2017年12月27日水曜日

本当は怖い「親孝行」

こんばんは。
こちらはおそらく今年最後の書き込みになると思います。

先月11月中旬、私の叔母が「孤独死」してしまいました。

結局違ったのですが、一時は「強盗殺人」が疑われるほど、通常の死に方ではなかったので、警察で司法解剖が行われることになり、結果胃潰瘍によるショック死もしくは失血死との診断でした。

しかし、このような病気では普通死ぬことはありません。
私も「地域包括支援センター」から訪問介護や訪問看護というチャンネルにつないだり、あるいは遠隔見守りシステムの導入など、福祉に結び付けようとして動いていた矢先のことでした。

ならば、なぜ…

一つ考えられるのは、
両親にかしずいたあまり、自分の人生を謳歌することなく死を迎えた
ということです。

あるいは
人生に何の楽しみもなかった
のかもしれません。

いずれにせよ、厳しすぎた親のしつけに従い、それに忠実に従ったあまり、親の死後、自分の人生を謳歌することなく、抜け殻のように生きることになり、最後は座して死を待つことになってしまったこの叔母…

大きな誤謬があり、かつ時代の変化についていけなかった子育てを受け、それに従った結末だとすれば、本当の悲劇といわざるを得ません。
しかし、それが儒教では「是」とされているのです。

儒教の教えでは…
道に外れたことを行う君主を三度諌めても聞き入れられなかったら、君主の下から去るべきであるとされたのに対し、道に外れた親を三度諌めても聞き入れられなければ、泣き寝入りして従わなければならない
とされています。

私の母親は、道に外れた「躾」を私に対して行いました。
この原因がどこにあるのかを私は突き詰めた結果、
母親も好き好んでこのような躾をしたのではない
母親自体がそのような躾を先祖代々受けてきた
ということが分かったのです。

その言動は、母親から常々私は何度も見聞きしました。
その躾に完全に従い、かしずいてきた叔母ゆえ、このような運命をたどってしまったというのが私の見解です。

私も儒教の教えを信じています。
加えて、私は「たとえ親に誤謬があっても、子どもは親に従わねばならない」と考えていますし、親の望む人生を歩むことが親孝行であり、それこそが子供の義務である、と考えています。私はその点で「親不孝であり、子どもとしての義務を果たしていない」と考えています。
「あれ」のおかげで、自分らしい人生を歩むのみならず、多くの人を…としていますが、実はこれは「親不孝」の極みなのです。

ただ、このような「親不孝」をしない限り、自分らしい人生を歩めないという現実が私にはあり、そのような家に生まれた私は、「家じまい」「墓じまい」をする義務があるのです。本来孤独死すべきは、私の両親が亡くなった後の私なのです。
このような誤謬を抱えた家に生を受けた私は、結婚できないのが当然であり、私で「負の連鎖」を止めなければなりません。
仮に私が結婚し、子供をもうけようものなら、それこそ虐待に走っていた可能性があります。(当然虐待の結果、私は「塀の中」に入ることになります)

ですから、私はすでに「生涯独身」を貫く方針を固めています。

そのような、誰も幸せにできない人生を歩むことが「親孝行」という状態の私。
母親は、それを知ってか知らずか、「自衛隊に入ってほしかった」というのが口癖です。殉職を望んでいたのかもしれません。

さらに言えば、母親の出身地は薩摩半島。
薩摩半島には、特攻隊の基地であった知覧があります。
お国のために命をささげることが、戦時中の日本では最大の栄誉とされていました。

加えて母親は三姉妹の長女。先日亡くなったのは、次女に当たります。
ところが、母親には兄がいました。その兄は、戦後の混乱期に病に倒れ、幼くして世を去ったそうです。墓銘碑にもその記録があります。
そして、初孫が私。ところがその初孫が自閉症。母親は厳しい叱責を受けたそうです。さらに私には妹か弟がいたそうですが、私より重い障害がある可能性が取りざたされ、堕胎されたそうです。

このような「負の連鎖」が母親の家系にあることが分かり、しかも実質父親は「婿入り」状態。
母親は「毒親」ですが、その原因はこのような先祖代々の「負の連鎖」ということを突き止めていました。
このような家ゆえ、「親不孝」をしない限り、自らが自分らしい人生を歩めないという、矛盾を抱えて私は生きているのです。
それゆえ、私はなまじ結婚すると、矛盾を拡大再生産し、結果不幸を広げることになってしまいます。
ましてや私は儒教の教えこそが真実と信じている一人。それに逆らって「あれ」をしていること自体、儒教の教えに反しています。でも、そうしないと自分らしい人生を歩めないことも事実。

結局のところ、「親孝行」もごくまれではあるが時として、死を招くことがある、ということです。
そこに儒教の恐ろしさがあるのです。
その恐ろしさに私は気づいているからこそ、平気で「親不孝」ができるのです。


2017年11月29日水曜日

人とのかかわりを断ち切った○○の末路

こんにちは。

今、私の叔母が鹿児島市の火葬場で荼毘に付されています。

私はあえて、葬儀に参列しませんでした。

というか、叔母は誰にもみとられることなく、自らあの世へ旅立つ選択をしてしまったのです…

私は叔母の実態を確認し、福祉サービスにつなぐ目的で鹿児島を先日訪れていました。
少し離れた(東京なら都心と千葉、広島なら広島市と東広島市くらいの距離)場所にある常日頃から疲れをいやすために使っている湯治場を拠点に行動する予定でした。
長丁場に備え、レンタカーを借り、食材も地元(鹿児島)のスーパーで地元(鹿児島)の食材を準備し、生活を鹿児島に持ち込んで温泉につかりながらあらゆることを考えるつもりでした。
異変に気付いたのは2日目。初日、叔母の住む家を訪れると、郵便受けが怪しかったのですが、この日は祖母の月命日。お墓参りに行っている可能性が高い、叔母のことだからもし生きていたら大騒ぎをして、親族関係を断ち切るなどの暴挙に出かねない(過去にそうなりかけた事例が何度かあった)こともあり、その日はひとまず湯治場へ向かいました。
2日目の朝、鹿児島にいる以上、私を守ってくださっている有名な神社でもある霧島神宮に参拝し、その後鹿児島市に戻って、お墓参りをしました。そこへ…

電話が入りました。

「叔母が警察に連行された」
「実家に複数の警察官が駆けつけている」

そして2時間ほど後
「叔母の死亡が確認された」
「殺人事件の可能性がある」

ただならぬ事態と判断した私は、両親から
「可能な限り速やかに鹿児島から脱出するように、できれば広島の実家へ直行するように」
という指示を受けました。

私は鹿児島市→湯治場→鹿児島県内のとある新幹線駅(鹿児島中央駅ではない)というルートでレンタカーを運転し、湯治場で荷物をすべて回収、レンタカーをとある新幹線駅まで運転し、そこで乗り捨てました。レンタカー自体は鹿児島中央駅で借りたもので、この駅は乗り捨て無料可能駅に指定されていたこともあり、この駅に向かうのがベター、しかもこの駅のある町までは湯治場の近くにある鹿児島空港からのアクセス道路があることを知っていましたので、私はアクセス道路をレンタカーで疾走しました。そしてこのとある新幹線駅から九州新幹線に飛び乗り、そのまま広島まで直行しました。

