2015年9月28日月曜日

就労訓練と企業の価値観と…

おはようございます。

世間では障がい者合同面接会なるものが近づいています。
年に2回ある求人のピークの一つで(もう一つは1月下旬~3月中旬。このため私は2月、就活に集中していた)、この日のためにどこの就労移行支援事業所もみっちり練習を積みます。
今年は例年になく求人が多いこともあって、私も
ダメ元
で参加することにします。

こういう「ダメ元」で参加してみて、採用されるケースがまれにあるようなので、私も参加するのですが、この日のために面接練習を何度も何度も繰り返す就労移行支援事業所もあります。
それだけではありません。就労移行支援事業所によっては、ノックの回数から礼の仕方から、細かく訓練しているところもあると聞きます。さらには「履歴書」や「職務経歴書」だけではなく、「自己PR書」や「志望動機書」まで準備させるところさえあるのです。
もっと言えば、ボイストレーニングをしたり、「えー」「あのー」といった癖を消す訓練までするところもあります。ここまで来ると
調教合戦
の様相を呈してきます。
一方、今の企業は、というと、価値観が一致することが最も重要な採用基準というのが現状なのです。その先の主張はリンクしておいた私の先月の記事を読んでいただければわかるか、と思います。
とある就労移行支援事業所のブログに
準備の限りを尽くしたらおのずと結果が出る
あとは企業の価値基準にかかっている

とありました。この「企業の価値基準」というところが重要で、それが合わないと、
どんな万全な準備も徒労に終わります。

私は経営者をやっていた経験がありますので、いろいろな人を雇った上で、価値観の違いについて考えたことがあります。
結局長く務めることができる人は
価値観があっている
人なのです。
恐らく、そういう視点で面接をしてくるでしょう。

この2月、最終面接で落ちる、という経験を私はしました。
原因は「価値観の違い」ただその一言でした。
内容で優れていても、価値観が合わなければ努力は水泡に帰す、ということを痛感し、以降私は
自分の器を一度空にする必要があるのではないか
というところまで考えるに至ってしまったのです。相手に価値観を合わせるには、一度自分を空にしないといけないところまで、今の社会は行ってしまったのです。その原因が社会の飽和にあることは、私も以前述べました(上記リンクの記事)。

そこにあるものは、
理念への共感→教化へのあくなき努力→同質性の追求→エリート主義…そして…洗脳…
カルトと同じだ!

ちょっと待てよ!?これ…
今のバルーン業界と同じじゃん!
恐ろしいことに気が付いてしまった…
私の母親の主張にたどり着いてしまう…


結局、発達障害や自閉症に苦しむ人たちの就労が厳しくなることにつながってしまう。

発達障碍者の就労問題、どこに答えがあるのだろうか…

2015年9月22日火曜日

40年前の自分、22年前の自分に…

こんにちは。




思うところがあって上の景色が見えるところに行きました…

というか
♪迷子の迷子の大猫さん
♪あなたの答えはどこですか


という状態が長く続いています。

というわけで、上の景色が見える都市に行ってきたのです。





私が3歳か4歳の時に一人でふらっと家を出て、ずっと座り込んでいたという神社。
写真は取らなかったが、この神社の鳥居を見た時、その時の記憶がよみがえってきた…40年前、幼少期の私が見た景色はこれだったのでしょうか…
警察も出動する騒ぎになり、夜になって警官に見つけられ、ものすごく母親に怒られ、殴られ、ひたすら泣いた記憶が今でもあります…
というか、母親はいつもその母親(=私の祖母、すでに故人)に厳しく怒られていたらしいです(本人談)。ちなみに私の祖父母は当時、この都市に住んでいました。

当時の私は、自閉症でした。(今の発達障害はその名残である)
言葉がしゃべれませんでした。
どこの幼稚園にも保育所にも受け入れてもらえず、母親はひたすらその両親の呵責に耐えていたそうです。
そして躾を厳しくすることが子育ての正解とされていて、それが常識だった時代だったのです。

