2015年2月27日金曜日

どうして親にうそをつかざるを得ないのか?

おはようございます。


幼児、特に3歳から5歳ぐらいのお子さんをお持ちの親の悩みでときどき聞かれるのが
「子供が嘘をつく」
ということ。


もし子供が嘘をついている際、厳しく叱責を繰り返そうものなら、後々大変なことになる。


早い段階で親の方が気づけばいいのだが、一歩間違うと子供は自己保身のためにうそをつく習慣が身についてしまう。
そして
親は厳しい叱責を繰り返す→子供は自己保身のためにうそをつく→親はまた厳しい叱責を繰り返す
という悪循環に陥ってしまう。


そして子供は次のいずれかに陥ってしまう。
家出をする
非行に走る
不登校に陥る
完全主義者になってしまう
私の場合、家出をしたうえ、完全主義者になってしまった。


非行に走った場合、あるいは不登校に陥った場合、この段階で親が間違いに気づくことが多い。その前段階で家出をするケースもある。
問題は家出をしても親が間違いに気づかない場合である。
この場合子供は以下のいずれかになってしまう。


ひきこもり・ニート・SNEPになってしまう
自殺する
犯罪を犯す(場合によっては殺人を犯す)
完全主義者になってしまう(あるいは強迫障害ないしは人格障害を引き起こす)


そして


社会に適合できなくなってしまう
うつ等の精神疾患に陥る
アダルトチルドレンになってしまう


このいずれかになってしまう。


私の場合、
家出→完全主義者+うつ病+アダルトチルドレン
というパターンである。


しかし、私はあえて親を責めない。
70年代の常識は
厳しくしつけることが子供のためになる
といったものであった。これが間違いだったため、ある意味被害を受けた人たちが現代社会にあぶりだされている。これが
発達障害認定者急増
の一因といっても過言ではないと私は思っている。
加えて、
完璧な子育てをすることを親自体がまたその親から求められていた。
こうなると、親を責めるわけにいかない。
今まで経験しなかったような価値観の変化が起きている。
価値観の変化に親がついていけたり、あるいは親が価値観の変化を認めればいいのだが、親によっては
復古主義
に走るケースもある。私の両親がこれにあたる。そして私まで
復古主義に走る傾向がみられるようになった


さらに悪いことに、私は
親の判断基準に従う
ということを自分に課している。本来時代に合わない
儒教
の教えを絶対視するようになった。普通に考えればおかしいことを、自らの行動基準にしてしまうようになった。


ここまでくれば、親の教育(というより洗脳)が成功したということになるのだが、本来の望ましい姿とは大きくかけ離れたものになってしまう。そして世間から相手にされなくなってしまう。


自己評価の低さ(=徹底した自己否定)
完全主義(=100%が最低ライン、白か黒か)


これらはすべて厳格な親の教育の結果といってよい。
厳格な教育の結果、私は
他人の入り込むすきがない、ゆとりのない人
に育ってしまった。こういう人はどんなに実力があっても結果を残せない。というより、今の社会で最も必要とされていない人になってしまっている。


そこで登場するのがバルーン、風船である。
確かにバルーンアーティストとしてあれだけの実績を残すことはできた。しかしそれは、実績を上げることによって親と対等に戦うためであった。
それが世の中の変化で空転し始めると、たちどころに崩壊した。
親は私を取り込んでしまった。取り込まれると
ミイラ取りがミイラになる
結果になってしまう。価値観の齟齬を自分の中できたして、自家撞着に陥ってしまう。だから私は引退を余儀なくされた。


このような構造を打破することは容易ではない。
少なくとも幸いなのは、私が結婚できなかったことである。
なぜなら、仮に結婚していると、
暴力の連鎖が親子間で起きていた
可能性が高いからである。最近多い虐待事案の原因の大半はこれではなかろうか。


一部で復古主義者や懐古主義者が
「発達障害の原因は親の愛情不足にある」
と言っているが、半分正しく半分間違いである。というより
親の認識の間違いが悲劇の根底にある。
それがつい最近まで分からなかった。間違った説が正しいと思われていたのが70年代である。だから

私は親に同情している。そして親を責めることをやめた。

0 件のコメント:

コメントを投稿