私も両親も憔悴したのは言うまでもありません。加えて私はやけ酒をこのとある新幹線駅から広島駅までの間、ひたすらあおっていました。

緊急家族会議の結果、私は広島で留守番をすることにしました。

祖父の時…私はどうしても外せない風船の仕事(=バルーン演出)があり、それが終わってから翌日の飛行機で広島西飛行場から鹿児島へ。
祖母の時…親から「鹿児島に行くな」という指示が出た。当時私は折からのヘリウムガス払底問題もあって、廃業をすべきか否か真剣に悩んでおり、親は私の存在を隠したかったらしい。

私の母方の祖父母はいわゆる「毒親」とみられ、厳格すぎる子育てを施したそうです。聞いた話では私が風船屋を始める際にも「断固阻止」「廃業に追い込め」という話を私の母親にしたそうです。そして私の創業を詫びたという話を聞いています。

そして母親は祖母が亡くなった直後から、精神疾患になり、鬱状態に。一時は一家心中も考えたそうです。私が幼児だったころ、自閉症に悩んで、やはり一家心中を試みたこともあると聞いています。いずれも父親が止めたそうです。

一連の状況から、母親は「インナーチャイルド」に苦しめられている、と判断しました。

結果、私は今所属している企業の中で風船の活動を再開するに至ったのですが、母親には嘘を話ししています。そうせざるを得ないのも、母親が苦しんでいる真の原因は、祖父母及び祖父母が築き上げた家にある、と考えたからなのです。

今回亡くなられた叔母は、生涯一度も恋愛をすることなく、一度も働くことなく、高校卒業後、祖父母とともに暮らしてきました。祖父母が亡くなった後、唯一の生きがいであった料理もすることがなくなり、最初は鹿児島随一のデパートYやすぐそばにある南九州では有名なスーパーTで買い物をしていたのが、最近ではすぐ近くにできたコンビニSで惣菜を買って暮らしていたそうです。
加えて、私も今回訪れて驚いたのですが、周囲の家が全部なくなっていたのです。更地になっていて、私は状況が直ちにわかりました。「マンション用地になるな、これは」
おそらく不動産ブローカーが来て、土地売却を打診され、以降人とのかかわりを全く断ったのでしょう。

死因は「胃潰瘍による出血性ショックもしくは窒息」だったそうですが、これらの症状はふつう救急車を呼んで救急病院に搬送され、数週間の入院治療というケースがほとんどです。胃を大部分摘出し、食が細くなりますが、死ぬことはなかったはずです。私も福祉サービスにつなぐつもりでした。おそらくは「地域包括支援センター→ケアマネージャー→訪問介護orデイサービスと訪問看護の併用」というコースをたどり(当然介護保険対象になる)、それでも厳しくなると「老人保健施設(老健)」もしくは「介護サービス付高齢者住宅(サ高住)」入り、となるパターンでした。

しかし、この叔母は福祉に頼る意思がなかったのでしょう。どう見ても早く祖父母のところへ行きたかったのかもしれません。
おまけに、最近の福祉政策は、このようなケースを歓迎する傾向にあります。この叔母は年金をほとんど受け取ることなく亡くなったそうです。極論を言うと、このような亡くなり方が増えれば、年金は支払う必要なし、介護保険も健康保険も支払う必要なし、儲かるのは桶屋…

もしそうだとすれば、「何のための福祉なのか」というところまで考えなければならなくなります。

聞いた話では、私のもう一人のいとこがSNEP化しているそうです。

結局、生きがいを失った人たちの末路といわざるを得ないでしょう…

私はそのような人を少しでも減らすような活動をしなければいけません。幸い私は、そのすべがあります。そのすべは…言うまでもありません、「あれ」です。




2017年9月16日土曜日

私がLINEをしない理由

おはようございます。
広島ではカープvs台風一色(福岡ならホークスvs台風)ですが、私はむしろサンフレッチェのJ2落ちを懸念しています…私は昨年、カープセリーグ優勝時に、広島におらず、その日所用があって訪れていた四国松山で静かに過ごしていました…

それはさておき、私のところに最近
LINEアカウントはないか
という問い合わせが多数来ています。

しかし、私はLINEアカウントを開設する予定は今後もございません。もちろん現時点でもLINEアカウントはありません。

その理由ですが、表向きは
情報漏えい事故防止
です。しかし、本当の理由は
LINEをすることによって人間関係にストレスを感じる危険がある
と判断しているからなのです。

有名なのは「既読」ルールと、素早い返事を求められるという暗黙のルールです。
一方で、合わない人をグループから外すLINEいじめも多くみられます。ひどいと自殺した人までいるくらいですから、いかにLINEがストレスを感じさせるものかが分かります。

特に私のように、
精神障害認定されるほど対人関係に過敏な人は、LINEを金輪際使用しない
ことをお勧めします。
対人関係に敏感な人で、LINEでの付き合いに疲れる人は多いと聞きます。そうならないためにも、私はLINEを使用しない方針です。

なお、私はツイッターもしていません(ツイッターのアカウントもありません)。こちらは140文字以内での情報発信が難しいと考えたためで、LINE拒否とは別の理由です。

一方、当初は一切しない方針を貫いていたが、方針変更で積極的に使用するようになったSNSもあります。それは
Facebook
です。

2015年の秋ごろまで、私は同じ理由でフェイスブックも導入拒否していました。
ところが、バルーンの活動再開を検討するにあたって、情報発信の仕方を見直す必要が生じました。
それまで私はグーグルプラスを使用して、細々と情報を発信していました。バルーン関係の画像はTumblr[タンブラー]を使用していました。しかしこれでは、広く情報発信できないということが分かり、フェイスブック導入に踏み切りました。
※タンブラーはアカウント閉鎖して使用中止、グーグルプラスは最新作品集公開アルバムに用途変更
時を同じくして
インスタグラム
が出始め、こちらは2015年の秋に導入開始。これとフェイスブックを併用することによって、現在バルーンの活動をPRしています。

LINEの既読同様、フェイスブックの「いいね!」も強迫観念を迫るものとして問題視されていました(私が長いことフェイスブックをやらなかったのもこの理由)が、フェイスブックは一種の社会インフラと化し、ホームページやブログが果たしていた機能を取って代わりつつあります。

そのため、LINEと同様、情報漏えいが懸念されていたフェイスブックの安全性を確認したうえで、2015年秋に導入に踏み切りました。
現在では長年ブログによって行っていた情報発信を、フェイスブック中心に行うようになりました。企業もフェイスブックでの情報発信にガイドラインを設けるなどして運用するところが増え、社会インフラ化しつつあります。

LINEも社会インフラ化しつつありますが、私は導入するつもりは今後も全くありません。フェイスブック付属の「メッセンジャー」で代替できますし、写真共有サービスも多数あります。これらで代替できるので、わざわざ火の中に入るようなことは私はしません。














2017年6月18日日曜日

うるさい親は…




こんばんは。
これは30年前の公共広告機構(AC)のCMである。

今、このようなCMを公共の電波で流したら、ネット上で叩かれること請け合いである。

「うるさい親」=子供のことを肯定しない親(すなわち、いわゆる「毒親」)