さらに言えば私は「就学猶予」になっていた可能性もあったのです。
就学猶予についての「ソウス」
当時は、就学猶予・就学免除という制度が残っていたからです。当時は、自閉症のお子さんは、御両親が非常に強い御意志を示されて、そして周囲のバックアップがあって、普通学級にお入りになるという方がごく一部いらっしゃっただけでした。今思うと、かなり高機能の方です。あとの方は殆どが就学猶予でした。そして児童学園というところ、または、このデイケアのようなところにお入りになるのですが…(以降省略)
引用ここまで
私の両親が目指していたのは、色が濃い部分だったのではないか、と思います。何しろ当時でも珍しかった「自閉症を治す手術」を別の都市の大学病院で受けたくらいですから。結果は
自閉症が「高機能自閉症」になっただけでした。
それでも小学校では普通学級に入学できました。というより「自閉症は治った」とつい数年前まで思っていたそうです、私の両親は。



その後、この都市特有の「坂の街」を体感すべく、路線バスと徒歩で山の中腹を歩くと、このような景色に出会いました。
ほぼ同じ景色を22年前に眺めていました…

当時私はこの都市にある大学の4年生。当時もうすでに氷河期でしたが、バブル期から一転した状況に戸惑い、そして何より情報不足でした。それでも何とか内定を2社から得たのですが、1社は親の紹介で内定を得たも同然で、それをけってあえて給料も安い、休日も少ない、労働条件が悪いバス会社の方を選びました。さすがにこの件は親が根に持つことはありませんでしたが…

そして大学生活も残り半年、卒論をまとめるためにこの都市を含めた九州の主要都市を歩き回っていました。

今回私はこの都市のバスに1日乗り放題のチケットで乗っていたのですが、多かったのが
高齢者専用定期券
この都市のみならず、この都市以外を運行するこのバス会社のバス全部に1か月6000円で乗り放題の定期券の利用者が圧倒的多数でした。坂が多く、高齢化が進行している都市ゆえの現象でしょう。私は坂の多い都市とそれ以外では路線バスのシェアが大きく違うことと、吸引力の大きい都市への高速バス需要が大きくなるという予測を自らの卒論で立てましたが、それ以上の変化をしてしまいました…結果、坂の多い都市以外では車社会が進行し、さらに今では自転車が主流になっています…結果、バス会社にいるより風船屋をやった方が地域社会に貢献できると判断するまでに至りました。地方に行けばいくほど、路線バスはもはや「福祉」になっています。過疎地では80歳、90歳になっても車が生活必需品で、認知症を患った高齢者の無謀運転が問題になっているくらいですから…

しかし、本当の目的は別にありました。
この都市にあるとあるバルーンショップを訪問することが目的でした。
結論から言うと、
行って正解
でした。
以前「私と同じ主張をするバルーンショップのオーナーさんがいる」というようなことをこのブログで延べました。その方に会いに行ったのです。
バルーン業界のあるべき姿、将来どうあるべきかについてなど、約3時間も延々と議論できました。
それでも私はこう思いました…
やっぱり厳しい…
詳細は後日。

2015年9月20日日曜日

本当に需要がないのか?

こんにちは。シルバーウィーク真っ只中です。
シルバーウィークは6年前、2009年にもありました…
6年前のシルバーウィーク…

19日土曜日…スパークバルーンシャワー2組。
長崎県の離島に送ったバルーンに不具合。
午後6時に代替品を用意して車で博多港へ出発。
この時はとても公にできない「暴走」レベルのスピードで高速道路を走った記憶がある。午後9時ごろに博多港に到着。博多港から定期便フェリーの「航送貨物」としてバルーンを送り、最悪の事態は回避。
ちなみにこのバルーンは20日の結婚式で使用された。
博多港近くのラーメン店で博多ラーメンを食べたのち帰宅、午前2時。
20日日曜日…ドロップアンドフライ1組・バルーンリリース1組・ドリームバルーン演出1組・スパークバルーンシャワー2組
21日月曜日…午前4時にスパークバルーン4個を積んで大阪へ出発。3個を午前9時前に大阪近郊のホテルに納品(1組の新郎新婦様が3個もご注文いただいた)、残り1個は正午前に姫路市内の結婚式場に納品。この日は高速道路が渋滞だったため、箕面→三田→吉川→社町→姫路という経路をたどった。スプリング8とかいうところの近くを通り、奥津温泉に立ち寄って疲れをいやしてから帰宅。いずれも翌22日使用分で、シルバーウィークによる流通混乱を予想して自分で持って行ったのです。(当時私はこれを「自社便」と称していた)
22日火曜日…バルーンリリース1組・ドロップアンドフライ1組・スパークバルーンシャワー2組。
23日水曜日は何もなし、疲れ果てたので家で静養。
他にも宅配が数組あった記憶がある。合計14組+αの新郎新婦様の最高の瞬間を彩った…


