2015年10月23日金曜日

リフレーミング

こんにちは。

ネガティブ思考を変えるためのトレーニングとしてあるものが
リフレーミング
です。

NLP(神経言語プログラミング)においては、
出来事の枠組み(フレーム)を変えることで、人生における選択の幅を広げ、
どのような出来事にも必ずプラスの意味があることを教えてくれます。

とあります。(ソウス…NLP学び方ガイド:日本NLP協会監修)

有名なのが
コップに水が半分残っているとき
もう半分ある→ポジティブ思考あと半分しかない→ネガティブ思考
ということを「あと半分しかない」という思考から「もう半分ある」という思考に変えるようにするということです。

常に
「物事は最悪を考える」
ということばかりしている人にとっては難しいのかもしれません。
いわゆる「ペシミスト(=悲観主義者)」にとってはこれは苦しいトレーニングです。

私がまさにこれでした。というよりもともと私の考えが
「最悪の結果を予想して少しでも良い結果が出るようにする努力を積み重ねる方が楽だ」
というものだったので、この思考の癖は容易に治りません。
つまり
最悪を基準にしていた
のです。

こうなると、いわゆる
底割れ
すなわち自分の予想していた「最悪」よりひどい事態に陥った時、大変危険なことになりかねません。下手をすると「底なし沼」となり、いつまでも泥沼から抜け出せず、挙句の果ては自殺に至りかねず、非常に危険な思考です。

ところが、ここへきて、すごいポジティブな内容の記事があったりします。
いい例が↓のような記事です。

合同面接会が終わって、自己診断をしてみたのですが、
気分の浮き沈みが非常に激しい
という短所がありました。しかし、これを長所に置き換えてみると
気分のいい時は、どんな困難にも立ち向かえ、ものすごいパワーを発揮できる
ということがわかりました。
風船には人の気持ちを高揚させ、元気にするパワーがあります。そのパワーと私のパワーが化学反応すると、とてつもないパワーを発揮し、多くの人を幸せにできるということに改めて気が付いたのです。

まさにこれがリフレーミングなのです。

ある転職コンサルタントは
水商売を10年以上やってきたのと同じ
と断じ、全く評価しませんでした。そのような見方もあるのが事実であり、転職市場ではそのような見方が主流です。しかし、
全く何もないところから10年以上かけてあれだけのものを築き上げた
ということ自体が素晴らしいことであるのもまた事実だったのです。

先日の記事にもあるように
自分で自分のためにくすだまを開いてお祝いしましょうよ!
自分の長所を祝ってあげましょうよ!!
どんなに短所ばかりの人も、一つぐらいいいところがあるはず!
それを自分で祝ってあげれば、絶対そこから道は開けるよ!

周りの人で、ネガティブ思考ばかりに陥っている人がいたら、ポジティブな気持ちになれるようにその人を元気づけてあげましょうよ!

2015年10月15日木曜日

いかにしてバスに乗せてもらえるような人になるか?というか…

こんにちは。
またしても「ビジョナリーカンパニー」関連の話です。
今日の参考ソウス

今の企業の採用基準は
どういう人材が必要か
というよりもむしろ

価値観を共有できる人材かどうか
が重要視されていると思います。

そのような状況の中では、たとえ築き上げた実績が輝かしいものであったとしても、時代及び経営環境などの変化によって、バスを降ろされてしまう(=企業などから追い出されてしまう)という現状があります。
あるいは「自分はもはや必要とされていない」と感じて、自らバスを降りる決断をする人もいます。

私はバルーン業界に対して、自らバスを降りるべきか否か悩んでいる面があります。

「ビジョナリーカンパニー」にもありますが、
成長の結果複雑化して軋みが生じ、足元をすくわれるケースが見られます。
旧Y's Dreamはまさしくそうでした。

そして成長するにつれて、重要になってくるのが「規律」。
しかし、私は「規律は一つ間違えると{縛り}になってしまう。がんじがらめにしてしまうのはその人にとっても良くない」という考えから、最低限の規律(というか、「嘘をつかない」など、人間として最低限レベルの規律)しか求めませんでした。
結果、それが誤りだったのです。

その結果、Y's Dreamは限界を超えてしまい、破たんに至ったのです。

他方、社会のグローバル化と成熟化で、雇用市場は
人は足りない、でも本当に必要な人しかいらない
という、
見かけだけの売り手市場
になってしまいました。

こうなると、本当に必要になってくるのが
学習棄却(アンラーニング)
であり、
組織再社会化
なのです。
この主張、最近たびたび私もしています。

一方で、就労移行支援施設に通う障害のある方々、特に発達障害の方にとって、このような状況自体が高いハードルになっています。
私自身がこの状況は痛感しています。
私の場合
いかにしてバスに乗せてもらえるような人になるか
という努力をしても、根本的なところに欠陥がある(=発達障害=自閉症スペクトラム{=アスペルガー症候群})ため、極めて厳しいものがあります。
そして血眼になって
人格改造・気質改造
に取り組めるところを探し回りましたが、あったのは
「戸塚ヨットスクール」
か、もしくはそれをお手本にしたようなところばかりでした。

そしてたどり着いた結論が、
就労移行支援に2年という期限を行政が一方的に定めたところに大きな問題がある。
就労継続B型から一般就労への道を切り開く必要があるのではないか

ということでした。

この道を切り開くのに
バルーンアートは大きな役目を果たすことができるのではないか、と私は考え始めています。
そのためバルーン業界というバスから降りようにも降りれない状況が起きているのです。
というか、このような取り組みは
前例がありません。

バルーン業界自体、21世紀になるまでは本当に
道なきところに道を創る
ような状態でした。それが今では小さいとはいえ、一つの産業になっています。
運送・労働市場、さらには周辺業界の環境変化などで、パイはピーク時よりはやや小さくなっていますが、スパークバルーン宅配の市場は私が切り開いたといっても過言ではありません。はっきり言ってこれは本来
大いに誇れる履歴
なのです。…が、これをとあるキャリアコンサルタントは
10年以上ホストをしていたのと同じ
と切り捨ててしまったのです。
私の両親も同じ評価をしていたのです。

私がプロのバルーンアーティストであることをやめたことによって、失ったものはとても大きいです。
客観的に見れば私の10年以上は
サンクコスト(=埋没費用)
だったと思われても仕方ないし、現に私もそう思っていました。

そのような愚挙を犯してしまった私ですが、結果としては
バスに乗せる価値のない人
という社会的評価を下されてしまったのです。
その理由が
価値観を築いてしまった
ことによるものでした。
そのような価値観は、バスに乗せたい人を探す側、すなわち企業にとっては、邪魔者以外の何物でもなかったのです。

SSTに自己分析に面接トレーニングを積んでも、その企業の価値観に合わなければ、それまでなのです。
そのような現状を踏まえて、その企業に価値観を合わせるトレーニングをするような「就活塾」まで現れているのが実態なのです。

「自分が会社に何ができるか」
ということ以上に
「いかにしてこの会社に必要な人材になるか」
の方が重要になってしまったのです。
能力以上に協調性、それ以上に柔軟性と自己犠牲力が求められる
時代になってしまったのです。

このような時代、それぞれが生まれ持ったものによって人生が左右されるという、極めて厳しい状況が起きています。
バランス感覚、人間力といったものは、SSTなどのトレーニングによってある程度伸びますし、一定の水準までは達することができます。しかしそれ以上になると、
持って生まれたものに左右されます
さらに
幼少期の両親の子供に対する接し方も非常に重要です

今、大人になってから発達障害があぶりだされている人が増えているのも、昭和期の子育ての常識の誤りが背景にあると私は思います。
今は当時の子育ての常識が間違っていたということが周知され、加えて療育が充実しています。
ある意味今は過渡期なのかもしれません。

そのような状況下で、自信を失った人たちに自信を取り戻すツールとしてバルーンを活用していくのが今後の私の果たす役目なのではないか、
と思います。

最後にもう一度言います。
風船と出会わなければ、私は今頃この世の中にいないか、塀の中にいるかのどちらかだったかもしれません。
バス停で待っていてもバスになかなか乗せてもらえないのが現実である


2015年10月13日火曜日

就労継続B型から一般就労への道を開く必要がある

こんばんは。
今日は年に一度の「障害者合同面接会」でした。
2年前にも参加しましたが、履歴書をその場で突き返されたりした経験がある2年前の気持ちで「落ちて当たり前」という気持ちで行ってみたところ、正反対の展開に…玉砕承知で臨んだら、意外な方向に進み、半分戸惑っていると同時に、とても考えさせられる状況になってきました。

それは
就労移行支援がだめだったら就労継続B型という今の行政の施策そのものに問題があるのでは
ということでした。

今の行政は
まず就労移行支援に行け
そこがだめなら就労継続AないしはB

という考えのようです。

これが
一部就労移行支援事業所の就職予備校化
を誘発していると私は思っています。

予備校→大学合格を最大の目的としている
という考えから、
就職がゴールだ
という間違った考えに至ってしまうのです。
大学合格だって、ゴールではないはずなのに…

そして、一般的には
就労移行支援>就労継続支援B型
という、一種偏見としか思えないような考えが存在するような気がしてなりません。

これこそが問題の根源であり、
私が目指すべきは
就労継続B型からの一般就労の道を開く
ことであり
その手段としてバルーンを大いに活用する
ということなのです。

すでにこれに取り組んでいるところがあります。
バルーンではなくフラワーですが。
それが、南青山にある「アプローズ」さんなのです。

私の10年以上のバルーンの経験及びキャリアを
今後、これに役立てたいと思うのです

というか、これからの私のテーマは
就労移行支援だけが一般就労への道ではない
就労継続B型から一般就労への道を創る
ということになりそうです。

そこで私のバルーンの16年以上のキャリアを十二分に生かしたいです!!

2015年10月9日金曜日

就労移行支援、何のためにある?

おはようございます。

就労移行支援とは
就職を希望する障がい者であって、企業に雇用される事が可能と見込まれる対象者に対し、生産活動、職場体験その他の活動の機会の提供、その他の就職に必要な知識及び能力の向上の為に必要な訓練、求職活動に関する支援、その適性に応じた職場の開拓、就職後における職場への定着の為に必要な相談、その他の必要な支援を行うとあります。

就労移行支援サービスを利用するためには、「障害福祉サービス受給者証」なるものが必要です。
ところが、一部自治体ですでに就労状態にある場合、「障害福祉サービス受給者証」が発行されないことがあります。聞いた話では東京都などは就労状態でも発行されるのが原則なのに対し、横浜市では発行されないケースが多いそうです(以前目にした横浜市の福祉関係の公聴会の議事録がソウス)。
広島市周辺でも対応がばらばらで、発行される市町村が複数ある一方、広島市は横浜市と同様、発行されないケースの方が多いようです。さらにもっと厳格な審査を行っている市町村もあるようです。事実私は市の担当者の調査を受け、審査不受理なったことがあります。

一方、就労移行支援の実態はというと、本当に様々なのですが、
実際の仕事に取り組みながら就職活動をするところがあれば、模擬就労とビジネススキル・対人訓練ばかりのところ、さらにはドリルばかりさせるところなど
様々です。
実際の仕事に取り組みながら就職活動をしているところでは工賃が支払われることもありますが、工賃の支払いがないところの方が多い
です。
概していえるのは
就職予備校
みたいなところもある、ということです。

さすがにここの様に「ほしがりません勝つまでは」だったり、スパルタ式のところは聞きませんが…(そのようなところがあれば行きたかった)

一方、就労継続支援とは
一般企業での就労が困難な方あるいは、就労を希望する方に、働く場所を提供するとともに、知識及び能力の向上のために必要な訓を行う
とあります。従業員として雇用されるのがA型、従業員として雇用されずに働く場を設けるのがB型となります。
このB型というのが私から言わせれば
存在意義があいまいなところが多い
のです。

そして問題なのが、
就労継続支援B型から一般就職することが非常に困難な現状がある
ということです。以前訪問した東京南青山にあるフラワーアレンジを就労に生かすことを目指した「アプローズ」さんなどはむしろ例外的かつ先進的存在なのが現状なのです。
私が取り組んでいる「バルーンを発達障碍者・ひきこもり・ニートの社会参加に活用する」という取り組みをB型の枠でやるのか、それとも就労移行支援の枠でやるのか、揺れ動いています。

方向性が定まらない以上、バルーン業界を取り巻く現状の厳しさもあって、
就活をせざるを得ない
という状況に追い込まれているのが私の現状なのです。

他方、いい加減なことをしている就労移行支援も最近目につきます。
広島ではこのような勉強会が行われているくらいですから、そのようなところは聞かないのですが、他の地域ではいくつかそのような事例を聞きます。そのようなところはえてして
メンバー(訓練生)を駒のように扱うことが多いです。

多種多様なサービスの提供が行われる一方で、行政が古い考えのまま、それについて行っていないという広島の現状はむしろ全国的には珍しいのかもしれません。

このような状況ですから、私は
特定の就労移行支援事業所に所属せず、信頼できるカウンセラーの指導を受けながら就活に取り組んだ方がいい
という結論に達しています。
ましてや現状、バルーンの仕事を続けながらの状態です。
バルーンを続けるのか、それとも完全に一般就労し、バルーンから完全撤退するのか
収支の天秤にかけながら判断することになります。ただ、
バルーン業界の現状は非常に厳しく、バルーンだけで生計を立てることは困難という結論だけは変わりません。

2015年10月8日木曜日

私がバルーンの世界を離れようかと考えるまでに至った理由

こんにちは。

今日はぶっちゃけ書きます、
私がバルーンをやめようか考えるまでに至った理由を。

かねてから私は
「惰性で風船を膨らませるようになっては終わりだ」
と思っていました。
そして
「挑戦したいことが無くなったら、終わりだ」
とも思っていました。

3年前、2012年、
私はそのような状態に陥っていました。
そのような状態でいたところでいわゆる「大返還」を惹き起こし、うつになっていたことに気が付きました。
うつの場合、普通は薬を飲んで、気を楽にすれば治るのですが、どうも薬の効きが悪い、これは他に原因があるに違いない、と思い、心理検査を受けてみました。
その結果発達障害が分かったのです。
うつは二次障害でした。

当時は減ったとはいえ、バルーン演出のニーズはまだまだありました。
8年間で1000組以上も手掛けた結婚式場には、責任を持って受けることができない、迷惑をかけることになる、と判断して撤退させていただきましたが、複数のカップルの方が私にバルーン演出をお願いしてきました。
そんな中起きたのが
「ヘリウムガス払底」
という事態…

私は「これでバルーンの市場は縮み、大きく変化する」と判断しました。
短期間で収まるのなら影響は少ない、しかし長期に及ぶのなら大きな影響を及ぼす、と考えました。そしてヘリウムガス払底状態は数か月続き、現場のウエディングプランナーさんはバルーンの販売をためらう傾向になりました。一方でブライダルの在り方も、バルーンの在り方もその間に大きく変化、私は「引退やむなし」という決断をし、2013年8月を以てY's Dreamの営業を終了したのです。

しかし、私のバルーンに対する思いや情熱といったものは一区切りついたとはいえ、残っていました。
2014年、2015年といろいろな作品を作らせていただきました.