であり、その結果自己肯定感が低い大人に成長して、生きづらさを感じるという弊害が30年たった今になって明らかになっている。

もっとも、ここまでグローバル化が進展して、価値観が激変するとは当時はだれも思ってなかったようだが。

とどのつまり、30年前、すなわち1986年ごろは
厳しい躾こそ子育ての王道
だったのである。今はそれが誤りだと分かっている。

それが行き過ぎて、暴力に及んでいたのが私の両親。

当時、私はこう読んで、揶揄していた記憶がある

うるさすぎる親は熱すぎて触れない

今でも私は「地震、雷、火事…」より「おやじ」の方が怖い。というか、私は「おやじ」のみならず「おふくろ」も怖かった。親がうるさすぎて、暴力をふるっていたからである。

両親は暴力をふるっていた当時のことを覚えていない。
私は両親が私に対して暴力をふるったことを今でもずっと覚えている。

もうこれ以上書くと、とんでもない内容になり、とても文字化できないレベルなので、ここで今日は終わりにする。



2017年5月28日日曜日

トントントンからりん隣組…

こんにちは。
今、私はある問題に大変悩んでいます。
その問題は、
町内会役員推薦の話
なのです。

私は、町内会に対していい印象を抱いていません。
なぜなら、複数の町内会で、問題に巻き込まれた経験があるからなのです。いずれも行政が絡む、非常に厄介な問題でした。
最初に巻き込まれたのがM市。ここは地方都市ですが、ここで私は町内会トラブルに巻き込まれました。
私は当時、団地の集合住宅に住んでいたのですが、下の階に住んでいたのが問題の町内会長。正確に言えば、元は単なる班長だったのが、町内会独立を企て、某保守系政党の派閥を絡めて動き回り、結果町内会独立に至ったのです。さらに厄介なことに、このM市、当時はすぐ近くに私立大学を誘致しようとした件をきっかけとして、市を二分した争いが起きていたのです。
問題の町内会長は大学誘致推進派。当時勤務していた会社の幹部は大学誘致推進のリーダー的存在。加えて当時の上司はその幹部の親戚…今ならパワハラに該当する行為を私は職場で受けていましたが、私は大学誘致反対派。加えて、当時勤務していた会社にはかつて社会党選出の衆議院議員を輩出するほどの力を持っていた組合が存在し、私は組合幹部と仲が良く、組合幹部が複数の重役と密接だったこともあり、会社の派閥争いまでからむ状態でした。その組合が大学誘致反対派と親しかったこともあり、大変厄介な状況が起きていたのです。さらに分裂元の町内会も反対派の市議会議員(自民党系)とつながっていました。当時も今も与党である自民党ですが、その自民党の中ですら割れている状態でした。
このような状態でしたので、私は大変なパワハラを受けていました。そして町内会分裂…少数派だった反対派住民はいじめを受け、自治会費を他の住民の倍以上払わされたり、一斉清掃の際、参加したのに罰金を払う事態に至りました。挙句の果ては複数回私の家に勝手に上り込む始末…。その後、大学誘致反対派に市長が交代し、大学誘致反対派が市議会の多数を占め、さらに私は組合幹部に近い重役に異動を勧められたこともあり、問題は沈静化しましたが、正直いってつらい思い出で、これで私は町内会に対してトラウマができてしまいました。
次に問題が起きたのがO町。ここは高齢化が進む中山間地域で、私はそのO町が進めていた地域活性化策に呼応して、家出同然に引っ越してきました。ここではM市ほどひどくなかったのですが、少子高齢化と私の仕事の特性が絡み合ったトラブルが起きました。
一つは、M市と同様、一斉清掃の罰金を参加したのに払う、という事態が起きたのです。どうも出欠を取ったのですが、私が離れていたところを清掃していたため、出欠をとる際にいなかった、という理由で、罰金を払わされてしまいました。私の両隣の家も欠席していて、罰金を払っていたようでした。翌年の総会で私は罰金制度の矛盾と改善を唱えましたが、否決されました。怒った私は今度は意図的に清掃に参加したものの出欠に応じず、罰金を3世帯分払うという実力行使に出ました。このとき、罰金の額が1世帯分多いと当時の町内会長が気付き、一軒一軒調べて回った結果私がわざとやったことが判明しましたが、経緯を話して私は返還を拒否。3日間にわたる話し合いの結果、私が清掃に参加していたこともわかり、その分の罰金は返還、1軒分の罰金は匿名扱いで社会福祉協議会に寄付ということで決着しました。さらにその際、片方の隣の家(身体障害者の高齢者の介護が必要な独居老人だった)は特別養護老人ホームに入居したため、空き家になったことを知りました。もう一方の隣の家も90近い高齢者で、認知症などにもなっておらず、介護不要でしたが、ある日突然入院し、そのまま亡くなられてしまいました。このときは私の家の前の本来私が駐車するスペースに、霊柩車を停めさせてあげたりもしました。家族が直葬を望んだこともあり、O町ではなく県庁所在地のH市の火葬場にこの霊柩車は向かっていったそうですが…
このO町では、一斉清掃中の事故等も二度ありました。一回目は別の方が草刈り機で手を負傷し、救急車が来る騒ぎになりました。この方は2か月ほど仕事を休まざるを得なくなったそうです。二回目は、草刈りを徹底的にやった結果、マムシが出て大捕り物に。私の家の庭先にも入り込み、私を含めた数人が昼過ぎまでかかって、最後は役場の職員で害を及ぼす獣を駆除する係の人が出動して駆除する騒ぎになりました。誰もマムシにかまれることなく、事故には至りませんでしたが、私は一日を棒に振り、加えて最後は空き家になっていた隣の家に入り込んだため、大迷惑をこうむりました。

このように私は、町内会トラブルを複数経験していることもあり、町内会の在り方に疑問を感じています。一方で今住んでいるところも、町内会の機能強化を推進する市長の方針もあって、いよいよ町内会が「隣組」化しています。
このような状況下で、私のところに役員推薦の話が来て、とても頭が痛いです。そう思ってネットで調べると、私以上に悩まされ、精神疾患になった人さえいる状況。ここ数年深刻になっていて、2年ほど前にはNHKで特集されたほどです。他方、抜本改革に動いた人も見られ、私は町内会退会に踏み切るか、引き受けたうえで抜本改革に取り組み、最終的には町内会解散→NPO法人化(実際にそうしたところも複数ある)に向き合うか、悩んでいます。抜本改革に取り組む前に、逮捕されない程度に無茶苦茶の不条理をやって住民の問題意識を喚起し、一部保守勢力による「隣組」復活に対する問題提起をすることも視野に入れています。

実は、私の母親は「隣組」復活大賛成派。一部保守勢力を支持し、戦前の日本社会を美化しています。一方の父親は、最近まで母親と同じ考えでしたが、ここへきて「大政翼賛会」に日本が向かっている、それは許せないと私に話してきました。安倍政権より保守的な考えの私の両親ですが、ここへきて温度差が出てきています。