当時いたスタッフやアルバイトをかなり動員したとはいえ、よくこれだけの組数をこなしていた…というよりこれだけの需要があったのです…。

2015年の今。
広島市内の結婚式場をこの2日間で見て回ったのですが、
どこもバルーンを使っている形跡がない!

そして「バルーン 結婚式」でググってみると、
先週末私が手がけたバルーンデコレーションが別々のページで表示される結果に…。

これはもう、
需要が減っているといわざるを得ません。
一方で、
こだわる人はこだわるのです、バルーン演出に。

私は今、すごく迷っています。
完全に引退すべきか。
それとも
複数の収入源を用意し、その中にバルーンを組み込むか。

正社員としての就職は、私は望んでいませんし、年齢面から見てもおそらく困難でしょう。
ところが、最近は臨時職員や契約社員にも副業禁止規定を適用する動きが見られます。背景には「マイナンバー」制度が絡んでいます。その上、バルーンを続けながらほかの仕事をするとなると、完全週休2日の企業に限られ、制約が大きすぎるのです。
正直私は土日休みにこだわっておらず、仮にバルーンを完全にやめるのなら、むしろ土日出勤の会社の方がありがたいですし、そればかりか年間休日65日くらいでも構わないのです。
一方では働き方の多様化が進み、複数の収入源を確保する働き方も今後増えるという見方もあります。

私は今後のバルーンの需要がどう動くかによって、今後の人生を決めたいと考えています。だから需要動向や市場調査はとても重要です。
ただ、以下の点ははっきりしています。

バルーンブライダルの需要はもう伸びない、縮小の一途。
やるとしたら本当にやりたい人だけにやってあげたい。
新たな投資はもうできないし、するつもりもない。

          ↓↓↓↓↓
バルーンだけで生計を立てることはしたくないし、すべきではない。
仮にバルーンを続けるのなら、いくつか仕事があるうちの一つとする。


今後私がバルーンを生かす場としては…
うつ等の精神障害・発達障害・ひきこもりに苦しむ若者などが社会に足を踏み出す場としてバルーンを活用する。
児童デイケア・高齢者デイケアといった場でのバルーンを活用。(児童デイケアでは感性を養い、高齢者デイケアでは認知症の予防になる)

という具合に、福祉分野での活用を中心としていきたい。
そして、自らの経験を次世代に生かすために…
次世代のバルーンデコレーターを育成していきたい。若くやる気のある人材を育成することによって、バルーンの需要が広がり、業界が活性化する

もう私は、表舞台に出るような人ではありません。
これまでのやり方では失敗を繰り返し、傷を大きくするだけです。当然多くの人に迷惑を掛けます。
そのため、最低限の需要があるのかを重点的に調べているのです。

仮に最低限の需要を満たしていない、という結論に至ったら、出口戦略の策定に移り、完全引退する方針です。
最低限の需要とは、私一人が生計を立てれるかどうかなのです。

2015年9月16日水曜日

バルーンデコレーター…豊かかつ成熟した社会だからこそ生まれた職業

こんにちは。
このブログは、10年以上の長きにわたって「バルーンデコレーター」=「プロバルーンアーティスト」であった私が、長年の無理の結果鬱症状を呈して仕事を失って実質ニートになり、そこからどうやって這い上がるか、ということを中心に多角的に述べています。
このブログにはところどころ引用もあります。それは「なぜ私が長年無理をせざるを得なかったのか、そしてその本当の原因はどこにあるのか」を明らかにするための引用であり、論拠なのです。