「第一線を退いた私でも、ここまでのことができる」
という思いがありました。

その一方で、「バルーンで生計を立てることは本当にできるのか」ということを考え始めました。
とある就労移行支援施設にお世話になる中で、ブライダルから子育て世代に主なニーズが移りはじめている傾向をつかみ、「広島では需要がまだ眠っているのでは」と考え、
その需要を掘り起こすことができたら、まだやれる
という考えに至っていました。

ところが、なかなかその需要を掘り起こすことができません。
一方でかねてから感じているように、ダイソー・ドンキホーテ・トイザらス・東急ハンズといった大型量販店との競合が激しくなりつつあり、その中でバルーンショップはどうあるべきか、ということを考えるようになりました。
さらにバルーン業界の全体的な流れは、
人の気持ちを伝えるアイテムとしてのバルーン
が主流になり、加えてツイストバルーンが発展しました。こうなると手先が先天的に器用な人の方が有利になります。
私は2013年春に職業評価を受けたことがあり、その際手先の器用さを見る検査があったのですが、「先天的に不器用」という結果が出ました。
バルーンデコレーターの能力は、思いと努力で一定のところまで伸びます。
しかしそこから先は、先天的なもの、すなわちもって生まれた才能が左右すると私は考えています。


先天的に不器用で、かつ発達障害というハンデを抱える私は、自分の立ち位置が無くなりつつあることを実感し始めていました。
私は
伸びきってしまった
と考え始めました。

もう私がバルーンでできることは正直言って何もないのではないか
とさえ思ってしまったのです。

後進に道を譲りたい
という気持ちは今、非常に強いです。
私が一番しなければいけないことは、
本当に人を幸せにできるようなバルーンクリエーターを育てること
ではないかと思っているのです。

だから私は
需要があるのならできるところまで続ける
のです。というか
需要がないはずがない
のです。だったら
なぜ日本中のいたるところにバルーンショップができている今、広島市内で1軒しか店舗を構えているバルーンショップがないのか?
ということになるのです。
それを私は自ら苦しんでいるいわゆる「コミュ障」、発達障害、精神障害、ひきこもり・ニートの社会進出と結びつけるためにも、とある就労移行支援施設と組んでいるのです。

私は今、就職活動に取り組んでいます。
バルーンの仕事を続けながら、です。
これだけバルーンデコレーターが増えた以上、バルーン市場を再び拡大させる必要があると考え始めています。
そのために日本中のバルーンデコレーター・バルーンアーティスト・バルーンパフォーマーは動き始めているのです。
恐らく近い将来、日本のバルーン業界の方向性は定まるでしょう。
その時、私の役目はもうありません。
その時に備えて、私は準備を始めました。

やめたいからやめるのではなく
自分の立ち位置が無くなりつつあるから
やめて身を引くのです。

ただ、
私がつくりあげたあまたの感動の瞬間だけは、いつまでも多くの人たちの心に残っています。
それだけは否定できない事実です。
これから時代を築く若い人たちは、バルーンの技術以上に、そういう思いをもってバルーン、風船と向き合ってほしい、と思っています。だからホームページも作品集も残すことにします。

2015年10月6日火曜日

就職はゴールではない!

こんばんは。

一部就労移行支援事業所で、数字稼ぎのために、就職実績を上げようとしているところがあります。
ごく一部の人たちは、就職することを目的に動こうとしています。

これらは全部誤りです。

私の周囲で、就職した後の成長が著しい人の話を最近聞くようになりました。

就労移行支援も、就職後の定着支援は最大3年まで続ける必要があるといわれ、制度もそのように改められました。

今私は複数の仕事を掛け持ちしています。
そのうちの一つがバルーンの仕事です。

他方、バルーン業界の現状の厳しさは相変わらずです。

ですから、私は現在
仕事につきながら転職活動を行っている
状況にあるのです。

このような状態の場合、
「障害福祉サービス受給者証」は発行されない
のが現状なのです。

そのような私は、
障碍者就業・生活支援センター、通称
なかぽつ
が支援のかなめになるべきところなのですが、現状主治医直轄のカウンセラーとハローワークの担当カウンセラーの二人が中心となって支援に動いている状況なのです。

このようなある意味特殊な状況下にあり、加えてつい最近まで妨害以外の何物でもなかった両親が現状をかき回していたという、極めて異例ずくめの状況だったのです。

ようやく私の両親も当たり前のことに気づきました。
就職はゴールではない
ということに。

就労移行支援最大手のあの会社も、今は就職率ではなく、定着率の方を最重要視しています。
1年、2年、そして3年と、長く働き続けることが重要なのです。
そのためには、安易な就職ではいけないのです。

少なくとも日本では、
どれだけ長く一つの組織に属していたか
の方が重要なのです。
どれだけの仕事の実績があるか
ということはそんなに重要視されていないのです。

ただ一つだけ確かなのは
就職をゴールにすることがいかに危険なことなのか
ということだけです。
それを取り違えると、取り返しのつかない過ちを犯すことになります。

2015年10月4日日曜日

自分を親に合わせてゆがめようとしていた

こんにちは。

とうとう両親が毒親であることを認め始めました…

母親は完全に「白旗」
父親は「自分が人生を謳歌することは一度もなかった」と白状…

背景にあったのは
自分の人生を謳歌していた私に対するねたみや僻み
があった可能性が高くなってきました…

こうなると家族療法の出番です。
私が一番信頼できるカウンセラーと父親を会わせることにします。

そして私は
自分を親に合わせてゆがめようとしていた
ことがわかりました。

儒教、朱子学…
全部親の価値観に私を合わせるためでした。

自分もゆがみ切っていた
のです。

そういう私にもかかわらず、風船をお願いしてきた人たちにいちばん感謝したいです。
そしてこのブログを通して陰ながら私を応援してきた人たちに…


ただ、私はこれで完全復帰するわけにはいきません。
バルーン業界を取り巻く環境は、年々厳しさを増しています。
少子高齢化
世界情勢(特に中国・インド・中東・ロシア・アフリカ)とそれに伴うヘリウムガスの需給圧迫、そして価格暴騰
イベント・ブライダルの市場縮小

主にこの3つですが、その結果
バルーンだけで生計を立てるのが非常に困難になっています

現在私は
バルーンで生計を立てることが可能か、再度精査しています。すでにバルーン「だけ」で生計を立てることは不可能、という結論に達しており、いくつかの仕事をして、そのうちの一つにバルーンを組み込むことを目指しています。
一方、この数年間に撤退したところもいくつかあると聞きます。
それだけ
状況が厳しい
のです。

働き方の多様化でそれが可能なのか
それとも
社会の保守化の進行でそれが不可能なのか

焦点はこの一つに絞られています。
全体の流れは残念ながら「保守化」の方を向いていると私は思います。
これまで述べてきた「価値観を基準にした企業経営」などはその一端でしょう。
現在の安倍政権は「保守化」を後押ししています。一方で働く環境は厳しくなる一方です。
ブラック企業は絶対に無くなりません。たまたま昨年いた企業は数少ない「ホワイト企業」でした。

正直な話
私はバルーンから完全に身を引いても構わない
と思っています。
環境がそれだけ大きく変化した以上、未練はありません。
私が答えを出すことはできません。
私の答えは
市場
にあるのです。
市場が求めていたら続ける
市場が求めていなかったらやめる

ただそれだけなのです。

それでも一つだけ絶対にやりたくないのは
投げ出し
です。

やめるのなら、後継先を見つけるなど、責任をもって身を引きたいです。
そのための出口戦略なのです。
3年前に「鬱症状でこれ以上受注できない」と判断したとき
2年前に「もう営業継続不可能」と判断したとき
顧客のいる状態での投げ出しだけはしませんでした。
受注できないお客様には事情を正直に話して、丁重に断りました。
2年前はそういうお客様が複数出ました。
投げ出しをすると、今まで築いてきたものがすべて無に帰します。
投げ出しだけは絶対にしません。

2015年9月28日月曜日

就労訓練と企業の価値観と…

おはようございます。

世間では障がい者合同面接会なるものが近づいています。
年に2回ある求人のピークの一つで(もう一つは1月下旬~3月中旬。このため私は2月、就活に集中していた)、この日のためにどこの就労移行支援事業所もみっちり練習を積みます。
今年は例年になく求人が多いこともあって、私も
ダメ元
で参加することにします。

こういう「ダメ元」で参加してみて、採用されるケースがまれにあるようなので、私も参加するのですが、この日のために面接練習を何度も何度も繰り返す就労移行支援事業所もあります。
それだけではありません。就労移行支援事業所によっては、ノックの回数から礼の仕方から、細かく訓練しているところもあると聞きます。さらには「履歴書」や「職務経歴書」だけではなく、「自己PR書」や「志望動機書」まで準備させるところさえあるのです。
もっと言えば、ボイストレーニングをしたり、「えー」「あのー」といった癖を消す訓練までするところもあります。ここまで来ると
調教合戦
の様相を呈してきます。
一方、今の企業は、というと、価値観が一致することが最も重要な採用基準というのが現状なのです。その先の主張はリンクしておいた私の先月の記事を読んでいただければわかるか、と思います。
とある就労移行支援事業所のブログに
準備の限りを尽くしたらおのずと結果が出る
あとは企業の価値基準にかかっている

とありました。この「企業の価値基準」というところが重要で、それが合わないと、
どんな万全な準備も徒労に終わります。

私は経営者をやっていた経験がありますので、いろいろな人を雇った上で、価値観の違いについて考えたことがあります。
結局長く務めることができる人は
価値観があっている
人なのです。
恐らく、そういう視点で面接をしてくるでしょう。

この2月、最終面接で落ちる、という経験を私はしました。
原因は「価値観の違い」ただその一言でした。
内容で優れていても、価値観が合わなければ努力は水泡に帰す、ということを痛感し、以降私は
自分の器を一度空にする必要があるのではないか
というところまで考えるに至ってしまったのです。相手に価値観を合わせるには、一度自分を空にしないといけないところまで、今の社会は行ってしまったのです。その原因が社会の飽和にあることは、私も以前述べました(上記リンクの記事)。

そこにあるものは、
理念への共感→教化へのあくなき努力→同質性の追求→エリート主義…そして…洗脳…
カルトと同じだ!