私もやはり安倍政権より保守的な考えの持ち主ですが、一番ダメなのは中途半端。かつての「隣組」レベルまで町内会を強化するか、あるいは一度解体するか。M市やO町で起きていたのは「隣組」になろうとしてうまくいかなかった事例。
今住んでいる町は「隣組」復活を目論んでいるようです。そして行政が本来すべきことを町内会に任せ、行政はただ指示するだけにする体制を目指しています。
このような流れで目立つのが個人情報の不正なかき集め。実際経験したのは、市が知的及び精神障害者のリストを作成しようとしたことです。この件で私は郵送された書類をもって市役所に押しかけ、数時間にわたり猛抗議しました。結局担当者が「リスト掲載拒否できることを関係者に周知するように徹底する」と話したため、私は同封されていた書類の分かりにくいところにあった「リスト掲載拒否」にチェックをつけて提出し、私が障がい者リストに掲載されることはありませんでしたが、このリストは私も目にしました(私は拒否したので掲載されず)。そのリストは班単位になっていて、どの家に身体障害者がいるのか、どの家に知的障害者がいるのか、あるいはどの家に精神障害者がいるのかわかるようになっていました。そして身体障害者がどの家に災害時の救護を求めるのかも明記されていたのですが、よりによって私が身体障害者の救護先に指定されていました。このリストを配る際に町内会長とその身体障害者の介護をしている方が私にお願いに来たのですが、よりによって発達障害者に身体障害者の救護をお願いするとは…市役所にリスト掲載拒否を申し出たので、断りませんでしたが、東日本大震災、熊本震災、西日本集中豪雨(広島と福知山が被災)…とここ数年大規模災害が続いており、加えて某国のミサイルが落下する危険もあるという状況。戦前のこの「隣組」の時代には隣近所が運命共同体になっていたこともあり、それが当たり前だったのですが、今は時代が異なります。憲法を変えないと、昔に戻そうにも戻せないというのが今の安倍政権の考え方で、だから憲法改正へ…となるのだが、自民党総裁の任期を延長してもまだ時間が足りないのが憲法改正。唯一戦前に戻すとすれば、さらなる自民党総裁の任期延長しかないが…幸か不幸か、現時点で野党として機能しているのは共産党だけ。

ここまで書いてきて、問題なのは行政の「おしつけ」のような気がしてきました。かつてゆとりのある楽園的な職場だった郵便局は今やノルマ押しつけが横行するブラック企業レベルと化し、役所での非正規職員の待遇は悪くなるばかり。
私は韓国みたいな状況になる恐れがある、と危惧しています。韓国は儒教をバックボーンに、本来行政が果たすべき役割を放棄して福祉サービスを家族で対応するように押し付けた結果、自殺が世界トップになってしまっています。「地獄社会」となり、社会に余裕が全くなくなってしまい、極端な社会になってしまいました。日本も儒教の国ですから、こうならないとは限りません。
儒教がいかに恐ろしいか…

2017年5月13日土曜日

ゴミとお宝は紙一重…

こんにちは。
本当に久しぶりの投稿になってしまいました。
非常に多忙な日々を過ごしていて、充実しているゆえに、こちらの投稿がほとんどない状態になってしまっています。

同じテーマで今こちらにもアップしているところです。

そして、
久々に体中を突き抜けるほどの、ものすごい達成感を味わうことができました!

のですが、その間にこのような記事を見かけました。
バルーンに携わっている方の記事なのですが、その方が就労支援でこのような残念な事例を目の当たりにされたそうです。

内容を要約すると、
就労移行支援施設の支援を受けて一般就労についた障がい者が上司からパワハラを受け、耐えかねて退職しようとしたところ、就労移行支援施設から「お願いだからやめないでくれ、辞めるのなら別の理由で辞表をかけ」といわれた…

私が以前から問題視している
数字稼ぎ、実績欲しさの就労移行支援の典型
だとこの問題は思います。

本当のところはわからないのですが、このような事例は他にもいくつか見聞きしています。
そればかりか、就労移行支援事業所の中には
就労実績○○人!6か月定着率○○%!
というような、
これ、就職予備校じゃん
というようなことをする事例も多々見受けられます。

そして悪いことに、
就職予備校に行くことによって、親が安心する→働くことによって親を楽にすることができる
という流れがあるのです。

親を安心させることがすなわち親孝行であり、子供の義務である
という考えもあり、現実問題として私はこの考えに沿っています。
しかし、この考えだと、本人の人生ではなく、周りの人のための人生を歩むため、パワハラに耐えるということにつながりかねません。

このような考えでは、お宝になるはずの人材がごみになってしまいかねません。
私も一度、そうなりかけた経験があります。
その背後にあったのが親の考えであり、さらに突き詰めると、
儒教的価値観
にぶちあたりました。私は父親も母親も儒教的価値観の中で育ったのですが、とりわけ母親は島津藩鶴丸城下の在郷武士の家系で、商人=武士の土地にルーツがあり、その結果厳格な子育てを受け、結果インナーチャイルドに苦しみ、精神障害に至るまでになってしまっています。母親は朱子学の思想に近い考えです。そのような母親を安心させるために、私は「もう風船を膨らませることはしない」と一度は決めたのです。

だから、ゴミになりかけた私を再びよみがえらせ、お宝にした今の会社には、感謝の言葉もないのです。
しかし、ゴミになりかけている人をお宝にするのはなかなか容易ではありません。その人の持っている良さを引き出すことが大切であり、それをするのが障がい者サービスに携わる人たち、とりわけ放課後等児童デイサービスと就労支援に携わる人たちの責務なのです。


2017年2月26日日曜日

はたを楽にする、という意味

おはようございます。

最近、このような言葉を耳にしました。
働くとは、「はたをらくにする」ということである。
ここでいう「はた」とは、「自分の周囲にいる人」の意味。
とある政治家の国会答弁から生まれた言葉らしい。

現状を考える。
自分が仕事をすることによって、「はた」を「楽」にしているか。

答えは「否」である。
自分が生活するだけで精一杯で、周囲の人の生計を楽にする余裕はない。

というか、ここ数か月を振り返ってみると、
自己投資、すなわち自分のために稼いできたお金を使いまくっている
のが現状。

自己投資を続けた結果、親孝行することができなくなった
というのは、過去の旧Y's Dream時代に犯した過ち。

ホスト(キャバ嬢)を10年続けたのと何ら変わりがない
と、とあるキャリアコンサルタントが評価したのも頷ける。
親を楽にできなかった、という観点から見ると、同じ結果である。

実は、キャバ嬢やホストは、本当の意味で「仕事」ではない。
これらの仕事、実は「はたをらくにできない」のである。

最近、小学生女子のあこがれの職業に「キャバ嬢」がランクインしたことがあった。
高収入というのが一つの理由らしいが、現実問題、芸能界などと同じで、
使う金が半端でない
という現実がある。

究極の接客業だけあって、金をとにかくかけないといけない側面がある。
稼いだ分以上の投資をしないと、もっと稼げないのである。
しかも水商売の裏側は、魑魅魍魎が渦巻く世界。
うつなどの精神疾患になってもおかしくない。