今思うのは、仮に2012年5月の危機を乗り切ったところで、そのあと訪れた2012年11月から2013年春ごろのヘリウムガス払底という危機は乗り越えられなかったに違いない、ということです。
今にして思えば、2012年がやはり限界だった、ということでした。
その後バルーン業界もブライダル業界もトレンドが激変し、私が目指していた方向とバルーン業界の大きな流れが全く違う方向に向かってしまい、仮にあのまま続けていたらもっと傷口が広がっていた、というのは間違いなかったと痛感しています。
何しろ2013年の上半期、とりわけ2012年の12月から2013年の4月ごろまで、ヘリウムガスの入荷は困難を極め、何もできないという状態に陥っていました。その中から生まれたのがバルーンスタンドだったのですが、私にそこまでの気力が残っていませんでした。
結局ヘリウムガス払底とそれに伴うトレンドの激変が私に引退を決意させる最大の要因となったのですが、ヘリウムガスの供給は2014年になると以前のように回復しました。
他方私は、これまでの経験を生かせる場はないのかという模索を続け、最終的に福祉という全く違う角度からバルーンを見てみたところ、
これはいかせる
と判断、今年春以降広島市内のとある就労移行支援施設と二人三脚でバルーンに取り組んでいるのが現在の状況なのです。
ですから、私は以前やってきたようなことは、基本しない方針です。
私にお願いしたい、というオファーがあれば、その時はもちろんやります。
私がこれまでやってきたことは、若いバルーンデコレーターの皆さんに、どんどんやっていただきたいです。もう私は「ベテラン」の域を超え、「老兵」に近づいています。

そのような今の状況ですが、そもそもどうしてバルーンデコレーターが「職業」として成立するようになったのか、社会背景を考えてみました。
江戸時代から明治維新、世界恐慌、第二次世界大戦、そして高度経済成長期からバブル崩壊直後(平成5年=1993年ごろ)までを振り返ってみるのにいい本がありました。
「ひきこもりと家族トラウマ」(服部雄一著、2005年、NHK出版
上記著書より引用
昔はひきこもりはいませんでした。たとえば江戸時代の若者がひきこもっていたという文献は見たことはありません。それどころか、戦後、経済成長前の貧しい日本でもひきこもりはいなかった。ひきこもりが社会的な問題として登場してくるのは、80年代後半のバブル期あたり、そして新開などで取り上げられ始めたのはバブル崩壊後です。
 なぜ、ひきこもりは日本経済が破綻した頃に斯在化したのか。その問題を解くキーワードは「豊かさ」だと、私は考えています。個人を否定する日本では昔から、ひきこもりが生まれる素地があったのです。しかし、貧しい時代は、それが問題にならなかった。誰もが食べることで必死だったからです。

人口の減少に加えて、経済、教育、政治、社会システムの崩壊が続きます。この崩壊の原因になるのが「システムを変えられない日本」を作る「和の文化」です。和の精神を重んじる日本社会は「自分からは方向を変えられない」という致命的な欠陥をもち、そのために社会崩壊が進んでいきます。しかも、その問題を見ない「臭いものにフタをする習慣」が問題を悪化させています。(中略)
 日本人は、今度は子どもの感情を抑圧する日本的しつけと教育を変えられずに、子どもを病気にしています。

引用ここまで

少なくとも上記著書から言えるのは、高度経済成長期まで日本は貧しかったのです。貧しいということはすなわち「生きていくために働かなければいけない」ということであり、生活、暮らしが最優先の時代だったのです。
さらに日本は「農耕社会」。親の生き方を子供に押し付けるのが正解でした。それに大きな役目を果たしたのが
儒教
でした。

こうしてみると、二つのことが見えてきます。

まず、私と両親の衝突ですが、これはもはや
文明の衝突
レベルと言わざるを得ません。言い換えれば
宗教戦争
レベルです。親と子供の思想が根本から違うのですから、もはやこれはどうしようもありません。過去から現在に至るまで、宗教対立および思想対立が戦争の大きな原因であることに変わりはありません。私の場合、不幸にも家庭内で思想対立が起きているのです。すなわち
古い日本的な行動様式と近代的な自我の衝突
が家庭内で起きているのです。もはやこうなると、自浄作用が働きません。母親もこの衝突を経験し、古い日本的な行動様式に取り込まれてしまい、結果自分で自分を苦しめているのです。