ちょっと待てよ!?これ…
今のバルーン業界と同じじゃん!
恐ろしいことに気が付いてしまった…
私の母親の主張にたどり着いてしまう…


結局、発達障害や自閉症に苦しむ人たちの就労が厳しくなることにつながってしまう。

発達障碍者の就労問題、どこに答えがあるのだろうか…

2015年9月22日火曜日

40年前の自分、22年前の自分に…

こんにちは。




思うところがあって上の景色が見えるところに行きました…

というか
♪迷子の迷子の大猫さん
♪あなたの答えはどこですか


という状態が長く続いています。

というわけで、上の景色が見える都市に行ってきたのです。





私が3歳か4歳の時に一人でふらっと家を出て、ずっと座り込んでいたという神社。
写真は取らなかったが、この神社の鳥居を見た時、その時の記憶がよみがえってきた…40年前、幼少期の私が見た景色はこれだったのでしょうか…
警察も出動する騒ぎになり、夜になって警官に見つけられ、ものすごく母親に怒られ、殴られ、ひたすら泣いた記憶が今でもあります…
というか、母親はいつもその母親(=私の祖母、すでに故人)に厳しく怒られていたらしいです(本人談)。ちなみに私の祖父母は当時、この都市に住んでいました。

当時の私は、自閉症でした。(今の発達障害はその名残である)
言葉がしゃべれませんでした。
どこの幼稚園にも保育所にも受け入れてもらえず、母親はひたすらその両親の呵責に耐えていたそうです。
そして躾を厳しくすることが子育ての正解とされていて、それが常識だった時代だったのです。

さらに言えば私は「就学猶予」になっていた可能性もあったのです。
就学猶予についての「ソウス」
当時は、就学猶予・就学免除という制度が残っていたからです。当時は、自閉症のお子さんは、御両親が非常に強い御意志を示されて、そして周囲のバックアップがあって、普通学級にお入りになるという方がごく一部いらっしゃっただけでした。今思うと、かなり高機能の方です。あとの方は殆どが就学猶予でした。そして児童学園というところ、または、このデイケアのようなところにお入りになるのですが…(以降省略)
引用ここまで
私の両親が目指していたのは、色が濃い部分だったのではないか、と思います。何しろ当時でも珍しかった「自閉症を治す手術」を別の都市の大学病院で受けたくらいですから。結果は
自閉症が「高機能自閉症」になっただけでした。
それでも小学校では普通学級に入学できました。というより「自閉症は治った」とつい数年前まで思っていたそうです、私の両親は。



その後、この都市特有の「坂の街」を体感すべく、路線バスと徒歩で山の中腹を歩くと、このような景色に出会いました。
ほぼ同じ景色を22年前に眺めていました…

当時私はこの都市にある大学の4年生。当時もうすでに氷河期でしたが、バブル期から一転した状況に戸惑い、そして何より情報不足でした。それでも何とか内定を2社から得たのですが、1社は親の紹介で内定を得たも同然で、それをけってあえて給料も安い、休日も少ない、労働条件が悪いバス会社の方を選びました。さすがにこの件は親が根に持つことはありませんでしたが…

そして大学生活も残り半年、卒論をまとめるためにこの都市を含めた九州の主要都市を歩き回っていました。

今回私はこの都市のバスに1日乗り放題のチケットで乗っていたのですが、多かったのが
高齢者専用定期券
この都市のみならず、この都市以外を運行するこのバス会社のバス全部に1か月6000円で乗り放題の定期券の利用者が圧倒的多数でした。坂が多く、高齢化が進行している都市ゆえの現象でしょう。私は坂の多い都市とそれ以外では路線バスのシェアが大きく違うことと、吸引力の大きい都市への高速バス需要が大きくなるという予測を自らの卒論で立てましたが、それ以上の変化をしてしまいました…結果、坂の多い都市以外では車社会が進行し、さらに今では自転車が主流になっています…結果、バス会社にいるより風船屋をやった方が地域社会に貢献できると判断するまでに至りました。地方に行けばいくほど、路線バスはもはや「福祉」になっています。過疎地では80歳、90歳になっても車が生活必需品で、認知症を患った高齢者の無謀運転が問題になっているくらいですから…

しかし、本当の目的は別にありました。
この都市にあるとあるバルーンショップを訪問することが目的でした。
結論から言うと、
行って正解
でした。
以前「私と同じ主張をするバルーンショップのオーナーさんがいる」というようなことをこのブログで延べました。その方に会いに行ったのです。
バルーン業界のあるべき姿、将来どうあるべきかについてなど、約3時間も延々と議論できました。
それでも私はこう思いました…
やっぱり厳しい…
詳細は後日。

2015年9月20日日曜日

本当に需要がないのか?

こんにちは。シルバーウィーク真っ只中です。
シルバーウィークは6年前、2009年にもありました…
6年前のシルバーウィーク…

19日土曜日…スパークバルーンシャワー2組。
長崎県の離島に送ったバルーンに不具合。
午後6時に代替品を用意して車で博多港へ出発。
この時はとても公にできない「暴走」レベルのスピードで高速道路を走った記憶がある。午後9時ごろに博多港に到着。博多港から定期便フェリーの「航送貨物」としてバルーンを送り、最悪の事態は回避。
ちなみにこのバルーンは20日の結婚式で使用された。
博多港近くのラーメン店で博多ラーメンを食べたのち帰宅、午前2時。
20日日曜日…ドロップアンドフライ1組・バルーンリリース1組・ドリームバルーン演出1組・スパークバルーンシャワー2組
21日月曜日…午前4時にスパークバルーン4個を積んで大阪へ出発。3個を午前9時前に大阪近郊のホテルに納品(1組の新郎新婦様が3個もご注文いただいた)、残り1個は正午前に姫路市内の結婚式場に納品。この日は高速道路が渋滞だったため、箕面→三田→吉川→社町→姫路という経路をたどった。スプリング8とかいうところの近くを通り、奥津温泉に立ち寄って疲れをいやしてから帰宅。いずれも翌22日使用分で、シルバーウィークによる流通混乱を予想して自分で持って行ったのです。(当時私はこれを「自社便」と称していた)
22日火曜日…バルーンリリース1組・ドロップアンドフライ1組・スパークバルーンシャワー2組。
23日水曜日は何もなし、疲れ果てたので家で静養。
他にも宅配が数組あった記憶がある。合計14組+αの新郎新婦様の最高の瞬間を彩った…


当時いたスタッフやアルバイトをかなり動員したとはいえ、よくこれだけの組数をこなしていた…というよりこれだけの需要があったのです…。

2015年の今。
広島市内の結婚式場をこの2日間で見て回ったのですが、
どこもバルーンを使っている形跡がない!

そして「バルーン 結婚式」でググってみると、
先週末私が手がけたバルーンデコレーションが別々のページで表示される結果に…。

これはもう、
需要が減っているといわざるを得ません。
一方で、
こだわる人はこだわるのです、バルーン演出に。

私は今、すごく迷っています。
完全に引退すべきか。
それとも
複数の収入源を用意し、その中にバルーンを組み込むか。

正社員としての就職は、私は望んでいませんし、年齢面から見てもおそらく困難でしょう。
ところが、最近は臨時職員や契約社員にも副業禁止規定を適用する動きが見られます。背景には「マイナンバー」制度が絡んでいます。その上、バルーンを続けながらほかの仕事をするとなると、完全週休2日の企業に限られ、制約が大きすぎるのです。
正直私は土日休みにこだわっておらず、仮にバルーンを完全にやめるのなら、むしろ土日出勤の会社の方がありがたいですし、そればかりか年間休日65日くらいでも構わないのです。
一方では働き方の多様化が進み、複数の収入源を確保する働き方も今後増えるという見方もあります。

私は今後のバルーンの需要がどう動くかによって、今後の人生を決めたいと考えています。だから需要動向や市場調査はとても重要です。
ただ、以下の点ははっきりしています。

バルーンブライダルの需要はもう伸びない、縮小の一途。
やるとしたら本当にやりたい人だけにやってあげたい。
新たな投資はもうできないし、するつもりもない。

          ↓↓↓↓↓
バルーンだけで生計を立てることはしたくないし、すべきではない。
仮にバルーンを続けるのなら、いくつか仕事があるうちの一つとする。


今後私がバルーンを生かす場としては…
うつ等の精神障害・発達障害・ひきこもりに苦しむ若者などが社会に足を踏み出す場としてバルーンを活用する。
児童デイケア・高齢者デイケアといった場でのバルーンを活用。(児童デイケアでは感性を養い、高齢者デイケアでは認知症の予防になる)

という具合に、福祉分野での活用を中心としていきたい。
そして、自らの経験を次世代に生かすために…
次世代のバルーンデコレーターを育成していきたい。若くやる気のある人材を育成することによって、バルーンの需要が広がり、業界が活性化する

もう私は、表舞台に出るような人ではありません。
これまでのやり方では失敗を繰り返し、傷を大きくするだけです。当然多くの人に迷惑を掛けます。
そのため、最低限の需要があるのかを重点的に調べているのです。

仮に最低限の需要を満たしていない、という結論に至ったら、出口戦略の策定に移り、完全引退する方針です。
最低限の需要とは、私一人が生計を立てれるかどうかなのです。

2015年9月16日水曜日

バルーンデコレーター…豊かかつ成熟した社会だからこそ生まれた職業

こんにちは。
このブログは、10年以上の長きにわたって「バルーンデコレーター」=「プロバルーンアーティスト」であった私が、長年の無理の結果鬱症状を呈して仕事を失って実質ニートになり、そこからどうやって這い上がるか、ということを中心に多角的に述べています。
このブログにはところどころ引用もあります。それは「なぜ私が長年無理をせざるを得なかったのか、そしてその本当の原因はどこにあるのか」を明らかにするための引用であり、論拠なのです。

今思うのは、仮に2012年5月の危機を乗り切ったところで、そのあと訪れた2012年11月から2013年春ごろのヘリウムガス払底という危機は乗り越えられなかったに違いない、ということです。
今にして思えば、2012年がやはり限界だった、ということでした。
その後バルーン業界もブライダル業界もトレンドが激変し、私が目指していた方向とバルーン業界の大きな流れが全く違う方向に向かってしまい、仮にあのまま続けていたらもっと傷口が広がっていた、というのは間違いなかったと痛感しています。
何しろ2013年の上半期、とりわけ2012年の12月から2013年の4月ごろまで、ヘリウムガスの入荷は困難を極め、何もできないという状態に陥っていました。その中から生まれたのがバルーンスタンドだったのですが、私にそこまでの気力が残っていませんでした。
結局ヘリウムガス払底とそれに伴うトレンドの激変が私に引退を決意させる最大の要因となったのですが、ヘリウムガスの供給は2014年になると以前のように回復しました。
他方私は、これまでの経験を生かせる場はないのかという模索を続け、最終的に福祉という全く違う角度からバルーンを見てみたところ、
これはいかせる
と判断、今年春以降広島市内のとある就労移行支援施設と二人三脚でバルーンに取り組んでいるのが現在の状況なのです。
ですから、私は以前やってきたようなことは、基本しない方針です。
私にお願いしたい、というオファーがあれば、その時はもちろんやります。
私がこれまでやってきたことは、若いバルーンデコレーターの皆さんに、どんどんやっていただきたいです。もう私は「ベテラン」の域を超え、「老兵」に近づいています。

そのような今の状況ですが、そもそもどうしてバルーンデコレーターが「職業」として成立するようになったのか、社会背景を考えてみました。
江戸時代から明治維新、世界恐慌、第二次世界大戦、そして高度経済成長期からバブル崩壊直後(平成5年=1993年ごろ)までを振り返ってみるのにいい本がありました。
「ひきこもりと家族トラウマ」(服部雄一著、2005年、NHK出版
上記著書より引用
昔はひきこもりはいませんでした。たとえば江戸時代の若者がひきこもっていたという文献は見たことはありません。それどころか、戦後、経済成長前の貧しい日本でもひきこもりはいなかった。ひきこもりが社会的な問題として登場してくるのは、80年代後半のバブル期あたり、そして新開などで取り上げられ始めたのはバブル崩壊後です。
 なぜ、ひきこもりは日本経済が破綻した頃に斯在化したのか。その問題を解くキーワードは「豊かさ」だと、私は考えています。個人を否定する日本では昔から、ひきこもりが生まれる素地があったのです。しかし、貧しい時代は、それが問題にならなかった。誰もが食べることで必死だったからです。

人口の減少に加えて、経済、教育、政治、社会システムの崩壊が続きます。この崩壊の原因になるのが「システムを変えられない日本」を作る「和の文化」です。和の精神を重んじる日本社会は「自分からは方向を変えられない」という致命的な欠陥をもち、そのために社会崩壊が進んでいきます。しかも、その問題を見ない「臭いものにフタをする習慣」が問題を悪化させています。(中略)
 日本人は、今度は子どもの感情を抑圧する日本的しつけと教育を変えられずに、子どもを病気にしています。

引用ここまで

少なくとも上記著書から言えるのは、高度経済成長期まで日本は貧しかったのです。貧しいということはすなわち「生きていくために働かなければいけない」ということであり、生活、暮らしが最優先の時代だったのです。
さらに日本は「農耕社会」。親の生き方を子供に押し付けるのが正解でした。それに大きな役目を果たしたのが
儒教
でした。

こうしてみると、二つのことが見えてきます。

まず、私と両親の衝突ですが、これはもはや
文明の衝突
レベルと言わざるを得ません。言い換えれば
宗教戦争
レベルです。親と子供の思想が根本から違うのですから、もはやこれはどうしようもありません。過去から現在に至るまで、宗教対立および思想対立が戦争の大きな原因であることに変わりはありません。私の場合、不幸にも家庭内で思想対立が起きているのです。すなわち
古い日本的な行動様式と近代的な自我の衝突
が家庭内で起きているのです。もはやこうなると、自浄作用が働きません。母親もこの衝突を経験し、古い日本的な行動様式に取り込まれてしまい、結果自分で自分を苦しめているのです。

もう一つですが、社会に余裕が出てきた、豊かな社会になったという観点から見ると、
豊かゆえに生き方が多様化した
ということが言えます。その中で生まれたのがバルーンデコレーターという職業なのかもしれません。女性の社会進出はそれを後押ししています。
高度経済成長期、風船といえば
単なる子供のおもちゃ
でした。
しかし今では
空間を華やかに彩るアイテム
であり、そして
人々に感謝の気持ちや幸せな気持ちを伝えるメッセンジャー
としての地位を確立しています。
日本では、前者よりも後者の方が主流になっています。私は前者の方のバルーンを志向していました。しかし今の主流は後者。前者と後者に求められる素質は大きく異なります。後者に求められるのは「コミュニケーション能力の高さ」であり「他人に感謝できる人」です。
これらは
親に感謝できる人でないと高めることができません。
前者はそうでもなく、むしろ想像力とそれを形にする技術が重要です。

海外でも日本でも、フラワーショップとバルーンショップの融合が進みつつあります。共通しているのは
人々に感謝の気持ちや幸せな気持ちを伝えるメッセンジャーとしてのアイテム
であり、同時に
社会が物質的にも精神的にも豊かになった
ということなのです。

昨年だったか、韓国で花の消費量が減っている、ということが言われていました。
私は日夜世界のバルーン業界の動向を見ていますが、韓国はバルーンの需要も伸びていないような印象を受けます。というか数年前まで急速に伸びたものの、そこで頭打ち、というような印象がします。
韓国は物質的にも金銭的にも豊かになりましたが、異常なまでの競争社会で、自殺率も日本の倍以上という状況です。加えて儒教が最重要視されている(すなわち親の考えが絶対である)国で、結果精神が貧しいままの状況になってしまったのかもしれません。
そうしてみると、精神的な豊かさとバルーン、風船の関係はある意味密接なのかもしれません。

2015年9月7日月曜日

ビジョンも価値観も必要ない??