そして、コミュニケーション能力等が長けているにもかかわらず、イメージ面から再就職市場で敬遠される。
「キャリアに足を引っ張られる」
現象が起きるのである。

本題からどんどんずれそうなので、キャバ嬢やホストの話はここまでにするが、実は
バルーン業界最大のマーケットがキャバクラやホストクラブ
という現実がある。

かつてバルーン業界最大のマーケットが
パチンコ店
だった時代があった。パチンコ業界はレジャーの多様化等で急激に衰退し、ピークだった1995年の3分の1にまで市場が縮小したという。

その後、バルーン業界最大のマーケットが
ブライダル業界
イベント業界
に移り、さらにバルーン業界自体が発展していった。バルーンギフトやホームパーティーの需要は着実に伸びた。イベント関係が縮小に向かい、ブライダル業界も少子化と晩婚化・未婚化の影響で縮小に向かっているが、一方でバルーンギフトとホームパーティーの需要は伸び続けている。
その中で、急激に需要が伸びたのがキャバクラやホストだった。

私は一時期、営業がてらキャバクラに出入りしていた。そして出入りしていたキャバクラの装飾なども手掛けていた。…が、
平日昼間はギフトや週末のブライダル向けの準備や発送
平日夜はキャバクラの装飾現場
週末はイベントやブライダルの現場

という状態だった。
加えて、バルーン業界の技術の進歩は急激だった。
ついていくためには稼いだ以上の投資をしないといけない。
同時にバルーンの立ち位置が変わった。

そんな中で、私は「慢性疲労」の状態になった。
心も体も限界だった。

結局、2012年に鬱を発症。
長期休業に追い込まれた。

これを見たのが両親。
ここぞ、とばかりに自分のもとに息子を取り戻そうとした。
このときの両親は異常そのものだった。
挙句の果てに、両親は「パンドラの箱」を開けてしまった。

ここでいう「パンドラの箱」とは、
自立している子供の人生に踏み込み、子供を親のために生きるように仕向けよう、とすること。
まさに「毒親」でなければまずありえない行状である。カルト宗教に足を踏み入れているわけではないのに、バルーン業界そのものを「カルト宗教」扱いしたりした。

このようなことをすると、「やまない雨」が降ることになる。すなわち「災害レベル」の出来事が起き、元に戻るのに長い歳月が必要になる。あるいは元に戻らない、取り返しのつかないことになってしまう。「やまない雨はない」というし、現実問題災害が起きても雨はいつかは必ずやむが、崩れた土砂や堤防を元通りに戻すには長い歳月が必要である。数年前に広島市安佐南区八木で起きた「山津波」は、局地的に「復興不能」地帯を生み出した。東日本大震災などでも出た「復興不能」。こうなると、もう元通りには戻らない。

話がどんどん横にそれていっている。元に戻そう。

「はたをらくにすること」ができて、初めて自立する、ということが可能だと私は思っている。自分が生きていくだけでは、自立していることになっていないと私は思う。
「はたをらくにする」ために、仕事と割り切って働く必要がある。そのためには、自分が生きていくだけの仕事に見切りをつける必要がある。

バルーン業界を「カルト宗教」呼ばわりした私の母親は、その後まもなくして鬱を発症した。正確には持病であった「自律神経失調症」が悪化した。そして歩くことができなくなった。さらには自殺未遂までしてしまった。この原因のすべては私にある、と考えた私は「母親を楽にするため」に、バルーンアーティスト引退を決断した。

ところが、原因を探求すると、違うところに問題がある、という結論に至った。母親の「イエ」に問題があり、母親が異常なまでに厳しくしつけられた結果だということが分かった。そして、自分自身の幼少期も厳しすぎる躾を受け、その結果「生きにくさ」につながっていたことが分かった。親子間で
負の連鎖
が起きていたのである。

私が幼いころ。
母親は祖父母の呵責に耐えながら、私の自閉症を無理やり直そうとした。それも今では「間違っている」とされる方法で。その結果、私は言葉がしゃべれるようになったが、今に続く後遺症が残った。
私が鬱を発症してようやく、本当の原因が分かった。私の自閉症は、根本治療されていなかったことが分かった。自閉症である以上、「発達障害」となる。障がいと向き合って、受け入れて生きるしかない、という結論に至った。両親が私にしてきた、厳しすぎる躾の後遺症は「精神障害」。これではどんなに努力しても、結果が出ないはずである。
「根っこに問題がある」=「土壌に問題がある」のだから。

だから、私は「土壌に問題がある」以上、その現実を受け入れて、それを踏まえて生きていくことを考えるのが最優先だと考えている。そのためにあるのが「療育」なのである。

しかし、その考えを邪魔するものが存在した。
それは「儒教」である。
両親は儒教を心のよりどころにしているようである。私の両親は父親も母親も儒教的価値観のもとで育てられた。実家の本棚には「論語」などの中国の古典がある。その結果、考えが超保守的である。
私も自分の考えを改め、自己洗脳して真っ新な自分に変わろうとして、儒教を学んだ。その結果たどり着いた考え。

「働くとは、周囲の人を楽にすることである。そこには自分の考えではなく、周囲の人のために尽くす、ということである。すなわち私は親のために働く。親のために今後の人生を歩んでいきたい」
「そのためには、自らをむなしくし、全てをありのまま受け入れる必要がある」
以前のべたような「学習放棄」をして、自分を一度空にし、全く違う考えを受け入れて、親のために生きていく、という人生を歩みたかったのである。
「よしんば親に過ちがあれど、子は親に従わなければならない」
という考えにも至った。儒教の最大の教え「孝」である。

だからこそ、「はたをらくにする」という言葉を聞いて、真っ先に思った。
「親を楽にするために仕事をする」ことができないうちは、「仕事をしているうちに入らない」と。ゆえに、私は「仕事をしていないのと同じ」だと。

とある就労移行支援施設の年頭のあいさつで「はたをらくにする」という話が出た。
この就労移行支援施設は、そのために何をすべきか、という訓練をする方向に向かっている。
しかし、私は「だったらもっと徹底した訓練が必要」と考える。
その訓練は「自らをむなしくする訓練」である。

自分の過去を捨てて、真っ新な自分として全く違う分野の仕事に取り組む覚悟をもって就職活動に取り組むのである。そこまでやって初めて「はたをらくにできる」。
「自分のために生きている」という価値観を捨て去ることが必要だと思うが、この就労移行支援施設は、残念ながらそこまで踏み込んだ訓練をしていない。だから「価値観が違う」という理由で不採用を積み重ねることになるのだ。「面接は時の運」とほざいているようだが、私から言わせれば「自らの器を一度空にし、相手が求める価値観を満たせる人になるよう、自らを作り替える」ぐらいのことができないといけない。

そのぐらい中高年の就職は厳しいのである。特に一度キャリアを築き上げた経験のある人にとっては。「築き上げたキャリアが足を引っ張る」とは、こういうことを指すのである。

ただし、これまで築いてきた価値観と企業が求める価値観が一致した(あるいは非常に近い)幸運に巡り合えた場合は話が全く異なってくる。このようなケースは私は「レアケース」に近い、と考えている。このようなケース自体まれだと私は思っているし、現実にそうである。

