2017年1月30日月曜日

親は子の義務?子は親の所有物?

今日の見出しは、25年前、大学生時代に大学の先輩に私に問いかけられた言葉です。

こんばんは。
私はそもそも間違いである舌の手術によって自閉症が治ったとされ、以後小学生の間「いい子」としてとおっていました。
私の母親は、「昔は本当に良い子だったのに」が口癖です。数年前、家庭内暴力を私が惹き起こした時、「昔の良い子に戻ってほしい」と母親が叫びました。

これがそもそもの間違いなのです。

ソウス

私は自閉症・発達障害・アダルトチルドレンです。加えて鬱症状を呈しましたが、それは「新型鬱」でした。おまけにそれを母親は「甘え」の一言で切って捨てたのです。一方で母親は過干渉(父親も過干渉)。

上記ソウスより
機能不全家族の例としては、両親が出来すぎたエリートだったり、昔から親が苦労しているのを目の当たりにしていたり、精神的に弱く不安定な親だったり、子供を管理したがる過保護で過干渉な親だったり、非常に厳格な親のもとで育てられたり、虐待を受けていたり、とにかく子供の頃から周囲に気を使わなければいけない家庭のことを指します。僕の経験的には幼少時に反抗期が無かった子供が非常に多いです。
引用ここまで

確かに私は自己否定の塊になっていた。風船と出会ってプロのバルーンアーティストになってからでさえそうで、常に頂点を目指し、常に全力疾走を続けていた。自分がいかにすごいことをしていたのか知らず、常に上を目指し、ゴールの見えないマラソンを全力で走り続けることをひたすらしていたのである。
そして、引退後は今度は、自分の人生を全否定して全く違うまっさらな自分に変わろうとした。徹底した自己否定をして、キャリアリセットを試み、自分を真っ新にしようとした。

一方で私は完璧主義者でもあった。それゆえ、お客様を感動させることができなければ、値引きをしたり、ひどいと「返還欠場」と称して、代金を受け取らなかったことがたびたびであった。

自己否定と完璧主義、この二つは一体であり、その原因は幼少期の親の愛情不足、あるいは「条件付きの愛情しか与えられない」ことにあるという。

その結果、私はいまだに「子にとって親は義務であり、親にとって子は所有物である」という思考が抜けきっていない。それどころか、「論語」をはじめとした儒教の教えをよりどころにして、「親の気持ちを受け入れ、それに沿って行動することこそが親孝行」という考えがある。さらに、「親孝行は子供の義務である」と固く信じていて、「私は義務を果たせていない」といまだに考えている。

こういう人は結婚してはならない。なぜなら、仮に結婚したところで、「妻(夫)を喜ばせるのが夫(妻)の役目」とかたくなに信じてしまい、常に人の顔色をうかがうことになるからである。その背景には「見捨てられる不安」があり、さらに背景を探ると「親の顔色を常に窺って生きてきた子供」すなわち「条件付きの愛情しか親から与えられなかった」ことに原因がある。
そういうことを繰り返すから、毒親や「やさしい虐待」の世代間連鎖が起き、ニート・ひきこもり・家庭内暴力といった問題につながり、最悪の場合自殺、さらには大量殺人にまで至るのである。

そういう私は、つい最近になってやっと自己肯定感を感じるようになった。というか、ようやく自分のしてきたことがいかに素晴らしく、かつすごいことだったのか実感できるようになった。

しかし、いまだに親に対しては、顔色をうかがっている。特に母親は私の一挙一動に不安を覚えているらしい。両親に会うときは、徹底した猫かぶりをし、本当のことを話さない。本当にことを話すと、母親が不安になるらしい。そういう母親自体がアダルトチルドレンであり、今ではうつ状態に陥っている。
このブログで、母親がどうしてそうなったのかは、すでに何度も述べている。そしてそれが、今の自分にも連鎖しているというのも承知している。

そして、私も母親も、常に他人の顔色をうかがう傾向がある。
一方で私の祖母が、亡くなる数週間前に私の父親に話した言葉
「婿に来てくれてありがとう」
この言葉に涙を流すほどうれしさを感じた私の父…

私の家族は、「機能不全家族」だったと痛感した。そして母親の家全体が「機能不全家族」であり、それが連鎖して私に影響していると考えざるを得ず、その原因の一つが薩摩(藩)の風土にあるとまで考えている。

このような「機能不全家族」から両親が抜けだすことはもはや不可能だと私は考えている。そのような考えを改めることがもはやできない年齢に達しており、考えを改めさせることは完全に困難である。

だから私はどうすればいいのか、だが、考えの根底に儒教があり、それゆえ「親の気持ちを受け入れ、親の気持ちに沿って行動し、親を安心させ、喜ばせるのが親孝行」であり、親孝行イコール孝であり、その考えが最も尊いという考えが自分の根底にある限り、他人の顔色をうかがうことも治らないし、自分らしい人生を送ることもできないし、ましてや恋愛や結婚なんてできない、というかすべきでない。こういう考えがある人に限って、子供に対して暴力を振るい、虐待するようになる。
すなわちこれが「毒親の連鎖」である。


2017年1月7日土曜日

真性「ドリームキラー」の存在

こんにちは。
最近、私の周囲で抱いた夢に対して前向きに努力する人にたくさん出会いました。
その結果、かえって由々しき事態になっています。

なぜか?