おはようございます。
昨日は親のあまりのひどい発言にドメスティックバイオレンスが発生し、後片付けが大変でした…
怒りのあまり↓のような記事を書きましたが、アメンバー限定にさせていただきます。とても読むに堪えられないような内容ですので。

その親のひどい発言ですが、
私の40年近くの会社人生、やり遂げたことは一つもない
というのが父親の発言。
耐えることが生きること
というのが母親の発言。

こうなると価値観の違いと言わざるを得ません。
つまるところ、私の両親は
なりたい自分がなかった
のです。

ただがむしゃらに働けば豊かな生活が手に入る…
これが高度経済成長下の日本のスタンダードだったとはいえ、あまりにも悲しすぎる人生だと私は思いました。
とどのつまり、私の両親は
人生を謳歌することがなかった
のです。

このような両親が、子供の人生を謳歌する姿を見ると、
子供に反感を覚えることがある
そうです。
こうしてみると、「本来やってはいけない行為」を繰り返す私の両親の一連の行動も理解できます。特に母親はある意味哀れです。薩摩藩の郷中教育由来の厳しすぎる躾を受け、それが当然だと反抗することもなく、その結果子供にも同じように暴力を伴う厳しい躾を行ってしまい、結果自我に目覚め、自立してしまった子供に対し過干渉をした…背景にあるのは子供への依存であり、最後は
共依存
になってしまったのです。
一方で父親は確かに仕事で不在がちでした。その一方で暴力もありました。その父親もまた
ただ目の前の与えられた仕事をこなすことだけに専念していた
のです。そこにはビジョンもなければ、理想もありません。

一方の私は、ビジョンも価値観もあります。理想は見失いましたが、ビジョンと価値観は少なくとも両親よりははるかにしっかりしています。10年以上のプロバルーンアーティストの経験で、両親が築くことができなかったビジョンや価値観を作ってしまったのです。
そして今、企業経営は「価値観の共有」という方向に流れ、入社時の選考において最も重要視されるのが
提示した企業の価値観に自らの価値観がいかに近いか
ということなのです。たびたび最近取り上げている
「誰をバスに乗せるか」
ということが最重要視されているのです。どれだけ応募書類を綿密に準備しようと、どれだけ面接対策を重ねようと、企業の価値観と合わなければそれまでなのです。今、組織の一員になるということは、そういうことが求められているのです。
時代は20年前と大きく変わったのです!

そのために言われているのが
組織再社会化
学習棄却
自分の器を空にする

という、一連のことなのです。一度自分を壊し、空にしないと組織に入れないという状況が起きているのです。それには自ら築いたビジョンや価値観は邪魔ものにしか過ぎないのです。

自ら築いたものを壊して、新たな自分を作るには、少なくとも数年の時間がかかるとされています。その過程を通して再就職活動をするとなるときわめて厳しい状況になるのは自明の理で、しかもそのようなシステムが日本には非常に少ないのが現実なのです。私が知っている限りでは
管理者養成学校(=「地獄の訓練」)
ごく一部のブラック企業

ぐらいしかありません。これらに入れば短期間で価値観を変えることができるとされています。

この現実が両親はわかっていません。それどころか現実を分かろうとしません。だから私は爆発してしまったのです。
かくいう私はビジョンの再構築が進みつつあります。もちろん今まで築いた価値観がベースです。これが現状一番早い自立の方法であると私は考えています。

そして就労移行支援施設。
価値観を見つけることができなかった発達障碍者などが価値観を見つける場になりつつあります。そして価値観とビジョンを築き上げて、就活に臨むという場所なのです。
価値観とビジョンのない状態での就活は空転を繰り返すのみです。
そればかりか、
価値観とビジョンに逆らう就活は空転を繰り返すばかりでなく、自家撞着を惹き起こし、自己存在感を喪失するもととなり、最後は破局的な結末を迎える危険すらあるのです。

2015年9月3日木曜日

マジックに騙されるな!

こんにちは。
私の母親の呆れる一言。
「宝くじは買わないとあたらない。求人は応募しないと採用されない」
母親の口癖。
「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」
母親のポリシー。
「入った会社に自分を合わせろ」

もうあいた口がふさがりません。
というか、これらの考え、
時代錯誤も甚だしい
です。昭和30年代後半までの思想です…これは。
というか、私の家は
昭和のまま
です。父親は時代錯誤であることを開き直っています。そして口癖が
「今のルールはおかしい」
です。
昔のルールなら、私をどこかにねじ込めば安心…という考えなのかもしれません。

今日はこれが本題ではありません。今日の本題はこれからです。

専門的・技術的職業…0.63
事務的職業…0.16
サービスの職業…1.11
生産工程の職業…1.45
建設の職業…2.34

清掃等の職業…0.43


これは2015年7月の職種別有効求人倍率です。パートを含みます。
要は何が言いたいのか、というと、
有効求人倍率が1倍を超えている、と言っても、それは限られた業種が吊り上げているだけのこと
なのです。昔から言われる「雇用のミスマッチ」が何も変わっていないどころか、ひどくなっているような印象がします。

そうなると、社会情勢に応じた能力改造が必要になるという発想が、昭和的考え。

しかし、これは至難の業です。
そこに「数字のマジック」が隠れています。

それだけではありません。
先日の「桶の理論」の話

そこにもあるように
問題の根本の原因が何かを突き止め、それを解決することをしないと、問題はこじれる一方である
のです。

私の場合、そもそもの問題が
発達障害(=自閉症スペクトラム)
なのです。両親はこれを治ったものとして否定しています。ところが実際は
治ったように見えた
だけだったのです。時代の変化、高度コミュニケーション化社会への変化が深化するにしたがって、マジックが解けてしまったのです。
親はマジックをいまだに信じています。私はマジックの正体を見てしまっています。その結果、
自業自得
としか言いようのない状態に陥っています。

こうなると、自分が自立するためにできることは何か、を考える方が先決です。ところがここで問題が…

の問題にぶち当たります。
戦前、そして高度経済成長期までの家庭では「孝」が最重要視されていました。昔ながらの「家父長制」であり、「イエ」意識が強く、それらのバックボーンが「孝」に代表される儒教だったのです。

結局、私の場合、
自分の自立と親孝行がトレードオフの関係になってしまっている
のです。このような状況はそうめったにないのですが、こうなると
地獄の苦しみ
に双方が落ちてしまうことになります。「あれ」が関係しているのは言うまでもありません。

2015年8月26日水曜日

就職と結婚…価値観の共有について考える

こんにちは。
よくこのようなことが言われます。

就職と結婚は似ている

いずれにも共通するのが
価値観の共有
です。

今、離婚が増えていますが、どちらかが価値観を無理に合わせようとした結果、夫婦間のいさかいが多くなり、離婚に至るのです。
一方、転職の現場では、仕事内容と能力のマッチングよりも、価値観のマッチングの方が重要という状況が続いています。その端的な例が
「誰をバスに乗せるか」
であり、
「飲み会でない、キックオフだ」
というキャッチコピーだったりするのです。

この視点で行くと、転職活動も婚活も(もちろん就活も)、
自己分析や能力云々というのはあまり意味がない
ような気がしてきます。事実恋愛がそうで、フィーリングや直感といった、具体的に表れないものが重要なのです。
その背後には、親からどのような育てられ方をしたか、というのもあるでしょう。
その点でも、幼少期の子供に対する親の接し方は非常に重要で、ここで暴力や虐待、条件付きの愛情といった間違った子育てをしてしまうと、一生涯子供がそれに苦しむことになります。
もちろん自己分析や能力向上といった努力を否定するつもりはありませんが、就職の決め手は
「この人と一緒に仕事をしたい」
と思わせるか否かなのです。
どんなに努力を積んでも採用に至らない場合、その人が醸し出す長年にわたって培ってきた人柄というオーラに問題がある場合があり、その原因が幼少期から今に至るまでの親の接し方に問題があることがあります。いわゆる「毒親」及び「アダルトチルドレン」です。
子供に自閉症や発達障害の傾向がある場合、適切な療育を行えば将来にわたる影響は少なくて済みますが、ここで障害を無理やり矯正しようなどとすると、将来親は手痛いしっぺ返しを食らうことがあります。自分もそうでしたが、髪の毛などをむしる行為が子供にみられた場合、それは
親が子供にストレスを与え続けた
結果であり、将来大変危険です。
不登校・ひきこもり・ニート【スネップ】
家出・リストカット・非行(犯罪行為)・依存症

ひどいと
自殺・殺人(→死刑囚になってしまう)
に至る恐れがあります。
そうでなくても、親が子供にストレスを与え続けると、
子供は親に感謝しなくなるばかりでなく、
将来親に敵意を抱くことになります。
そのような人は
自己肯定感及び自己評価が低いので、自己承認欲求が高くなる一方、他の人に喜ばれることをしてもそれがうわべだけに思われてしまう傾向にある
のです。どこか鼻についてしっくりいかない、という印象はここから来ることが多く、そのような人はどんなに努力しても報われないという空しさに襲われることになります。

このような苦しみや空しさを感じる人が、他の人の価値観に合わせられるようにするにはどうすればいいのでしょうか…

一つ答えがあります。
それは
価値観を持たない
ということです。
すなわち、以前から述べているように
自分を空しくし、学んだことを自ら捨て去り(学習棄却)、自分を真っ新にする
ということになるのです。

もう一つの答えが
自らの価値観を主張する・築き上げる・強化する
ということです。というか一般論はこちらです。普通はこちらを選択すべきでしょうし、100人中99人、こちらを選択した方が正解ですし、発達障害がある人の就労移行支援も、こちらの方法を取るべきという指導を行っているケースがほとんどです。その中で自己肯定感を高める訓練を行い、結果就職できるのです。

ところがこの方法が通用しないケースもあります。私のようになまじ「一度夢をかなえ、その後自らの立ち位置を失った」ケースで、自らの価値観を主張したり強化したりしてもうまくいかない場合があります。その場合必要になるのが
価値観を捨て去る
という考えです。
しかし、この種の訓練のノウハウが現状ないのです。考えられる方法が、禅寺での修行であったり、「地獄の特訓」の類といったスパルタ研修ぐらいしかない現状なのです。いずれも自らの価値観を一度完全に捨て去って真っ新にできます。そこまでしないと再就職できない人がわずかながらいる現実があるのです。どうしてそのようなビジネスが生まれないのか…不思議でなりません。やはり
人権意識
がそのようなニーズを阻んでいるのでしょうか…以前某社員訓練の会社の社長が「人権はペスト菌」みたいなことを発言して問題になりましたが、ニーズはほんのわずかでもあると私は考えています。
これを読めば参考になるかもしれません…

2015年8月24日月曜日

飽和状態から生み出すものがないと価値観だけが頼りになる

おはようございます。
また長崎に台風が来そうです。一方でこの週末はピーカン…土曜日は外出しましたが、日曜日は急きょ在宅勤務…他のチームの仕事が大幅に遅れていた模様だったので、約4時間かけて他のチームに割り当てられていたデータ入力をこなしました。
このデータ入力が今週はピークです。一方で今週末には就労移行支援×バルーンプロジェクトの大きな山が…
久々の週休0日!
バルーンのプロジェクトについては後日改めて述べるとして、今の感想を述べると
とんでもなく話が大きくなっている!これを成功させたら大きな自信になるのは間違いない
ということです。
どうなるでしょうか…

さて、最近「企業における働き方」に関する事柄がネット上でいろいろ出てきており、いろいろなものを読んでいます。その中で印象に残ったのが一つ。
会社というところは理不尽なところである
20代の時の上司との相性でその人の人生が決まる
会社組織というところは「バスでどこに向かうか」ではなく「誰をバスに乗せるか」というところである

結局
会社と価値観を共有できない人が脱落していく
のです。ここでは
職業意識やプロ意識は邪魔ものに過ぎない
と評価されています。
この論拠、ジム・コリンズ著のベストセラーになっている「ビジョナリーカンパニー・飛躍の法則」の第2巻にあるようです。

この視点で行くと、もはや面接対策もへったくれもありません。
価値観が一致しなければ採用に至らない
のですから。どんなに面接対策をしても、どんなにしっかりとした応募書類を作成しても、価値観が違う、ただそれだけでジ・エンドですから。
だから私は
従順な「人手」になるための訓練が必要なのではないか。そのためには今までの経験や学んできた知識、すべてを捨て去って、器を大きくするばかりの「人間陶冶道場」みたいなものが必要なのではないか
と考えているのです。それが以前から述べている
学習棄却
なのです。

なぜこのような状況になるのか、というと、今の日本は
飽和状態
にあるからなのです。10年以上続いているような印象がします。
飽和状態なので、新しい市場を生み出そうという気概も感じられません。