だからこそ、
「はたを楽にするためには、自分を一度むなしくしなければいけない」
のである。


2017年2月21日火曜日

インナーチャイルド…私を縛るものの正体とは

こんばんは。

今、私は「自分のお金が使えない」という状態に陥っています。
というのも、1月に20年ぶりにインフルエンザにかかってしまい、給料カットをくらってしまったからなのです。もちろん会社から懲戒処分を受けたわけではなく、あくまでも「ノーワーク、ノーペイ」の原則からこうなってしまったのですが…私傷病の場合、一定期間をこえると健康保険から補償されるのですが、あいにく3連休(「成人の日」関連)とぶつかって条件を満たさないため補償の対象外となり、有給休暇への振替制度もないので、欠勤扱いになってしまったのです…

このため、貯金を使わないといけない状態になっているのですが、その貯金の通帳は母親が握っているのです。つまり、
親が子供の金の動きを把握できる
状態になっているのです。

大の大人が親に財布を握られる、というのはこの時点で
異常この上ない
事態です。もっともこれは私に責任があります…過去にギャンブルにおぼれていた時期があったのが大きな理由なのですが…

しかも、この貯金は祖父母の遺言もあって「自分の金」と「家の金」がごちゃ混ぜになってしまったのです。私を溺愛していた祖父母が私のために貯蓄保険をかけていたらしく、その満期保険金が含まれているようなのです。
加えて、母親が精神疾患にかかり、「福祉に頼りたくない」とばかり、保険外治療を受けています。この治療費が高額で、別会計になっているはずの両親の貯金が急速なペースで減っています。すでに年金生活に入っている両親は、かつて富裕層だったこともあり、貯金の減るペースの速さに「いざとなったら私に頼らざるを得ない」という不安を抱えていると聞きます。そのため「自分のお金なのに自由に使えない」という状況が起きているのです。

最悪の場合、
私が両親に仕送りをせざるを得なくなる
事態も考えられるのです。

私は旧Y's Dream時代、自営業ということもあって国民年金(および税金)しか払ってなく、厚生年金が出ないということもあって、祖父母の遺産を私の老後資金に充てたという私の両親の判断、これは私が唯一両親に感謝しています。私が過去にギャンブル依存症になり、挙句の果ては新興宗教に手を出しかけたのを見ている両親としては、貴重な資産をどぶに捨てるようなまねは許されなかったのでしょう。

しかし、パチンコや競馬・競輪といったギャンブル、さらには新興宗教にまではまった私は
風船に救われたのです。
風船に生命を吹き込む→その報酬を得る→その報酬で更なる風船に生命を吹き込む一方、その余りで生計を立てていく
というサイクルを確立したのです。
当時の貯金はすべて、旧Y's Dreamを立ち上げるために消えました。

仮に10万円という金額があります。
その10万円、どう使うかで価値が全く異なります。
パチンコ・競馬・競輪、さらにボートレースで10万円が消えたとします。これは
浪費
の一言。愚かなことこの上ないです。
一方、風船代に10万円を使ったとします。この10万円で
どれだけの風船に生命を吹き込み、その風船に接して、夢と感動と幸せ、さらにいつまでも心に残る感動を残すことができるでしょうか。
これは浪費ではありません。投資です。

私の両親は、この二つをごっちゃにしているのです。
どっちも「浪費」とみているのです。

私の両親は、弁護士にある相談をしたそうです。その相談内容を聞いて私はあきれました。
私を「浪費者」として「準禁治産者」認定してほしい、と。

2000年ごろまでは、「準禁治産者」という制度が法律で定められていました。しかし、この制度を悪用して、浪費者を制裁し、浪費者の人権を制限しようという親族が相次いだうえ、人権保護の観点から廃止されたそうです。(現在は「成年後見人制度」に改められた)
※発達障がいの場合、その障がいの影響と浪費癖の因果関係が認められれば、「成年後見人制度」の活用は可能だそうです。ただし、家庭裁判所の認定という、高いハードルが存在します…私の両親はここまで気づいていたのでしょうか?

そもそも、自立して生計を立てていた人を「浪費者」として「準禁治産者」認定しようとしたこと自体、許しがたい暴挙です。

加えて、私の母親は、バルーン業界全体を
カルト宗教
扱いしたのです。
私自身、新興宗教におぼれかけていました。半年ほど、その宗教の施設に何度も出入りしていました。その新興宗教は密教系で、般若信教は何度も唱えたので、今でも般若信教は覚えていますが…「お布施」が馬鹿にならないほどかかりそうになりかけていて、疑問に思い始めたころでもあったのです、バルーンアートに出会ったのは。
バルーンアートに出会い、そちらへの「投資」が大きくなって、新興宗教やギャンブルから足を洗うきっかけになったのです。
そういう経緯もあるから、私はバルーン業界を「カルト」呼ばわりした母親を許せなくなってしまったのです。周囲に大量殺人を犯した某カルト宗教におぼれた人がいたのも影響していたのも事実ですが…(この人はその宗教から脱会した)

ではなぜ、ここまで私の両親は不安に駆られているのでしょうか。とりわけ、母親は精神疾患を患うまでに至ったのでしょうか。
それは
両親が自分の生きたかった人生を生きることができなかった
ことに他ならないのです。
それがすなわち
インナーチャイルド
なのです。

インナーチャイルドに縛られる人たちは、大半が儒教の影響を強く受けています。私の両親は儒教の影響を強く受けています。儒教の影響を強く受けた「毒親」は、比較的多いです。太平洋戦争敗戦まで当たり前だった儒教精神、それが今でも息づいている「イエ」の伝統を守っている人ほど、「毒親」になってしまっています。

このような親は、子どもを必要以上に厳しくしつけます。とりわけ幼少期の躾が厳しすぎるぐらいになります。それが自己肯定感の低さにつながり、自己否定・完全主義の弊害をもたらすのです。

もっとひどいと、「親になってから初めて気持ちがわかる」とうそぶきます。

このような親に生まれた子供は、家庭を持たない、すなわち生涯独身を貫いた方が却って幸せになる場合さえあります。なぜなら、同じことを子供にしてしまう恐れが高いからなのです。いわゆる「毒親の連鎖」「虐待の連鎖」です。

私の母親は、ことあるごとに私に「親孝行してくれ」とせがみました。この時点で私から言わせればもう「アウト」です。というより、母親自体生きづらさを抱えていることの証左です、この行為自体が。
子どもに親孝行を強要しようとすることそのものが、親が「インナーチャイルド」を抱えていることの表れなのです。

そのような親を心配させまいと思う子供もまた、身動きが取れなくなり、自分で自分を縛ることになるのです。そのような子供も「インナーチャイルド」に支配されているのです。

もうここまで来ると、「きずな」ではなく「ほだし」です。漢字は「絆」で同じですが、意味が正反対になってしまっています。というより、もともとは「絆し」、すなわち「ほだし」の方の意味だそうで、あとから「きずな」の意味に転じたそうなのです。

私はいまだに、親子の「絆し」に苦しんでいます。しかるに、両親は本当の原因をいまだに知ろうとしませんし、仮に知ったところで「パンドラの箱」を開けて自分の人生を後悔することになってしまうので、「知らぬが仏」なのです。昭和の時代は、それでやっていけた時代だったのです。
社会がそれだけ変化してしまったのが大きく、その波に自分が翻弄されているだけなのかもしれないのですが…

2017年2月7日火曜日

謙譲の美徳、武士道…果たして子どもたちに有益か?

