2020年2月9日日曜日

群れと村社会

こんにちは。
今、私の住んでいる場所で、町内会がもめています。
順番のため、防災担当役員を今しているのですが、昨年20年近く務めてきた今の町内会長が倒れ、一時入院しました。そこで、
ここで人事刷新を図ろう
と現執行部が動きました。しかし…現役世代の方が町内会の役員が困難なのが現代です。特に私は未婚単身者、実質ダブルワーカー、加えて土日が仕事という状態。このため、
できない人たちに無理強いをさせるようなことは防がなければいけない
と考え、さまざまな提案を現執行部に対してしてきました。
当然70代以上の一部から反感を買いましたが、「今は過渡期だから仕方がない」の一言で押し切ってきました。
ところが、だれも応じません。私は
今の役員全員に留任をお願いして、暫定執行部を作り、会長などを置かず、対応できる人が対応して、その間に1年かけて町内会の在り方を模索しよう
という提案までしましたが、これはほかの人からブーイングが殺到しておじゃん。
私はしびれを切らして、
規約を全面改正して、私が全権を握るのなら、会長を引き受けてもよい
という発言に踏み切りました。明らかにクーデターを起こすつもりでした。が、今度は現執行部にクーデターと判断され、これも没。もちろんこれは半ば脅しで、現執行部も簡単にクーデターと見破れるものだったのですが、私は過去に町内会によるパワハラ行為を経験しており、「このようなパワハラ行為がまかり通る、危険な町内会になりますよ。それでもいいのですか」という警告を発したのでした。実際そのような横暴な町内会は全国各地に多数みられます。一度解体してゼロから作り直すぐらいでないと、問題は解決しない、という私の考えもありました。

ならば、なぜ私はここまで戦っているのか。理由は
戦前のような封建的な制度を一掃する
為なのです。発達障害などがあっても自分らしく生きることができる社会を作るために、町内会の現代化の必要性を訴えているのです。

しかしながら、現執行部は今までのやり方にこだわり、結果行き詰まりのどん詰まりに陥っているのです。そして無理強いを強制する…私は退会を決断しました。すでに退会届をいつでも提出できる体制にしています。戦ってもダメなら逃げを打つしかありません。「逃げるは恥だが役に立つ」(某テレビドラマのタイトルだが、実はハンガリーのことわざ「恥ずかしい逃げ方だったとしても生き抜くことが大切」)という言葉もあります。

その話を両親に相談したところ、母親が…
事なかれ主義を貫け
だから私は「話にならない」と思うのです。事なかれ主義では何の解決にもなりません。

で、なぜこのようなことになってしまうのか…私は
日本特有の村社会
に問題があると考えています。日本での就職活動が
個を捨てよ、型にはまれ
すなわち「メンバーシップ型雇用」ということになるのと根っこが全く同じです。
ソウス「自分らしさを阻むムラを生き抜く」より

私たちが日常的に使っている「社会」「個人」といった言葉は、明治初期に翻訳語として急ごしらえでつくられたものである。それまでわが国には、これに相当する言葉が存在しなかった。言葉がなかったということは、実体もなかったことを示している。

では、代わりに何があったのだろうか。

そこにあったのは「世間」であり、それは大小さまざまの「ムラ」によって構成されていた。そして、人々はみな、「ムラ」の「構成員」だったのである。「ムラ」の「構成員」は、基本的に同質でなければならず、「構成員」の「個」が際立つことは歓迎されない。「ムラ」では慣習や前例が重んじられ、「空気」という名の不文律によって秩序立てられている。「構成員」はその不文律に忠実であることが求められる。

一方、輸入された「社会」という概念は、それぞれが異なった感性や思想信条を持った「個人」の集合体として定義されている。一人一人が個性ある存在として認められ、権利を享受し義務を負うことになっている。

このように考えてみると、私たち日本人はいまだに「個人」であることが尊重される「社会」に暮らしているとは言い難いことが分かる。明治の文明開化以降、近代国家の概念や制度を採り入れたものの、その内実は依然として「ムラ」のままであり、法秩序よりも「世間」が実権を握っているのだ。

引用ここまで
同じソウスでは
「ムラ」の語源は「群れ」
とあります。「群れ」はすなわち、個人として成り立たない未熟な人がとる行動ともあります。つまるところ、主体性のない人が集まっているのが「ムラ」になるのです。

そうなると、にわかに問題になるのが
村八分
です。

ソウス「ムラ社会と「日本の経営」 閉ざされた生産社会をどう生きるか」より

…どうやら農村の価値観が支配する社会では、我を貫いて生きることはルール違反とみなされるようだ。

 もともと農業は、農家が孤立して営まれるものではなかった。田植えや稲刈り、それから屋根葺きなどは、かなりの労力が必要な作業である。そのため、ムラの人びとが団結し、農家ごと順番に作業を行うことで、相互扶助が行われていた。ムラ共同体が一つの生産システムとして、機能していたわけである。

 ムラの生産システムは、各自が歩調を合わせることで維持されてきた。過去からの習俗は、一見すると合理的でないように思われても、機能しているのだからそれでよいとみなされた。あるいは、非合理性に気づく機会もまた、少なかったのだろう。

…中略…

明治以降、新しい法規範のもと、自己の「権利」に目覚め、ムラの外の価値基準によって行動する人びとが現れてきた。

 そこで、ムラの秩序に従わない人は、つまはじき者になる。いわゆるムラ八分である。当時はすでに共同体の生産システムは弱体化していたから、ムラの結束を固めるために、ムラ八分は急増した。なかには周囲に働きかけてムラの掟を壊そうとする者もいたが、多くの場合、ムラから出ていくこととなった。個人の力では、どうしようもなかったからである。

 だが、民俗学者の宮本常一によれば、「予言者郷里に容れられず」といった西洋的な価値観があったから、彼らの誇りは傷つけられなかった。否むしろ、前向きな選択だったようだ。

…中略…
ムラ的な社会は、合理性や生産性ではなく、調和を目指す。そのため欧米先進国とは異なり、非生産的な活動が残存している。それに異議を唱える者は、秩序を乱す者として諫められる。行き過ぎれば、つまはじき者となる。

 転職は悪だとの風潮が変わってきたことは、自己実現の欲求をもつ人には幸運であった。彼らは自分自身を変えようと努力してきたから、実力もまた蓄えている。かくして、日本的な組織から離れていくのは、有能な人材となる。かれらはより合理的で、より有意義な働き方のできる組織へと移っていく。


 これらの人びとは、集団の価値観に埋没しなかったからこそ、有能になれた。周りの非難を覚悟し、新たなことに挑戦することで、自分自身であろうとした。言いかえれば、ムラ的な集団の中で活動したからこそ、彼らは鍛えられたのだ。

今私がやっているのは、まさにこのことです。

ただ残念なのは、バルーン業界がごく一部ではあるものの、「村社会」化しているという現実が…どうして日本人は「群れ」るのか…


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