この飽和状態
実はバルーン業界も当てはまっているのではないか
と私は考えています。

この1,2年、バルーン業界で新たな市場を生み出そう、という気概が感じられません。私が鬱に倒れた3年前と時を同じくしてヘリウムガス払底騒動が起こりました。この時流行したのが「バルーンスタンド」でした。その結果、夜の街でのバルーン需要の掘り起こしに成功し、今は安定しています。
しかし、私はこの恩恵を受けることがありませんでした。それどころか実は、倒れる少し前から夜の街でのバルーン需要をつかみ始めていて、ただでさえこのころは結婚式二次会需要もあり、一方で原価高騰が始まりつつあったころで、
利益なき繁忙
に陥っていました。長年の疲労が蓄積されていたところにこれが起きていたので、長時間労働の連続、精神も身体も限界に差し掛かりつつあったころでした。その一方で受けたい仕事を断るなど、やりがいにも疑問を感じつつあったころでした。そして1日3組も大がかりな演出が集中し、それが全部失敗…演出事故となり、大返還…
これがきっかけとなって鬱が判明、休業に追い込まれました。その後少し落ち着いたので再開しよう、と思っていたところに追い打ちをかけたように
ヘリウムガス払底
私は「バルーン市場は大きく縮小する」と判断、しばらく様子を見ていましたが、最終的に「やはりこれは撤退やむなし」と判断しました。
一方このころ行われていたバルーン業界の取り組みはというと…ヘリウムガスを使わない装飾や演出の開発を進めていました。生き残るためには必死ですから、様々なアイデアを出しています。
その後カタールやロシアルートの開拓などもあって、ヘリウムガスの供給は落ち着きましたが、ヘリウムガスの価格が高止まり。アベノミクスによる円安もあって、ヘリウムガスの価格はさらに高騰しています。
結果、このようなことになってしまいました

私の予測通り、
バルーン市場は縮小してしまったのです。

私は
あの時点で撤退したのは間違いではなかった
と思いました。
一方で、
意外なところにバルーンのニーズがありそうだ
と思いました。

昨年の3月、私はカウンセリングのため、心療内科に通っていましたが、心療内科の近くに
えっ!?
と思うものを見つけました。
何と、
就労移行支援事業所が、窓にたくさんの風船を飾っていた
のです。
ハローキティ、ミッキー&ミニー、その他いろいろカラフルな風船が…
ただ
膨らませて飾っているだけでした。

数日後、私はこの就労移行支援事業所を訪問しました。そこでバルーン教室を実施することになりました。
そして1年が過ぎ、
障害者・高齢者・児童福祉でバルーンが役に立つのではないか
と判断、今その市場開拓をしているところです。
このような取り組み、全国的に珍しいそうです。というか、
全国の先駆けになりそうな感じがしてきました。

2015年8月19日水曜日

適職と天職?天職から転職?

おはようございます。
夏が終わります…夏に弱い私にとってはありがたいです…

さて、適職と天職の違いについて非常に興味深く、かつ勉強になるサイトを見つけました。
ソウス(キャリタス転職より)

それによると
適職とは
・自身が持つ能力や資質をいかし、お金を得ることができる職業
・生きていくために必要な職業
・仕事の喜びより、収入を得られるかどうか  etc

天職とは
・生きがい
・お金になるかどうかに関係なく、好きで好きでたまらないこと
・時間がたつのも忘れてしまうほど、没頭できること
・達成感も高く、心が打ち震えるほど喜びを感じること  etc

要は
収入
達成感
自己実現

という三つのキーワードに収れんされます。

実は、私にとってバルーンアーティストはまさに
天職
でした。
すべてに当てはまりました。加えてある程度収入も得られる状態でした…適職と天職が重なるという、非常に幸せな状態が10年ほど続いていました。どういうことなのかというと
自らの能力や資質…想像を形にする空間構成力…だからあれだけの作品を作り上げることができた
ブライダルやイベントという一大市場が存在していたので、収入が確保できていた。当然それで生きていくことができた
風船が好きで好きでたまらなく、時間を忘れるほど没頭できた…20時間も風船を膨らませ続けたりすることに全く苦を感じなかった
全身を突き抜けるようなとてつもない快感を仕事を通して何度も味わうことができた…自ら考え出し、練りだしたバルーン演出が成功したときの快感を何度も経験した。そればかりか、多くの人にいつまでも心に残る感動の瞬間を何度も創り出すことができ、今でも多くの人々の心にそれが生き続けている…






私が創り続けてきた感動の瞬間です。これでほんの一部で、全体像は48ページにも及ぶあの作品集をご覧いただければと思います。
Y's Dreamバルーンアート作品集

このような幸せなことこの上ない状態が2011年ごろまで続いていたのです。
2011年3月11日を境に、少しずつ変化が起こり始めました。あの東日本大震災の日です。そして2012年に鬱発症、原因不明だったのが発達障害だったことが判明、追い打ちをかけるようにヘリウムガスが払底、さらに親子問題の深刻化…一方のバルーン業界も激変、自らの能力や資質とはかけ離れた方向へ進んでしまいました…さらにブライダルやイベントといった市場が震災をきっかけに縮小に向かい、ヘリウムガス払底や社会情勢の変化で原価は上昇の一途…
バルーンアーティストが適職でなくなってしまったのです。
職業評価では、むしろ「不適」とさえ判定されてしまったのです。

天職である部分は動きませんでした。





収入はさておき、
達成感と自己実現という点では全く変化がなかったのです。収入と別にバルーンをしていたという点もありますが、幸いそのような恵まれた環境のもとに身を置けたことが大きかったです(というか、まれにみる恵まれた環境だったと今では思う)。

そして2015年。
2012年に鬱で倒れた当初とはさらに様相が異なる、ややこしい事態になっています。
自己実現と達成感という観点で行くと、高齢者福祉(高齢者デイサービスなど)、児童福祉(児童デイサービスなど)、そして障碍者福祉(就労移行支援・就労継続支援など)でバルーンを活用するという道が見えています。私もその方面に進むべく、活動しています。
一方で収入面が自己実現及び達成感という観点から大きくかけ離れ、独り歩きするという状況になっています。その結果
収入面を重視するなら自分が今まで築いてきたキャリアを解体し、ゼロからキャリアを作り直す必要が生じる
一方
自己実現と達成感を重視すると収入面で問題が生じる。しかも既存の行政が全く対応できていない
という、ジレンマが発生してしまったのです。
具体的には、自分が推し進めようとする人生を歩む(バルーンの経験を福祉で活用する)と、両親に不利益が生じ、逆に親の意見に従おうとすると自らが築いてきた10年以上(15年は越えている、まだ20年には達していない)のキャリアを無にしなければならないという状態です。しかも幼少期の自閉症の後遺症が今になって表れるという問題まで起きており、おまけに両親が共依存・過干渉という、問題をさらに複雑化させる要因があります。

仕事を続けていくうちにそれがキャリアになるという考えもありますが、それは自分の形が固まっていない20代後半を中心とした人たちに当てはまる言葉です。ただ長期のひきこもりなどで自分の形を作れなかった人たちにも当てはまります(とある就労移行大手のプログラムを見ると、そのように作られています)。
そして今一番問題にしなければいけないのが、中途障害判明者となった40代を中心とした人たちへの対応です。この分野の対応が今非常に遅れています。とある人材派遣会社でそのようなプログラムを現在開発中という話を聞いています。そのような場合に重要視されるのが先日来から話題にしている
学習棄却
でしょう。高齢者のキャリア形成にも、キャリア再構築をテーマにした文献があり、それを読みました。そこにも似たようなことがありました。
いずれにせよ、天職からの転職という、極めてまれでかつ困難な局面に私は差し掛かっていることだけは事実です。

2015年8月18日火曜日

就労移行支援施設は働き方を身に着ける場所です!

こんにちは。

まず本題に入る前に。
私は現在、とある就労移行支援施設でバルーンに取り組んでいます。
そこではデザインをメンバーに考えさせ、グループワークを実施して全員で決めます。決めたデザインに私が意見することはできませんし、してはいけません。
私が判定するのは、あくまでも技術的に可能か、それだけです。
というか、不可能ならばそれに近い可能な方法で考えるという作業をします。
そして、制作の際も私は脇で見守るだけです。わからないところがあったら私に聞け、という感じです。
今後この施設が中心になってバルーンに取り組む際は、このようにしてグループワークを中心にしていくことにしています。私は基本ノータッチです。逆に私がとってきた仕事をお願いする際に、メンバーの皆さんにヘルプに入っていただくということにします。
どんな作品になるか楽しみです…

そこから何かが生まれそうな気がします。

この施設も運営にかかわっているのが
↓の記事の「もみ爺」。
ここの職員は「もみ爺」の着ぐるみの中の人を経験します。メンバーの中にも中の人を経験している人がいますし、中の人経験者が就労しているケースもあります。
ちなみに私は未経験です…

今見たらかなり苦戦中…orz

さて、ここから本題。
前にもお話ししましたが、
就労移行支援施設は居場所ではありません!
就労継続支援施設はA型もB型も制限がなく、「居場所」にすることができます。

何のために「就労移行支援施設」があるのでしょうか?
文字通り「一般就職を目指すため」です。
最近、ネット上でとある就労移行支援施設の通所日誌を複数目にしました。中にはその就労移行支援施設のテキストの中身をアップしているものもありました。この就労移行支援施設は自らのホームページでテキストの一部を公開しているのですが、見た限りよくできています。
そしてボルト・ビーズ・クリップといった、正確性と集中力を養う作業訓練も行われています。
私は別の就労移行支援施設でボルトとクリップを数回やりましたが、どこで役に立つのか疑問に思ったので聞くと、薬品卸会社の倉庫で一番役に立つそうです。薬品卸会社の倉庫は必要な薬を必要なだけ正確に出す必要があるところで、患者さんの生命の安全と薬品卸会社の利益率に直結するという重要な仕事だそうです。
ちなみに薬品卸会社といえば、「スズケン(塩野義系)」「メディセオ(武田系、パルタック・クラヤ・三星堂・エバルス・アトルなどが前身)」「アルフレッサ(第一三共系、アズウェル・福神・成和産業などが前身)」あたりが有名です。かつては「プロパー」と呼ばれ、営業担当者の激務(過労で倒れる人が続出)が有名でしたが、今はMRという情報提供者となり、営業スタイルが激変したそうです…薬品卸はおそらく昔と今とで全然仕事のイメージが異なる業界でしょう。

それによると、
しんどくても歯を食いしばって頑張る
といった内容が非常に多かったです。それだけ勤怠が重要なのです。
日本の仕事スタイルは在宅勤務をはじめとしたテレワークの普及などである程度は変わるとみられます。終身雇用の崩壊の影響も大きく、大企業に入社すれば安泰という時代ではもうありません。
だったら私の両親は何のノスタルジーにかぶれているのでしょうか…

しかし、在宅勤務は想像以上に伸びません。
以前の記事
その理由は「以前の記事」を見ていただければ詳しく述べていますので、ここでは省略します。
そのため勤怠が重要視されるのです。

しかし、旧Y's Dreamは勤怠以上のシビアな世界でした。そのシビアさ、ボートレース並みでした。
いわゆる「返還欠場」が存在していたのです。「演出失敗」で代金をお客様から頂くことができない状況を「演出事故」とし、「返還欠場」という措置を取っていました。これがエスカレートして、「お客様を怒らせた場合は代金をいただかない」という、鬼のようなルールまで作ってしまいました。岡山の大手タクシー会社(母体は総合運輸・サービス企業)Rを範にしたこのルール、ある程度は機能していたが、このルールを悪用したモンスタークレーマー(自分自身もどちらかといえばクレーマーだったが…)の被害に遭うことも何度かありました。
そして「演出失敗・クレームは事故として扱い、代金返還を行う」という独自のルールが返還欠場と呼ばれるようになったのです(もちろん語源はボートレースの「スタート事故」)が…最後はこの超シビアなルールで自らの身を滅ぼしてしまったのです。しかもそれは自らの完全主義・超完璧主義に由来し、さらにその由来が自らの生い立ちに始まる様々な生きにくさ(自閉症=発達障害=一種の脳機能障害、アダルトチルドレン、厳格すぎる両親、その他…)にあるという事実を知ってしまいました…結果
Y's Dreamの廃業清算・プロバルーンアーティストからの引退
につながってしまったのです。

就労移行支援施設に1年近く通い、在宅勤務を1年近くして分かったことは…
今までの私が異常だった、すなわちY's Dreamは異常な「会社」だった
ということでした。さらにいえばY's Dreamはブラック企業だったといっても過言ではないのです。当たり前のことが当たり前でない…状況でした。
今、私は出来高制の仕事をしていますが、それでも勤怠はあります(事前に勤務調査をする=仕事をしたくない日は申告する)し、時間は厳守です。しかし返還欠場ということは一発勝負でない限りありません。旧Y's Dreamはボートレーサー並みの激しい仕事だったのです。
一方で、休日のサービス出勤や付き合いなども勤務評定に入れるような会社があります。これを勤怠の一部に含めるべきか?という意見もあります。現実問題2割近い企業がそうです。このような企業があるのもまた事実です。私は働く側としてもこれは賛成で、喜んで休日出勤やサービス残業をする方です。実際社会人として最初のころには、わざと時間外をつけずにそれこそサービス残業を進んでしていたことも何度かありました。そういう企業に入ってもいいように、先日のブログで述べたように「自らを空にする」のです。
他方、在宅勤務に限らず、働き方の多様化も叫ばれています。そうなると旧Y's Dreamの経験が生きます。仕事をした分だけ給料を受け取るという概念です。
今はこの価値観が両方共存しているカオスです。どう変化するのでしょうか…

いずれにせよ、どっちに転ぶにせよ、勤怠は社会人として当たり前のルールです。それを身に着けるのが就労移行支援施設の役目です。ですから居場所ではないのです!
ちなみに私が目にした「とある就労移行支援施設」は、日本各地にあり、カリキュラムはほぼ全国共通です。ここのカリキュラムは私には合わないものもありますが…必要なものも多いです。この「とある就労移行支援施設」は、社会人としての基礎を見直したいと考えたり、どこに行っても長続きしないというような人にお勧めです。逆に自分を確立してしまった私のような人は、「形を作り直す」ところからしなければならなくなる場合があり、かえって時間がかかるケースも考えられます。それこそ「すべてを空にする」気持ちでいかないとだめでしょう。