こんばんは。
日本人の自己肯定感の低さが、日本人独特の
謙譲の美徳
武士道
と関係しているのでは、という説がまことしとやかに言われています。

アメリカ…約89%
中国…約87%
韓国…約75%
日本…約36%

これは、「自分自身を価値ある人間と思う」という文部科学省の高校生に対するアンケート調査の結果であるが、日本だけが著しく低い。

褒められているのを、「いやいや」と否定する親…これが結果的に、子どもに
否定的な思考回路
を作っていることになってしまっているという。
子どもに謙譲の美徳を理解せよ、というのが困難である。

しかし、私は謙遜の美徳を理解してしまった。それもゆがんだ形で。
その結果、ひたすら自分を低くする考えが身についてしまった。これも自己評価を著しく低くする一因になってしまった。

そして武士道。
相手を立てるのが武士道の基本という。

私は現役のバルーンアーティスト時代、「武士道」を通し続けた。
何があっても相手が最優先であり、自分にいかなる理由があれど、相手の言い分を最優先した。たとえ自分に何ら非がなくても、相手の言い分を全部聞き入れていた。

これらの日本独特の文化、
相手を立て、自らを低くする
ということを私はかつて徹底していた。それが筋を通すことであるとかたくなに信じていた。

さらに、私の両親の考えが儒教に基づいていた。

私の父親の先祖は江戸時代、下級武士の家だったという。一方母親の先祖も「在郷武士」。加えて母親は薩摩島津藩の城下、鶴丸城(=鹿児島城)の城下町にルーツがある。薩摩島津藩はあの「郷中教育」で有名であり、鹿児島独特の生きにくさに今でもつながっているとされる。数年前に放映されていた「薩摩剣士隼人第2部完結編」で、鹿児島へ急ぐローカルヒーローである隼人に向かって悪役「ヤッセンボー」の一味である「くぐり狐衆」が街道に立ちはだかり
「お前はこの鹿児島をどう思う…すべての人が自分らしく生きられる社会と思うか!」
という場面はその象徴であり、これを公式ユーチューブで見たとき
自分が直面している生きづらさが鹿児島の風土と深くかかわっていた
と認識した。
男は男らしく、女は女らしく、謙譲し相手を立て、自分を低く見せるのが美徳
というのが薩摩の文化。
一方の父親は葉隠で有名な肥前の出身。この「葉隠」がまた儒教の影響を色濃く見せた武士道を説く教本。

このような謙譲と武士道の美徳を基本とする家に生まれ育ち、しかも生まれた子供は自閉症。両親、とりわけ母親の精神的重圧は大きかったのは推して知るべし。その結果、厳しすぎる躾に走ってしまったのは容易に察することができる。
このような環境の中で自己肯定感を培うのは非常に困難であった。結果、私は自閉症の症状は治まったが、チックと発達障がいの症状が今でも出ている。とりわけ異食症がひどい。

これらの症状は親からの圧力がひどかったり、愛情が不足している場合に出ることが多い、ということを最近になって知った。

そして、振り返ってみる。
つい最近まで、自分の考えは「武士道」に基づいていた。
だから、お客様を満足させることができなければ代金をいただかない、というようなことまでしてしまったのかもしれない。(これを私は「返還欠場」と呼んでいた)
親の行き過ぎた躾に対抗しようとして、そしてそれを乗り越えようとして、私は風船にここまでのめり込んだ節がある。その結果生み出したものはものすごいものだったが、それを全然「すごい」とは思わず、むしろ「当たり前」と思い、それどころか「もっと上がいる」と、雲の上の高みを目指していたのがかつての自分であった。
結果、引退を余儀なくされ、一度離れて客観的に見て、ようやく自分がしてきたことのすごさに気が付いた。同時に自分を取り巻く「生きにくさ」の正体に向き合うことができた。そうしてやっと「自己肯定感」を実感できた。

幼少期に培われた自己否定の思考回路を改めるには、あまりにも莫大な労力と時間がかかってしまう。そして、自分とひたすら向き合う、塗炭の苦しみを味わうことになる。
このような苦しみをこれ以上子どもたちに味わせたくない。そのためには、
結果だけではなくそのプロセスを評価して褒め、達成感を味わせるような教育が重要なのである。

今、私は
心に中にくす玉を持ってほしい
ということを主張している。
そのくす玉を花開かせるための努力を尊重し、成功体験というくす玉を花開かせることの積み重ねが、人生の大輪の華を咲かせ、その人が輝く人生を送ることができる
と私は考えている。その背景にあるのが
私がしてきたようなつらい経験をする子どもを減らしたい
という願いからである。


2017年1月30日月曜日

親は子の義務?子は親の所有物?

今日の見出しは、25年前、大学生時代に大学の先輩に私に問いかけられた言葉です。

こんばんは。
私はそもそも間違いである舌の手術によって自閉症が治ったとされ、以後小学生の間「いい子」としてとおっていました。
私の母親は、「昔は本当に良い子だったのに」が口癖です。数年前、家庭内暴力を私が惹き起こした時、「昔の良い子に戻ってほしい」と母親が叫びました。

これがそもそもの間違いなのです。

ソウス

私は自閉症・発達障害・アダルトチルドレンです。加えて鬱症状を呈しましたが、それは「新型鬱」でした。おまけにそれを母親は「甘え」の一言で切って捨てたのです。一方で母親は過干渉(父親も過干渉)。

上記ソウスより
機能不全家族の例としては、両親が出来すぎたエリートだったり、昔から親が苦労しているのを目の当たりにしていたり、精神的に弱く不安定な親だったり、子供を管理したがる過保護で過干渉な親だったり、非常に厳格な親のもとで育てられたり、虐待を受けていたり、とにかく子供の頃から周囲に気を使わなければいけない家庭のことを指します。僕の経験的には幼少時に反抗期が無かった子供が非常に多いです。
引用ここまで

確かに私は自己否定の塊になっていた。風船と出会ってプロのバルーンアーティストになってからでさえそうで、常に頂点を目指し、常に全力疾走を続けていた。自分がいかにすごいことをしていたのか知らず、常に上を目指し、ゴールの見えないマラソンを全力で走り続けることをひたすらしていたのである。
そして、引退後は今度は、自分の人生を全否定して全く違うまっさらな自分に変わろうとした。徹底した自己否定をして、キャリアリセットを試み、自分を真っ新にしようとした。

一方で私は完璧主義者でもあった。それゆえ、お客様を感動させることができなければ、値引きをしたり、ひどいと「返還欠場」と称して、代金を受け取らなかったことがたびたびであった。

自己否定と完璧主義、この二つは一体であり、その原因は幼少期の親の愛情不足、あるいは「条件付きの愛情しか与えられない」ことにあるという。

その結果、私はいまだに「子にとって親は義務であり、親にとって子は所有物である」という思考が抜けきっていない。それどころか、「論語」をはじめとした儒教の教えをよりどころにして、「親の気持ちを受け入れ、それに沿って行動することこそが親孝行」という考えがある。さらに、「親孝行は子供の義務である」と固く信じていて、「私は義務を果たせていない」といまだに考えている。

