生きたかった人生を生きることができなかった
ことに他ならないのです。
それがすなわち
インナーチャイルド
なのです。

インナーチャイルドに縛られる人たちは、大半が儒教の影響を強く受けています。私の両親は儒教の影響を強く受けています。儒教の影響を強く受けた「毒親」は、比較的多いです。太平洋戦争敗戦まで当たり前だった儒教精神、それが今でも息づいている「イエ」の伝統を守っている人ほど、「毒親」になってしまっています。

このような親は、子どもを必要以上に厳しくしつけます。とりわけ幼少期の躾が厳しすぎるぐらいになります。それが自己肯定感の低さにつながり、自己否定・完全主義の弊害をもたらすのです。

もっとひどいと、「親になってから初めて気持ちがわかる」とうそぶきます。

このような親に生まれた子供は、家庭を持たない、すなわち生涯独身を貫いた方が却って幸せになる場合さえあります。なぜなら、同じことを子供にしてしまう恐れが高いからなのです。いわゆる「毒親の連鎖」「虐待の連鎖」です。

私の母親は、ことあるごとに私に「親孝行してくれ」とせがみました。この時点で私から言わせればもう「アウト」です。というより、母親自体生きづらさを抱えていることの証左です、この行為自体が。
子どもに親孝行を強要しようとすることそのものが、親が「インナーチャイルド」を抱えていることの表れなのです。

そのような親を心配させまいと思う子供もまた、身動きが取れなくなり、自分で自分を縛ることになるのです。そのような子供も「インナーチャイルド」に支配されているのです。

もうここまで来ると、「きずな」ではなく「ほだし」です。漢字は「絆」で同じですが、意味が正反対になってしまっています。というより、もともとは「絆し」、すなわち「ほだし」の方の意味だそうで、あとから「きずな」の意味に転じたそうなのです。

私はいまだに、親子の「絆し」に苦しんでいます。しかるに、両親は本当の原因をいまだに知ろうとしませんし、仮に知ったところで「パンドラの箱」を開けて自分の人生を後悔することになってしまうので、「知らぬが仏」なのです。昭和の時代は、それでやっていけた時代だったのです。
社会がそれだけ変化してしまったのが大きく、その波に自分が翻弄されているだけなのかもしれないのですが…

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