もう一つですが、社会に余裕が出てきた、豊かな社会になったという観点から見ると、
豊かゆえに生き方が多様化した
ということが言えます。その中で生まれたのがバルーンデコレーターという職業なのかもしれません。女性の社会進出はそれを後押ししています。
高度経済成長期、風船といえば
単なる子供のおもちゃ
でした。
しかし今では
空間を華やかに彩るアイテム
であり、そして
人々に感謝の気持ちや幸せな気持ちを伝えるメッセンジャー
としての地位を確立しています。
日本では、前者よりも後者の方が主流になっています。私は前者の方のバルーンを志向していました。しかし今の主流は後者。前者と後者に求められる素質は大きく異なります。後者に求められるのは「コミュニケーション能力の高さ」であり「他人に感謝できる人」です。
これらは
親に感謝できる人でないと高めることができません。
前者はそうでもなく、むしろ想像力とそれを形にする技術が重要です。

海外でも日本でも、フラワーショップとバルーンショップの融合が進みつつあります。共通しているのは
人々に感謝の気持ちや幸せな気持ちを伝えるメッセンジャーとしてのアイテム
であり、同時に
社会が物質的にも精神的にも豊かになった
ということなのです。

昨年だったか、韓国で花の消費量が減っている、ということが言われていました。
私は日夜世界のバルーン業界の動向を見ていますが、韓国はバルーンの需要も伸びていないような印象を受けます。というか数年前まで急速に伸びたものの、そこで頭打ち、というような印象がします。
韓国は物質的にも金銭的にも豊かになりましたが、異常なまでの競争社会で、自殺率も日本の倍以上という状況です。加えて儒教が最重要視されている(すなわち親の考えが絶対である)国で、結果精神が貧しいままの状況になってしまったのかもしれません。
そうしてみると、精神的な豊かさとバルーン、風船の関係はある意味密接なのかもしれません。

2015年9月7日月曜日

ビジョンも価値観も必要ない??

おはようございます。
昨日は親のあまりのひどい発言にドメスティックバイオレンスが発生し、後片付けが大変でした…
怒りのあまり↓のような記事を書きましたが、アメンバー限定にさせていただきます。とても読むに堪えられないような内容ですので。

その親のひどい発言ですが、
私の40年近くの会社人生、やり遂げたことは一つもない
というのが父親の発言。
耐えることが生きること
というのが母親の発言。

こうなると価値観の違いと言わざるを得ません。
つまるところ、私の両親は
なりたい自分がなかった
のです。

ただがむしゃらに働けば豊かな生活が手に入る…
これが高度経済成長下の日本のスタンダードだったとはいえ、あまりにも悲しすぎる人生だと私は思いました。
とどのつまり、私の両親は
人生を謳歌することがなかった
のです。

このような両親が、子供の人生を謳歌する姿を見ると、
子供に反感を覚えることがある
そうです。
こうしてみると、「本来やってはいけない行為」を繰り返す私の両親の一連の行動も理解できます。特に母親はある意味哀れです。薩摩藩の郷中教育由来の厳しすぎる躾を受け、それが当然だと反抗することもなく、その結果子供にも同じように暴力を伴う厳しい躾を行ってしまい、結果自我に目覚め、自立してしまった子供に対し過干渉をした…背景にあるのは子供への依存であり、最後は
共依存
になってしまったのです。
一方で父親は確かに仕事で不在がちでした。その一方で暴力もありました。その父親もまた
ただ目の前の与えられた仕事をこなすことだけに専念していた
のです。そこにはビジョンもなければ、理想もありません。

一方の私は、ビジョンも価値観もあります。理想は見失いましたが、ビジョンと価値観は少なくとも両親よりははるかにしっかりしています。10年以上のプロバルーンアーティストの経験で、両親が築くことができなかったビジョンや価値観を作ってしまったのです。
そして今、企業経営は「価値観の共有」という方向に流れ、入社時の選考において最も重要視されるのが
提示した企業の価値観に自らの価値観がいかに近いか
ということなのです。たびたび最近取り上げている
「誰をバスに乗せるか」
ということが最重要視されているのです。どれだけ応募書類を綿密に準備しようと、どれだけ面接対策を重ねようと、企業の価値観と合わなければそれまでなのです。今、組織の一員になるということは、そういうことが求められているのです。
時代は20年前と大きく変わったのです!