実は私は、夢を見ることが「本当は」「本当に」許されていない状況下に生きているからなのです。

なぜか?

実は私の一番身近にいる人が、いわゆる「ドリームキラー」「ドリームクラッシャー」の部類にあたるのです。

「ドリームキラー」「ドリームクラッシャー」と呼ばれる人たちは、私は2種類あると考えています。それはおおむね9対1の比率でわかれていると思います。9割の方は本当にその人を心配しているから「ドリームクラッシャー」「ドリームキラー」になっているだけで、こういう人に対しては本気を出せば逆に応援してくれる存在になります。

問題は残り1割の方です。本当に夢をかなえるための邪魔を、ありとあらゆる方法でしてきます。様々な方法で足を引っ張ります。私の場合、両親も親族(特に母親の方)もこぞって「断固阻止」を打ってきました。

このような行為をする人は
真性ドリームキラー
あるいは
真性ドリームクラッシャー
と呼びます。(以下「真性」と省略)

そして、その人が「真性」になる背景には、
その人の人生が充実しておらず
その人の人生に余裕がなく
かつ、その人自身がその人の人生を送っていない
ということがあげられると私は思います。


私の場合、母親がそれでした。
母親に同調して、父親もそうなりました。

ここで登場するのが儒教です。

儒教の最大の教えは「孝」です。有名なのは、古代から100年ほど前の清王朝に至るまでの中国では、法に定められているほどで、今でも韓国などではこの精神が生き続けています。
ウィキペディアによると、
道に外れたことを行う君主を三度諌めても聞き入れられなかったら、君主の下から去るべきであるとされたのに対し、道に外れた親を三度諌めても聞き入れられなければ、泣き寝入りして従わなければならないとされた。有能な大臣が、自分の親の喪中に出仕したことを不孝であると咎められて失脚するようなことも起こった。
とあります。

私の家は、父親の家も母親の家も儒教の精神が浸透していています。実家には「論語」があり、私も何度か読みました。

一方で、母親も父親も私が見た限り、「その人自身の人生を送っていない」と思いました。母親の方は叔母も同様でした。

こうなると、
文明の衝突
のようなことが親子間で起こります。
宗教戦争
みたいなことが親子で起きている、といっても過言ではありません。

私はこのような状況下で、家出同然にプロのバルーンアーティストになったのです。
私は親の理解を得るため、ありとあらゆることを試みました。表面上は理解していたふりをしていたのですが、実際は受け入れていませんでした。そして積年の恨みを晴らすようなことをしてしまったのです。

私は最初、なぜこのようなことを親がしたのか、理解ができませんでした。親がやったことは「道に外れた」ことでした。そしてなぜ親が「道を外れてしまった」のか、私はありとあらゆることを調べました。その結果、
私は夢を抱いて生きてはいけない宿命にあった
ことが分かったのです。
自閉症、それに伴う発達障害、今では幼少期なら児童デイサービスでの「療育」を通して緩和することが可能です。私が幼少期だった1970年代、そのようなものはありませんでした。結果「悲劇」が起きたのです。具体的な「悲劇」の内容を知ったのは最近のことでした。

結局どこに最大の原因があったのか。
母親の家に、誰一人として自分の人生を送ることができた人が一人もいなかった
ことが最大の原因ではないか、という結論に至りました。
母親、そしてその両親、さらに先祖代々そのような教育が連綿と伝わり、加えて自閉症の子どもを産んだことが「家の恥」とされた…母親がメンツをかけて自閉症を「治療」したのもわかるような気がしました。
そして、そのような家に生まれたが故、私は
本当に夢を抱いて生きることが許されなかった
のかもしれません。

私は本来、親の望むとおりの人生を歩むべき宿命を背負った人だったのです。
ところが、私は宿命に背いて、夢を抱いて生きてしまったのです、20年近い間。
そして夢をかなえてしまったのです。

宿命に気づいたのは、夢をかなえてしまった後でした。

私は自らの中に矛盾を抱えて生きることになってしまったのです。

これ以上夢をかなえるのなら、「孝」にそむくことになる。


しかるに、私が叶えた夢によって、多くの人を元気づけ、多くの人を感動させ、多くの人を幸せにしてきたのも事実。

ならば、私ができることは何か…

叶えてきた夢を通して、他の人の夢を叶える手助けをすること。

これだけです。