2015年8月15日土曜日

親の曲解が子供を不幸にする

こんにちは。
今日はブログの記事をたくさんアップしています。
それだけ書きたいことや書かねばならぬことが山のようにあるからなのです。

先ほどは「自己を空しくしなければ親の望むような就職はできない」というようなことを書きました。これは嘘でも何でもなく現実です。
以前の記事に私はこう書いた。(2015年2月28日の記事)
この現実を前にして、私は相当悩んでいる。
というか、「親の言うとおりに再就職するとしたら、これは相当の覚悟と期間が必要なのではないか。それを分かった上での親の言動なのか」という疑問が以前から湧いていた。
これができる人にならないといけないのが今の私。それを邪魔しているのが私が築き上げた経験であり実績。
そのような状況に置かれる人というのは、やはりごく限られた人。言い換えれば
何か一つでも輝かしい大きな実績と経験をした人でないと、このような状況に直面しないし、その中でもこのようなリセットが必要な状況に直面するに至る人はさらにごく限られた人なのが現状。
発達障害や精神障害を抱えた人にとって、これはかなりの困難を伴う。場合によっては1年や2年では終わらない。下手をすると5年以上かかる。これに取り組みながらの転職活動は、できるなら回避した方がよい。なぜなら
その間にも生活していかなければならないのが現実
だからである。

親の言っていることに対して「これは困難の極みだ。可能な限り回避した方がよい」と常々感じていたが、その理由がここ数日の間でやっとわかった。

とある。
結局親の人生を歩むには、自分をすべて否定し、自分をすべて空にする必要があるということをこの記事で言いたかったのである。
私の器をすべて空にしないと、新しいものが何も入らないというのが今の自分の現状なのである。
ちなみに、バルーン業界も激変しており、この業界に骨をうずめるなら、それこそアンラーニングが必須の状況。こちらについても別に記事にしている
だから私はいまさらバルーン業界に現役復帰しようなど考えていない。

そのような状況をすべて総合して、自己分析を行い、結論を出した。
私がとっている行動はすべて現実を見据え、現実的に可能な方法で動いている。できる範囲でできることをするのが今の自分の生き方であり、それを積み重ねることによって再自立をするというのが現実に即した生き方である。だから私は可能な方法で可能なことをやっているのである。
バルーンで生計を立てるのは難しいので、他に在宅で仕事をしたりしているのである。

その結論に親が食って掛かった。
当然私は激怒する。
ここ数日迷走と取れなくもない状況になっているが、親のやっていることはとてつもなく大変なことを私に要求していることと考えており、悩んで悩んで結論を出したものを鶴の一声でひっくり返すことを考えているとしか私には思えない。
2年前、再就職活動に取り組んでみて分かったことは、「運と縁」であり、そこに努力はない。結局合計で40社近くに不採用になった。当時広島で最も信頼できる障害者専門のエージェントの方と就労移行支援施設の支援者の方たちに支えられてこれである。しかもこの支援者の皆さんは転勤になったり、別の就労継続支援施設に移るなどした。私はこの就労移行支援施設に戻らないことにした。
今度仮に再就職しようとするなら、別の就労移行支援施設に行くつもりである。
就労移行支援施設の利用は最大で2年である。もし2年たっても就職できない場合、就労継続支援施設に行くことになる。雇用型がA型であり、非雇用型(すなわち昔の授産施設)がB型である。このB型の役目が変化しつつあり、そこでバルーンをやろう、という動きがあって、私も動いてきたのが本当のところなのである。
B型の工賃が10000円程度というのがこれまでの現実で、これでは到底生活できない。これを上げるのが今の福祉行政の課題と位置づけられている。そこでバルーン、という話になり、ここまで進んできたのだが、全然売れない。9月から抜本的な見直しを進める方針である。
再度言うが、
就労移行支援は2年しか使えない。2年間で就職できなかったら、就労継続支援施設に行く必要がある。
大事なことなので、繰り返しました。
つまるところ、就労移行支援施設が「障害者の居場所」になってはいけない。本来なら「訓練施設」なのである。しっかりした訓練とサポートを受けて1年近くかかって40社近く受けてやっと1社に採用されるのである。これが現実である。

親はこの現実が分かっていない。

そして私は、就労移行支援に頼れないから、自分で勉強し、自分で探し、自分で道を見つける必要がある。

これらの全体像を親は全く理解していない。それどころか「あなたに障害はない」という。

このような現実に耳や目をふさぐ両親はすなわち毒親だが、儒教の教えによれば「よしんばそのような道を踏み外した親と言えど、子供は従う義務がある」という。
今就活の用語に「オヤカク」なるものがあるという。中小企業やベンチャー企業に入社するのに親の確認が必須ということからこの言葉が生まれたというが、私の両親はこのような「オヤカク」を是としている。そして親が子供の就職後のケアに対しても確認したいのだろう。地元の有名な某ソースメーカーは親との連絡を緊密にしているというが、そのソースメーカーは過去に過労死を出している。
就活は今や親にとっては「子育て最終決戦」とまで言われているが、私の親は
子育て再試合
をやっているとしか思えない。それどころか
場外乱闘
のレベルだ。子育てで子供に対して異種格闘技をするような親は
曲解している
としか思えない。心配の域を超え、毒親の領域になる。そういう親に私は
あなたたちの望むとおりにするのなら、私はすべてを空にして全くの無の人間としてやっていくしかない
ということを宣言している。キャリア否定とはそういうことであり、背景に
親の強い否定
がメタメッセージとして隠されているのである。「オヤカク」をするような親とも違う。結局このような親のために子供は不幸になってしまうのである。

2015年8月10日月曜日

自己承認欲求の高さと自己肯定感及び自己評価の低さは比例している


こんにちは。
お盆が近くなると、すぐそばを走る山陽新幹線の本数が多くなる一方、ビジネスの動きが鈍くなります。ハローワークも求人が減ります。
一方、私はここ数日、長文のアップが続いています。
ひたすら自分を見つめなおすためにこのようなことを続けているのですが、親の望むような結論は出ず、出る答えは
「バルーン業界に復帰or現在のやり方を続けろ」のいずれか。
バルーン業界の現状の厳しさは身をもって実感しているので、おのずと答えは今やっていることを続けるということになります。
発達障碍者の就職率は3割に満たない(まとめサイトより)

詳しくは上記リンクのサイトを見ていただければわかるかと思います。
桶の理論
というのがありますが、発達障碍者は知能の凸凹がひどいために、普通の仕事をこなすのが困難と言われています。
仕事では、桶の理論が発動します。高学歴だったり、秀でている部分があっても、知能の凹凸が激しいと普通の仕事をこなすことに非常に不利なのです。大事な部分が抜けているのですから。
上記リンクのサイトより引用

上記サイトから分かるのは、
根本の原因がどこにあるのかを把握しないと、いつまでたっても問題が解決しないばかりか、問題が深刻化する一方である。
ということです。

そこで本題に入ります。
ここ数日述べていることは
自己評価が低い=自己承認欲求が高い=自己肯定感が低い
この3つがイコールだということです。
自己評価が低いことはすなわち自己肯定感が低いことです。
その原因はすべて共通しています。それは
両親が条件付きの愛情しか私に与えてこなかった
ということです。

一つ一つについては以下のリンクから読んでいただければ幸いです。
自己肯定感が低い真の原因
自己評価の低さの本当の原因は…

今日は「自己承認欲求の高さ」について深く考えてみます。
私はとにかく「最高のもの」「自分だけしかなしえないもの」を目指して、バルーンアートに取り組んできました。
結果、バルーンに対する姿勢やスパークバルーンに対する思いといったものは、高く評価されるまでになりました。というか、
気が付いたら高く評価されていたのです。
私は「今の自分に満足してはいけない。もっと上を目指さなくてはいけない。今の自分に満足することはうぬぼれだ」と思い続けていました。
結局のところ
自己承認欲求の高さと自己肯定感及び自己評価の低さは相関関係(比例の関係)にあった
のです。

思えば17年前、私が27歳の時でした。1998年のことです。
とある町のフリーマーケットで細長い風船を膨らませていた私は、「テレビ番組に出てみたら」と勧められました。その方が私を某テレビ局のとあるテレビ番組に推薦してくださいました。この番組は私が当時住んでいた町では映っておらず、その方が住む隣町ではケーブルテレビで他県からの放送を受信して映っていたようです。
しばらく経ったのち、テレビ番組制作会社の方が私を訪ねてきました。当時はバス会社に勤務していたので、実際にはめったにやらないバスの洗車(通常は自動洗車機)をする場面などを撮影して回りました。
数日後、私は飛行機に乗って東京の世田谷区、小田急線沿線にある某テレビスタジオに行きました。そこで私は徹夜で1人でバルーンオブジェを制作し、そのまま収録しました…。その番組はアーティストが3組ほど作品を持ち寄って対決するもので、挑戦者は私と悪役紹介のメンバー、防衛者(前のチャンピョン)は当時小学6年生だった油絵を描く方でした。悪役紹介がけちょんけちょんにけなされた後、私の出番が来ました。私は無我夢中でした。何をしゃべったのかも覚えていません。そして小学生が出演した後…何と私が小学生より高い評価を受け、チャンピョンになってしまったのです。
私は驚きのあまり、当時の記憶がほとんどありません…が、これだけは覚えています。
控室で「やったー!!」と叫んで飛び上がったこと。
この番組は2週分の収録で、別の日の収録のかたもいたのですが、悪役紹介を含めた控室全員から祝福されたことはとても印象深かったです。
その後次の収録では渡辺満里奈さんと控室で1対1で話をしたこともあります…この時は雪うさぎを制作し、この時もチャンピョンになりました。その後4回勝ち進み、あと何回かで100万円+ニューヨークというところで敗れました…「たけしの誰でもピカソ」の「アートバトル」でした。

長年バルーンの仕事をしてきて、ガッツポーズをし、飛び上がるぐらい喜んだことは、このほかに数えるほどしかありません。
初めてバルーンドロップ600個を成功させたとき…
カウントダウンイベントで2000個の風船を降らせたとき…
初めてスパークバルーンシャワーを成功させたとき…
新郎新婦様と抱き合って喜んだこともあります。
バックヤードでスタッフと抱き合って喜んだこともあります。

これらは飛び上がって喜ぶというより、むしろ最高の瞬間を創り出せて、結果最高の仕事ができたという喜びでしょう。
全身を突き抜けるほどの、天にも昇る快感
を仕事を通して味わえたのは、ある意味ものすごい達成感だと思います。

しかしそれらの経験をもってしても、自己承認欲求の高さはとどまることを知りませんでした。
というか、
これでもまだ不十分
と自分を追い詰める方がどちらかといえば多かったです。
ある意味自分は
ストイックだったのかもしれません。
それゆえ、
本当に素晴らしい演出ができた時の快感は相当のものだったのでしょう。

私のスパークバルーンに対する思い
このようなページを作るくらいでしたから…今でもその思いを刻んでバルーンの仕事に取り組んでいる人がいるという事実は、とてもうれしくて心強く、誇りに思えます。
 

それでも満足せずに上を目指していたのですから、自己承認欲求の強さは並大抵のものでなかったことは容易に察しがつきます。
そして
自己承認欲求の強さの原因が低い自己肯定感と低い自己評価にあり、
その自己肯定感及び自己評価の低さの原因が幼少期の親子関係にあり、
さらに幼少期の親子関係の原因が自閉症並びに発達障害という先天的な脳の問題にあり、
それが今の生きづらさに直結している半面、
一連のメカニズムに目を背けて表面しか見ようとしない両親へのいら立ちにつながり、
両親へのいら立ちが両親に感謝できないことにつながり、
その原因が両親の育てられ方にあり、
さらにその原因が先祖代々続く家の土壌にあった

ということなのです。

結局のところ
最後は
自らが抱える負の要因

が足を引っ張ったのです。努力ではどうにもならないところがある、というのはこういうことであり、母親が言う
器以上のものを入れようとしたら壊れる
ということなのです。結局冒頭の桶の話に戻ってしまいます。

2015年8月9日日曜日

自己肯定感が低い真の原因

こんにちは。
今日、とあるホテルのオープンスペースをのぞいてみると、
ものすごいバルーンのフォトバックが!