こういう人は結婚してはならない。なぜなら、仮に結婚したところで、「妻(夫)を喜ばせるのが夫(妻)の役目」とかたくなに信じてしまい、常に人の顔色をうかがうことになるからである。その背景には「見捨てられる不安」があり、さらに背景を探ると「親の顔色を常に窺って生きてきた子供」すなわち「条件付きの愛情しか親から与えられなかった」ことに原因がある。
そういうことを繰り返すから、毒親や「やさしい虐待」の世代間連鎖が起き、ニート・ひきこもり・家庭内暴力といった問題につながり、最悪の場合自殺、さらには大量殺人にまで至るのである。

そういう私は、つい最近になってやっと自己肯定感を感じるようになった。というか、ようやく自分のしてきたことがいかに素晴らしく、かつすごいことだったのか実感できるようになった。

しかし、いまだに親に対しては、顔色をうかがっている。特に母親は私の一挙一動に不安を覚えているらしい。両親に会うときは、徹底した猫かぶりをし、本当のことを話さない。本当にことを話すと、母親が不安になるらしい。そういう母親自体がアダルトチルドレンであり、今ではうつ状態に陥っている。
このブログで、母親がどうしてそうなったのかは、すでに何度も述べている。そしてそれが、今の自分にも連鎖しているというのも承知している。

そして、私も母親も、常に他人の顔色をうかがう傾向がある。
一方で私の祖母が、亡くなる数週間前に私の父親に話した言葉
「婿に来てくれてありがとう」
この言葉に涙を流すほどうれしさを感じた私の父…

私の家族は、「機能不全家族」だったと痛感した。そして母親の家全体が「機能不全家族」であり、それが連鎖して私に影響していると考えざるを得ず、その原因の一つが薩摩(藩)の風土にあるとまで考えている。

このような「機能不全家族」から両親が抜けだすことはもはや不可能だと私は考えている。そのような考えを改めることがもはやできない年齢に達しており、考えを改めさせることは完全に困難である。

だから私はどうすればいいのか、だが、考えの根底に儒教があり、それゆえ「親の気持ちを受け入れ、親の気持ちに沿って行動し、親を安心させ、喜ばせるのが親孝行」であり、親孝行イコール孝であり、その考えが最も尊いという考えが自分の根底にある限り、他人の顔色をうかがうことも治らないし、自分らしい人生を送ることもできないし、ましてや恋愛や結婚なんてできない、というかすべきでない。こういう考えがある人に限って、子供に対して暴力を振るい、虐待するようになる。
すなわちこれが「毒親の連鎖」である。


2017年1月7日土曜日

真性「ドリームキラー」の存在

こんにちは。
最近、私の周囲で抱いた夢に対して前向きに努力する人にたくさん出会いました。
その結果、かえって由々しき事態になっています。

なぜか?

実は私は、夢を見ることが「本当は」「本当に」許されていない状況下に生きているからなのです。

なぜか?

実は私の一番身近にいる人が、いわゆる「ドリームキラー」「ドリームクラッシャー」の部類にあたるのです。

「ドリームキラー」「ドリームクラッシャー」と呼ばれる人たちは、私は2種類あると考えています。それはおおむね9対1の比率でわかれていると思います。9割の方は本当にその人を心配しているから「ドリームクラッシャー」「ドリームキラー」になっているだけで、こういう人に対しては本気を出せば逆に応援してくれる存在になります。

問題は残り1割の方です。本当に夢をかなえるための邪魔を、ありとあらゆる方法でしてきます。様々な方法で足を引っ張ります。私の場合、両親も親族(特に母親の方)もこぞって「断固阻止」を打ってきました。

このような行為をする人は
真性ドリームキラー
あるいは
真性ドリームクラッシャー
と呼びます。(以下「真性」と省略)

そして、その人が「真性」になる背景には、
その人の人生が充実しておらず
その人の人生に余裕がなく
かつ、その人自身がその人の人生を送っていない
ということがあげられると私は思います。


私の場合、母親がそれでした。
母親に同調して、父親もそうなりました。

ここで登場するのが儒教です。

儒教の最大の教えは「孝」です。有名なのは、古代から100年ほど前の清王朝に至るまでの中国では、法に定められているほどで、今でも韓国などではこの精神が生き続けています。
ウィキペディアによると、
道に外れたことを行う君主を三度諌めても聞き入れられなかったら、君主の下から去るべきであるとされたのに対し、道に外れた親を三度諌めても聞き入れられなければ、泣き寝入りして従わなければならないとされた。有能な大臣が、自分の親の喪中に出仕したことを不孝であると咎められて失脚するようなことも起こった。
とあります。

私の家は、父親の家も母親の家も儒教の精神が浸透していています。実家には「論語」があり、私も何度か読みました。

一方で、母親も父親も私が見た限り、「その人自身の人生を送っていない」と思いました。母親の方は叔母も同様でした。

こうなると、
文明の衝突
のようなことが親子間で起こります。
宗教戦争
みたいなことが親子で起きている、といっても過言ではありません。

私はこのような状況下で、家出同然にプロのバルーンアーティストになったのです。
私は親の理解を得るため、ありとあらゆることを試みました。表面上は理解していたふりをしていたのですが、実際は受け入れていませんでした。そして積年の恨みを晴らすようなことをしてしまったのです。

私は最初、なぜこのようなことを親がしたのか、理解ができませんでした。親がやったことは「道に外れた」ことでした。そしてなぜ親が「道を外れてしまった」のか、私はありとあらゆることを調べました。その結果、
私は夢を抱いて生きてはいけない宿命にあった
ことが分かったのです。
自閉症、それに伴う発達障害、今では幼少期なら児童デイサービスでの「療育」を通して緩和することが可能です。私が幼少期だった1970年代、そのようなものはありませんでした。結果「悲劇」が起きたのです。具体的な「悲劇」の内容を知ったのは最近のことでした。

結局どこに最大の原因があったのか。
母親の家に、誰一人として自分の人生を送ることができた人が一人もいなかった
ことが最大の原因ではないか、という結論に至りました。
母親、そしてその両親、さらに先祖代々そのような教育が連綿と伝わり、加えて自閉症の子どもを産んだことが「家の恥」とされた…母親がメンツをかけて自閉症を「治療」したのもわかるような気がしました。
そして、そのような家に生まれたが故、私は
本当に夢を抱いて生きることが許されなかった
のかもしれません。

私は本来、親の望むとおりの人生を歩むべき宿命を背負った人だったのです。
ところが、私は宿命に背いて、夢を抱いて生きてしまったのです、20年近い間。
そして夢をかなえてしまったのです。

宿命に気づいたのは、夢をかなえてしまった後でした。

私は自らの中に矛盾を抱えて生きることになってしまったのです。

これ以上夢をかなえるのなら、「孝」にそむくことになる。


しかるに、私が叶えた夢によって、多くの人を元気づけ、多くの人を感動させ、多くの人を幸せにしてきたのも事実。

ならば、私ができることは何か…

叶えてきた夢を通して、他の人の夢を叶える手助けをすること。

これだけです。