そのために言われているのが
組織再社会化
学習棄却
自分の器を空にする

という、一連のことなのです。一度自分を壊し、空にしないと組織に入れないという状況が起きているのです。それには自ら築いたビジョンや価値観は邪魔ものにしか過ぎないのです。

自ら築いたものを壊して、新たな自分を作るには、少なくとも数年の時間がかかるとされています。その過程を通して再就職活動をするとなるときわめて厳しい状況になるのは自明の理で、しかもそのようなシステムが日本には非常に少ないのが現実なのです。私が知っている限りでは
管理者養成学校(=「地獄の訓練」)
ごく一部のブラック企業

ぐらいしかありません。これらに入れば短期間で価値観を変えることができるとされています。

この現実が両親はわかっていません。それどころか現実を分かろうとしません。だから私は爆発してしまったのです。
かくいう私はビジョンの再構築が進みつつあります。もちろん今まで築いた価値観がベースです。これが現状一番早い自立の方法であると私は考えています。

そして就労移行支援施設。
価値観を見つけることができなかった発達障碍者などが価値観を見つける場になりつつあります。そして価値観とビジョンを築き上げて、就活に臨むという場所なのです。
価値観とビジョンのない状態での就活は空転を繰り返すのみです。
そればかりか、
価値観とビジョンに逆らう就活は空転を繰り返すばかりでなく、自家撞着を惹き起こし、自己存在感を喪失するもととなり、最後は破局的な結末を迎える危険すらあるのです。

2015年9月3日木曜日

マジックに騙されるな!

こんにちは。
私の母親の呆れる一言。
「宝くじは買わないとあたらない。求人は応募しないと採用されない」
母親の口癖。
「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」
母親のポリシー。
「入った会社に自分を合わせろ」

もうあいた口がふさがりません。
というか、これらの考え、
時代錯誤も甚だしい
です。昭和30年代後半までの思想です…これは。
というか、私の家は
昭和のまま
です。父親は時代錯誤であることを開き直っています。そして口癖が
「今のルールはおかしい」
です。
昔のルールなら、私をどこかにねじ込めば安心…という考えなのかもしれません。

今日はこれが本題ではありません。今日の本題はこれからです。

専門的・技術的職業…0.63
事務的職業…0.16
サービスの職業…1.11
生産工程の職業…1.45
建設の職業…2.34

清掃等の職業…0.43


これは2015年7月の職種別有効求人倍率です。パートを含みます。
要は何が言いたいのか、というと、
有効求人倍率が1倍を超えている、と言っても、それは限られた業種が吊り上げているだけのこと
なのです。昔から言われる「雇用のミスマッチ」が何も変わっていないどころか、ひどくなっているような印象がします。

そうなると、社会情勢に応じた能力改造が必要になるという発想が、昭和的考え。

しかし、これは至難の業です。
そこに「数字のマジック」が隠れています。

それだけではありません。
先日の「桶の理論」の話

そこにもあるように
問題の根本の原因が何かを突き止め、それを解決することをしないと、問題はこじれる一方である
のです。

私の場合、そもそもの問題が
発達障害(=自閉症スペクトラム)
なのです。両親はこれを治ったものとして否定しています。ところが実際は
治ったように見えた
だけだったのです。時代の変化、高度コミュニケーション化社会への変化が深化するにしたがって、マジックが解けてしまったのです。
親はマジックをいまだに信じています。私はマジックの正体を見てしまっています。その結果、
自業自得
としか言いようのない状態に陥っています。

こうなると、自分が自立するためにできることは何か、を考える方が先決です。ところがここで問題が…

の問題にぶち当たります。
戦前、そして高度経済成長期までの家庭では「孝」が最重要視されていました。昔ながらの「家父長制」であり、「イエ」意識が強く、それらのバックボーンが「孝」に代表される儒教だったのです。

結局、私の場合、
自分の自立と親孝行がトレードオフの関係になってしまっている
のです。このような状況はそうめったにないのですが、こうなると
地獄の苦しみ
に双方が落ちてしまうことになります。「あれ」が関係しているのは言うまでもありません。