フォトバック(からふる工房の作品)
あたかも先日まで行われていたJBAN Conventionの会場から抜け出してきたかの作品です。

このホテル、私が一時期入っていたが、私が精神疾患によって責任を持って仕事を受けることができないと自ら判断したため降板し、元スタッフの方に譲ったところです。
しかもこの作品を制作されたその方はJBAN Conventionが終わってすぐに広島に帰り、制作に取り掛かったとか…

私は複雑な思いになりました。
この方は私が引退して、後を継いだのですが、今や広島を代表するバルーンデコレーターに成長しています。とうの昔に私は追い越されてしまいました…
本来なら喜ぶべきところなのでしょうが…

昨日は広島市内の某所で別のバルーンデコレーターの方にお会いしました。
この方、JBAN Conventionのコンテストに参加し、入賞されたそうです。初めて参加したにもかかわらず…です。
これはこれで素晴らしいことだと思います。

こうしてみると、私はむしろ
「後に続く人たちのために道を作った」
ことの方を誇りに思えてきました。

道なき道を切り開くこと10年以上。
今バルーン業界は成熟期にあり、ブライダルのように衰退しつつある分野もあります。先日話題にした呉のとある結婚式場の破たんはその典型です。
この結婚式場の結婚式の画像を一つ一つ検索すると、彼女が手がけたバルーン演出の画像が見つかりました。私がフォーマットを作った演出を見事に完成させていました。(私が手がけていた演出とほとんどまったく同じなのだが、彼女の方がよりスマート)

つまるところ、私が創った基礎を次に続く方たちがどんどん発展させているのです。
こうしてみると、
私の役目は終わったのかな
と思えて仕方ありません。

しかし、私は新たな役目を今になっています。
自らを苦しめている本当の原因が発達障害で、一連の精神疾患はその発達障害の二次障害だったということが3年前の段階ではっきりしました。しかもそれは21世紀になってから知られるようになった症例で、現役で活動していたころはわかりづらかったといえます。一時期は「アスペルガー症候群」と言われていました(今は「自閉症スペクトラム」とされている)。
このような障害は行動療法で緩和されるといわれています。その方法が「自己肯定感を高める」ということです。そこで活用しているのがバルーンなのです。
エントランス
その一環でコンサートのデコレーションを手掛けたのですが、初めての作品でここまでのものができたのは立派だと思います。

私と同じ障害に苦しむ人たちはひきこもり・ニートになるなど、社会から切り離されてしまっています。そのような人たちに社会参加のきっかけとしてバルーンを活用する取り組みを進めていくのが今後自らすべきことだと思うのです。

そういう私は正直
今でも自己肯定感が低い
のです。

客観的に見れば、道なき道を切り開き、さらに次なるステップを踏み出そうとしているにもかかわらず、です。
なぜそう思えてしまうのでしょうか…

実は、
親を安心させるのが私の最大の義務
その義務を全く果たせていない

という現状にあるからなのです。
親を安心させることはすなわち再就職活動の成功です。
ところが私は気づいています。
このまま再就職活動を続けるのはずるずると不採用を重ねるだけの消耗戦となり、かえって危険
と。
無理な就職は自殺に至る恐れすらあるのです。

正直言ってこれは私の両親にとっては
不都合な真実
よりほかありません。

親の価値観に子供をしたがわせようとするのは価値観の変化が起きてしまった現状では非常に困難と言わざるを得ません。
親の価値観に基づいて就職するためには、一度私をすべて白紙にするしかないとさえ考えています。親の意向に基づいて就職するために、徹底的な自己否定に自己批判を過去にやってみましたが、うまくいきませんでした。結局バルーンでやってきたことから何ができるかを抽出した自己分析の方がうまくいきましたが、そこに親の意向はありませんでした。知恵袋なども使いましたが、先日述べたように管理者養成学校か戸塚ヨットスクールしかないという結論に達し、それらの費用は最低30万かかることもわかりました。
他方、私は幼い時から「チック」があったり、体中の毛を食べるなどの症状が出ていました。今ではこれは「親の育て方に問題があるシグナル」と言われ、子供からのSOSとして受け止め、親は真剣に対応する必要があるといわれています。しかし当時は親もまた子育てに対するプレッシャーがあり、無理やり矯正しようとすることを繰り返しました。その結果二度にわたる家出をすることになってしまいました。
そればかりか、そもそも私は
条件付きの愛情ばかりを両親から受けてきた
のです。私は親の欲求を満たすために生きてきたようなもので、親の敷いたレールの上を走ることを要求されていたのです。条件付きの愛情ばかりを受け続けると、結果
自己肯定感が低くなり、自己承認欲求が高くなってしまいます。

親は私を「育て上げよう」という気持ちで、今でも行動しています。そして自衛隊に入った近所の子供と比較したりしています。
親のやることなすことすべて、
ほとんどすべて「やってはいけないこと」にあたる
と私は見ています。そして毎日のように
「私を安心させて」
と電話で叫んでいます。

このような状態ですから、実家に帰りたくても帰れないのです。

そしてこのような親に育てられた結果、
独特の変なオーラを発してしまい、面接官に「この人は何か影がありそうだ、採用すべきでない」
となって、不採用を重ねてしまうことになるのです。この独特の変なオーラ、「顔が笑っているのに目が笑っていない」という印象で、ブラック企業に長く務めた人と似たような毒を持ってしまうのです。

これが
自己肯定感が低い真の原因
だと私は思います。

本来低い自己肯定感を高める唯一の方法が、私には風船だった
といっても過言ではありません。
これを捨て去ることはすなわち自己否定です。そして
風船を取ると何も残らないスカスカ人間だ
と言われるようになり、自分では
今頃親を殺して塀の中にいるか、自ら命を絶っていたか
とまで思うようになっているのです。

このように自己分析の結論が出ているのに、それでも否定するのでしょうか…私の両親は

2015年8月6日木曜日

自己評価の低さの本当の原因は…宗教的家族?

こんにちは。
今日は余りにも暑すぎるので家でひきこもります。明日は打ち合わせなので、外出します。

見出しのように「宗教的…」とあるところ、大体ふつうありえない考えがまかり通ることが多いです。これが企業の場合だと、いわゆる「ブラック企業」であり、家庭だと「毒親」となるのです。

ソウス(会社選びの現場から…「宗教っぽい」会社より

上記ソウスを読んでいただければわかるか、と思いますが、要点だけまとめたところを引用します。
「宗教っぽい」会社とは、ある価値基準を作り、今までにない価値を創出することにより、本来0またはマイナスであるものに価値をつけ、対価として労働や資本を提供させる会社のこと
「宗教っぽい会社」には自己承認欲求の強い人が向いている。
「数字では表すことのできない」つまり人に押し付けづらい価値観は宗教っぽい会社特有のものである
引用ここまで

私の父親は「我が家は宗教だ」という発言をしたことがあります。
私の母親はバルーン業界をカルト呼ばわりしました。

父親が言う「宗教」は、儒教が家の考えの根本にあることを指したかったようです。
そして母親のカルト発言が私が引退を決断させるに至る最大の要因になりました。
もはや私の家の価値観は世間とは大きくずれている。
このような家族である限り、バルーンを膨らませることはもうできない。
親を安心させるためには、私が身を切るしかない。


私はこう考え、引退を決断しました。

その後、私は自己評価が低すぎることに気が付きました。
問題点を突き詰めると、
自己評価が低い=自己承認欲求が高い
なぜ自己評価が低くなったのか→親の厳しすぎる躾、時には体罰を伴うこともあった
親がなぜ厳しくしつけたのか→親も周囲の目を気にして生きてきた→結局親は自分らしく生きることが許されなかった(私の場合、父親・母親ともに)
←私の両親には秘密があった模様→母親には兄がいたが、終戦直後の混乱で夭逝した→母親の実家は男子がいなかった→猛烈に厳しい躾を母親は受けていたという→愛情飢餓親の子供に対する厳しい躾につながった

自己承認欲求が高い→バルーンアートの世界にはまり込んだ→一定の成果を収めることができた→しかしもっと上がいる→限りなく頂点を目指そうとした→いくら頑張っても届かない→どんなに努力しても自分はダメ、という低い自己評価につながる→自己否定←完全主義

ということになります。
これがアダルトチルドレンの負のループです。

こういう人は洗脳されやすいので要注意です。
そもそもこういう人がオウムなどのカルト宗教に入信したり、大量無差別殺人を起こしたりして、死刑になったりします。秋葉原や土浦などの無差別殺人事件もそうです。

正直言って、私の両親、特に母親は私をマインドコントロール(=洗脳)しようとしていたのです。私をコントロールすることによって、自分の心を安定させていたのです。

他方、バルーンの活動にのめりこむことによって、私は大きな成果を上げていたのは事実です。
一体どれだけの人を幸せにしてきたのか…

私が以前通っていたとある就航移行支援施設の方が、私の作品集を借りて一晩かけてみたそうです。
その感想…
「すごい、感動した」
この一言でした。しかしこの一言が私の心に響きました。

私がやってきたことに間違いはなかったのです

それだけではありません。私の作品集も、私の動画集も、何人もの人が1日に見て下さっているのです。

ここで現役時代の私を振り返ると
風船こそが私のアイデンティティだった→少しでも多く風船の仕事がしたかった→血のにじむような努力の結果…日本でも屈指のスパークバルーン演出を手掛け、宅配スパークバルーンを初めて実用化した…その結果多くの人々の心の中にいつまでも残る感動を作り上げることができた
その一方で私の心の中はボロボロだった

という状況だったに違いありません。

昨年、私はこのようなグラフィックを作ってみました。


このグラフィックも自分で作ったのですが、画像がすべて自分の作品のコラージュなのです。

過去の資産を焼き直すだけでこれだけのものを作れる自分がすごいと改めて痛感しました。

これだけのものをご破算にしろ、と主張しているのが私の両親なのです。

 たびたび述べているように、儒教の経書「孝経」には
道徳の根源、宇宙の原理としての形而上化、無条件服従と父子相隠
が記されています。
この考えから、私は
「よしんば道に外れた親と言えど、従わねばならぬ」
という思考に至り、自ら築き上げたものを壊そうとしているのです。そのための根拠を探しているのですが、出てくるのは宗教、それもどちらかといえばカルト系の新興宗教の経典ばかりです。
結局、私の家は常識が通用しない特殊な家と言わざるを得ず、
家庭が宗教になっている
と考えざるを得ません。

そういう私が営んでいたY's Dreamは、
自らが持つ宗教的価値観を押し付けるのは、風船が持つ他の人を幸せにする力と相容れないという内部矛盾を抱えていて、自分にひたすら厳しさを課す一方、共に働く仲間に基本無理を強いることができず、ものすごい内圧がかかり、その内圧が自らを自滅させた
ということになるのでしょう。

2015年7月20日月曜日

かなえたい夢がない!?

こんにちは。
涼しいです…

電気代節約になって助かります。

さて、今の私には
目標はあっても
夢がありません


転職することが夢や目標ではありませんし、それを目的にしてもゴールにしてもいけません。
一部の就労移行支援施設で、就労をゴールにするような指導が見られますが、それは大きな誤りです。就労はスタートラインであり、そこから目標なり自分なりのゴールを目指していくのが本来なのです。

私の両親は転職をゴールにしようとしているから、いけないのです。
それで私はものすごい抵抗をしているのです。


なら、なぜ夢がないのか、と言いますと、
私は一度夢をかなえてしまったからなのです

そして
今自分が目指している目標はゴールがないのです

なぜか。

私が今目指していることはすなわち
道なき道を切り開く
ことであり、
少なくとも今年いっぱいは結果として現れることはない
ことがはっきりしているのです。

考えてみれば、私がやってきたことはそれこそ
道なき道を切り開く
ことでした。結果、数えきれない感動の瞬間を作り上げてきました。しかし上には上がいました。ゴールのない競争、頂点のない競争をしていたのです。
私はひたすら走り続けました。マラソンを短距離走で全力疾走するペースで。

そして気がつくと、私はボロボロでした。
限界に達したのが3年前の5月でした。

私は一度、引退を決意しました。
2年前のことです。

この時点で、私がやってきたことがすごいことだったことに全く私は気づいていませんでした。
そればかりか、
私はそれを「黒歴史化」し、自己否定しようとしたのです。
とあるキャリアコンサルの方が、
「風船のキャリアなんて、10年以上ホストをやっていたのと同じ」
といったのを覚えています。
私はこれに妙に納得しました。
私は人生の道を踏み外した、単なるバカだった
と判断し、バルーンの経験を隠し、10年以上フリーターやニートをやっていた職務経歴書を作成したのです。

ところが、本当の客観的評価は
私はすごいことをしてきた
ということでした。
周りがすごい人ばかりだったので、相対的に自己評価が低く思えていただけだったようです。

そして、私は全く風船とは関係ない仕事に就くことを決めました。

一方で、風船は全く違う角度から携わることにすることしました。

今、私は福祉というこれまでとは違う角度からバルーン業界にアプローチを試みています。
私は、就労移行支援施設に通った経験から、自信を失った若者をたくさん見てきました。
そのような人たちが自信を取り戻して、社会に一歩を踏み出すきっかけを作るのにバルーンを役立てることにしました。
これに取り組むことにしたのですが、いかんせん先例がほとんどありません。それで私は
これは長期戦必至だ
と考えました。私は腰を据えて取り組むことにしています。
そのためにも、他に仕事を持つ必要があります。それ以前に風船で生計を立てることはできないのが現状です。業界全体を見渡すと、私が現役だったころとは、大きくバルーン業界が様変わりしていました。ヘリウムガス情勢しかり、震災以降の人々の心理の変化とそれに伴うブライダル市場やギフト市場の変化しかりです。
その結果、
目標はあっても夢はない
という状態になっています。

2015年7月13日月曜日

バルーンデコレーターとして、親として…毒親になっていませんか?

こんにちは。

バルーン業界には女性が活躍する業界です。
その中には子育て世代もたくさんいると聞きます。
今日はそのような方々、特に小学校入学前のお子さんをお持ちの方に「切実な」お願いです。

次のようなことをしていませんか?
子供をほかの子供と比較する
子供の欠点を子供の目の前で指摘することを複数回する
子供の悪口を言う
子供に暴力をふるう(虐待は論外!)

他にもいくつかありますが、最たるものは
「あんたなんて産まなきゃよかった」
という言葉を吐くことです。
日々忙しいバルーンデコレーターの方には、このような言葉をついだしてしまいかねませんが、そのようなことはゆめゆめ
絶対にしないでください!

それらの行為は、すべて
本来人を幸せにするはずの風船で子供を不幸せにしてしまっている
のです!

