自分の人生を自分の好きなように生きることを世間は許しません。何故、わざわざ時間と体力を割いて、自分とは関係のない他人の生き方に難癖をつけるのかが理解できませんでしたが、数年前に合点がいきました。それは
「俺も折り合いをつけたのだから、お前も折り合いをつけろよ」
という”折り合いの強要”で、つまり、
「早く諦めてくれよ。自分の人生を好きに生きられることが証明されてしまうと、それを諦めた自分がバカみたいじゃないか」
です。そんな「知ったこっちゃねーよ」な都合が、批判となって、多数決で正論となって、のしかかってきているのだと。
私の両親はあらゆることに折り合いをつけて生きてきた。だから私のような生き方を否定する。
「自分があきらめたことを我が子にしてほしくない」
というのが本音ではないだろうか。というか、そうやって人生の終盤まで生きてきた。
そればかりか、私までがそうなってしまっていた。なぜなら、それこそが子育てのすべてであり、悪く言えば「洗脳」「ブレインウオッシュ」であったからである。
この長年日本を支配してきた価値観が変わろうとしているこの時期だからこそ、価値観が衝突する。これは一種の
「文明の衝突」
といえるかもしれない。「文明の衝突」がもたらしたものが「戦争」である。
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