以上の行為は、すべて子供を傷つける行為に当たり、子供の後々の人生に悪影響を与えます。ひどいと発達障害の原因になったり、子供が成長するにつれて不登校などの社会不適応を惹き起こしたり、あるいは大人になってからうつ病などに苦しむことになります。

また行き過ぎた躾も禁物です。行き過ぎた躾は
お躾=押し付け
となり、やはり同じように子供が大人になってから苦しむことになります。

幸い私の知っている範囲では、バルーンデコレーターの児童虐待話は聞きません。むしろ子どもの感性を磨くことにつながり、将来の子供の成長に好影響を及ぼしていると信じています。
特に幼年期、2~3歳ごろまでは、遊ばせることが本当に大切です。

ソウス(クラシック音楽と毒親)

上記ソウスでは、ピアノやバイオリンといったクラシック音楽を子供に習わせる場合、親子共依存ともいうべき関係に陥るケースがあるといいます。
子供を窒息させるような子育てはしてはいけません。言い換えれば、クラシック音楽を習わせるのと同じやり方でバルーンを子供に教えてはいけません。

なぜこのようなお願いを私がしているのか、と言いますと、
私自身が毒親の被害を受けている
からなのです。

バルーン業界で実績を残している人たちを見ていると、
親子関係が良好
だと思います。
そして、努力が成果を出すか否かは
幼少期の親子関係が重要な要素になっている
と最近つくづく思うようになったからなのです。

私の幼少期は、本当に厳しいものでした。
というより、母親が祖父母から相当のプレッシャーを受けていたような印象を受けていました。

私の場合、
風船に携わること=親と戦うこと
だったのです。それがすなわち
自立への道
だったのです。

これではどこかで行き詰まります。
旧Y's Dreamは行き詰まりましたが、行き詰まることによって私の親子の真実を知り、母親が精神的におかしくなった本当の原因を知ることができたのもまた事実です。

ですから、私みたいな悲劇をバルーンに携わり、母である皆さんに惹き起こしてもらいたくないが故、このようなお願いをしているのです。
くれぐれも本来人を幸せにするはずの風船で人を不幸にするようなことはしないでください!

2015年7月12日日曜日

子供が自殺するということ、その意味

こんにちは。

今日は、何度も記事を書いては消し、書いては消しを繰り返しています。

もうぶっちゃけ書きます。
「風船のおかげで私は自殺せずに済んでいる」

自分の生き方を否定する人がいます。
私の両親です。

自立する術を見つけているのに、それを両親が否定したのです。
当然暴力の応酬になりました。


私は思わずタオルで首をくくってしまいました。
すぐに冷静になって、やめました。

私は、子供が自殺することこそ、両親の子育ての敗北だと考えます。
子供が自殺してしまったら、話し合うことも、子供に謝ることも、何もできないのです。
「ご冥福をお祈りします」なんて言う言葉がありますが、冥途に幸せなんてあるはずありません。あるのは暗黒の世界だけです。極楽浄土なんて私は信じてません。
それとも、火葬場の窯に一緒に入って焼かれますか?

子供が「死ぬほど苦しい」と親に言うことができない親であったことを反省しなければいけないのが本当のところではないのか?
私が昨日、「私の場合、親孝行と自立がイコールでない」ということを書いたのも、それが理由なのです。

ぶっちゃけ言いますと、私の両親、特に母親は「死ぬほど苦しい」と訴えても、はぐらかすだけの親なのです。

自立していたはずの子供に特攻体当たり行為をして、クラッシュさせたのが私の両親です。

私は折に触れてこのようなことを述べてきました。
風船のおかげで今がある、風船がなければ私は今頃この世にいないか、塀の中のどちらかだったに違いない
塀の中、とは殺人を犯す、ということ。
はっきり言って秋葉原、土浦、佐世保…といった類の事件を起こしてもおかしくなかったのです。いずれも犯人には自殺願望がありました。

風船をすることによって私は自立を保て、親と対等に戦えた
ともいえます。

私は2年前、風船の経験を抜きにして、自己分析することを試みました。結局袋小路にはまっただけでした。2年以上前、1か月以上も同じところでもがき苦しんでいたのです。そういう状況を見てきている人たちがいます。
これを慫慂する人がいます。私の両親がそれです。
結局ダメだったから、方針転換してあの48ページに及ぶ作品集も作ったりしたのです。
あの作品集は自己分析の副産物なのです。
作品集はこちら

そういう自己分析ができているから、今動いているのです。
これを私の両親はまた否定したのです。

私はあきれています。

一度ダメだったことを、無理をしてでもやれ、という考え、いかがなものでしょうか。
無理を通せば道理が引っ込む
という言葉もありますが、これはビジネスの世界ではありかもしれません。実際そのような場面に遭遇し、戦ってきたのです、私は。
しかし、これを親から子供に強制させるというのは、もってのほか、論外中の論外です。

これを子供に親が強いると、悲劇的な結末になるのは明らかです。

私の場合、結局のところ、親孝行と自立がイコールでないところが悲しいのです。
普通、就労移行支援などに通おうとする場合、家族対策を実施します。
ところが私の場合、家族対策を実施しようとすると…、物事がぐちゃぐちゃになります。
親が拒否権を発動し、ひっくり返すのです。

もう一般的な対策ではどうにもならないところに来ているのです。

父親は父親で、弁護士と相談し、私を「浪費者」として、「準禁治産者」にしようとした前歴があります。

いずれにせよ、私の両親は、常識の範疇を越えています。
常識の範疇を越えた行為を繰り返している家や一族から、犯罪者や自殺者が発生しているのです。
私は正直、結婚しなくてよかった、とまで思うようになりました。
私が自分の子供を虐待する恐れがあることに気付いたのです。
そうなると私はいずれ、両親の介護が避けて通れません。

だから私はバルーンアートの表舞台から去り、後方支援に回ることにしたのです。
いつ両親の介護に専念してもいいように。

どんなに常識の範囲を逸脱した「毒親」と言えども、介護が必要になります。現に母親は介護が必要だと私は思っており、本来は行政の出番なのですが、父親が断っています。
私は必要に応じて、行政の支援を受けながら、可能な限り介護をしていくつもりですが…
肝心の行政が心もとない現状があります。(特に広島市!!…鹿児島市は手厚い体制らしいです…だから私は鹿児島移住を真剣に考えるのです)

繰り返し述べますが、
子供の自殺は親へのしっぺ返し
であり、
親は悲しむ以前に徹底的に悔やまなければいけない
のです。

母親へ告ぐ…短絡的に物事を考えるな!そのような考えだから、子供がおかしくなるのだ!

2015年7月11日土曜日

私論 親孝行について

おはようございます。

まず、この記事の前提として、私の両親、特に母親はいわゆる「毒親」の傾向があるということを踏まえてこの記事を書きます。そして、この記事はある意味「踏み込みすぎ」、競艇なら「返還欠場」レベルまで踏み込みます。

私は、
親の気持ちを理解するだけでは親孝行には当たらない
と考えます。
そして
親の気持ちを踏まえ、それに沿って行動するところまでしないと親孝行にならない
と考えます。

理由は儒教にあります。
儒教では、自らをむなしくし、たとえ親に誤りがあれど、それに泣いて従う、というのが最高の教えとされています。これを「孝」といいます。

茨城県のS工務店の親孝行のページ

先日話題にした一般社団法人倫理研究所発行「職場の教養」でも取り上げられています。

うわべだけの親孝行は無意味
親の気持ちにのっとって親を安心させることが本当の親孝行


というのが私の考えです。

そこで問題になるのが…「あれ」です。
もう何かわかるでしょう。

ここ数日、本当に私は悩んでいます。
「あれ」のおかげで私は自立でき、自らを保っているのです。
失業状態にもかかわらず、「あれ」のおかげで就業状態となり、さらなる話も来るぐらいなのです。
一方で、「あれ」は母親の心を苦しめています。「あれ」を母親が取り込んでしまったばかりに、自らを苦しめてしまったのです。取り込むこと自体が本来やってはいけなかったことでした。私が自閉症だったばかりに、小さい時から異常なまでの心配性で、加えて母親自体がその両親から厳しい躾を大人になっても受け続けていたらしく、母親の心の苦しみはいかばかりか推測できます。それゆえ取り込んでしまったのでしょう。

私が結婚することで解決する、という声もありましたが、そんな生易しい問題ではありません、これは。解決どころかもっと問題が悪化し、児童虐待の危険すらあったのです。結婚しない、という選択が一つの答えという現状でさえあるのです。

つまるところ私は
自立するには「あれ」を生かさなければならない
親孝行するには「あれ」を完全に捨て去らなければならない

本来
自立=親孝行
のはずなのですが、私の場合、
自立するためには親の気持ちに逆らわなければならない
親孝行するためには自ら築き上げてきたものを捨てる覚悟が必要になる

まさに
自家撞着
が起きているのです。

これほど苦しいことはありません。



2015年6月25日木曜日

それ、本当に必要?

こんにちは。

厚生労働省のホームページからの引用です。

Q:一般就労に移行した利用者が、当該就労を行わない日に日中活動サービスを利用することはできるか?

A:基本的に、障害福祉サービス利用者が一般就労に移行した場合、その後は利用しないと想定される。
しかし、現実は非常勤のような形態によって一般就労する利用者もおり、このような利用者については、就労先が認め、かつ市町村が認めた場合、日中活動サービスの利用が可能である。
この場合、各利用者の状態によってその必要性を市町村は精査する必要がある。

これが平成19年12月に厚生労働省から出た通達です。
この結果、かなりの市町村で就労移行やB型利用者(場合によってはA型も)がアルバイトを認められています。
ところが、一部地域では、これを厳格にとらえ、アルバイトを禁止している市町村がある。広島市およびその周辺はその傾向が強い。中には一時就労の際に強制退所させ、再度利用申請を出しなおさせた自治体もあるほどです。

一方で、雇用する側も副業禁止が徹底している古い体質のところが多いです。というより、
新しい働き方を拒む
風土が一部にみられます。

そういう風土のところで盛んなのが
職場の教養
だったり
掃除に学ぶ会
だったりします。

掃除に学ぶ会については、地域有力企業が積極的に取り組んでいた地域で勤務していたこともあり、私も賛同していました。もちろん進んで私も参加していました。汚い話で申し訳ないのですが、
私は素手で便所を掃除します

この「掃除に学ぶ会」の実践活動は、実はY's Dreamでも行っていました。トイレ掃除は今でも素手で行っています。
ただし実践活動をしていたのは私とごく限られたスタッフだけでした。このスタッフは当時20代前半と若く、職を転々として私のところに来た方で、訓練の意味を兼ねてトイレ掃除をさせたので、どちらかといえば例外です。
さらに「職場の教養」も一時期入手して、音読していました。しかしこれも取り組んだのは私だけでした。
トイレ掃除も職場の教養も自分の気持ちを引き締めるだけの目的であり、これを他人に押し付けるのは「お躾(=押し付け)」になり、逆効果になります。
なお、トイレ掃除の後は必ず消毒しています。

ここで出てきた言葉、
お躾
私の両親はこれを推進しています。

嫌がる社員に無理やり「職場の教養」を輪読させるのはいかがなものでしょうか。
調べてみると、「倫理研究所」なる一般社団法人が主体ですが、実は
新興宗教とつながりがあるのです。
ちなみにここと同根の新興宗教はパーフェクトリバティー教団、PLです。あのかつての野球の名門、PL学園の母体なのです。

ソウス
上記ソウスより
(ここまで省略)…『職場の教養』に収録されたエピソードは、どれも、
・所属団体への忠誠(自分か団体かという場合には団体を選ぶ)
・分をわきまえ、自らの仕事に誇りを持つ(自分の枠からはみ出さない)
・よき家庭人になる(ここでも「家族」という集団への帰属が優先される)
・創意工夫の大切さ(ただし。あくまで集団内部における自分の職務を全うするためのもの)

といった傾向が見て取れる。こういった、江戸時代の石田心学から続いているような、実践的な「修身」「道徳」が、ここまで判りやすく説かれている本は、今では滅多に無いだろう。(中略)こういうものを、いい大人が毎朝唱和し、会社によってはその日の担当が感想まで述べるのである。(中略)こういう平板な、底の浅い教訓・訓話であっても、それを毎日毎日読まされれば、いやでも少しずつ刷り込まれて来る。一つひとつは馬鹿にして聴いていても、1年も同じことを繰り返していれば、馬鹿にしていたはずの規範がいつのまにか自分の思考経路の、割合と大きな部分を占めていることに気づくだろう。これを「洗脳」というのだが(笑)、企業経営者からすれば、毎朝読ませるだけで少なからぬ社員が従順な企業人に変化してくれるのだから、こんな有難いものはない。(以降省略)

引用ここまで

正直言います。
このような道徳論に終始した企業、もう
時代遅れ
の一言に尽きます。
今はこういう道徳論に終始した経営で激しい競争に勝てる時代でしょうか。

それだけではありません。
働き方も多様化しています。
個人個人が「個人事業主」として、会社と対等の関係を築く必要がある時代です。アメリカから中国まで、そのような意識で働いている人がほとんどです。日本でもこの意識で働く人が増えつつあります。私もそのような意識で働いています。
このような道徳論が主流の国が世界で一つだけあります。それは
韓国
です。
韓国といえば儒教の国です。
しかし、その韓国は今行きづまりの様相を呈しています。背景にあるのが
儒教の縛りの結果、柔軟な対応ができない
という問題です。いい例が今問題になっているMERSであり、昨年起きたフェリー沈没事故なのです。
儒教に基づいた国、清は滅び、中華人民共和国になりました。日本もどん底の20年を経験しましたが、背景には儒教的価値観がありました。そして今、韓国が行きづまりの様相を呈しています。
早い話、儒教的価値観は時代が必要としなくなりました。もはや宗教の世界であり、一種の「ユートピア(理想郷)」なのです。
それにしがみつくことが、はたして幸せなのでしょうか…

そして、この「宗教」にしがみつくことによって、ある人は心の平安を保てる半面、その犠牲を払う人の苦しみはいかほどでしょうか…